2004年09月

2004年09月30日

下北沢の魅力(17)〜ひそやかな踏切のある街〜

2829564e.JPG  下北沢を通る小田急線は幹線である。百万単位の人が行き交う路線だ。それが下北沢を通る。古い町がそのまま残っているだけに踏切の数が多い。地下化すればそれが一気になくなる。かえって下北沢らしさがそれでなくなっていくように思う。
 東北沢を出た電車はまずすぐに踏切にかかる。それが東北沢2号踏切だ。なぜ、それが2号なのか。疑問のあるところだ。推測だが、かつて東北沢構内に1号踏切があってそれが跨線橋になってなくなった。2号から6号まで繰り上げられることなくいまに続いているのだと思う。
 その2号から6号までは一つ一つ何かのエピソードが眠っている。だからおもしろい。2号踏切は坂の上にある。そこから下北沢の駅を覗き見るのが楽しい。いずれにしてものぞきというのはスリリングだ。2号から下北の駅を覗く。すると、底の方に大蛇の頭が蠢いている感じがする。箱根号などはとくにそうだ。うねったヘビがやってくるというような印象である。
 小田急の下りは、2号、3号、4号、5号と通過していく。ちょうどそれが坂になっている。すり鉢に降りていくと思えばよい。線路には線路の文化がある。そこを横切る道には道の文化がある。そのクロス地点が踏み切りだ。個々の踏切特有のストーリーがそれぞれに潜んでいる。それが下北沢だとわたしは思う。
 例えば、3号踏切。坂の途中にある何の変哲もない踏切だ。が、そういうなにもないところに話が潜んでるからおもしろい。白粉花が咲いている。齋藤の爺さんが散歩の途中通る。フィットネスクラブに通うリサが自転車で通る。
 あっちとこっちを分け隔てしている踏切は境界線だ。小田急線路の北側と南側では文化風土が違う。そこを渡って彼岸に行く。新しい出会いだ。
 写真では多く人が渡っているのが5号である。下北沢の中で5号踏切はおもしろい。4号や6号が閉まっているとき実はひっそりと開いていることがたびたびである。そこをくぐり抜けていく楽しみがある。5号は車も通らない路地の踏切だなのだ。
 恋人同士が抱き合って渡っていくこともある。交番のある4号を避けてこっそりと渡っていくものもいる。ひそやかな踏切が5号だ。続きを読む

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2004年09月29日

下北沢の魅力(16)〜隠れた味わいのある5号踏切〜

ab4c546f.JPG 階下が古着屋でその上にバーのネオンサイン、趣のある光景だ。場所は、下北沢交番のすぐ脇の道だ。真っ直ぐいくと本多劇場の方へいく。このお店の角を右に曲がると踏切がある。小田急線東北沢5号踏切だ。この辺りはひっそりとしている。渡ると、すぐに右手に質屋さんがあって、大谷石で造られた蔵が今でも線路際にある。
 5号踏切辺りは物語が潜んでいるところだと思う。写真の古着屋一つとってもさまざまなストーリーが潜んでいる。店頭にある帯一本にもひそやかなエピソードがあるに違いない。
 右から三番目に並んでいる帯、綾子という芸者の腰をしっかりと巻いて男を惹きつけたのかもしれない。四番目は世田谷のお屋敷の瑠璃子の成人式を際だたせた帯なのかもしれない。この古着屋のお店を覗くと若い女の人が着物を一つ一つ手に取って品定めしている光景に出会うことがある。古い着物には一枚一枚、恋物語が織り込められている。手で触ったり、眺めたり、そうしてその襞に織られたエピソードを想像することができる。古着の魅力はそんなところにあるのかもしれない。
 この界隈、夜と朝の顔はまるで違う。朝、この5号踏切を通るときがある。すると手前のバー辺り、古びた家の開け放たれたドアの中から酔っぱらった声が聞こえることがある。「おれがおまえのことを好きだといっているのがわかんないのか」、そんな会話の一切れが聞こえてきて警報機が鳴る。そして、通勤客を乗せた新宿行きの急行電車が通る。顔をゆがめた若い女、丸めた新聞を読んでいるメガネの中年、ドアの窓に朝の通勤風景がことことと通る。しっとりとした会話、乾いた電車の光景、そのアンバランスな感じが似合うのが5号踏切だ。
  今日この界隈も雨が降っていた。東北沢に上る小田急の線路に信号の赤い灯りがにじむように映っていた。


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2004年09月28日

下北沢の魅力(15)〜後ろ姿の坂美人が美しい〜

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  朝,六差路から南口にかけての坂道を人が歩いていく。駅へ向かう通勤通学の人である。なだらかな坂を上っていくことになる。当然のことながら先をいく人は自分より高い位置にいる。その後ろ姿がよく見える。ときに後ろ姿が坂道に沿ってずらり帯のように並ぶときは壮観である。南口へ向かう下北の住人は坂を上って駅へ向かう。後ろ姿がきれいな人はとても目立つ、坂美人にはあこがれる。


 坂を歩く彼女の後ろ姿にBはぞっこん参ってしまった。長い髪の毛,希望に溢れた背中,引き締まった腰,そして尻,歩くたびにかすかに揺れる。朝の時間がパンクチュアルなのもいい,いつも7時51分,餃子の王将わきの路地から出てきて下北沢駅に向かう。その歩き方がいい,ハイヒールは低めの黒,それがリズムを刻んで音を立てる。たった,とった。朝,残業疲れの残るBはそれで勇気づけられる。
 Bは毎朝,さりげない形で彼女の後ろについた,11メートルほど後ろから歩いていくのが一番いい。自分の視界に自然に彼女の姿が入ってくるからだ。「あれ,彼女美容院にいったんだ。髪型少し変えたみたい」。離れたところからそっと眺めるのが彼の日常だった。ところがある日のこと,思ってもみないことが起こった。
 
 ……浮遊的物語でフィクションである。虚構である。けれども,そんなエピソードの一つや二つは坂に転がっているだろうと思う。坂を通しての出会いである。
 駅に向かうのにゆるゆると上っていくというのはいい。自分の重みを感じながら歩く感じで体調がわかる。夕べ飲み過ぎてまだ二日酔いだな,このところ太ったな。自照的にさせるのが坂だ。
 坂の上になぜ駅を造ったのだろうか。線路設計士は何らかの意図があって丘の上に駅を造った。小田急の駅は小さな分水嶺の上に造られている。下北交番の前あたりに造ったならば坂を上らなくてもすんだはずだ。しかし,北沢川支流がたびたび交番辺りで氾濫していたからそこを避けたのかもしれない。駅を出てすぐに東北沢への勾配も電車にはきつい。地理的諸事情を勘案して駅は造られたのであろう。
 大正時代の設計士は坂の上の恋いなど予想もしていなかったろうと思う。歴史とはそんなものである。丘の分水嶺にあるからこそ生まれた出会いなどはきっと掃いて捨てるほどにあるに違いない。ドラマを作り出してきた駅である。



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2004年09月27日

下北沢の魅力(14)〜鉄道信号がしもきた野郎を誘う街〜

b2a39a06.JPG 南口に降りて坂を下って行くと,中程に踏切警報機を看板にしているお店がある。警報機が鳴って信号も点滅する。「しもきた野郎」という飲み屋である。南口界隈では知らないものはないだろうと思われる。それがすっかり街に溶け込んでいるから面白い。
「ほら,南口ずっと行くとさ,警報機の鳴っているお店あるじゃん,そのさきのすぐ右のお店」などと携帯で連絡をとっている若い者を見かけたことがある。
 警報機には違和感はない。下北沢は踏切が多い街だ。どこまでを下北沢にするかでその数も違ってくる。だが,鎌倉街道から茶沢通りまでということにすると,小田急,京王合わせて踏切は6つある。駅で降りてきゃんきゃんと警報機が鳴っているのは下北沢の日常である。
踏切にはみな番号がついている。交番前の踏切は東北沢4号踏切という。4号,5号,6号は近接している。が,一斉に鳴り出すことはない。電車が接近することでおもむろに鳴り出す。電車は下り上りがあるからあっちから鳴ったり,こっちから鳴ったりする。微妙に、かんこんかんこんという音がずれるので耳を澄ますと音楽に聞こえることもある。踏切の音は下北沢の音であり音楽でもある。
 下北は眠らない街だ,バーなどは電車の始発まで営業している。が,電車は車庫で眠る。終電を過ぎた街には奇妙な静けさが漂う。日常的な音,電車の通過音、それに、警報機の響きがしなくなるからだ。
 静まった街に酔っぱらいの雄叫びが時として聞こえることがある。もしかしたら鉄道の音、電車や踏切の音がしなくなった街が怖いのかもしれない。
 下北沢は警報音が似合う街だ,下北族は踏切に弱い。飲み屋のオーナーはそういうことを見抜いてあえてつけたのかもしれない。すばらしい感覚だ。下北沢南口第一号警報機は今日もきゃんきゃん鳴って,野郎たちを呼び込む。


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2004年09月26日

下北沢の魅力(13)〜下北沢の蛍〜

8f36d02c.JPG 北沢3丁目13番地のHさんは昭和の初めの頃のことをこう話してくれた。「この上の5丁目を流れている玉川上水には蛍がいて、そこまで捕りにいきましたね」と。「さて、このどぶ川はどうだったかな、この支流はわき水を水源としていたというからずっと昔はいたかもしれないね」といわれた。
 もちろん、今はいるはずもない。が、下北沢には妖しい蛍がいる。うっすらとしたミドリ色の蛍光色、それは人知れず毎夜毎夜下北沢の坂に光っている。写真は下北沢交番の4号踏切から東北沢方向を撮った写真だ。
 小田急の線路は東北沢にかけて急速に上っている。東北沢にある信号燈の灯りがレールの表面に映って見える。青ばかりでない、赤や黄色のときもある。幻想的ですらある。
 下北沢の夜の彩りは街の灯りだ。だが、鉄道の存在は大きい。下北沢の夜の彩りは電車であり、駅であり、信号燈でもある。赤や緑や黄色、さまざまな色が点滅し、また、通り過ぎていく。電車が通り抜ける車輪の響き、通り抜けた後に鉄粉のにおいを嗅ぐこともある。
 鉄道が下北沢を演出している。舞台装置に欠かせないものだ。特急や急行そして各駅停車、それらが井の頭線も含めて下北沢駅を生き生きとさせている。


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2004年09月25日

下北沢の魅力(12)〜大木が眠る街〜

dce9e989.JPG 下北沢ゆかりの森厳寺の大銀杏である。無数に別れた幹と枝、風格がある。
 「体重が増えると時間は長くなる」と言う。「年輪が増えると時間は長くなる」と言ってもいいかもしれない。森厳寺の銀杏に近づくと、不思議な思いがする。幹の陰影に時間が隠れていて、樹を仰ぎ見るものをゆったりとさせる。寺は江戸時代に創建された古刹である。
 江戸から明治へ、古代から近代を見つめてきたのがこの樹木である。かつて、下北沢の中心はこの大銀杏辺りであった。お寺の境内にある淡島明神はお灸で有名だった。往事、このお灸をしてもらうために「人々が二日も三日も順番を待つほど」(ふるさと世田谷を語る)」であったそうだ。
「松ちゃん、やっと順番回ってきたな。まあ、少々熱い思いしても病気が退散するんなら我慢もできるというものよ」
「竹やん、そうだなぁ、このお灸のにおいはたまらないけど、ちょっとの我慢だ。あとはいひひだな」
 お灸治療を終えた松ちゃんと竹やんは小躍りして森厳寺の山門を出た。そして、淡島通りを渋谷へとめざした。色街の円山町である。お灸の後は色街へ定番コースだったようだ。
 そんな光景を樹は見てきたと思う。昭和になっての下北沢は変化が著しい、昭和2年に小田急が開通した。そして、森厳寺の南側の竹藪や雑木が倒されて長い築堤ができた。そこを渋谷から来た電車が通っていった。井の頭線だ。
 二つの線が合わさってから下北沢も急速に宅地化が進んだ。人間世界の変化はめまぐるしい。もしかしたら銀杏は自分も切られるかと心配したが区の保存樹木になってそれも遠のいた。が、また新たな喧噪が街中から聞こえてくる。
だがもう樹は知らんぷりだ。おれを残した知恵を人間が持っているとしたら悪いようにはしないだろうと思ったからである。樹は眠りに就いている。だからそこへ行くと時間が止まってみえる。


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下北沢の魅力(番外編2)〜たこ焼き〜

43f903da.JPG いつも行列のできているたこ焼き屋さんがある。一番街栄通の路地を入ったところである。店の前をまっすぐに行くと小田急東北沢4号踏切にぶつかる。
大阪屋、小さなお店である。並んで買うのもおもしろい。若者の雑談が聞こえる。「おめえ宇宙時間論の単位落としたろ」「いや、あの講義聞いていると途方もなく壮大で、こわくなってくる。たこ焼きでも食ってのんびりする方がいいや」
 自分の番が来て、個数を告げると、ご主人はすばやく焼いてくれる。たこ焼きの返しのワザがまことにうまい。たこ焼きがみるみる裏返って行く様はおもしろい。
 最後の仕上げも目を見張る。かつぶしがたこ焼きの上で踊る様をみていると生唾が湧いてくる。店の前で早速に賞味。ソースと海苔とカツオ節が匂う。ヨウジで摘んで噛むと柔らかい。くちゅっと食べるとタコの身が歯にあたる。それを捕まえてかむりと食べる。
 向こうで踏切の警報機が鳴った。やがて、特急エクセの影が通っていった。


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2004年09月24日

下北沢の魅力(11)〜古代時間が眠る街〜

a5cc9fab.JPG 地域文化というものはその区域の中心部には見つからない。むしろ,周辺部にある。例えば,庚申塔とか地蔵様,馬頭観音などはそうである。下北沢の農耕文化の名残がそれらに表されている。寺院や神社などはその典型である。
 下北沢のもともとの中心部は駅のずっと南側だった。「村の中心部に当たるのは本村で,ここに北沢八幡神社や森厳寺を始め,旧家の多くが集まっていました」(ふるさと世田谷を語る),代田,北沢,代沢,大原,羽根木・編,世田谷区発行)」)
 じっさいいまでもこの近辺には古木が多い。ケヤキ,イチョウなどだ。ことに森厳寺の銀杏は大きい,巨木である。ごつごつした幹の肌と空いっぱいを覆う枝振りは一見の価値がある。みどりの多い古刹だ。
 わたしはここの桜が好きだ。寺の裏手の坂の上から見る桜はせつないほどに美しい。華やぎと寂しさを宿している。卒塔婆や墓石が林立しているがそれを包み込むように咲く。ことに夕暮れ時は思わず坂の上に立ち止まってしまうほどだ。
「ふるさと世田谷」を見ていてびっくりしたことがある。その寺の裏手の坂上からは縄文土器が出土したと記されていた。下北沢は古代から続いた地域だ。
 下北沢には古代時間が眠っている。森の境内の幹に,地蔵さんの裏側のほの暗い陰に,時間がひっそりと眠っている。周辺部を覆う古代時間は中心部にも影響を及ぼしている。顕著なものは道である。蛇のようにくねっている。
 近代は直線文化だ。道路や線路はまっすぐにしたい。その方が時間的にも早い,不審な者は早く見つけられる。為政者の考えである。曲がったものはまっすぐにするという考えだ。が,しかし曲線は文化である。曲がったところに何かがある。曲がっていてこそ隠れられる。下北沢の道は曲がっている。曲がったり上ったり,そして,ときに隠れたり,そんな回遊が楽しい。
 街のすみずみになにかが眠っている。穏やかで柔らかい古代時間だ。だから音楽を演奏してみたらどうか,劇を演じてみたらどうか,そんな考えが浮かぶのかもしれない。
 坂道は人間をちょっぴり哲学させる,踏切での待ち時間も思索を促す,わたしはそう思っている。
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2004年09月23日

下北沢の魅力(番外編)〜南口駅前のメロンパン〜

5e5ebcfd.JPG   メロンパンは魅力的なパンである。おいしそうなメロンパンに行き当たるとつい手が出てしまう。散歩の途中に手作りパン屋さんがあるとつい寄ってしまう。 表面がカリッとしていてザラメのお砂糖がまぶしてあるメロンパン、中野川島通り商店街にあるパン屋のメロンパンがわたしの中でベストだった。噛むとさくっとして少しザラメの砂糖がこぼれる、おっとっとといいながらまた食べていく感触はたまらない。 メロンパンを買ってくると夜中にでも目覚めて食ってしまう。今朝も夜中の3時に目が覚めて、あ、そいえば下北沢でメロンパン買ってきたなと思い出した。 なかば眠りながらメロンパンを食べる。異世界での食事のようでこれがまた旨い。メロンパンは夜中にベットで食うとひと味違う。もっとも朝目覚めるとパンのクズが落ちているのには閉口する。下北沢駅南口、すぐ右手に「HOKUO」というパン屋がある。メロンパンの種類が多い。少し高めだけどおいしい。写真上のパンはメロンパン系だけどモンブロートという。にんじんを刻んだものが生地にまぶしてあるという。 メロンパン好きの人はHOKUOのパンを食べてみるといい。噛むっと噛むと、表面がサクッとしていて口の脇から表面がこぼれおちる。「おっと」といってそれをキャッチして食べるとまた旨い。



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2004年09月22日

下北沢X物語(10)〜庚申塔を守る人〜

e75b47f9.JPG   前から気になっていることがあった。茶沢通り面した庚申塔だ。下北沢交番の前の踏切を渡った道は右に折れて直進する。その道が建物にぶつかる。そこに庚申塔がある。トタンぶきのこじんまりとしたものだ。朝、そこを通ると水が打たれていて、菊の花が飾られている。よごれている様子もない、いつも掃き清められている。 誰かが毎日掃除をし、水打って花を供えているのだろうと思っていた。今日、その方とお話することができた。となりの村田履物店の女主人である。「とくに家の敷地ではないんですけどね、ずってとやっていますね。夏なんかお花、このままにしていていると枯れちゃうでしょう、だから昼間は家に入れてあげているのですよ」と。「ええ、このお花は家で買っているんですよ」と。塚を守り続けている奥さんは、さりげなくそう言われた。「この屋根だってね、塗らなきゃいけないでしょう」と、見ると赤ペンキは塗られたばかりのようだった。 

