2004年12月06日

下北沢X物語(86)〜下北沢の大岡昇平1〜

73ed9939.JPG  鉄道の交点としての下北沢、その周辺を自転車で巡ってきた。あっちにもこっちにもエピソードが転がっている。ついそれに心が奪われそうになる。森鴎外の娘、森茉莉のいる下北沢風景もたのしい。彼女は貧乏だがチョコレェトには目がない。茉莉は魔利となっている。小悪魔的な人物だろうか。

「チョコレェトを購入するのは魔利の日課であるが、二十町程ある北澤駅北口のマアケットに、百圓のイングランド製を一日一個宛買ひに行く」(「贅沢貧乏」、新潮社、1963年刊)
 

  淡島のバスの車庫脇から下北澤駅北口のマアケットまでチョコレェトを買いに彼女は通った。どこを通っていったのだろうかと想像する。代沢三叉路から南口,そして東北沢6号踏切を渡ってマアケットに行った。途中で出会う人をちらりと見ては自分の想像世界に引き込んでしまう。
「おや駅前で煙草を吹かしている彫りの深いあの若者はレオと名付けて代田ヒルの洋館に使える召使いとしよう」
 そんな想像をしながら南口の坂をゆっくりと上っていく彼女を想像する。イングランド製のチョコレェトもいい。しゃぶると口の中でそれがとろける。そんなことを思っていると本当にチョコレートが欲しくなった。とりあえずハーシーの板チョコを思い出して買ってきた。銀紙をそろりはがすと白い粉の吹いたチョコの板が現れる。それをこきっと折って、一切れを口に含む。カカオの味が口中にあふれる。
 森茉莉の小説「枯れ葉の寝床」は異空間が舞台である。読んでいくと代田の丘が浮かんでくる。それがいつの間にかフランスの丘になる。そこがまた楽しい。いずれまた森茉莉空間に戻ってくることにしよう。
 今日は12月6日。たちまち暮れだ。あさっては12月8日,開戦記念日である。日本軍がハワイ、オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃した。太平洋戦争、大東亜戦争とも言われる。六十三年前のことである。遠く過ぎ去った昔の出来事だが、国家の命運、そして日本人個々の運命を大きく変えた戦争であった。わたしは自分自身、あの戦争がなかったとしたならいまとは全く違う人生を歩いていたと思う。世田谷の谷間をうろうろすることなく、どっかべつの例えばチベットあたりの谷を放浪していたようにも思う。
 下北沢クロッシングに話を戻そう。空襲目撃地点としての下北沢については何度も触れてきた。「東京空襲」のありさまを事細かに記録したのは一色次郎である。彼は下北沢駅近くの窪地に住んでいた。世田谷代田寄りの下北沢2号踏切の南側である。
 最近になってまた新しいことを知った。一色次郎のいる方とは反対側、東北沢よりの南に大岡昇平の住まいがあったようだ。一方は空襲下において人間の命とは何かを考え、もう一方は太平洋戦争に参戦して、フィリピンのミンドロ島の戦地において死を見つめて生きた。対照的である。小田急土手からの巡り合わせでここへたどり着いた。自分にとっても不思議な出会いでもある。



  一色次郎のいた静仙閣アパートは東北沢の側だろう。そう思って「スズナリ」裏手の窪地や坂を何度も上り下りした。日影山方面である。そこに大岡昇平は一時住んでいた。

 小田急線は、下北沢と東北沢の間で、狭い谷を越す。現在は人家の屋根で埋めつくされているが、その頃は両側とも田圃で、その東北沢側の斜面の松林の中に私の家があった。家の横のゆるい坂を登りきったあたりを、右側へ入ったところが横光さんの家だった。
下北沢の思い出 大岡昇平集16 岩波書店 1983年刊

小田急線上り電車は下北沢を出るとゆるやかな坂で下る。そのことはよほど注意しないとわからない。三つ目の踏切が谷の底に当たる。窓辺を眺めると茶沢通りが見える。川が干上がって道になったと聞いた。たしかにこの両側は低地である。小田急が開通して間もない昭和五年頃の話だ。その当時は田圃だった。
 茶沢通りを越えると電車は急な上りにかかる。大岡昇平が言う東北沢側の斜面というのは右手である。が,ここでいう斜面の松林というのは線路のすぐ側ではないと思う。横光さんとは横光利一のことである。小田急の脇の斜面からだったら横光利一邸は十分以上かかる。このエッセイの冒頭にはこうある。

 横光さん(「先生」と書くべきだが、生前お心易だてに呼ばせていただいていたままに呼ぶ)の風貌に初めて接したのは、一九三○年(昭和五年)家が下北沢二四六番地に引っ越してからである。横光さんのお家は同一四七番地で、歩いて五分とかからない距離だった。(「下北沢の思い出」)

下北沢と書いてあるが、下北沢という地名はない。北沢二丁目二四六番地であろう。
(写真は今日の夜の東北沢駅だ)


rail777 at 20:41│Comments(1)│TrackBack(0)│

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この記事へのコメント

1. Posted by 室津 健次   2004年12月07日 10:12
毎日楽しませてもらっていますよ。
ところで私事ですが12月に奥多摩から雲取山に行って来ました。
下関から夜行あさかぜで東京に向かいましたが、列車は貸しきり状態、混雑も困るが、少ないのも寂しいもの。来年には廃止になるとか。
帰りは航空機にしましたが五日羽田は欠航便が多く混雑パニック状態、ずいぶん遅れましたが福岡には飛んでくれたのでホッとしました。
下北沢これからも頑張ってください。

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