2004年12月18日
下北沢Ｘ物語（９８）〜トーマスマンからの手紙（特別号）〜
今年も余すところわずかとなった。一色次郎の空襲日記、六十年前の今日、十二月十八日は数行で終わっている。「昼食が終わるとすぐにサイレン。空襲警報にはならなかったが、中部管区へは数編隊侵入したようである。……」。明日、十九日には「晴。寒さが厳しく、アパートの庭土は、物凄い霜柱でふくれあがっている。」とある。この頃の東京では霜柱が立つことなどめったにない。暖かい年末が過ぎようとしている。
もう間もなくすると新年だ。戦後６０年という節目を迎える。この自転車紀行は下北沢の交点を中心点にし、その周囲をあっちいきこっちいきした。本を調べたり、人と会ったりしているうちにぶつかったのが戦争である。太平洋戦争の影があちらでもこちらでも見られた。わたしたちの命運を変えたあの戦争とはいったい何だったのだろうと。われわれの想像を遙かに超えていた敵の技術力、経済力であった。
下北沢の小田急土手から望見された太平洋戦争は鯨と小魚の闘いであった。鯨はＢ２９爆撃機、小魚は我が方の戦闘機だ。文明開化前に起こした戦争と変わりがない。馬関戦争、下関戦争とも言われる戦いである。長州藩は英・米・仏・蘭の連合艦隊に青銅砲で立ち向かった。アームストロング砲の威力はすさまじく三日で負けてしまった。分析力を持たない情念の戦いはもろいものである。今にして思えば第二次世界大戦も情念の戦いであったとも言える。勝てば圧勝とされ、負ければ玉砕である。玉となって砕け散る、あまりにも抒情的な戦いだ。言霊をだけでは勝てない。言葉が冷静さを欠いていたように思う。言葉が跳ねて踊っていた。
第二次世界大戦で、国は壊滅した。空襲や原爆による犠牲者は数知れない。もう二度としないと誓った。今日のわれわれが戦争経験をどう生かしているのか、間もなく戦後六十年を迎える。そのことが問われるであろう。
戦争は大きな教訓だった、痛い目に遭って、そこから復興した。経済的な発展と進歩、それは努力によって得られた。が、平和と自由は絶え間ない自己点検によって得られる。それを行ってきたであろうか、あの痛みを忘れかけていないだろうか。利便のみをどん欲に求めていはしないだろうか？。
戦争後に独りの世界的な文豪が日本の独りの批評家に手紙を送った。日本の青年に向けて送られたメッセージでもある。そこに語られる文明論、文明批評はこんにちのわれわれを説得しうる力を持っている。
浮遊的西方見聞録、今日はトーンが異なる。それは西方の意味が代田と下北沢を分ける境界ではなくて、突然に西欧に飛んだからだ。グローバル的な浮遊である。世界的な文豪が書いた手紙、シミのあるそれに接し得たからだ。
もう間もなくすると新年だ。戦後６０年という節目を迎える。この自転車紀行は下北沢の交点を中心点にし、その周囲をあっちいきこっちいきした。本を調べたり、人と会ったりしているうちにぶつかったのが戦争である。太平洋戦争の影があちらでもこちらでも見られた。わたしたちの命運を変えたあの戦争とはいったい何だったのだろうと。われわれの想像を遙かに超えていた敵の技術力、経済力であった。
下北沢の小田急土手から望見された太平洋戦争は鯨と小魚の闘いであった。鯨はＢ２９爆撃機、小魚は我が方の戦闘機だ。文明開化前に起こした戦争と変わりがない。馬関戦争、下関戦争とも言われる戦いである。長州藩は英・米・仏・蘭の連合艦隊に青銅砲で立ち向かった。アームストロング砲の威力はすさまじく三日で負けてしまった。分析力を持たない情念の戦いはもろいものである。今にして思えば第二次世界大戦も情念の戦いであったとも言える。勝てば圧勝とされ、負ければ玉砕である。玉となって砕け散る、あまりにも抒情的な戦いだ。言霊をだけでは勝てない。言葉が冷静さを欠いていたように思う。言葉が跳ねて踊っていた。
第二次世界大戦で、国は壊滅した。空襲や原爆による犠牲者は数知れない。もう二度としないと誓った。今日のわれわれが戦争経験をどう生かしているのか、間もなく戦後六十年を迎える。そのことが問われるであろう。
戦争は大きな教訓だった、痛い目に遭って、そこから復興した。経済的な発展と進歩、それは努力によって得られた。が、平和と自由は絶え間ない自己点検によって得られる。それを行ってきたであろうか、あの痛みを忘れかけていないだろうか。利便のみをどん欲に求めていはしないだろうか？。
戦争後に独りの世界的な文豪が日本の独りの批評家に手紙を送った。日本の青年に向けて送られたメッセージでもある。そこに語られる文明論、文明批評はこんにちのわれわれを説得しうる力を持っている。