「家は古くからの履物屋でね、だいぶ昔からありましたね。茶沢通り通る人がきっと寄っていったんだと思いますよ。もういまはね、仕入れてある分を売っているだけですよ」「小田急も地下を通るみたいでね、十年後にはここもだいぶ変わってしまうでしょうね」「この道ね、三軒茶屋から新宿行きの小田急バスが通っていてね、この角曲がるのとても苦労したんですよ。そうそうバスはボンネットバスでしたね」

 茶沢通りはここで急角度で曲がる、運転手の腕の見せ所だったと思う。家並みすれすれにバスが通っていったそうだ。すれ違うときは、もうぎりぎりで通っていたとも。 奥さんに許可を得て、店を撮らせてもらった。草履や下駄があった。昭和の匂いがしているようだった。 郷愁の人情と、風景、そんなものがひそかに眠っているように思った。



2004年09月21日

下北沢X物語(9)〜オシロイバナが似合う街〜

6264ab88.JPG ラッパ形をした小ぶりの花がオシロイバナ(白粉花)である。写真は下北沢に下って行く電車を撮ったものだ。左隅に赤いその花が咲いている。下北沢ではそこかしこに見られる花だ。 下北沢地域を南北に貫流する北沢川支流の遊歩道には赤,黄,白,色いろいろの白粉花がよく咲いている。夏の花だが,花期が長く秋にも咲いている。 夕方頃に活動する昆虫を多彩な色で引きつけ、 夜に活動する昆虫を香りで引きつける。それが白粉花だ。「昆虫」を「若者」に変えると下北沢に当てはまる。多彩な色彩は街中に点る明かりだ。小さく仕切られたお店は色とりどりの看板を出して通りかかる人を引きつける。とりどりのコスチュームを着て,商品を売ったり,レストランに誘ったりする光景はよく見られる。また,夜に集まってくる若者は焼き鳥,焼き肉,ハンバーガーなど食べ物のうまそうな匂いに引きつけられてやってくる。男は若い女性が発散する芳しい香りに惹かれて集まってくる。街が白粉で化粧されているのかも知れない。 白粉花の由来だが,それは実からきている。5ミリぐらいの黒い実をつぶすと中から白い粉が出てくる。かつて女の子はそれを顔に塗ってお化粧した。 夕化粧ともいう花は南米ペルー原産で,江戸時代に渡来したそうだ。その名前を付けたのが貝原益軒である。 もうすっかり日本に定着してしまった花だが,どこかエキゾチックである。花言葉は不思議なである。一本の幹に異なった色の花を咲かせるからのようだ。まるで下北沢を言い表しているようだ。 不思議な,ストレンジなは下北沢によく似合う。和風の料理屋さん,沖縄料理の店,フレンチやイタリアンのレストラン,和服の古着屋,アジアの雑貨,ありとあらゆるジャンルのお店が集まって競争しているから面白い,怪しい,スリリングである。 雑多なものを受け入れて成り立っているのが下北沢だ。和洋折衷花が街角に咲いていても全く不思議ではない。渋谷に白粉花は似合わない。なのに下北沢にはなぜかフィットする。じっさい本多劇場の前の京王井の頭線のガード下に赤い白粉花が咲いている。だがほとんど誰も気にもとめない,違和感がないほどの自然さがあるのか。つい先ほど夕暮れにそこを通った。放置自転車の陰にひっそりと咲いていた。

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2004年09月20日

下北沢X物語(8)〜下北沢の鉄橋〜

3b005887.JPG 下北沢交番前の線路を東北沢方向に少し行ったところに小田急線の鉄道鉄橋がある。写真では黄色に塗られた柵のあるところだ。その下に川が流れている。鉄橋と言ったけど、コンクリートである。コンクリート製のカルバート(暗渠)である。が、その手すりは鉄である。橋の所在をそれが示している。 下北沢にひっそりと流れているのがこの川だ。北沢川支流である。源流は北沢中学である。学校の脇を井の頭通りが通っているがV字形にへこんだところが源流である。それが北沢4丁目、3丁目を通り、小田急にぶつかる。線路はそこをひそやかにまたいでいる。流れて行った川はずっと南下して北沢川に合流する。ちょうど代田小学校のすぐそばだ。 秘やかなものが秘やかに流れ、そして、北沢川から目黒川、そして東京湾に注いでいる。3丁目のHさんは、かつてはどぶ川で臭くてたまらなかったと言う。蚊の巣窟だったとも。が、昭和初期、田んぼがあって、川はその水田を潤していたと。 川沿いは下町っぽい雰囲気がある。小田急を越えた、スズナリの所はそうだ。あそこはちょいと年を取っていても入れるバーなどがある。川下はビルの間を遊歩道として抜ける。森厳寺近くで遊歩道は消える。すぐに代沢小学校だ。ここに作家の坂口安吾が教諭として勤めていたそうだ。 どぶ川をたどり、歴史をたどると下北沢の別の側面が見えてくる。下北沢は物語に満ちた街だ。

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2004年09月19日

下北沢X物語(7)〜下町的なのどかさ〜

6b74c932.JPG 下北沢は山の手の街だ。だが、自由が丘のような気取りはない。靴だって、なんで歩こうと自由だ。スニーカーだって、サンダルだって、ハイヒールだっていい。それは訪れる人の自由だ。足下から発信するものはひそかな文化なのかもしれない。自由が丘はプチセレブ系がいてときにミュールの音を響かせて歩いていることがある。音からすると下北沢は庶民的だ。ゲタの音がしてもいっこうにかまわないところだ。 そういえば、茶沢通りの庚申塔は古い履き物屋さんのお隣だ。下駄とか草履を見たように思う。その店の人がお花などを供えているのを見たことがある。 今でも履き物屋さんがある街、下北沢は庶民的な街である。ちょうどその庚申塔の裏手、北沢三丁目13番地辺りはなかなか味わいのある街だ。土地のHさんが言うには焼け残ったところだと言う。 1945年5月25日の夜、東京山の手はB29に襲われた。「いやぁ、下北沢の真上に、飛行機が飛んできて、爆弾をバラバラ落としていったのがほら、そこの風呂屋さんの煙突の上に見えましたよ」「赤い火に照り映えた飛行機の星のマークが手に取るように見えましたよ」など、聞いているとその場面がリアルに浮かんでくる。 下北沢三丁目十三番、道とどぶ川が交差している地点だ。南北に流れる川はもう暗渠化して道は植え込みとなっている。そこに白粉花が咲いている。そこを東西に突っ切る道は両端が高くなっている。一方は茶沢通り、一方は東北沢に通じている。すり鉢の底に当たるのが交点だ。 その近くに犬がいた。それが写真の犬だ。ワンワンの前にはつぼつぼがある。壺や民具などが雑然と門前に置かれている家だ。なにもないけどなにかがありそうに思う。 Hさん、「ここは昔はどぶ川があってまぁ困りましたね。蚊がぶんぶんうなっていて、外に出るともう体中食われたもんですよ」と。近隣は古い建物がいくつも残っている。夜になると店の蛍光灯が点る。料理屋のようなお店が3軒ほどある。その秘やかな感じが好きだ。若者ではなく大人の街の雰囲気がする。 下北沢の魅力は案外に中心を離れたところにあるのかもしれない。

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2004年09月18日

下北沢X物語(6)〜頭と足に見る文化〜

              2ecc6197.JPG 下北沢一番街のT字路を通っているとき、前から来た女の子の一人が「迷っちゃうわ」と連れに言っていた。だが、とくに困ったふうでもない。「迷っちゃう」ことを楽しんでいるように聞こえた。坂があって、路地があって、踏切がある。歩いているうちに迷ってしまう。間口のがそれほど広くもないお店がそれぞれ趣向を凝らして並んでいる。 ついついよそ見してしまう。店先のカバン、あれよさそう。帽子も、あれしゃれてんじゃん。などと思っているうちに別の路にぶつかる。まあいいやと歩いている内に本当に迷ってしまう。それでもかまわないのが下北沢である。                     下北沢の路の延長上はたいがいは住宅地だ。だから、寂しい路地に入り込んだら引き返せばいい。そうすれば必ず線路にぶつかって、駅が見つかる。迷ってみるのも面白い。 若者の多くはスニーカーを履いている。丘あり谷ありの街をそれでトレッキングするのは楽しい。若者は下北沢の坂を予感して意図的にスニーカーを履いてくるのではないかと思うくらいだ。坂道がスニーカーのゴム底を毎日一トンぐらい削っているのかもしれない。「あれ、なんだか靴底薄くなったぞ」と思っていると、目の前にスニーカーを売っている店が見える。下北沢はスニーカーを売っている店がいたるところにある。 足下には文化が潜んでいる。坂とスニーカー新しい地域課題である。 この頃は頭先も見逃せない。下北沢にも帽子屋が増えた。ふかふかした帽子をかぶって下北を散策する、なかなかおしゃれでいい。 頭に帽子を置くと視界が違ってみえる。自分の隠れ家から町並みを見ているようにも思う。正視しないでひっそりとひさしの下から情景を眺める。ああ、あそこに可愛い子、あれ、あんなところにイタメシの看板がある。帽子を被って眺めると人や街の陰影が味わい深く見える。そんな街が下北沢なのかもしれない。(写真は六差路近くの帽子屋さん)



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2004年09月17日

下北沢の魅力(5)〜若者よ働け〜

6f442011.JPG 今日、下北の街で、面白いカンバンをみつけた。(写真)こう書いてある。
若者よ……働け!、料理を作るでもいい、ホールで接客するでもいい、アルバイト社員でもいい 、一日に何時間でもいい、一時間働けば900円以上もらえます。御飯もいっぱい喰えます、いっぱい働いて、税金を払いましょう。
人通りが多いのに気を惹かれて、つい写してしまった。味のあるフレーズだと思った。料理を作るでもいい…、その「いい」がおもしろい。束縛しない自由さがある。ちょっとやってみないかいという呼びかけが何かの新しい出会いを予感させる。
 どうせ働いたってのぞみもないだろういうことに対して、さわやかなアンチテーゼを述べている、と、思った。気が向いてちょっと働いてみたら、もしかしたら髪の毛の長いリサに会えるかもしれないという予感。
 御飯がいっぱい喰えます、というのも言葉に風味がある。働いてこそ御飯は旨いという書き手の思惑みたいなものも少し透けて見えるが、優しさに満ちているように思う。
 下北沢ならではの看板だと思った。下北に集まってくる若者の生態が見え隠れもする。下北沢へ行けばなにかある、そんな思いを抱いて若者が集ってくる。そういう若者へのメッセージのように思った。
 とりあえず働いてみないかい、働くと御飯もいっぱい喰えるよ、明美とも会えるかもしれないし、良治と再会できるかもしれない、スリリングな出会いだってあるかもしれない、そんなメッセージが転がっている下北沢は面白い。

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2004年09月16日

下北沢X物語(4)〜路地と坂と丘のある街〜

3a6ebff0.jpg 小田急線下北沢駅、上りホーム(写真)に立つと,真ん中を境にして線路は少し下っている。だから駅の西側に降った雨は代田方向に流れ,東側に降ったそれは東側に流れる。犬は東向けば尾は西にという手合いのいい方で芸がないが,とりあえず駅はサミットにある。 小田急の上を走る井の頭線もサミットにあると言ってよい。吉祥寺行きの電車は下北沢を出るとすぐに鎌倉街道の踏切を通り,そして次の新代田駅に向かって急な勾配を下っていく。井の頭線下北沢駅西口を出るとフラットな地平である。が,目前にある鎌倉街道はほんの少し南に行くと転がり落ちるように下っている。 下北沢駅は高所にある。南口は南にだらだと路は下る。北口も西に向かえば上りになるが東だと下りになる。下北の地形は複雑だ。九十九折という言い方があてはまる。目印となる大きな通りがない。だから路地に入り込むと道がわからなくなってしまう。つい先日,北口の路地で携帯で話をしている人がいた。「北口出たんだけど迷ったよ」と。一例は,百例,下北沢で迷う手合いはいくらでもいる。むしろまようほうがおもしろい。条里制は権力者の狡い知恵が見えるが,野放図に延びた道はかえって人間らしさがある。 昭和2年,お化けでも出そうなところに駅ができた。小田急一本のときはまだよかった。昭和8年,帝都線,井の頭線が交わって街は急激に発展した。かつての新興住宅地である。とりあえず造った道が無計画に延ばされたということもあろう。だから,ああ,ここは抜けられるなと思ってどんどん道を進むと行き止まりになっていることがある。 人が通れる程度の道はあいまいだ。かつては舗装などはされていなかった。水たまりができれば道は曲がる,夏草が生い茂ったらまた曲がる。あの洋館には幽霊が出るそうだ,そんな話があれば人は避ける,そこへ通じる道は滅びる。昭和初期はそんなのんびりした時代だったと思う。 昭和という時代ののんびりさが路地に坂にある。それが下北沢ではなかろうか。

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2004年09月15日

下北沢X物語(3)〜踏切が似合う街〜

5743e1d8.jpg 下北沢は踏切が似合う街だ。小田急線に5カ所,京王井の頭線に1カ所,計6カ所もある。一番利用されるのは小田急東北沢4号踏切と東北沢6号踏切(写真)だ。前者は茶沢通りの踏切,後者は下北沢駅のホーム東端にある踏切だ。 下北沢にある踏切がなぜ東北沢とつくのか。おもしろい。下北沢の駅の東側にある踏切は隣の駅,東北沢の名がすべてにつく。当然のことながら下北沢の東側にある踏切は下北沢という名がつく。 4号は車や人が通る,6号は人がほとんどだ。ついでに言うが4号と6号にはさまれた5号は狭い踏切だが味のある踏切だ。4号と5号は極めて接近している。が,5号は穴場である。4号がふさがっているときに5号だけは開いている。そのことは知る人ぞ知るである。踏切の開閉状況を敏感に察知して巧みに踏切をくぐり抜ける。これはスリリングな踏切すり抜け術である。 朝夕のラッシュ時は小田急線の電車の運行本数も多い。開かずの踏切で長く待たされることはしばしばだ。が,4号,5号,6号の開閉状況を巧みに察知して向こう側に素早く渡ることもできる。このことを知っているのはそう多くはないだろう。再開発によってそんな達人も消えてしまう。下北踏切すり抜け術、秘伝も廃れるとは寂しいことだ。 下北沢はそぞろ歩きが似合う街である。左右のこまこまとしたお店に視線を走らせながら散策するのがおもしろい。あれ,オープンテラスに可愛い女の子が一人でお茶している,あれ,こんなこじゃれたブティックいつできたんだろう,あれ、帽子屋さんができている、などとよそ見をして行ける街が下北沢だ。 そぞろ歩きは時として踏切で止められる。が,しかし,その時間がまたいい。仲間同士の会話が聞こえる。「あのさ,トモちゃん彼氏と別れたんだって」という話をちらりと聞くのもいい。「おまえ踏切っていったけど踏切いっぱいあるじゃないかよ。おれ自分がどこにいるかわかんなくなっちゃったよ」と携帯で話をしている男がいる。待ち時間の人間観察がおもしろい。 小田急の特急が目前を通過するときもある。座席に腰掛けたさまざまな人の顔が見える。箱根の温泉饅頭はもううんざりだという顔が瞬間的に通り過ぎる。 これらは踏切があっての情景,光景だ。踏切は待たされる。が,その不便さがかえっておもしろい。しばし待つ時間,今の世の中必要だ。また,機械の合間を盗んで,さっとくぐり抜けるそんなラッキーチャンスのある街は戦慄的だ。下北沢は踏切が似合う街だ。

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2004年09月14日

下北沢X物語(2)〜産土神が宿る街〜

41a7c173.jpg 下北沢近辺は神様が多く住んでいる。南口の下北沢六差路ある庚申塔は目立つ。それでよく知られている。もう一つの庚申塔は北にある。古い履物屋の隣にひっそりとある。 下北沢交番の前を通る茶沢通りに沿って行くと路が左に折れて曲がる,その折れたところに庚申塔がある。(写真参照)。いつも季節の花が供えられていて掃除も行き届いている。地域の人に守られている庚申塔である。 交番を越えた茶沢通りはおもしろい。ひねくれた曲がり方をしているからだ。そういう道は間違いなく古道である。 通りは庚申塔で鍵形に折れ曲がり,しばらくいくと今度は右に直角に曲がって坂にかかる。その坂の右手に地蔵様がある。長命地蔵尊と言う。かつて荷車はここを登るのに難儀したようだ。 下北沢近辺には神様が多く住んでいる。路地を行くと,ひょんなところに庚申塔,お地蔵様,馬頭観音などがある。意外なところに守り神が祀られているのを発見することがある。とある中学の裏手のアパートの庭に祀られた神様を見つけたこともある。それらは土地の風俗習慣を象徴するものだろう。 昭和初期頃まで下北沢は農業生産地であった。谷の真ん中は水田である。斜面には竹藪,茶畑,下北沢の特産はタケノコとお茶だったようだ。 農耕生活は神への感謝が欠かせない。農産物を育てる太陽と水への感謝,それに人々の安全祈願,祈りが欠かせなかった。祈りの対象物がそこかしこにあった。農耕生活の名残が庚申塔やお地蔵様や馬頭観音であろう。それらにお参りする人の姿が下北沢では今でも見られる。 この間,見かけた。写真の庚申塔に靴をわざわざ脱いでお参りをしている若い人を。祈りを捧げる姿は下北沢の街では不自然ではない。若い人が多く集う下北沢だが,産土神がひっそりと宿る街でもある。下北時間が存在する一つの理由でもあろう。

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2004年09月13日

下北沢X物語〜下北沢の土くささ〜

 a3824f8e.jpg                                      下北沢には踏切が多い。小田急下北沢駅の東側には五つ,西側には二つ。そして,井の頭線は東には三つ、西には二つ,計十二もある。

 とくに小田急線は様々な種別の電車が走っていて線路は混み合っている。下手をすると渡るまで5,6分待たされることがある。不便ではある。けれども待つ時間というのも下北沢ではないかと思う。足止めを食って,障害物を渡る。その歩く道にも坂が多い。上るときは自然に速度が遅くなる。

    しかし,実はそこがおもしろく、たのしいところである。だらだらと坂を上ったり下がったりしながら散策する。雑多なお店を覗いて回る。駅の向こうも行ってみようと思って踏切を渡ろうとするとそれに引っかかる。のんびりと動いたりたたずんだり,それはきわめて自然に近い動作だ。立ち止まってぼんやりとするのもいい。

 考えようによっては裕福な時間だとも言える。動いて歩いて時に停まって自照的になる。それは一つの旅だ。下北はあちこちと回廊する時間がおもしろい。路地を行ったり,跨線橋を渡ったりして向こう側に出るのもおもしろい。 

 北口,南口それぞれ異なった味わいがある。南口はテッシュがたまる。ピンクのシャツを着たお姉さんにそれをもらうのもいい。もらってだらだらと坂を下る。この町はサンダルが似合う町だ。

 北口はマーケットがおもしろい。くねくねと曲がった路地の左右に小さなお店がある。戦後の闇市がそのまま残ったと聞いている。匂いや明かりに昔が潜んでいる。ことに光の届かないところに時間がわだかまっている。アジア的な時間が流れている。

 小田急線はこの町を演出するには欠かせない存在だ。ところがいま下北沢には再開発の波が押し寄せている。線路沿いの土地が立ち退きにあって虫食い状態になり始めた。立ち退いた店の後には小田急複々線化工事用地と書かれた看板が立っている。地表にある線が地下化するという。 

 不便だから便利に,そういう考えはもう止めていい。便利にしたことで失ったものが多いことにいま我々は気づき始めている。下北の地表から小田急の線路と駅と踏切を取ったら魅力は半減する。線路敷地跡に高い建物ができていまどこにでもここにでもある,瀟洒なビル街のショッピングセンターになったらいまの下北の魅力はなくなってしまう。

 少々不便だけど、それも文化である。緩やかに流れるとき、それも個別ローカル時間がそこにある。谷間のドブの臭い、丘の上の光の匂い、都会と田舎が渦を巻いている。動物の臭いがするところだ。



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2004年09月12日

下北沢X物語(0)〜下北沢の名犬物語〜

249287be.jpgアニーハクウン物語        

(1)
  ぼくは、下北沢のおじいちゃんところに行くのが好きなんだ。だってね、家のそばに小田急線の線路が通っていてさ、大好きな電車が見たいだけ見られるんだ。それにさ、おもしろいお話しをしてくれるんだよ。その中で一番、よく覚えているのは、昔おじいちゃんが飼っていた犬のことなんだ。今でもね、太くてふさふさしたしっぽが目に浮かんで来るぐらいなんだ。

「やつはね、かしこい犬だったよ。なにしろ電車の違いを見わけるんだからな。」
「えっ、そんなことができたの?」
 ぼくは、びっくりしておじいちゃんを見たんだ。
「たけし、ほんとうの話さ。電車をちゃんと見わけてたよ。でもね、今みたいにつぎからつぎに色んな電車がくるわけじゃあなかったな。もっとのんびりしていたな。」
「それはいつのことなの?」
「ああ、昔、大きな戦争があったんだけど、その戦争がはじまる前の話だね。そのとき、走っている電車は三種類ぐらいだったからね。」
「それを見わけていたの?」
「うん、そうだよ。犬は耳と鼻がよく利くんだ。だから耳で聞きわけるとか、鼻でかぎわけるとかしていたんだね。三つのうちの一つは砂利貨物だね。」
「じゃりかもつってなに?」
「ああ、砂利貨物っていってもわからないな。あはは……砂利っていうのは小石のことだね。ほら、ビルをつくるときとかにコンクリートに混ぜて使うものだよ。昔はね、川で取ったその砂利を貨車に乗せて運んでいたんだよ。茶色い電気機関車が『ごぉっとん、ごったん』とすぐそこの線路を通っていったんだよ。やつはその貨車が来るのがだいぶ前からわかるんだよ。」
「へえー、そうなんだ。」
「うん、この西どなりの駅が世田谷代田駅っていうんだけどね、もうそこに近づくと分かったんだね。こっちには何もわからないのに犬には分かるんだ。とつぜんに『うおおん、うおおん』って吠えるんだよ。するとしばらくすると、家が地ひびきを立ててゆれるんだよ。砂利貨物は砂利を何台もの貨車に乗せて運んでくるもんだからずっしりと重いんだよ、これが通ると家が揺れるんだよ。じいちゃんは慣れているからいいけどけどね、親戚の者がうちに泊まって寝ていると、とつぜんに家が揺れるんだよ。『どどどどど』ってね。」
「そんなに揺れるの?」
「そうそう、『どどどどど、ががががが』ってね、そうすると地震かと思って飛び起きていたくらいだよ。」
「貨車が地震を起こしていたんだね。」
「そうだよ。砂利貨物は重いものだから地面を伝って揺れと音とが届いていたんだと思うね。やつはもうだいぶ前から聞きつけていて吠えていたからね。」
 おじいちゃんが話しているときに「ぷぁぁぁん」とホイッスルが鳴ったんだよ。見るとおじいちゃんの家の前の土手をクリーム色の電車がゆっくりと通って行くんだ。台数を数えると十両もあったんだ。各駅停車は八両なんだよ。だからこれは箱根行きの急行電車だと分かったんだ。「かたぁん、かたぁん」と音を立ててすぐに行ってしまったね。
「よく電車が通るね、犬も通るたびに見ていれば、こんど来るのがどんな電車かわかったのかもしれないね。」
「ああ、それはあるだろうね。それとね、この家は線路よりも低いところにあるからな。だからすぐにわかったんだろうな。」
「低いところにあるからわかるってどういうこと?」
「それはね、重いものは下の方に力がかかるからだよ、だから電車の音だって下にひびいてきてよく聞こえるんだよ。」
「なんだ、じいちゃんって理科の先生みたいだね。」
「そうだなあ、線路のそばにずっと住んでいると、理科の先生になってしまうな……」
 じいちゃんはほくほく喜んで笑ったんだ。
「……いいか、ちょうどこのうちの前から線路が右にカーブしていてな、その上、坂になっているんだよ。向こうの方から来る砂利貨物は下ってくるものだからスピードをおさえ目にしてゆっくりと来るんだよ。電気機関車にひかれた貨車はカーブで『ぎぎぎぎぎ』っていう音を立てて行くんだ。そうすると『みぃみぃみしりり』と家が震えはじめるんだよ。この家に重さが伝わってくるんだな。やつにとってはきっと嫌な音だったのだと思うな。」
「そうなんだ?」
「そうそう、そうなんだよ。貨車だけではなくて、電車の音も聞き分けてたよ。今はほら、そこを各駅停車とか、急行とか、ロマンスカーとか、色んな電車が通っていくだろう。ところが、むかしの電車は茶色だけなんだよ。だけどおかしなもんでね。やつには好き嫌いがあって『おおんおんおん』って鳴いてしっぽを振る電車と、『わぁおん、わぁおん』と吠えて騒ぎ回る電車とがあるんだよ。ほとんどの電車にしっぽ振って喜んではいたけどね。でもときどき嫌な電車が来る、そうするとしっぽたたんで吠えていたからな。」
「へえー、鉄道ファンも気がむずかしいやつがいるんだけど、犬の鉄道ファンもなかなかのもんだね。」
「犬の鉄道ファンか、あははは、おまえにそういわれて思い出した。この近所に電車好きな人がいたんだよ、ここへ来ては電車を、犬と一緒になって見ていたんだよ。その人も、犬がどうして電車を見分けるのかふしぎがっていたな。」
「犬といっしょになって電車を見ていたんだ。いいなあ。」
「うん、そうそう。それで、その人が、何日かしてうちのおやじにこういっていたな。『佐川さん、あんたんところの犬はちゃんと電車の音の違いを聞き分けていますよ。これはたいしたもんだ』と。」
「やっぱり、本当だったの?。」
「そうそう、そうなんだよ。そんなこといわれるまではわからなかったね。それがね、軽い音のする電車と重たい音のする電車があるっていうんだね。犬がそれを聞きわけていると教えてくれたんだ。」
「へえ、そんなことがあるの?」
「それがね、本当にあったんだよ。ここには線路を点検する鉄道の人がよく通っているんだよ。おやじがその人に聞いてみたんだね。『電車でも重いのと軽いのとがあるのか?』と、そしたら『ある』という答えが返ってきたんだ。『本社の電車はほとんどが鋼鉄製で重いんだけど、電車の中によそから払い下げてもらったモハなんとかいうやつがまざっていて、それは木でできているから軽い音がするな』って教えてくれたんだよ。」
「じゃあ、犬は、木と鉄の音の違いを聞きわけていたんだね。」
「ああ、そうそう、そうなるな。あっははっは。」
 じいちゃんは笑ったけど、なんだか自分がほめられたみたいで嬉しかったんだ。

(2)
「じいちゃん、その犬の名前はなんといったの?」
「これがアニーハクウンといったんだな。当時としてはしゃれた名前だったよ。メリーはふさふさした長いしっぽが自慢だったんだよ。ジャーマンシェパードだね。この家へ来たのが昭和十年ごろ、じいちゃんが十一歳の時だよ。最初にここに来たとき、やつはこの手の平に収まるくらいのちっぽけな犬だったけどね。」
   おじいちゃんは、急に右の手を持ち上げて広げたんだ。もしかしたら手品のように子犬が出てくるのかもしれないと思ったんだけど、出てこなかった。
「アニーハクウンってだれがつけたの?」
「うちのおやじがつけた名だよ。これがまた犬好きでね、ヒマになると近所の犬のいる家に行っては、なでさすっていたね。マロンっていう犬がいたんだ。自分の犬じゃないんだけどまるで自分の犬のようにかわいがっていたんだね。遠く下高井戸あたりまで自転車で連れて行って毎日運動させていたんだよ。」
「散歩じゃないの?」
「いや、運動だよ。マロンは純血種だから、放し飼いにはしないんだよ。それで一日に一回は運動させないとね、なにしろジャーマンシェパードは体が大きいから、鍛えるためには運動をさせなくてはいけなかったんだ。」
「ああ、そういうことなんだ。」
「マロンはメス犬でね、しばらくして子犬を五匹産んだんだよ。自分が世話をしている犬だったもんで、おやじはその一匹がほしくてほしくてたまらない。毎日、子犬を見に行っていたよ。ところがマロンは純血種だからその子犬は値段が高いんだ。マロンみたいな洋犬は当時はなかなかいなかったものだよ。それでほしい人がいっぱいいてつぎつぎに買い取られていったんだよ」
「あれ、そうすると、アニーハクウンはそのマロンの子どもなの?」
「そうそう、そうなんだよ。」
「じゃあ、どうやって手にいれたの?」
「そう、そこだよ。でね、マロンの子どもはとうとう一匹になったんだよ。飼い主は毛なみのいいそれだけを残しておいて家で飼おうとしたんだね。」
「それをもらったの、どうやって?」
「そこが面白いところだね。おやじはマロンを飼っていた人にお金を貸していたんだよ。百三十円ばかり貸していたんだ。それでおやじは『マロンはおれが散歩させて鍛えたから立派な犬になって子どもを産んだ。どうかお願いだから、あんたに貸した百三十円と散歩賃とをたして、犬の代金にするから頼むからゆずってくれ』っていって、おがみたおして、とうとう最後の子犬をもらってきたんだよ。」
「百三十円ってだいぶ安いんだね。」
「いや、違うよ。当時、百三十円なんていうのは大金だったんだよ。」
「そうなんだ?」
「だってね、その頃は五十銭もらって大喜びだったよ。いいか、五十銭というのは一円の半分だよ。十銭だって価値があったんだから、電車賃でいうと下北沢から新宿までは九銭、渋谷までだと七銭だったよ。だから五十銭もあれば弟と二人でぜいたくできたからね。渋谷まで行って、五銭払って映画を見る。それでも電車賃と映画で二十四銭、もう半分は買い食いに使えたね、渋谷駅前の屋台で焼き鳥を食べたんだ。」
「へえー、五十銭ってそんなに価値があったんだ。」
「うん、そうそうたっぷりあった。」
「焼き鳥もたっぷり食べられたんだね。」
「そうなんだよ。渋谷の駅前で焼き鳥を食べるのには楽しみがあったからなんだよ。ほら、忠犬ハチ公って知っているよね。」
「ああ、渋谷駅前に銅像があって、いまは待ち合わせ場所になっているよね。」
「そうそう、そのときはまだハチ公が生きていたんだよ。」
「え!、あのハチ公が生きていたんだ。」
「そう駅前にしっぽのよごれた秋田犬がいて、うろうろしていたんだよ。焼き鳥を買ってそれを全部食べてしまわないでその犬に上げるんだよ。『ハチ、ハチ』って呼ぶと、のっそりとやってきて焼き鳥を『もぐりもぐり』と食べていたな。みんながハチ公に焼き鳥をやるもんだから太っていて、動きものっそりしていたような気がするんだ。」
「ハチ公ってさ、主人が死んだ後も渋谷駅に通って、主人が帰ってくるのを待っていたという犬のことだよね。」
「そう、主人に忠実な犬だったということで有名になったんだけど、渋谷駅の改札口のところじゃなくて、焼鳥屋のまわりに座って待ってたよ。」
 おじいちゃんはまたほくほく笑っていた。
「まえにね、国立科学博物館でハチ公のはく製を見たことがあるけど、あのときはこれがハチ公なんだと思ったんだけど、今じいちゃんの話を聞いて、本当のハチ公が目の前に現れてきたような感じがしたよ。」
「うん、そうだな。じいちゃんも思い出すなあ。しょうゆダレのついたお肉にかぶりと噛みついていたな。噛めばいいんだけど、ハチは、すぐに肉を飲み込んでしまうんだよな。たしかあのハチ公は昭和十年に死んじゃったな……。」
 じいちゃんは遠い昔を思い起こすように、一言一言ゆっくりいうんだ。

(3)
「じいちゃん、アニーハクウンの続きはどうしたの?」
「ああ、そうだった。ハチ公ではなくて、ハクウンだったな。これはいかん。そうだな、アニーハクウンをしつけたのはおやじだったんだ。この家のすぐとなりのところに二坪ほどの犬の運動場を作ってね、そこで飼っていたんだ。最初は小さくてかわいかったんだけど、みるみる大きくなっていったんだ。それで、おやじがあれこれと訓練したんだよ。このあたりはまだその当時、緑がいっぱい残っていてね。とくに成徳高校の裏あたりは、守山公園といっていて緑が多かったね。公園とはいうけどもまるで山の中にいるみたいだったよ。今の井の頭線の線路の向こう側だね。そこに運動場のようになっている空き地があったんだよ。おやじはメリーをそこでしつけていたね。」
「ふううん」
「今でも覚えていることがあるよ。その運動場にいた男の人が、『この犬はなにか芸でもできるのか』っておやじに聞いたんだよ。そしたら、おやじが『あなたはそのままそこに立っていてください』といって、おやじは『ピィ〜』って口笛を吹いたんだ。するとメリーが走って来たんだよ。おやじは『飛べ』ってかけ声かけるとメリーは、その人の上を軽々と飛び越えて行ったよ。男の人はくわえていた煙草を落として、目を丸くして驚いていたな」
  大きなジャーマンシェパードが走って来て、男の人の上をとつぜんに飛び越えた。ぼくはそのときのことを思い浮かべた。きっとびっくりしたろうなあって。
「シェパードはとっても利口なんだ。教わったことをきちんとやるんだよ。で、主人の命令には絶対服従なんだ。家族、犬にとっての家族というのは人間も入るんだよ。ちゃんと順番があっておやじが群れの長で一番、二番がこのじいちゃんさ。弟とかおふくろにも順番がついているんだけど、でも守るときは全員を平等に守ったからね。あやしい者とかがくると吠えて、向かっていって、そして噛みついていったからね。噛みついたら絶対に離さないというのがシェパードなんだよ。でも、それもしつけだね。きちんとしつけると犬は主人のどんな命令でも聞くようになるから、たいしたもんだよ。人間もおんなじかもしれないね。きちんとしつけるとどんどん伸びていく。たけしも学校ではしつけられているのかな。」
「ああ、どうだろうか?」
 おじいちゃんは急に話をぼくにふってきたからどぎまぎしちゃった。
「だけどねシェパードも、小さいうちはいいんだけどね、大きくなると大変だよ。」
「どうしてなの?」
「エサだよ。当時、犬のエサというのはなかなか手に入らなかったんだ。いまだとドックフードがあって、それをやればいいんだろうけどね、そんなものはなかったからね、普通の飼い犬は人が食べた残りもの、魚の骨とかご飯のあまりにみそ汁をぶっかけたのをやっていたんだ。だけどアニーハクウンは大型のシェパードだし、血統のいい犬だったからよけいにたいへんさ。肉をたっぷり食べさせないと育たないんだよ。」
「肉をあげられなかったの?」
「うん、その頃、肉は貴重品でお金もかかったんだよ、あの当時はほとんどが和食だったからね、そういう中で犬に肉を食べさせるというのはとんでもないぜいたくだったんだ。ふだん食べられない洋食を犬に毎日やるようなものだったんだよ。」
「へえ、そうだったんだ。」
「そうそう、本当にそうだよ。それでもなんとかして肉を手に入れなくてはならないのでおやじもだいぶ考えたんだ。」
「それでどうしたの?」
「うん、肉屋さんにまで行って相談してきたんだよ。下北沢一番街の肉の『三吉』に行って、肉のこまぎれとか骨などを安く分けてくれるようにと主人に頼み込んだんだ。」
「それはうまく行ったの?」
「うん、でもね、困ったことがあったんだよ。」
「どんなこと?」
「おやじは仕事があったから肉屋に毎日買いに行くわけにもいかない、うちのおふくろも、子どもが五人もいて、犬のせわまではできない。じいちゃんも学校に行っていたから行けない。犬のエサはなんとかなったけど、それを買いには行けない。この家から肉屋までだいたい八百メートルくらいあるんだ。そこまで毎日行くのはとてもむずかしい。」
「だいぶあるね。」
「そうだね、往復千六百メートルもあるからな。だけど、おやじはとんでもないことを思いついたんだね。」
「どんなことを?」
「メリーに買い物に行かせればいいってことだよ。」
「お使い犬だね!」
「うん、そうだ。」
「そのお使いができたの?」
「それができたんだよ。できたというよりも、できるようにしつけたんだね。」
「お使いをするようにしつけることができるんだね。」
「おやじは植木の仕事をやっていたけど、そのときは早めに引けて来て、十日ばかり訓練したんだよ。ちょうどじいちゃんも学校が休みだったんでついて行ったなあ。」
「夕方に行ったの?」
「いや、夕ぐれのお店が混みあう時間だとまずい。夜だと犬が迷うかもしれない。そんなことから行く時間を三時と決めたんだよ。」
「三時のお使いなんだ。」
「そう、犬のしつけはそういうふうにするんだよ。時間を決めたらちゃんとその時間に行かせるようにする。時間になると、メリーの首に風呂敷を巻きつけるんだ。その中に、十銭を入れておくんだよ。これが肉の代金だ。それで、犬を肉屋まで連れて行って、まず、道を覚えさせるんだね。この家のすぐわきの鎌倉通りを行くんだ。するとすぐ坂、それを上ると、井の頭線の踏切があるんだよ。そこに来ると、お座りをさせるんだよ。電車が通るから危ないんだ。」
「踏切を渡るのもしつけるの?」
「そうそう、やっぱり人と同じようにしないと轢かれることだってあるしね。だから『線路の前では必ず立ち止まってお座りをするんだよ』とおやじは繰り返しいってたね。線路の匂いを嗅がせてそこから戻って三メートルぐらいのところでお座りをさせていたね」
「へえ、一つ一つそうやってしつけるんだ」
「そうそう、踏み切りとか曲がり角はしつけをするときのめじるしになるんだ。つぎは、鎌倉通りを行って十字路に出たところで右に曲がるんだよ。そこにマーケットがあったんだ。その角の曲がり方は繰り返し覚えさせていたね。そこからまっすぐにだらだら坂を下ると肉屋の『三吉』だ、これはもう匂いでわかるんだよ。犬は鼻をひくひくさせていた。」
「においでもう分かるんだね。」
「そう、目より鼻だね。」
「お肉は鼻で、電車は耳でだね。」
「なんだか、たけしは、しゃれがうまくなったな。」
「そんなことはないよ。それよりもお話しの続きは?」
「ああ、続きね、肉屋に着くとおやじは店の名前と主人の顔を覚えさせたんだよ。『三吉、三吉』といって主人を何度も指さすんだ。『いいか、ここが三吉だ、ここについたら吠える、一回でいいんだぞ、ワンってな』というようなことをしつこくいってたね。」