浮遊的西方見聞録、今日はトーンが異なる。それは西方の意味が代田と下北沢を分ける境界ではなくて、突然に西欧に飛んだからだ。グローバル的な浮遊である。世界的な文豪が書いた手紙、シミのあるそれに接し得たからだ。
「魔の山」「ヴェニスに死す」「トニオ・クレエゲル」などの名作を書いたトーマスマンの手紙である。宛先は杉並区阿佐谷の平田次三郎宛となっている。書簡はタイプ打ちで便せん七枚に及ぶ長文である。最後にトーマスマンの自筆のサインがある。個人的書簡というよりも公的性格を持つものである。日本の青年諸君に当てた手紙である。なお、これは平田次三郎氏によって訳されたものが昭和３４年２月１日発行の「近代文学」２月号に発表されている。その長文の一部を紹介する。
日本は、呪うべき、かつてその若き青年たちの多くからも呪われた戦争を行った。その戦争のやり方たるや、まさしくあらゆる戦争がそうである如く、残忍であり、人間性にもとることはなはだしきものであった。今日、日本はそれを後悔している。そして、戦争指導者たちは、最近、ドイツの指導者たちがそうであったと同じく、絞首刑にあったのですが、それらはその一部であって、その真にもっとも罪深きものたちは、なかなかどうして首をくくられはしてはいないのです。
（中略）
人間的なるものは、つねに全体として、そのあらゆる部分において、いわば永遠に存在しているということを。すなわち、歴史的進歩の理念は、つねに全部が同時に存在しなければならぬということ、もっと古いもの、文化的な意味においてもっと不気味なものが、もっと進歩したもの、もっと発展したもののかたわらに存立するということ……時代に反するという意味においてではなく、時代をもたず、いつもあるという意味において時代錯誤的なのだが……、および歴史は、しばしばそのようになるのだが、進歩した理性や明るい精神によってより古い力によって決定的に規定されるということ、によって修正されるのであります。
この古きものと新しきものの併存ということこそ、現代のもっとも特徴的な経験であります。これこそ、人間的なるものとその未来とに対するわれわれの関係に、懐疑と信心深い誇りとの独特な混合色を、付与しているのです。人類はある種の事物を卒業してしまったという、オプテイミスティシュな進歩思想の妄想は、はっきり妄想だということが分かったのであります。人類は、一歩たりといえど進歩していない。われわれの眼の前で、いましがた、本能が、もっと低いものが、もっと原始的なものが、惨忍さが、盲目的な権力欲が、愚昧な迷信が、その血の祝祭をいわったばかりであり、そしてそれらは、いささかの自己批判もなく、完璧な愚鈍さのうちに、思う存分生きつづけてゆくのである。かかる同時性のデモンストレエションの前にしりごみすることなく、一種の哲学的冷静さを体得し、しかも人間の自然的繊細さ、人間の誇り、善なるものへの愛と意志、をいささかもそこなうまいとすることこそ、進歩せる人間精神の使命なのであります。
精神的なものと善なるものの隣に盲目的な本能が、自由の隣に利害関心が、清純な医師の隣に濁った衝動がある。正義や忠告や救済への現代の困難に照応している。各人がそれぞれその力をつくしてこの努力をわかちあうことが、われわれの義務なのです。そして、それが、われわれをニヒリズムからまもってくれるのであります。諸君の国家のあやまった戦争の企てといふものは、日本の青年諸君に対して、この地球上がもっとも明るく、もっとよくなることに協力しおうとする諸君の権利と能力を疑わしめるいかなる理由にもなるはずはないのであります。わたくしは、日本の青年諸君に、勇気と明朗さと信頼とを希望するものです。
トーマスマン
パシフィック パリセイズ・カリフォルニアにて
一九四八年十二月二十八日
（平田次三郎訳）
（注 仮名遣いは現代仮名遣いに、旧漢字は常用漢字に改めた）
トーマスマンは人間とは何か、文明とは何か、鋭く問いかけてくる。六十年経っているのにどれほど進歩しえたか。文明の進歩が個人の我を野放図にさせていないか。人間が直面する厳しさ、本能、衝動、利害関心と闘ってこそ自由は得られる。そして、大事なことは希望だ。大岡昇平は「絶望」という言葉が矛盾した言葉だと戦争のさなかに気づいた。希望を絶つことはない、どんな状況に陥ろうと、ささやかな希望を持ちつづける。
それと同時にトーマスマンが言う勇気と明朗さと信頼、その言葉を踊らせない、自己点検、冷静さが求められているのではないだろうか。