(4)
「メリーはちゃんと道は覚えたの?」
「うん、一週間ぐらい経ったころだったなあ。おやじがメリーをひとりだけで行かせたんだよ。風呂敷を背負わせてから、『三吉、三吉に行け!』っていったんだ。メリーは『おや』って顔をしているんだ。いつもいっしょに付いてきてきてくれていたから『きょうはどうしたんですか』みたいな顔するんだよ。それで、もう一回『三吉!』といったらメリーはあきらめて一匹で行ったんだ。でも心配でね、おやじもおれも犬の後をついて行ったね。二十メートルぐらい離れてだよ。」
「最初のテストは踏切だね。」
「そうそう、踏切だよ。ところがやつは止まらずにとことこ歩いて渡ろうとするんだよ。おやじは、それを見て、『メリー!』ってしかったんだ。すると、うしろから聞こえてきた声に気づいて、やつはあわてて少し戻ってから踏切のところでお座りをしたんだよ。なんだか恥ずかしそうだったな。でも、ちょうどそのときに、遮断機が閉まったんだ。電車が通っているときにメリーが遮断機を潜り抜けて行きはしないか心配だったけどね、やつはちゃんと電車が通って遮断機が上がるまで待ってたね。おやじは小声で、『ああ、よしよし』といっていたね。それからメリーは踏切を渡って先へ先へとまっすぐに歩いて行ったね。」
「後をつけているのがばれちゃったんだよね。」
「そうそう、だから二十メートルじゃなくて、三十メートルほど後についていって、路地の角で隠れて見ていたんだ。つぎは四つ角だね、ところがそこに来たときに、悪いことにほかの犬が来たんだよ。雑種のオス犬だったと思ったな。当時は、今と違って犬はみんな放し飼いだったからね。犬は勝手に散歩していたんだよ。」
「好きなように歩き回っていたんだ、のんびりしていたんだね。」
「そうそう、それでオスが寄って来たんだよ。メリーはメスだからね、オスは近寄って来るんだよ。たがいににおいをかぎあっているんだよ。しばらくがまんして見ていたんだけどおやじはこらえきれず『メリー、そんなところでいちゃいちゃするな!』ってつい大きな声でどなったんだよ。やつはこちらに気づいて『もうしわけありません』って顔をして、あわててその犬から離れて、肉屋の方に曲がって行ったね。ばつの悪そうな後ろ姿をしていたよ。」
「後ろすがたも犬って決まり悪そうにするの?」
「するする、犬は体に気持ちが出ちゃうからね。」
「ふぅん、それで肉屋さんにはちゃんと着いたの?」
「うん、『三吉』に着くと、メリーは、一声『ワン』って吠えていたよ。するとさっそく主人が出てきて、風呂敷を背中から外して、十銭分の肉をつつんでくれたみたいだね。メリーは背中にそれを背負うと勇んでこっちに走ってくるんだ。おやじとおれはあわててものかげに隠れたもんだよ。」
「あははは、みつかっちゃあまずいよね。」
「まずい、まずい、だけどさ、メリーが帰ったときに家に誰もいなかったら、それもまずい。それで、おやじとおれは裏道を大急ぎで走って行って、家にたどりついたんだよ。ところが、やつはもう家についていて、『自分がいそがしい思いをしているのにあんた方はなにをしているのですか?』というふうな顔をしてこちらをみているんだ。」
「それはおかしいね。」
「まったくそうだよ。さっきまではしかられてばかりいてしょぼくれていたんだ。だけど、きちんとしごとをして帰って来たメリーは今度は、ほこらしげにしているんだ。荷物を下ろしてといわんばかりだったもんだから、おやじはいそいで背中の風呂敷づつみを解いてやったんだ。そうすると、中にはこまぎれの肉と骨とがどっさり入っていたんだよ。『三吉』のおやじさんはひとりでお使いに来たものだからおまけをしてくれたんだよ。」
「メリーのはじめてのお使いデビューだね。」
「そうだよ。ひとりで行って、どっさりおみやげまでもらってきた。ひとりでお使いができた。それでメリーの目も輝いている、しっぽの振り方にもゆとりがあるんだね。『いわれたことをちゃんとやったんだよ』っていっているようなんだ。それで、『おお、よしよしよくやった』っていっておやじがなでてやると、もう喜んで喜んで、吠えたり、しっぽをふったり大騒ぎだったね。ごほうびの乾パンをやると『がりりごりり』と音を立ててかんでいたね。メリーは、ほめられたんで、ごほうびがよけいにおいしかったんだよ。ほんとうまそうに食べていたなあ。」
「ほめられるとごほうびもおいしいんだね。」
「そう、そうだよ。おやじはね、『犬がしたことはきちんとほめてあげることだ。それも、そのときにほめないとだめだよ。時間が経つと忘れてしまうからね』とよくいっていたな。」
「そうなんだ。」
「これがおかしなもので、犬はね、怒られたことはすぐに忘れちゃうんだけど、ほめられたことは覚えているもんだよ。それでね、ひとりでお使いができた、そんなことはふつうの犬にはなかなかできないことなんだよ、それをおまえはやったんだとほめてあげるんだね。」
「ことばだけじゃなくてなでてもあげるんだね?」
「そうだよ。犬はほめられたことは記憶にしっかり残すんだよ。気持ちがよかったことは忘れないのだろうね。つぎに仕事があったときもきちんといいつけをまもるんだ。しかるよりもほめるということはとっても大事なことだよ。ほめることで犬は生き生きしてくるんだね。そうすると、しっぽの毛なみまでちがってくるんだよ。」
「へえ、そうなんだ。人間も同じかな?」
「同じだよ、しかられてばかりだと気持ちは明るくはならないな。人もほめられて育つんだよ。そうだ、おまえのいいところはじいちゃんの話をよく聞いてくれることだ。人の話を聞いて、人も育つんだ。たけしもじいちゃんの話を聞いた分、知恵がついたように思うな。すこし大きくなったようだよ。」
「あれ、ほめられちゃった。ぼくにしっぽがあったらよかったのに。」
「そうだよ、しっぽがあれば、ふさふさしてきて、りっぱになるんだよ。」
 じいちゃんは、そういって右手をゆっくりとあげて半月を描いたんだ。するとふしぎなことにそれが太くて大きいしっぽに見えてきたんだよ。

(5)
「ひとりでお使いに行けるようになったらもう心配はないね。」
「いや、そんなことはないね、しつけっていうのは一回だけで終わらないんだよ。ずっとやっていないといけないんだ。だから時間になると、メリーに風呂敷を結びつけてやるんだよ。そして、『三吉へ行け!』といって命令するんだ。そして、帰って来たら、そのときに、『よしよし、よくやった』といってなでてやって、ごほうびの乾パンをあげるんだよ」
「そうか、全部自分でやるんじゃないんだ、命令して、帰って来たらほめてやるんだ。」
「そう、そうだよ。でもね、おかしなもので、毎日やっていると犬のほうからさいそくしてくるんだよ。時間になるとこの庭へやってきてお座りをするんだ。ところがこっちが忘れているときがあるからね。犬の目を見ると、『なにをやっているんですか?』って顔をしているからね、時計を見ると三時だ。それで、『ああ、そうか、三吉に行くんだった』と気づいてあわてて風呂敷をゆわえつけていたもんだ。犬時間は、人間の腹時計よりも正確なんだよ。」
「へえー、もうメリーは、一匹前、一人前だね。」
「うん、そうだね。でも、はらはらするようなことばかりだよ。」
「どんなことがあったの?」
「あるとき、メリーがあわてて家に帰ってきたことがあるんだよ。じいちゃんが風呂敷をおろしてやると、とたんに引き返していったんだ。後を追ったんだけど、やつの足はもうはやいのなんのってあっという間にいなくなっちゃったんだからね。ところがしばらくして坂の上の方から『わんきゃん、うぉんきゃん』って鳴き声が聞こえてきたんだよ。それで走って行ってみると前の方にメリーが見えたんだ。井の頭線の踏み切りのところにいたんだ。そこの踏み切り番のおじさんが頭をなでてやっていたんだよ。メリーは長い舌を出して、はあはあ息をしていたけど、目が笑っていて得意そうな顔をしてたんだよ。」
「へえ、それはどうしてなんだろう?」
「踏み切り番のおじさんがこう教えてくれたんだよ。」
『あのな、このメリーに赤茶の雑種がちょうどこの線路のとろこでからんできたんだよ。ところがメリーはりっぱだよ。お使いの帰りだからはむかわないんだ。相手の目をみないでそっと家の方に帰っていったんだ。赤茶は勝ち誇ったみたいにして、わんわんって吠えて、いばっていたんだよ。ところがだよ。しばらくするとメリーがすごいいきおいで走って来たんだよ。そして、この番小屋のあたりでうろうろしていた赤茶の首にがっぷり噛み付いたんだよ。やつは痛がってきゃんきゃん鳴いて、しっぽを巻いてたちまちに逃げちまったよ。メリーはさすがにえらいもんだよ』
「へえー、そんなことがあったんだ。」
「うん、そうだよ。毎日なにかしらあったな。ああ、そういえば困ったことがあった。」
「どんな話?」
「毎日、お使いに行くのはいいんだけどね、この商店街は月に二回お休みがあったんだよ。これには困ったね。」
「どうしてなの?」
「犬にはそのお休みがわからないんだよ。お休みがわかる犬がいたら天才だよ。」
「ああ、そうか。」
「これには困ったね。時間になるとやってくるんだよね。それが、『そろそろ時間ですよ』という顔をしているんだ。首をかしげてこちらを見るんだよ。横目で時計を見ると、やっぱり三時だよね。」
「時計が分かるのかな。」
「いいや、体で時間が分かるだよ。それで、『今日はお使いはいいんだよ』というけどね、そんなことは犬には分からない。しまいには『わぁんわぁん』と吠えるもんだから、いいから、そこらへんで遊んでこいって庭の戸を開けてやったんだよ。すると喜んで外に出て行ったんだ。」
「時間が来たんでうずうずしていたんだね。」
「ところがしばらくしてメリーが帰ってきたんだよ。そしたら見慣れない風呂敷がゆわえてあったんだ。こちらはそんなの持たせた覚えもないんだ。」
「ふしぎだね。」
「ほんとうだよ。おかしいなと思って、それをほどいて開けてみたんだよ。」
「な、なにが入っていたの?」
「なんとまあ、中からカマボコが出てきたんだよ。」
「カマボコが?」
「そうカマボコだよ。」
「どうしてカマボコが入っていたの?」
「うん、後でわかったんだけどね、メリーは『三吉』に行ったんだよ。ところが、店が閉まっていたもんだから、『肉くれわんわん』とやらかして肉をさいそくしたんだ。主人はあんまり鳴いてうるさいもんだから、しかたがなくてなにかやろうと思ったんだ。だけど肉はないんだよ。むかしの冷蔵庫は氷で冷やしていたんだ。これは溶けるものだからなるべく肉は残さないように売るんだよ。肉はない、何かないかと考えていたら、そういえばもらいもののカマボコがあったことに気づいたというんだね。とりあえずそのカマボコを風呂敷につつんで持たせたんだね。メリーはとくいな顔をして帰ってきたんだけどね。なんかおかしかったな。猫にかつおぶし、犬には肉っていうのがふつうだよ。ところが、犬にカマボコだったんで、家では大笑いしたもんだ。」
「メリーは大活躍だね。」
「そう、今考えるとお使いをよくやったもんだよ。」
「どのくらいの間、肉を買いに行っていたの?」
「だいぶ長い間行っていたね。三、四年年ぐらいだね、ほとんど毎日、雨の日も風の日も欠かさないで行っていたなあ。」
 そうおじいちゃんがいったとき、『ぷぅぅん』とタイフォンが鳴ったんだ。見ると箱根行きのロマンスカーだったんだ。それが土手の上をゆっくりと過ぎて行ったんだよ。

(6)
「じいちゃんは、この箱根行きの電車を見ると、メリーのことをよく思い出すな。」
「どうして?」
「メリーが、とつぜん連れて行かれてね、いなくなっちゃったんだ。それが悲しくて、悲しくて泣いているときに、急行電車が通っていったんだ。もっともそのときは、今みたいなまっ白な電車じゃなくて、茶色だったけどね。」
「メリーは連れて行かれちゃったの?」
「そう、あるとき、カーキ色の服を着た軍人が家を訪ねてきたんだよ。『いい犬がいるそうだがそれを見せてくれ』といってきたんだね。人づてにメリーのことは聞いて来たみたいなんだ。電車の音を聞き分け、肉屋にお使いに行くということが伝わったんだね」
「それで見せたの?」
「うん、隠すわけにはいかないからね、それでアニーハクウンを見せたんだ。そしたら、『これはいい犬だ。毛なみにツヤがあって、いい目をしている』というんだね。そして、もう一方のこれは位が上の人だったと思うよ。『御国のために働いてもらいましょう』といったんだよ。だけど、そのことがどういう意味なのかじいちゃんにはよくわからなかったんだよ。でもね、何かいやな感じがしたんだよ。そしたら、思ったとおりだった、やつらはトラックにメリーを乗せようとするんだよ。それで、おれは『メリーを連れていかないで!』って叫んで、メリーにしがみついたんだよ。」
 じいちゃんはそういって両手で犬をつかむようなかっこうをしたんだよ。
「それからどうしたの?」
「うん、そしたら、星三つの上等兵が、『お国は今戦争をしているんだ。おおぜいの兵隊がお国を守るために戦地で戦っている。この犬も戦地に行ってお国のために働いてもらうんだ。この犬が徴用されて行くことは名誉なことなんだよ』としかりつけるようにいったんだよ。じいちゃんはそういわれてもう黙るしかなかったもんだよ。」
「じいちゃん、『ちょうよう』ってどういう意味なの?」
「戦争をしているときは軍が必要なものは強制的に国民から取り上げることができたんだね。それを徴用っていったんだ。メリーはそれで徴用されたんだ。昭和十五年のことで、そのときは日中戦争がはじまっていて犬だけでなく馬なんかもたくさん徴用されて中国大陸に渡っていったんだよ。」
「それでメリーも連れて行かれちゃったの?」
「そう軍用犬としてね、陸軍に徴発されちゃったんだ。」
「軍用犬ってなにをするの?」
「伝令犬といって、書類をとどけたり、警戒犬といって見張りをしたり、捜索犬といって敵をさがしたり、色んな仕事をしていたみたいだね。でもね、そんなことは後で知ったことだよ。そのときはメリーが連れて行かれるということでもう悔しくて悔しくてしかたなかったね。じいちゃんがずっとかわいがっていた犬だからね。」
「メリーはおとなしくついていったの?」
「やつは連れていかれるときはしっぽをたたんでいたよ。軍用車の荷台にのせられたんだ。そのとき一回だけこちらを振り返って見ていたね、さびしそうな目をしていたよ、うつろっていうのかな、はるか遠い中国に連れて行かれるっていうことが本能的にわかっていたと思うんだよ。しょんぼりしていたね。ちょうどそこにメリーの好きな茶色の電車、小田原行きの急行が通ったんだけどね。やつは振り向きもしなかったよ。でもね、耳だけは生きていたな。『ピィン』と立てていてね、『ごぉごろん、ごぉごろん、ごぉごろん』と鳴る音を聞いていたな。まるでそれを体に刻みつけるようにして聞いていたよ。」
「電車の音を忘れないように耳に入れていったんだね。」
「そうそう、犬は耳がいいからね。電車を見ないで耳に刻んで行ったんだ。その姿がとてもあわれでね、今もありありと浮かんでくるくらいだよ。」
「そうなんだ。」
「メリーとのわかれはあっという間だったよ。メリーを乗せた車はたちまちに踏み切りを渡って見えなくなったんだ。居なくなって、手元に残ったのが菊のご紋のついた十円札一枚きりだよ。」
「その十円ってなに?」
「じいちゃんがかわいがっていた犬、その犬の代金だよ。それがたったの十円だよ。ひどいもんだよ。自分ところでずっと可愛がっていたメリーをたった一枚のお札と交換して連れて行っちゃうんだから。それを見て悲しくて悲しくてならなかったね。涙が後から後から湧いてきて止まらなかったなあ。」
「たったの十円?」
「手元には十円札、でもね、十円といっても子どもには大金だったよ。お菓子を買ったり、おもちゃを手に入れたり、うまいものはなんでも食えるほどのお金だよ。でもね、これを使ってはいけないと思ったよ。」
「そうなんだ、十円よりもメリーの思い出がだいじだったんだね。」
「そのお金をどうしたらいいのか分からなかったな。じいちゃんは、ちょうどこの家の先の小川のたもとでぼんやりとそのことを考えていたんだ。そこへ、『ぐぅぐるん、ぐぅぐるん』っていう音が聞こえてきたんだ。小田原行きの電車のモーター音だよ。しばらくするとすぐ電車はすぐそばまでやってきた、『ごぉごろん、ごぉごろん、ごぉごろん』というひびきを立てて、そして行ってしまったんだ。メリーも今ごろはこの音を思い出しているかもしれないと思ったね。すると涙が湧いてきたね。そして、勝手に連れて行かれた悔しさが思い出されたんだ。じいちゃんは、すぐにポケットに手をつっこんで十円札を取り出したんだ。そして、目の前に流れている小川に投げ捨てたんだ。お札は紙だから浮きながら流れていって、そのうちに見えなくなったんだ。いまでいえば中学生ぐらいの自分だったけど、人生はむごいもんだと思ったなあ。」
「アニーハクウンはどうなっちゃったの?」
「千葉に軍用犬の訓練所があってね、メリーは伝令犬として訓練されたって、名前もアニーハクウンではなくて、『白雲号』とされたと聞いたね。でもね、その後どうなったかはわからない、大陸に渡ったまんまだと思うね。戦後になって人間は大陸から引き揚げてきたけど、軍用馬や軍用犬はぜんぶ置き去りにされたんだよ。だからメリーは、海の向こうの大陸で死んだんだと思っているのさ。」
「かわいそうだね」
「しかたのないことさ。あの戦争でみじめな思いをした人はもっとおおぜいいるんだ。戦死した人、爆弾でやられた人、家を焼かれた人、何百万人もいるんだ。そんな中でのメリーのできごとは小さなことにすぎないんだ。でも、じいちゃんにとっては今でも忘れられないことなんだよ。どうかすると、広い草原のまん中をいっしょうけんめいに駈けているメリーの姿を思い起こすことがあるよ。」
 じいちゃんの言葉を聞いて、ぼくもその場面が浮かんできたんだよ。長いしっぽが風とともに走っている姿がね。
「戦争が終わって、しばらく経ってから靖国神社に軍用犬の銅像が建ったと聞いたんだ。それを見た人が、アニーハクウンによく似ていたというんだよ。でも、じいちゃんは行かなかったよ。メリーは子どものときの宝だから、自分の記憶にいつまでもそっとしまっておきたいんだ。思い出の宝なんだよ。」
「思い出の宝?、悲しい色の宝だね……」
 そういったら、なんだか急に悲しくなってきたんだよ。
「電車が好きだったメリーは、今生きていたら、電車の見分けはもうつかないだろうね。ここをとおる電車は種類が多くなったからね。ロマンスカーも新宿から来る白いロマンスカーと地下鉄から来る青いロマンスカーができたしね。それに急行、準急、各停とか、もう覚えられないくらいだよ。」
「うん、そうそうもういっぱいだよね。」
「でもね、今ここは工事をやっているんだよ、後何年か経ったら、線路は地下にもぐって電車の音は聞こえなくなるんだよ。」
「そうだ、小田急は地下化工事をしていて、それが完成したら線路は潜ってしまうんだね。」
「うん、いずれそうなるね。じいちゃんはここを通る電車の音を聞いて育ったからね、音は時計の代わりのようなもんだよ。始発が通って一日が始まって、終電で終わるんだよ。その音を聞いてずっと暮らしてきたからね、昔は、一番電車が来て、メリーが吠えて、一日が始まったけどね、それも遠い昔になってしまったよ。」
 おじいちゃんはそういい終わって、向こうの土手に目をやったんだ。つられてぼくも見たんだ。するとそこにまっ白な特急が現れ、「こったくっく、こったくっく」と音を立てて通り過ぎて行ったんだ。箱根行きだ。ぼくは、走って行くその電車を見ながら思ったんだ。これって「ロマンスカー白雲号」じゃあないのかなあって……。   (おわり)

○(この話は東京世田谷、下北沢在住の佐山一雄さんから聞いた話をもとにして作った童話である。)

 

 

 

 

 



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2004年09月11日

公園のプロフェッサー

917bf067.jpg 公園のプロフェッサーと勝手に自分で名づけた人がいた。彼は山の手の小さな公園に住んでいた。ベンチに座っていつも本を読んでいた。
 不思議なもので人間がぽつねんとしている姿というのは長くはもたない。例えば、瞑想に耽るというのも一つの姿だが、あまり長いと通る人は心配してしまう。その点、本を読んでいる姿というものは不自然ではない。
 もちろん、そこら辺に落ちている、ピンク雑誌とか見ていたらあるいは興ざめするのかもしれない。けれど、彼は大概は文庫本を読んでいた。もしかしたら、ヘーゲルとかカントとか読んでいたのではないかと思ったものである。
 朝な夕な、彼の動向はとても気になった。いつだったか冬の寒い日に、どうしているかとなにげなく見に行ったことがある。そのときもやっぱり本を読んでいた。
 彼が持っているのは青いテント地にくるまれた家財道具だけである。ほとんど無一物である。その公園はまわりをみどりに取り囲まれていたので季節のよいときは眼を和らげただろうと思う。
 財産はなにもないけど本を読む楽しさは知っている。もしもそうだったとすれば素晴らしいことに違いない。なにもないけど読むことで心が満たされる、としたらたいしたものだ。
 朝、その公園はシルバー奉仕の人が掃除をしていた。彼はベンチの脇にきっちりと荷物を片づけてそして本に読みふけっていた。奉仕の連中も彼には一目置いていたように思う。
 彼とは一言も話したことはない。が、いつも気になる存在だった。が、彼の姿がふっつりと消えてしまった。あれからもう二年が経つ、きょうその公園を通りかかった。長い椅子の片隅にやはり彼はいなかった。

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2004年09月10日

踏切という空間

ef21664c.JPG 人の通行を邪魔するものとしての踏切は、この頃は評判がよくはない。が、そこは一つの異空間ではある。踏切遮断機が下りて、電車が来るのを待つ。あるいは電車好きの子であれば期待感を持つかもしれない。けれども寸刻を争う通勤途上だとストレスだ。
 先ほど夕刻、某私鉄線の踏切で待たされた。雨が降ってきたのであまりありがたくはなかった。けれども暮れなずむ中に信号の明かりや、電車のヘッドライトは、一つの美しさを見せていた。
 山口誓子に「踏切」という鉄道俳句集がある。折々の踏切の風情の断面が短詩化されている。好きな作品だ。
 そういえば思い出した。むかし、踏切番がいた。遮断機を下ろしては、白旗を振る。電車の運転台からとある踏切を通過しているときに、目撃者は、旗の振り方が鋭いことに気づき、ただ者でないと思ったという。それで、降りて当人に合って面接するとかつての士族だったという、この話は大好きだ。


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2004年09月09日

水上勉氏を悼む

b29b1798.JPG 水上勉氏が亡くなった。それで彼の著書、「停車場有情」を取り出した。
「人の一生を旅にたとえる人がいる。もちろん、人間は、母の胎内を出た日から孤独な旅行者である。それにしても、故郷の駅は、現実の旅の出発点でもあって、暦の底の方でいつも輝いたり眠ったりしている」
 冒頭エッセイ、「小浜線若狭本郷駅〜故郷の駅〜」の一節だ。彼が出郷したのは「六つか、七つだった」という。朝日新聞には「水上さん 小僧体験、底流に」と見出しにあった。通り一遍に言えばそうかもしれない。が、彼の、文学の底流に潜んでいるのは旅だ。汽車旅経験である。彼の車窓を見るまなざしは素晴らしく冴えている。
 鉄道文学という見地から眺める人はいないが、わたしは彼を推挙したい。「野道が眼の下のレールにへばりつくほど接近したかと思うと、急にはなれ弓字なりに海岸へ逃げたり、踏切をつくって山裾へまわりこんだりするのが面白かった。」(若狭本郷)
 彼の視線が見えてくる。座席の片隅で息を詰めて車窓を一心に見ている少年、つぎにどのような景色が見えてくるのだろうか、不安と期待に戦きながら彼は窓辺を懸命に見ている姿である。彼の近代経験が出郷によって始まったともいえる。古い道は地形に沿って造られている、が、直線を欲する鉄道は古代の道を真っ直ぐに突き抜ける。古代道と線路道のクロス経験をつぶさに経験している。幼少時のその姿が浮かんでくる。
 旅の中に文化を見いだす彼の文体は好きだった。それが見られなくなるのはとても残念だ。汽車好きだった彼、もう一度「鉄路有情」を読み直してみたい。

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2004年09月08日

美しい日本語の鉄道〜若山牧水草軽鉄道幻想行〜

1a2fc814.JPGくさかる電気鉄道というとびっきり楽しい路線があった。言葉から想像するのは勝手だ。草刈る電気鉄道とも表現できる。あんがいにその方が楽しいのかもしれない。高原の草を刈りながら進む鉄道があったとしたらぜひ乗ってみたい。イメージ的には草刈る鉄道だったとも言える。草を刈りながら進んでいく鉄道。じっさいは花を摘んで降りてもちゃんとまた乗れるというほどの鉄道だった。沿線にリンドウやキキョウが咲いていた。 高原の駅、軽井沢と草津温泉の間を結んでいたトロッコ鉄道である。カブト虫と言われた小さな電気機関車が一両の客車を牽いて、ちょことこちょことと浅間山の麓を走っていた。50数キロもあるトロッコ鉄道だと思えばよい。かわいらしい鉄道だ。現代のロマン鉄道だ。だから映画や文学作品によく取り上げられた。「カルメン故郷へ帰る」などは映画に取り上げられた代表例だ。 こんな鉄道が現代にあったならばと妄想するやからは無数にいる。わたしもそうである。だから、写真の出ているような行き先表示板がオークションとかに出れば恐らく蒸気機関車のナンバープレートの値段と同じくらいするだろうと思う。 「草軽電鉄の詩」という本が出ている。かの電車が走っていた当時がありありと浮かんでくる。カブト虫電気機関車は浅間が似合っていた。デキ12形よ、どうか浅間山を鎮めておくれ。

 この鉄道に若山牧水が乗っている。自身が書いた「美しい日本の鉄道」〜草軽鉄道幻想行〜としてその箇所を紹介する。

草軽鉄道幻想行
 年を重ねるごとに車窓は静的なものになっていく、そういう傾向はあるかもしれない。大正十年の翌年、大正十一年、「山桜の歌」に「紅葉の歌」と題された作品がある。その始まりに「十月十四日より十一月五日まで信濃上野下野諸国の山谷を歴巡る。」とある。牧水の紀行文の「みなかみ紀行」に当たる旅である。枯れた季節、枯れた車窓が見られるかもしれない。十四日に沼津を発ち、翌十五日に御代田駅下車、十六日星野温泉泊、その翌日の十七日の夕刻に汽車に乗った。牧水自身が深い興味を持っていた鉄道である。それは草津鉄道である。

 輕井沢はいふまでもなく著名な避暑地である。此處より乗りかへて草津鉄道により上州六里ヶ原の茫々たる高原を貫いて草津温泉に向ふも面白い。
 「信州一巡と浅間温泉」 若山牧水全集第十三巻   285p

 輕井沢から草津鉄道の玩具の様な汽車に乗り、急な傾斜をやヽ暫く登つてゆくと、これはまた輕井沢附近と似もつかぬ荒涼広漠たる原野に出る。方六里あるといふ意味か、六里が原と呼ばれてゐる。
 「信濃の高原」 (「若山牧水全集第十三巻」) 307p
 
 牧水が常々推挙していたのが草津鉄道である。軽井沢から草津までを結ぶ壮大な箱庭軽便鉄道である。が、この時は、嬬恋までしか開通していなかった。その終点、嬬恋まで、夕闇を行くこの鉄道の旅が描かれている。旧知の六人と軽井沢の蕎麦屋で別杯を酌んだ。やがて、時間になって四人とはここで別れる。夕刻六時発の草津鉄道に乗った。「小さな車室、疊を二枚長目に敷いた程の車室に我等二人が入つて坐つてゐると」、友は別れがたく思ったのだろう、「あとの四人もてんでに青い切符を持つて入つて來た」。そして、「直ぐ輕井澤舊宿驛に來てしまつた。此處で彼等は降りて行つた。左樣なら、また途中で飮み始めなければいゝがと氣遣はれながら、左樣なら左樣ならと帽子を振つ」てその四人とはとうとう別れてしまった。

 我等の小さな汽車、唯だ二つの車室しか持たぬ小さな汽車はそれからごつとん\/と登りにかゝつた。曲りくねつて登つて行く。車の兩側はすべて枯れほうけた芒ばかりだ。そして近所は却つてうす暗く、遠くの麓の方に夕方の微光が眺められた。
 疲れと寒さが闇と一緒に深くなつた。登り登つて漸く六里が原の高原にかゝつたと思はれる頃は全く黒白もわからぬ闇となつたのだが、車室には灯を入れぬ。イヤ、一度小さな洋燈を點したには點したが、すぐ風で消えたのだつた。一二度停車して普通の驛で呼ぶ樣に驛の名を車掌が呼んで通りはしたが、其處には停車場らしい建物も灯影も見えなかつた。漸く一つ、やゝ明るい所に來て停つた。「二度上」といふ驛名が見え、海拔三八〇九呎と書いた棒がその側に立てられてあつた。見ると汽車の窓のツイ側には屋臺店を設け洋燈を點し、四十近い女が子を負つて何か賣つてゐた。高い臺の上に二つほど竝べた箱には柿やキヤラメルが入れてあつた。そのうちに入れ違ひに向うから汽車が來る樣になると彼女は急いで先づ洋燈を持つて線路の向う側に行つた。其處にもまた同じ樣に屋臺店が拵へてあるのが見えた。そして次ぎ\/に其處へ二つの箱を運んで移つて行つた。
 この草津鐵道の終點嬬戀驛に着いたのはもう九時であつた。
  「みなかみ紀行」 若山牧水全集第十一巻(18p)