（写真はトーマス・マンの手紙。所有者の了解を得たものだ）
日本は、呪うべき、かつてその若き青年たちの多くからも呪われた戦争を行った。その戦争のやり方たるや、まさしくあらゆる戦争がそうである如く、残忍であり、人間性にもとることはなはだしきものであった。今日、日本はそれを後悔している。そして、戦争指導者たちは、最近、ドイツの指導者たちがそうであったと同じく、絞首刑にあったのですが、それらはその一部であって、その真にもっとも罪深きものたちは、なかなかどうして首をくくられはしてはいないのです。
（中略）
人間的なるものは、つねに全体として、そのあらゆる部分において、いわば永遠に存在しているということを。すなわち、歴史的進歩の理念は、つねに全部が同時に存在しなければならぬということ、もっと古いもの、文化的な意味においてもっと不気味なものが、もっと進歩したもの、もっと発展したもののかたわらに存立するということ……時代に反するという意味においてではなく、時代をもたず、いつもあるという意味において時代錯誤的なのだが……、および歴史は、しばしばそのようになるのだが、進歩した理性や明るい精神によってより古い力によって決定的に規定されるということ、によって修正されるのであります。
この古きものと新しきものの併存ということこそ、現代のもっとも特徴的な経験であります。これこそ、人間的なるものとその未来とに対するわれわれの関係に、懐疑と信心深い誇りとの独特な混合色を、付与しているのです。人類はある種の事物を卒業してしまったという、オプテイミスティシュな進歩思想の妄想は、はっきり妄想だということが分かったのであります。人類は、一歩たりといえど進歩していない。われわれの眼の前で、いましがた、本能が、もっと低いものが、もっと原始的なものが、惨忍さが、盲目的な権力欲が、愚昧な迷信が、その血の祝祭をいわったばかりであり、そしてそれらは、いささかの自己批判もなく、完璧な愚鈍さのうちに、思う存分生きつづけてゆくのである。かかる同時性のデモンストレエションの前にしりごみすることなく、一種の哲学的冷静さを体得し、しかも人間の自然的繊細さ、人間の誇り、善なるものへの愛と意志、をいささかもそこなうまいとすることこそ、進歩せる人間精神の使命なのであります。
精神的なものと善なるものの隣に盲目的な本能が、自由の隣に利害関心が、清純な医師の隣に濁った衝動がある。正義や忠告や救済への現代の困難に照応している。各人がそれぞれその力をつくしてこの努力をわかちあうことが、われわれの義務なのです。そして、それが、われわれをニヒリズムからまもってくれるのであります。諸君の国家のあやまった戦争の企てといふものは、日本の青年諸君に対して、この地球上がもっとも明るく、もっとよくなることに協力しおうとする諸君の権利と能力を疑わしめるいかなる理由にもなるはずはないのであります。わたくしは、日本の青年諸君に、勇気と明朗さと信頼とを希望するものです。
トーマスマン
パシフィック パリセイズ・カリフォルニアにて
一九四八年十二月二十八日
（平田次三郎訳）
（注 仮名遣いは現代仮名遣いに、旧漢字は常用漢字に改めた）
トーマスマンは人間とは何か、文明とは何か、鋭く問いかけてくる。六十年経っているのにどれほど進歩しえたか。文明の進歩が個人の我を野放図にさせていないか。人間が直面する厳しさ、本能、衝動、利害関心と闘ってこそ自由は得られる。そして、大事なことは希望だ。大岡昇平は「絶望」という言葉が矛盾した言葉だと戦争のさなかに気づいた。希望を絶つことはない、どんな状況に陥ろうと、ささやかな希望を持ちつづける。
それと同時にトーマスマンが言う勇気と明朗さと信頼、その言葉を踊らせない、自己点検、冷静さが求められているのではないだろうか。
（写真はトーマス・マンの手紙。所有者の了解を得たものだ）
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この記事へのコメント
1. Posted by rail777 2005年01月14日 15:37
トーマス・マンの手紙は２００５年１月１日のプログに全文を載せておきました。参考まで。アドレスは以下です。
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/11669622.html
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/11669622.html