  「ぴぃぷ!」と甲高い汽笛を鳴らして軽便の汽車は発車した。この機関車はドイツ製のコッペルだと聞いている。牽引する車両はたったの二両である。その客車の広さはせいぜい疊を二枚長めに敷いた程度の愛らしいものだった。ごったん、ぐっとん、床下で車輪が回っているのが分かる。その振動が直接響いてくる。やがて、ごったとん、ぐったんとんと重い音に変わってきた。上りにかかったようだ。きぃきぃと車輪を軋ませて汽車は、左へ、右へとカーブしながら坂道をゆっくりと上っていく。時折、窓にくくくくと何かが当たる、枯れ薄の穂先が当たる音だ。その窓の外はどちらを見ても同じである。すっかり枯れてしまった薄の原がずっと続いていた。手前の原はうす暗く夕の青色に染まり始めている。向こうの山のふもとにはまだ夕の残光が当たっている。薄の穂波が薄い黄金色に輝いているのが眺められた。
 辺りは次第に濃紺の闇へと包まれていく。視界が遮られると、耳に音が響いてくる。「ぐっどど、ぐっどど」と車体が左右に揺れる。とたんに溜まっていた疲れが腰にずうと湧いてくるように感じられる。寒気も板戸の隙間から入ってきて足が寒くてたまらない。ぎんしゃしゃ、ぐっしゃしゃ、小さな汽車は懸命喘ぎながら坂を上っていく。そうしているうちに、ようやく六里が原の高原にかかった。もうその頃になると物の区別さえ分からないほど真っ暗闇になってしまった。それでも灯りは点らなかった。が、一度だけ灯りが点ったのだった。どこかの駅に着いて停まった。外では風の音がかすかにぶびゅうと聞こえ、こんこんろんと鳴く虫の音も床下から聴こえてくる。と、天井が、みいしゅると鳴った。誰か人が屋根を伝っている。一体誰なんだろうと思っていると、頭の上の天井の一角がかぁぱりと音を立てて剥がれた。そこから光の玉がふひゅると降りて来て、びっくりしたことだ。その時、急に自分の目の前にいる友の顔が浮かび上がった。その彼は、「なんだランプだったのか、まったくびっくりしたよ!」と言う。天井に下げられたランプは車室を一瞬に明るく照らした。が、折からの風が車体に吹きつけ、窓ガラスがぶうびると鳴った。そのときにランプの灯心がふひゅると揺れて一瞬青く輝いたと思ったらとうとう消えてしまった。もう真っ暗の闇だ。さっきよりもよけいに暗い。駅員がまた点けてくれるかと思って待っていたら、汽車は、ぴぃぼぅと汽笛を鳴らして発車してしまった。一二度、停車しては、「つるだまり、つるだまり」とか、「こっきょうだいら、こっきょうだいら」というふうに、鉄道のどこの駅でもするように、車掌が駅の名を呼ばわった。が、そこには停車場らしい建物も火影も何もなかった。野原のまん中のようだった。それからまたしばらく走っていくうちにまた停まった。駅名の案内があるのかと思ったら何もない。そのうちに後ろ向き走り始めて、しばらくしてことんと停まった。駅だった。その一箇所の駅だけはぼうありと明るかった。駅のホームの片隅に駅名表示板があった。そこに「二度上」と横に記されていた。その隣りの棒杭には「海抜三八〇九呎」と縦に書かれている。目をこちらに遣ると、窓のつい向こうに屋台のお店があって、その梁からランプが吊り下がっている。ねんねこを羽織った四十近い女が子を負ぶって何かを商っていた。妙に高い台の上には二つほど並べた箱がある。そこには朱い柿とキャラメルが入っていた。それがランプの灯りに照らされている。そんなときに、じじょばぼ、ぼぼばぶと向こうの闇から機関車の音が聞こえてきた。対向の上り列車であった。それが着くと、まずまっさきにランプを持って線路の向こう側に駈けて行った。彼女が砂利を踏む音が聞こえる。やがて向こうのホームに灯りが点った。こちらと同じような屋台が設えてあるのが見えた。彼女はそこへ、柿とキャラメルなどの入った箱を運んで、売り場を向こうに移した。上りから降りた客が柿を二つ三つ買っている様子が見えた。
 やがて、下り軽便は発車した。闇の中をがしゃるる、ごしょるると走り続けて、終点の嬬恋駅に着いたのはもう九時であった。

 草軽鉄道は伝説的な鉄道である。軽井沢から草津までの55キロをのんびりと走る軽便鉄道が走っていた。箱庭高原鉄道である。牧水が乗車したこのときは嬬恋までが開通していて、電化はしていないときだった。一回りも二回りも小さい軽便の機関車が二両の客車を牽引していた。ちょうど夕暮れどきにかって嬬恋まで夕の闇を走って行った。ここで書き記した天井からランプをつり下げるという話は記録に基づいて書いてみた。
 草軽鉄道に勤務していたという元駅長相馬茂樹氏がつぎのように述べている。
 
 わたしの大事な業務のひとつに「ランプ」を灯すということがあった。客車の屋根に穴があけられて、そこからホヤのついたランプに灯して差し入れる。客車の屋根の穴には蓋をかぶせる。天井から下がったランプには金網のカバーがしてある。(中略)客車の屋根に上らなければ車内にランプを差し入れらないので、これはたいへんだった。
 「草軽電鉄の詩」 懐かしき軽井沢の高原列車 思い出のアルバム草軽電鉄刊行会編
          郷土出版社刊 1995年

  鉄道に乗ったときに牧水は車窓内外で起こることにつぶさに目を向けている。天井からランプが入って来るというのは異変である。そのことは恐らく経験したであろう。それで想像的な補いをしてみたことである。

 軽便鉄道は簡易鉄道である。草軽鉄道なども端的に言えばそうである。建設費を低廉に抑えるために隧道は一切作っていない。山は直登を避けて巻いていく。つまり、地形図の等高線をなぞるように線路は敷設されている。ときにはジグザグと、ときにループ状に上ったり、下ったりする。ここに出てくる駅「二度上」も傾斜を無理せずに登るための二度上げ、これははスイッチバックの異称である。

 草軽鉄道は自然に対して親和的な鉄道だっということができる。言い換えれば景色がいいということである。ことにこの鉄道が通っている「六里が原」は彼には馴染みの高原だった。「けふ泣きながら通つて來たのは六里ヶ原といふところだ、すてきな高原でネ、とても日本でないと思えた」と大正七年の十一月二十一日付けの妻登志子への手紙に書いている。このときに牧水は途中から草軽鉄道に乗って軽井沢まで出ている。彼女への手紙の末尾には「あやしき汽車」と記してあるが、これは草軽鉄道に違いない。草原へ陽が落ちていく様が妖しく見える、夕暮れの駅で天井から怪しい音が聞こえてくる、草軽鉄道はほんとうに「あやしい鉄道」であった。牧水は鉄道からの車窓美に審美眼を持っていた。それに叶う鉄道がこの草軽鉄道だったと言える。

 牧水の車窓は齢を重ねているだろうか。この草軽鉄道を描いた文章は「みなかみ紀行」である。この旅は短歌においても紀行においても一つのエポックをなすものである。彼はこの紀行の中でこう述べている。

 私は河の水上といふものに不思議な愛着を感ずる癖を持つてゐる。一つの流に沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其處にまた一つの新しい水源があつて小さな瀬を作りながら流れ出してゐる、といふ風な處に出會ふと、胸の苦しくなる樣な歡びを覺えるのが常であつた。「みなかみ紀行」 若山牧水全集第十一巻(38p)

 二十一歳の若い感性が旅の途中、中国山地の峠に辿り着いて、「幾山河越えさり行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日もゆく」と詠み上げた。体力がある分の気概が結句ににじみ出ている。果てもない道のりが彼の前にあった。ところが齢を重ね、多くの旅を経ることによって無方向だった方向が見えて来たのかもしれない。寂しさは果てることはない。が、渓を、水上へ辿れば、何かがある。本源への旅である。上流へ上流へと向かっていくことでそこに新たな境涯が見えて来もする。その旅の切り口としたのは軽井沢からの草津鉄道であった。本当の近代の鉄道旅は、沼津から始まっているが、その行程は冒頭の二行で終わっている。が、草軽鉄道の旅には幾枚もの共鳴する車窓が描かれている。「みなかみ紀行」はその抒情鉄道から始まっている。つまりは草津鉄道に乗っての旅情が枕となっている。草軽鉄道は、歌人には訪ねるべき歌枕であったと言える。この鉄道から「みなかみ紀行」が始まっていることは興味深い。入り口は「あやしい鉄道」から始まる。自然と合体した線路が六里が原をのたうちまわっている、それに乗って嬬恋まで行き、そこから彼の草鞋旅が始まる。本源を求めての渓を旅していく。草軽鉄道での旅の始まりは本源を求めてのさすらいの端緒だった。かのあやしい鉄道が近代から古代への橋渡しをしているのかもしれない。

 



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2004年09月07日

鉄道童話集 

長門鉄道とんでもワールド
                   きむらけん
   たったの一枚の十円硬貨。それが長門鉄道への旅行代金だった。ことのはじまりは博物館だった。展示場のはしっこに小さな客車がひっそりと置かれていた。『大正時代、地方鉄道で使われていた二軸ボギー車、マッチ箱とも言われていた』。そんな説明があるきりだった。
「ああ、くせいや、昔のにおいがする」
 タケシは木造客車に入ったとたん、鼻を押さえた。
「ほんと、小さいな。おもちゃの鉄道みたいだ」
 片側はロングシート、もう一方がボックス席で、通路は人ひとりがやっと通れるほどだった。
「ぼくの部屋ぐらいの大きさだ。こんなのが昔、動いていたのか。おもしろいなあ。おや……」
 客車の片すみの赤いスタンドボックスにタケシは気づいた。『体験乗車を楽しんでください。十円』というプレートがついていた。
「なんだ、十円か、バカにしてるよなあ」
 そう言いながらもタケシは財布から硬貨を取り出し、それを穴に入れた。こぉりんと音がしたとたん、客車が揺れた。
「ああ、そうか、この前、学校に来たやつと同じだ。地震ぐらぐらの起震車ときたか。それで十円、ちょっと高いよなあ…ぐへっ、これ動いているぜ。おい、まて……」
 タケシはボックス席の窓に食らいつくようにしてすわった。外には刈り取りの終わった田んぼが流れていく。
「C.G、グラフィックか、おれのゲームと同じ、500メガバイトぐらいか。よく出来ているよなあ。大型のスクリーンだ。迫力あるよ。お、なんだ、向こうには山が見える…」
 反対側の窓にも景色が写っていた。
「これで十円は安いよ。おまけにさ。効果音までついているんだからなあ……」
 客車は、くわたことがっとん、横に揺れ、縦にも揺れる。ときどき「ぴぃぃ…」という汽笛も聞こえる。おまけに石炭の臭いまでする。山口線のSLと同じだとタケシは思った。
「もう、こんなものだな。だってさ、十円だもん……」
 スクリーンの景色は日暮れてきた。すると、客車の中もだんだんと薄暗くなっていく。
「うん、もういいかなあ……」
 そう思っていると客車は急に、かてんと止まった。駅に着いようだ。タケシは腰を浮かした。すると天井がみししりと鳴った。だれかが屋根に乗っている。
「おいおい、なんだよぉ、おどかすなよなあ…」
 小さな声で言ったときに、天井に穴がぱかりと開いて、ぬっと灯りが降りてぶら下がった。ランプだった。車内がきゅうに明るくなった。ところがそのとたんに人が乗ってきた。
「ああ、良かった。おれ一人じゃもたないよ……おい、おい、なんだい?、お祭り帰りに博物館に寄ったのか?」
 乗って来たのは、五人ほど。おかしなことにみな着物を着ている。タケシの前にすわったのは少女だった。風呂敷つづみを持っている。その彼女が、Tシャツ姿のタケシを不思議そうに見る。ロングシートにすわっている浴衣を着たお爺さん、羽織姿の親父さんもとがめるような目つきだ。と、またそこにこんどは黒の制服を着た人が現れた。
「本日は、長門鉄道をご利用くださいましてありがとうございます。さっそくですが切符を拝見いたします」
「長門鉄道?、そんなのあったっけ、新しいゲームか?」
 車掌は、タケシのところにやってきた。少女は、ちゃんと切符を差し出した。へなへなのではなく硬券をだ。
「お客さん、切符は?」と、帽子がタケシに言った。
「さっき乗るときに十円入れたけど……」
「十円?、そんな大金を子どもが持っているわけはない。あんたおかしなかっこうをしているね。無賃乗車かね」
「いえ、お、お金はちゃんと持っていますよ」
 タケシは大急ぎで財布からお札を出した。
「おっ、千円と書いてある。こんなの見たことないぞ。これはたまげた……お札の人物は見たこともない人だなあ」
「夏目漱石ですよ。ほら、『坊ちゃん』を書いた」
 得意になってタケシは言った。
「夏目漱石?、ついこの間、大正五年に亡くなった人だよ。漱石がお札になるなんて考えられんよ。日本銀行券とはあるけど、千円という金額にしてはちゃちだ。ニセ札じゃないか」
  周りの乗客がみな集まってきて、千円札をのぞきこむ。
「よく出来ているけど、だけど千円にしては、みすぼらしい。おもちゃのお札だな。子ども銀行券だろう」
 浴衣のおじいさんが笑った。
「まあ、子どものことだ。許してやれよ…小月まで幾らだ。おれが出してやるよ」
 ひげ面の羽織が助け船を出してくれた。
「ええと、始発の西市からとして五十七銭、ま、子どものようだから半額の二十九銭です」
「ぎょへっ、お金の単位が銭なの。これってさ、もしかしたら『おもしろ昔ゲーム』の世界なの?」
 タケシは独り言のようにそう言った。そのとたんに客車は動き出した。ランプをいくつも乗せた手押し車がホームの端に止まっていた。きらろると光るそれがみるみる過ぎていく。すると、地味な灰色の着物を着た少女が立ち上がった。そして、窓を開けた。冷たい風と煙が入ってくる。
「寒いよ。な、なんで窓なんか開けるの?」
 タケシの問には答えずに、彼女は風呂敷包みから黄色いミカンを取り出した。それを手に持って窓から身を乗り出す。夕暮れの日がまだ残っていた。
「浩造、光吉、敏子…ねえちゃんは行ってくるからね。父ちゃん、母ちゃんを頼むよ。元気にしているんだよ!」
 少女は、そう叫んで、五六個のミカンをほおり投げた。夕日の当たる土手に三人の小さな子どもが並んでいた。弟や妹らしい。その人影が薄赤い色の中にくずれた。
「この場面って、どっかで見たか、読んだかしたなあ…」
 窓を閉めた彼女が、「あんた、これ」と言って手をさしだした。てのひらにはミカンが一つのっかっていた。
「ありがとう…で、この汽車はどこに何時に着くんですか」
「小月よ。だけど、何時に着くのか分からない。あの羽織のおじさんに聞いてみて」
 見ると羽織は、船の絵が載った時刻表をのぞきこんでいた。
「あっ、それ、見たことあるよ、大正十四年の四月号だ」 
 鉄道好きの父が、復刻版時刻表を持っている。タケシはそれは何度も手にして見たことがある。
「おお、子どものくせしてよく知っているな。小月着は、六時四分、上り京都行きに接続だ。そこの娘さんは奉公にでも行くのかな。京都行きだと、七時二分、下関行きだと八時十八分。わたしのカンからすると、娘さんは京都行きだな」
「はい、大阪の船場に奉公にまいります」
 ミカン娘はうつむいたまま、そうに答えた。
「年季奉公か、人様の家で一働きということだな。まあ、つらいこともあるかもしれないが、体だけはだいじせんと」
 ひげがしみじみと言った。そうしているときに客車は駅に着いた。「だえかお」と書いてあった。漢字では岡枝だ。向かいのホームには可愛らしい機関車が止まっている。
「じゃあ、これも機関車が引いているのか!。これは見てこなくっちゃ」
 タケシは、また戻ってくるとミカンに言って外に出た。ところがぎょうてん、客車には本当に機関車がついていた。黒ぴかの豆機関車だった。長い煙突の後ろにラクダのようなこぶが三つあった。ボディには101と番号が入っていた。
「ちょうかっこいい。三次元立体グラフィックだ。ゲームは進化するぅ!」
 ぴぃひょと汽笛が鳴って客車が動き出した。タケシはあわてて客車にもどった。するとランプの下にいたヒゲ羽織が言った。「おお、坊主よかったな。乗り遅れないで」と。グラフィックもここまでくると気味が悪くなってくる。
「もしかして、これって、あれ?」
 …………………………
「お客さん、もう、閉館時間ですよ」
 タケシは肩をたたかれた。見上げると車掌が立っていた。
「お金は払ったよ。二十九銭。それに、十円だって……」
 立ち上がると他は誰もいない。スタンドボックスすら見あたらない。驚いて振り返ってみると、その人はガードマンだった。警備保障会社の腕章をつけていた。
「なんか、おかしいよ……」
 タケシはふと気になって手の匂いをかいでみた。ミカンの香りがつぅんと匂った。
「これって、なんなんだ?」
  はてなマークをおみやげにツトムは家に帰った。
「父さん、長門鉄道って知っている?」
 夕ご飯のテーブルにつくなりまっさきに質問した。
「ああ、とうの昔に廃線になった私鉄だよ。山口県の西にあったローカル鉄道だな。山陽本線の小月から木屋川沿いに西市というところまで走っていた線路だ。昭和三十年ごろに廃止された路線だよ。長さは二十キロぐらいだったかな」
  父は、昔のローカル線のことはよく知っている。
「じゃあ、SLも走っていたの?」
「そう、アメリカのポーター社製のCサイドタンク機関車だ。Cは、動輪が三つあるということだ。サイドタンクは、両サイドに水タンクを抱えているということだな。カウキャッチャー、牛よけがついていていてかっこいいよ」
「また、鉄道の話、いいかげんにやめておきなさい。何かというと鉄ばかり、もうちょっと柔らかい話ができないの」
 母が、そう言ってたしなめた。
「お母さん黙っていてよ。大事な話なんだから。それで、お父さん、機関車は煙突が長くて、こぶこぶがついているよね」
  タケシは勢いこんで言った。ご飯つぶが口からこぼれた。
「ああ、ボイラーの上に乗っているこぶは蒸気だめだよ」
「ボディに、101号ってあるのを見たよ」
「ああ、機関車の車番のことだな。長門鉄道では101号だったんだ。だけどいまは103号という車番がついているんだ。兵庫の宝塚ファミリーランドの電車館に保存されているよ。インターネットにも写真が出ている。あとで見てみな…」
 ビールを飲みながら父さんはこともなげに言った。タケシは、食いかけのトンカツを落としてしまった。(おわり)
   

自分の時間を生きること                                                          

 われわれは時計によって刻まれる機械時間を生きている。 が,それは上っ面のことであって人は個別的な時間を生きている。時間の中身は人によって違う。重厚な時間もあれば薄っぺらな時間もある。

 時間は環境によっても異なる。ローカル線に乗ってふらりと山峡の駅に立つと,流れている時間の伸びやかさ,時間の質量の違いを感じる。ローカル時間,セントラル時間というものが恐らくあるのだろう。 セントラル時間は追いたれられ追いまくられる時間だ。何時何時までに何々をの仕事をせねばならない。時の刃を背中に押し当てられて生きているようなものだ。自分の時間を生きてはいない。わたしもそうだ。 自分の時間を生きるには想像力があればいい。例えば,なんでもいい自分の好きな一枚の写真を選ぶ。そして,その場の光景を想像する。 日暮れ,海,灯台,車窓,波,無人,リアルに思い浮かべることでその場所にしばし憩うこともできる。写真だけでない,文字世界もそうだ。場面場面が手に取るように想像できればタイムスリップも可能だ。時間トリップして自分の好きな時間を過ごすのも一つの生き方なのかもしれない。



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2004年09月06日

テールランプの物語

376bef36.jpg近所の古道具屋をのぞいてみた。すると商品の陰に隠れてひっそりと赤いテールランプが眠っていた。鉄製のそれは手に取るとずしりとした重みがあった。主人は「客車列車に使われていたのだろう」と。年代物のそれはだいぶ錆び付いていた。手垢のついた古本のように思った。その錆に幾つもの物語が潜んでいる。主人は値段をだいぶ安くしてくれた。わたしはテールランプの取っ手を提げて家に帰った。
テールランプが尾を引いて,というのはよく言われた。客車列車の最後尾に点いていて多くの見送り人の涙腺を刺激してきた。買ったテールはどのくらいの距離尾を引いたのだろうかと思った。公園などに置かれている蒸気機関車は大概がその全走行距離が記されている。件のテールランプにもその走行距離はあるはずだ。
「○式テールランプ。昭和12年製。客車列車オハ35172に取り付けられて以来,54万キロメートルを走行した」という鑑定書がついていればもっと高くなったろう。
 テールの活躍はやはり夜である。3番線のホーム先端で,汽笛が「ぽぁぁう」と鳴った。
最後尾の客車列車は,かてんと音を立てて走り出した。見送り人は誰もがテールランプを見送る。このランプは何人に見送られただろう。行った人は出稼ぎの夫。集団就職で上京した子ども。任地に出発した単身赴任の夫,古里に帰る恋人,きっと様々だったろう。別れにけじめをつけるのがテールランプだ。離れて去る,そこを飾るものだ。ちゃちなものだとけじめが付かない。
 テールランプを覗いてみた。ガラスは中側は波形だ。電球を入れて光らせると赤い光に黒い縞模様が浮かび上がる。郷愁のテールランプだ。たかがテールランプではない,かなり頑丈に作られいる。悲しみの別れ人の視線に十分耐えられる造りだ。見送り人の視線にはかなり強いエネルギーがこもっていたように思う。視線エネルギーの蓄積が増えるとガラスが弾けたのかも知れない。テールランプに託した思い,かつては濃厚だったが,今はそれもかなり薄まっている。
 現代人のクールな視線はテールの灯りを必要としなくなったのかも知れない。機械的な末尾の確認がこの灯火かもしれなない。このごろのテールはちゃちだ。あらかたデジタルに変わりつつある。
 かつて雪の原野を行くとき,テールが後にしざってゆく雪を赤く照らし出した。板屋峠を行く列車のテールランプは潤みさえしていた。
 テールランプは詩だ。赤い光が尾を引いて消えた。記憶に余韻を残して。


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2004年09月05日

悩み続ける生き続けるキツネ花

8432cefd.JPG 夏草の生えた空き地を見るともなく見ると。なんとまあ、もうあいつが居るじゃねぇか。あたかももとからいたみたいに澄ましてやがるんだ。おれはしてやられたと思ったよ、降参だ。
 去年はようやっとやつのしっぽを掴んだんだよ。地面からウドを細くしたような芽がこっそりでかかったところを見つけてやったんだ。してやったりと思っていると、つぎの日にはちゃんと咲いてやがった。
 こんどはのっけからだよ。暑かったから秋も遅いだろうとおれはたかをくくっていたんだ。ところがやつはもう先手を打って着々と地上表出をもくろんでいたんだ。なんとも意地悪な花だ。完全に裏をかかれてしまった。キツネバナとで名付けようか。

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2004年09月04日

信濃追分

69d8536a.JPG 駅名、地名は文化だ。すぐさま地名を変えてしまうやり方は許せない。 先日、新山口という駅名放送聞いて違和感をもった。小郡のことであった。こういうバカさ加減にはあきれてしまう。本当に心底腹が立った。新山口の駅の近くに其中庵がある、という言い方ではその場所の伝統が生きてこない。山頭火も嘆くだろうと思う。 夢野久作の小説の中に、この小郡の駅名を呼ばう場面がある。あれは小郡だからいい、新山口、しんやまぐちぃとやられてもなんの感興も湧かない。 信濃追分はかろうじて生き残った名だ。となりのえき中軽井沢はかつては沓掛だった。沓掛宿をそのまま踏襲した。軽井沢にあやかる方がもうかるということで名前を変えてしまった。 そういうことを考えると信濃追分よく残ったと思う。写真の文字を見ているだけでも楽しい。 ホームの柱に寄りかかって四季派の詩人を想像する。ここで降りてまた乗った。風光や人と会って詩想を巡らしたであろう。 

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2004年09月03日

鉄道エッセイ  きむらけん

f39f7b1f.JPG 分岐機の美学

 ポイントは分岐機とも言う。鉄路があちらへこちらへと別れていくところである。そこには旅情が潜んでいる。赤錆びた鉄の分か去れれだ。

 昼間そこを見てもなんのことはない。いや、日長見てもいても面白いものではない。もっともそんな暇な人はいないのが普通だ。が、 ポイントは鉄道のポイントである。ずっと眺めていないまでもそこがポイントだと分かる者には分岐機の美がわかっている。朝な夕なにそこに光が影を落とす。朝は茜色、夕は銀色、軌道上に光をためて朝が開け、夕が暮れる。そこを電車がさりげなく通る。

 さりげなく別れたり、急に分かれたりする。一方は山へ、一方は海へという場合もある。分岐機は旅情の分岐点である。


 

 松前線のホワイトクリスマス             きむらけん

                              1988年12月号 「旅」掲載エッセイ

 函館発の松前ゆきのジーゼル列車には、クリスマスが乗っていた。
 三時少し過ぎに発車する列車であったが、座席がすべて埋まってしまうほどの混み具合であった。やっと席を見つけて、バッグを網棚に載せようとしたところ、もう先客の荷物で一杯であった。リボンのついた大きな箱、その一つからは縫いぐるみの動物の足がにょきりと飛び出していた。その他、クリスマスケーキやケンタッキィフライドチキンの箱がびっしりと載っていた。その網棚の下には、母親らしいグループが数人いて、なにやら楽しげに談笑していた。函館までクリスマスの買い物に来た人たちらしい。
 その日は、十二月二十二日であった。クリスマスの買い物をするには、少し早いような気もしたが、列車の中にはクリスマスケーキの箱を提げている人がほかにも何人かいた。 列車は、函館の市街地を抜けると左手に函館湾を見下ろしながら走る。夕暮れの迫った海上には、黒い雲が浮かんでいて今にも雪を降らしそうな気配であった。その下に、船が浮かんでいた。来年の三月で廃止になる青函連絡船である。
 松前線は、その連絡船より一足先に一月末で廃止になる。その前に一目見て置きたいと思ってやってきた旅なのである。沿線の風景と駅のたたずまいなどを見ておきたかったのである。しかし、冬の日は落ちるのが早い、じっと目を凝らして窓の外を見ていたが木古内を過ぎてしばらくすると、真っ暗になってしまった。乗客も木古内で大半が降りてしまった。幾分寂しくなりかけた車内を華やかに彩っているのは、例のクリスマスの大荷物である。
 列車は、やがて千軒という小さな駅に到着した。ここで松前方向からやって来る列車を待って数分間停車する。ホームに出てみる。寒い。頬に冷たいものが当たる。雪である。さらさらとした乾いた雪である。列車の窓からこぼれた明かりが、地上に降り積もった雪と天から降り注いで来る雪を静かに照らしている。
 列車はタブレットを交換し、雪の中を発車した。そして、しばらくするうちにトンネルに入った。山の中を走っているらしい。窓の外を覗くと、車内のこぼれ灯が沿線の景色をかすかに浮かびあがらせているのが見える。雪を被っている立木がある。イルミネーションこそないが、立派なクリスマスツリーである。
 わたし網棚に目を転じて、ふっと勝手な想像にふけった。クリスマスのプレゼントを満載した列車が、雪を衝いて白銀鉄道を駆けぬけるさまをである。が、フライドチキンをはじめとする荷物は、次の渡島福島駅で皆降りてしまった。母親のグループは、網棚から慌ただしく荷物を降ろすとそそくさとデッキのほうに消えてしまった。外を見ると、数人の子供が雪の降りしきる中に立っていた。荷物を持った母親を見つけると、こおどりして駆けよった。
 雪の降る寒い夜、どんなプレゼントを母は買ってくるだろうかとあれこれと夢を膨らませて列車がくるのをいまかいまかと待っていた、この日のことを子供はきっと忘れないだろうとぼくは思った。が、来年のクリスマスにプレゼントを運んでくるのは、白銀鉄道でないことは確かだ。寂しいことである。
 トナカイの役目を無事に果たした、松前ゆきの列車は、再び動き出した。人もまばらになった車内は、にわかに寂しくなった。やがて、左手前方にぽつぽつと明かりが見えてきた。どうやら終着駅松前ももうすぐらしい。 駅前の小さな旅館に泊まった。一人で遅い夕食をとっていると、ジーゼルの警笛が「ぴよよおおん」と鳴った。窓を開けて外を見た。雪の降るなかを列車がゆっくりと松前駅を出ていくところであった。最終の函館ゆきらしい。クリスマスまであと何日かはある。来月で廃止になる松前線も、これからまた、いくつかのクリスマスを運んでくるだろうと思ったことであった。(62、12、24)



「東横線」各停、たった二駅のローカル風情 
                                                きむらけん

                                        1989年12月号 「旅」掲載エッセイ
   都会の通勤通学客はせっかちである。電車がターミナル駅に到着するなり、我先にと改札口に向かって殺到する。降車駅の出口に一番近い車輛は込みあう。
 そんな時でも、出口から遠い場合、たとえば電車の一番後ろはがらがらということもある。都会の通勤電車に乗るにしても、工夫しだいでのどかなローカル線に乗ったような雰囲気を味わえる場合もある。急いだとてたかだか数分の違いである、ゆっくりのんびりと通勤の旅を味わいたいものである。
 そういうわたしは東急東横線で通勤している。東京の山の手を走る代表格の私鉄路線である。ちょっと気取った乗客が少なくない。安物のリキッドをつけていると、露骨にいやな顔をされるときがあるほどなのだ。

 その線を使ってわたしは、都立大学駅から渋谷まで通う。都立大学駅では最後部の車輛に乗ることにしている。空いているからである。そこは、終着の渋谷ではもっとも出口に遠い、乗客が少ないはずなのである。
 だが、空いているといってもがらがらというわけではない。三つ先の中目黒までは適度に混み合っている。ほとんどが地下鉄への乗り換え客である。じっさい、中目黒に着くと車内は閑散としてしまう。時にはロングシートを独り占めにすることもできるほどだ。
 まずは、そのロングシートにゆったりと座って足を組み、目を外に向ける。わが通勤旅行における最大のスペクタクル、川あり、山あり、谷ありという変化に富む景観を車窓からほんのしばし楽しむのである。気取った客ももういない。眺めを存分に楽しめる。
 中目黒を出て電車は目黒川を渡る。目をつぶって鉄橋を渡る電車の響きを楽しむ。名立たるどぶ川もたちどころに山間の清流となる。その川を渡って少し行くと、左側に緑濃い山がせまってくる。山頂にそびえるマンションを視界から追いやれば深山の趣である。
 やがて、「渋谷隧道」に入る。出かかったところで電車は止まる。代官山駅である。最後部はトンネルの中でうす暗い。狐狸でも乗ってくるかと期待するがあいにくである。
 代官山を出て、電車は崖を左に見ながら進行する。しばらくいくと鉄橋上に躍り出て、左右の視界がぱっと開ける。台地を抜けて平野部にさしかかったのである。渋谷盆地とでも呼んでおこう。そこを電車は高架線で突っ切る。まともに眺めればビル群が目に入るのみである。通勤旅人は、青空をちらりとのぞいてから瞑目する。秋であれば渋谷村を黄金色に彩る稲田を想像するのである。
 電車が止まる。渋谷に着いたのである。ローカルな風情もたちまちに雲散霧消、あたふたと出口の人込みに向かう。そこには、今日も始まる現実が待っているのであった。
(1969年9月10日)


猛吹雪の深名線            きむらけん
              
      1994年12月号 「旅」掲載エッセイ
  
 もう十数年にもなろうというのに記憶に鮮明に残っている場面がある。吹雪の「深名線」に乗り合わせたときのことである。
 その日の未明、わたしは深川駅近くにある宿を出た。ちらちらと雪が舞っていた。ひどく寒い。実際朱鞠内行きの二両のジーゼル列車も駅のホームで凍えていた。乗客が一人では温まるはずはない。車掌もそれを承知してか無遠慮に、「きょうはたった一人だよ」とホームにいる助役に告げる。すると、「あっちは降っているってよ。五、六十センチぐらいだってよ」と彼は興奮気味にこたえた。どうやら今冬初めての大雪らしいのだ。出発の準備をする鉄道員は気持ちのたかぶりを押さえきれないでいる。「深名線」は北海道でも名うての豪雪地帯である。彼らは手ぐすね引いてこの日を待っていたのにちがいない。
 やがて、ジーゼルは、寒々としたホームに警笛を「ぶぉぉぉん」と一つ響かせて、ぶるんと動きだした。武者震いでもするようにだ。わたしは、さっそくに小手をかざして外をのぞいてみた。線路脇の雪かすかに明るい。が、それは車内からこぼれ出た明かりだった。夜はまだ明けていないのであった。
 風が出てきた。それに煽られた雪が、時折窓に打ちつける。だが、不思議なことにエンジン音は聞こえない。積もった雪が吸い込んでしまうのだろう。列車は夜の雪原をまるで滑空するように駆け抜けてゆく。
 しばらく経って、窓外に目を凝らすと、丘陵の縁が濃紺に彩られている。夜が明け始めたのだ。その色調は、淡紫から、淡紅へと刻々と微妙に変化していく。それにつれて沿線の風景がおぼろげに浮かび上がってくる。
 「多度志駅」を過ぎて夜がすっかり明ける。山も、樹木も、家も、道も、なにもかも白一色だ。しかし、ジーゼルは雪をものともせずに快走する。やがて「幌成駅」に到着する。そこは駅員一人の寂しい駅だ。小屋にかかった「LAVATORY」と記された英文字の表示板に空しく雪が降りかかる。
 雪は間断なく降り続けている。やむ気配はない。激しくなる一方だ。吹雪である。列車は風雪をついて、雪煙を蹴立てて、走りだす。窓の外は一面乳白色の雪の煙幕に覆われてなにも見えない。まるで雲の中を飛んでいるようでたよりない。わたしは不安になって、椅子を立って辺りを見回した。しかし車内には全く人影はない。乗務員の姿さえ見当たらない。心細くなってくる。そんなときにだ、窓の外が突然真っ赤になった。わたしはぎょっとした。異空間にでも突入したかと。
 が、案ずことはなかった。それは、ラッセルであった。駅に止まっているラッセル車であった。列車は駅に着いた。
 わたしは、「鷹泊駅」に待機していた真っ赤なラッセル車の勇ましい姿を認めて、思わずこぶしに力を入れたのだった。


駅弁のおかずは車窓 旅と鉄道(1)   
                                                       きむらけん

  車窓を食べるというのも鉄道旅の楽しみだ。景色をおかずにして駅弁を食べる、食欲が一段と刺激されて、ご飯がおいしい。四季に彩られた駅弁もまた旨い。
 夏は烏賊、いかめし弁当を食べて夏を楽しもう。イカの頭を食いちぎったところで、ひなびた漁港のそばを列車が通りかかる。青い海に突き出た防波堤の先端で少年が独り釣り糸を垂れている。と、竿がしなった。が、ああ無情、車窓ははらりと夏の絵を折りたたんで過ぎていく。たちまちに目には野の風景、山を縁取る青い空に、白い綿雲。それを眺めながら、少年が手にした魚を想う。そして、もぐりと口を動かす。イカともち米の味が口中に広がって旅情がおいしい。「いかめし」は函館本線森駅の名物だ。
 秋は柿、弁当を食べながら秋を箸につまむ。会津若松で駅弁「あいづのおばちゃん」を買い、磐越西線新津行きの列車に乗り込んだ。田野を駆けるローカル線だ。田んぼの向こうに白い壁の土蔵、柿の実がたわわに実って、それが日に当たって朱色に。卵焼きをつまんだついでに熟した柿を眺め味わう。窓に映った柿は箸休め、目のデザート。それを眺めていると列車は鉄橋をがたんと渡る。その瞬間ある場面が浮かんできた。鹿児島本線折尾名物、「かしわめし」を食べていたときに鉄橋にさしかかった。いい気食い気でいると窓から風が吹き込んで、ご飯の上の鳥のそぼろを襲ったのだ。悪いことに同じボックス席の乗客に鳥が雨あられとなって舞い散った。そんな思い出をも食べて汽車は進みゆく。
 冬はふくとしゃれてみる。下関駅で、「ふくめし弁当」を買って山陰本線に乗り込むのだ。おしゃれだったら新幹線ではないか思う人もあろう。もちろん新下関から新幹線に乗って、流れる車窓風景を眺めながら食すということもできる。が、山陽新幹線はトンネルばかり、地中高速鉄道で「ふく」を食べてもふくよかな気持ちにはなれない。「ふく弁当」は山陰本線に乗って味わう。駅弁道のきわめつけだ。
   何にせよ、道にはきまりがある。列車に乗り込んでもすぐには食さない。弁当を膝に置いて機が熟するのを静かに待つ。綾羅木や安岡あたりで左手にちらちらと海がほの見える。が、それでもまだ我慢。するうちに、みぞれも降ってきた。左手に国道191号線が寄り添ってくると同時に海が見えてくる。窓いっぱいに福江の荒海。響灘の波が打ち寄せては返す。「ふくめし弁当」の紐が、ほどよい時を迎えてほどいてと誘う。荒波とふくは相性がいい。さっそくに塩焼きのふく、白身のぷるんとした感触が舌にはじける。
   フィナーレは豪華に飾ろう、「春爛漫鯛づくし弁当」、名前を聞いただけでも心豊かになってくる。空想の超豪華駅弁といこう、お代は要らない、読んで噛む弁当だ。
   ぽぉうあうと汽笛が響いて、列車がかとんと動いた。「おっ、蒸気機関車かぁ」、郷愁の心もきゅいんと鳴る。かたたんとって、たとたんとって、線路がはずむ、ずっずずっず、機関車もほえる。切り通しを抜けると青い海、向こうに水平線、縮れた銀箔がゆらゆらり。窓を横目に、漆塗りのお重のふたを開けると鯛づくし。お頭つきの鯛丸々一匹、刺身に、お吸い物、それに鯛の頬肉かまぼこ、その上お赤飯に吟醸酒、もういたれりつくせり。まずは姿焼き、割り箸でさくっと身をむしって頬ばる。玄海育ちの鯛の白身のうまみがじゅぅあぅと口からのどにしみて、ああ極楽天国。そこへにゅうと細い手が延びて、「お一つ、いかがですか」と吟醸酒を傾ける。あわてておちょこを持って、目を上げると、なんとまあ、あでやかな着物姿の女性がにっこり。そんな彼女の顔がにわかに薄紅色に、それでひょいと窓をのぞくと春爛漫。桜の乱れ咲き。かたとてかたとて、たんたん、花が吹雪となって流れ流れて、恋色花色ほろほろ酔うて、汽車は走りゆく……鉄道旅は夢ロマン。
                                                                                               (雑誌連載文章)


鉄道線区の酒の銘柄 旅と鉄道(2)      
                       きむらけん
  
  景色をつまみにしながら酒をたしなむ。鉄道旅の最高の贅沢だ。ほろほろ酔うて窓辺にめくられる絵画を一枚一枚味わう、汽車の窓辺は、音と匂いもする立体美術館だ。
 汽車旅の酒は日本酒と相場が決まっていた。列車が止まった拍子に、床下でごろごろがらがらと何かがぶつかる。何だろうとのぞくと自分が飲んだ酒だった。「正宗」の瓶と牛乳瓶がもつれあっていたのだ。昔の話だ。このごろでは酒の種類も増えた。人の好みも様々だ。線区によって酒の味わいも異なる。どの線にどんな酒が似合うだろうか。
 指宿枕崎線、西鹿児島から枕崎まで薩摩半島の縁に沿って走るローカル線だ。駅で買ったのは鹿児島芋焼酎「薩摩白波」だ。旅行バックに入れるにはちょっと重い。が、郷に入れば瓶に従え、九百ミリリットル瓶を求めた。春浅いその日、快速「なのはな3号」は西鹿児島を発車した。左手には錦江湾、陽光きらめく海上には煙を噴いている桜島。向かいの座席には地元の婆さん、もう船漕ぎをしている。これ幸いと紙コップに焼酎を注ぐ。用意万端、携帯魔法瓶にはお湯。焼酎はお湯割りが旨いのだ。香味のあるまろやかな液が喉を滑る。縮緬のような海面が黄金色に光っている。いい窓辺の味わいだ。と、いつの間にやら目を覚ました婆さん、紙袋からひょいと取り出したのは薩摩揚げ。駅前の朝市で買ったそうな。それを皺々の手からもらった。つまみとしては最高だ。ほろ酔い気分で飲んでいると車窓が真っ黄色、黄疸にでもなったかと思いきや、菜の花畑だった。
  夏は「オホーツクビール」、北見産の地ビールをバックにひっそり隠して列車に乗り込む。北海道ちほく高原鉄道である。帯広行きの快速「銀河」は九時二十分に北見駅を発車した。山並みの稜線が天と地の境目、空は真っ青、浮かんでいる雲は白綿飴、地上の草原は青めるみどり、風に揺れる草が銀色に光る。「ふるさと銀河線」ならではの光景だ。視覚が満たされると口が渇く。さっそくに瓶を取り出す。コップに開けたピルスナーは程良く冷えている。苦みの少ない柔らかな味わいが喉に流れる。牧草地には点々と牛、これ幸いビーフジャーキー、景色のおつまみとしよう。訓子府、置戸、小利別、陸別、大誉地、上利別、足寄……停車駅案内放送も心地よい音楽。北海道の旅にはビールが似合う。
  秋の紅葉は只見線。濃淡の色模様、縞模様を楽しむ旅は日本酒がふさわしい。只見駅でさっそくに地酒を求める。紅葉の只見客を乗せた列車は会津若松行きだ。只見川に沿った渓や山は赤や黄色の紅葉の真っ盛り。それに見とれてふと気づくと、手の温もりが人肌のお燗、紙コップに注いだ酒の香りがほんのり漂う。会津柳津のお酒「瑞祥花泉」、端麗で香り高い味とある。一すすりして窓辺を見ると秋の川霧がぼぉうありとあたりに立ちこめている。谷の底は光線の加減で青色に靄っている。斜面もうっすらと霧化粧、あえかな紅葉と、蛇行した青い絹の帯、色のついた山水画を窓辺に映して、かたとて、とたとて、鉄橋渡って、トンネル潜り、会津の谷から谷へと酔いどれ列車がさすらい行く。
  冬は個室寝台に乗ってワインで決める。列車は札幌発、大阪行き特急寝台「トワイライトエキスプレス」だ。食堂で夕食というのはありきたり、個室で晩餐というのがお洒落だ。そのためには札幌で酒とつまみを手に入れる。ワインの銘柄は、果実香が素敵な「シャトー十勝」、白だ。つまみは鰊のマリネに鮭の薫製としよう。十四時九分、列車が札幌を出ても慌てない。宴の支度をゆっくりすればよい。今宵のハイライトは噴火湾だ。列車から眺めるトワイライトシーンは圧巻だ。暮色に染まった冬の海が窓いっぱいに溢れて来る頃に、ワインの栓を開ける。一口飲むと芳醇な液が喉で鳴る。夕色が落ちて沖の淡い漁り火が煌めいて窓辺によぎる、雪もちらついてきた。酒と旅と人生が思い思われる。
                                                                   (雑誌連載文章)


鉄路有情春夏秋冬

 わたしは一人旅が好きだ。分けてものどかなローカル線に乗って、窓外に映る景色をぼんやりと眺めてゆく旅は、この上もない喜びである。仕事に疲れた時など、その折々の印象が切なく思い起こされることがある。
 
 春・八高線、明覚駅に列車が着いた折りのことである。ひとむらの風が草の香りを車内に撒き散らしては過ぎ去って行った。そして、あとには薄紅色の花弁が一枚、土埃で汚れた床の上に残されていた。ふと思いついて、窓から身を乗り出して外を見た。果たしてホーム沿いの土手には、数本の老桜樹が爛漫と咲き誇っていた。おのが身を飾るために老いた身に鞭打ちあらん限りの力をふりしぼって紡いで織りなしたように見える桜花の晴れ着は、春の日を浴びて、まわりに艶麗さと淡い寂廖とを漂わせていた。
 
 夏・越美北線は、越前東郷を過ぎたあたりから、山峡の勾配を縫うように走った。一乗谷、越前高田、市波とジーゼルは車体をふるわせて谷を巡り、川を渡った。時折、線路の行く手が見渡せた。露で濡れた萱が、赤錆びてかぼそげな二本の軌道に両側から覆いかぶさっていた。その露に、山の斜面から転げ落ちてきた朝日が反射してきらめいた。が、露払い役の下り一番列車が巻き起こす風圧は、瞬く間に露を蹴散らした。そして、飛沫となって消え散る露に、光が当たってほのかな五色の光彩を放った。
 
 秋・山陰本線、分岐を渡ると、列車は急な制動をかけ、やがて、長嘆息をついて身ぶるいし、ひっそりと小さな駅にとまった。気が遠くなるような静けさが訪れる。が、それも一瞬のことだった。座席のそこかしこに潜んでいた虫が一斉に鳴き出したかと思われるくらいに、かしましくその音が車内に響き渡ってきた。晩秋の夕暮れ、閑散とした車内を照らす明かりが心もち暗くなったように思えた。人恋しく思えたのだろうか。斜向かいの席に座ってじっと暮れなずむ空を見ていた老人が「どちらまで」と声をかけてきたのが、いまもって印象に残っている。
 
 冬・長井線、未明の赤湯駅を荒砥ゆきのジーゼルカーはひっそりと離れた。ぼくは、水蒸気で曇った窓ガラスを何度もぬぐっては、外の闇に目を凝らした。やがて、田野に潜むものみな、その形状をおぼろげに現し始めた。天空が微かな光芒を大地に注ぎはじめたのだ。夜が明け行くにつれ、広大な自然を埋め尽くした雪は濃紺から紫紺へ、そして淡紫へと、その色調を微妙に変化させた。その雪の海を列車は音もなく滑るように走った。旅人はこの異様な景色の下を、列車がこのまま無限に駆け抜けてゆくのではないかと思って戦慄した。  (「旅と鉄道」掲載)



車窓風景を楽しむ      

 鉄道旅行をしていて、一番楽しいのは、車窓風景を眺めることである。
 のどかな田園、ひっそりとした山里、うららかな海辺、そういうところをゆっくりと走り抜けるローカル線に乗って旅をする。窓の手擦りに頬づえをついて、車窓に映りゆく景色をぼんやりと眺めながら、あれこれと勝手気ままな想像を巡らしながら時間を過ごすのは、この上なく楽しいものである。
 
 刻々と移動する電車や列車の車窓からの眺めには発見がある。山間部を走っていて、一瞬のうちに通り過ぎる小さな鉄橋。ふと下を覗くとひやりとする程の深い谷間になっていて、そこに思いがけなく清冽な水が流れていたりもする。また、窓外にぼんやりと目を向けていると、ふっと可憐な花が物陰にひっそりと咲いているのが見えたりする。 
 人間の生活が車窓から覗き見えるのもおもしろい。山間の畑を一人ぽつねんと耕している老婆が目に入ったりすると、どういう人生を生きてきた人なのだろうかと想像する。時には、葬列が目に入ってくることもある。そんなときはふっと物悲しくなったりもする。また、鉄橋近くの河辺で無心に水遊びする子供たちの姿を見ては、自分の少年時代を重ねあわせては懐かしく思うこともある。
 
 車と違って鉄道は座席空間が広い。安定感がある。ゆったりと窓外の景色を眺めながら旅ができる。勝手な想像に耽ってもいられるのである。
 
  かつて奥羽本線に乗ったときのことである。新庄近辺であったと思う。夕だちのさなか、一人の少年が雨に打たれながら、線路沿いの道を懸命に自転車を漕いでゆく姿が見えた。どこにゆくのだろうか。身内になにか不幸でもあって誰かに知らせに行くところなのだろうかと勝手な想像を巡らせたのである。ところがである。しばらくして、列車は夏祭りの最中の神社の裏手を、すっと通り過ぎたのである。少年は晴れの日の特別のお小遣いをもらって、お祭りの出店へと急いでいたに相違ない。わたしは己の想像力の貧困さを笑ったことであった。
 こういうこともあった。今はもうない山陰線の夜行列車でのことである。
 制動がかかって、列車がゴトンと揺れたその拍子に眼をさました。駅に止まったらしい。明かりを手で遮って、窓の外を覗く。寂しげな駅だ。標示板に「上夜久野」と読めた。床下の空気弁から溜め息のような音が洩れる。そして、それが止むと一瞬聴覚が麻痺してしまったような静寂が訪れる。寝息が聞こえる。その音が妙に生々しい。
 始発駅の京都を発車したとき、列車の座席はあらかた埋まっていたのだが、今は夢世界にさまよう七八人の旅人のみだ。人の温もりが消えた車内は薄ら寒い。侘しくもある。
 薄暗い車内燈が、網棚にぽつんと載っている風呂敷づつみを、窓枠に彫り込まれた落書きを、旅人の尻の跡を形どった座席を、油の染みた黒い床を照らしている。と、ふとその床に白いものが見えた。花弁だった。一枚の桜の花弁だった。ほのかな紅が滲み出た桜のはなびらであった。それは、その場に不似合いであるゆえに鮮烈であった。
 冷え冷えとした夜更け、車内の窓は締め切ったままである。花びらが入り込む余地はない。不思議であった。乗客の背中に付いてきたものが落ちたのだろうか、デッキの方から風にでも乗って舞い込んできたものだろうか。艶やかな闖入者の侵入経路を闇夜にひた走る列車の中でわたしは思い巡らしていたのである。そうしているときに、天井のベンチレーターからひらひらと舞い落ちてきたものがあった。花びらの侵入経路は、大げさな推理を巡らすまでもなかったのである。
 
 わたしは、窓の外を見た。薄明のなかを列車は、走っているようだった。窓外に白いものが無数に流れてゆく。桜吹雪であった。たゆたうように花びらが列車の風圧に翻る。朝の清澄な空気の中に舞上がるそれは清楚であった。それは鉄道旅行ならではの体験であり、発見であった。
 車で行く旅と違って、鉄道の旅には風情がある。鉄路は道路よりもより身近に生活や自然に接しているからだといえよう。家屋は道路に面して建てられる。道路が表とすれば鉄道は裏だ。線路は大概は人家の裏側を走る。洗濯物の翻る庭先を掠めて通るのである。人間の生活がつぶさに見えるのである。
 景色によりマッチしているのも線路である。アスファルトという人工的な匂いのする道路とは異なり、砂利の敷かれた線路はより自然に近い。浜辺であっても、山岳であっても鉄路はその風景によく溶け込むのである。車窓風景に趣があるはずなのである。



忘れ得ぬ豊後路の鉄路行路
             
 大分が懐かしい。風や空気、山や河、のみならず人情がである。
 去年のことだ。大分の三重町に縁ができた。主催する「ことばの町のお話コンクール」に参加する機会を得たからだ。そのときは、東京から寝台特急の「はやぶさ」に乗って熊本経由で大分入りをした。折しも紅葉のころ、谷や川や盆地をめぐる豊肥線沿線の風光の美しさに心打たれたものだ。
 
 大分県三重町に、何もなければ一生訪れることもなかったであろう。縁が生じて初めてその駅に降り立ったのである。が、心細げな旅人を温かく遇してくれたのは駅務員である。先の場所を丁寧に図に描いてくれたのである。しかしそれは偶然の親切ではなかった。宿屋で、コンクール会場で接した土地の人々は駅務員と同じようにわたしを温かくもてなしてくれた。飾り気のない気さくな人たちであった。都会にはない情味が生きていた。それらの人々との触合いは忘れ難いことであった。とても懐かしく思われた。そして、ついこの間十一月再び大分を訪れた。
 
 わたしは少年時代を佐賀で過ごした。そのときの同窓生たちと三十五年ぶりに会うことになったのである。単に思い出をを確かめ合うだけの同窓会ではなかった。家庭の事情から親戚の家で寄寓生活を送っていただけに辛く苦い思い出も数多くある。佐賀に直行するのがためらわれた。一気に少年時代に戻ることが怖かったのだ。遠回りをして徐々に近づこうと考えた。すぐに思い浮かんだのは大分経由で行くことである。大分の風光と人々にまた出会ってみたく思ったからである。
 
 東京から寝台特急「富士」で大分に来て、「ゆふいんの森」に乗り換えた。その特急の展望車は絵画陳列館だ。車窓は額縁なのである。そこに何百枚もの秋景色が流れていく。 由布院高原を駆け抜ける列車は色とりどりの紅葉を舞いあげながら進行する。それに晩秋の薄日が当たって輝く。やがて列車は隧道に入る。と、抜けた瞬間小盆地が黄金色に燃えていた。銀杏の紅葉だ。そのうちに枯草色に染まる田園風景にさしかかる、熟柿の朱が絵画を鮮やかに彩る。それらの車窓に映りゆく景色は少年時代の辛く苦しい思い出を洗い清めてくれた。そしてなにげなく手に取った展望車備え付けの旅日記にはこうあった。

 「由布院温泉はとてもよかった。十五年ぶりの二人きりの旅、この人と一緒に歩いてきて良かった。これからまだ続く道だけど、二人して頑張ろうね。静岡、Y、S」 
「神戸から仲良し三人組で来ました。宿屋の人たちの温かいもてなし、きれいな景色、震災以来のストレスが解消しました。H・T」 「豊後の風光や人情には何かの力が潜んでいるのかもしれない」と、車窓に映りゆく晩秋の景色を眺めながら、わたしはそう感じたのだった。(旅エッセイ入賞作品)


心に残る一瞬の車窓風景              

 この夏もまた「羽越本線」に乗った。車窓に日本海が時折、見え隠れするこの線は何度乗っても見飽きることがない。好きな線区の一つである。
 
 この「羽越本線」については思い出がある。心の隅に焼き付いていて、いまだに忘れられない光景がある。
 もう十数年も前のことだ。秋田から新津に向かう各駅停車の列車に乗ったことがある。チョコレート色をした旧型の客車であった。 季節は冬であった。雪が降っていた。横殴りの雪がである。私は水蒸気で曇ったガラスを何度もぬぐった。そうして窓の外に広がる北国の冬の情景を一心に見入っていた。
 そのうちに列車は、海が見下ろせる台地にさしかかった。日本海である。私はいっそうに目を凝らした。
 
 沖には黒い雲が低く垂れこめていた。その暗くて陰欝な沖合から大波が打ち寄せる。雪の降りしきる荒涼とした磯にぶつかってそれが砕け散る。
 身も心も寒々としてくる風景だ。私はガラスに頬を押しつけるようにして、車窓に流れゆくそれをじっと眺めていた。が、その風景もほんの二三分するうちにかき消されてしまった。列車が切り通しに入ったからだ。丘や木々に遮られて見えなくなったのである。隠れてしまうと、いっそうに見たくなるのが人間の心情である。私は、海を遮っている丘が早く過ぎ去ってほしいと願った。
 そう思っている時にである。と、ふと丘の切れ目から、一つの光景が目に飛びこんできては、瞬時のうち消え去った。
「・・・・・」
 声にもならない叫びを挙げたようにも思う。なにかこう震撼としてくる光景が目の前を掠めたからである。それが瞬時に過ぎ去った風景であるだけに印象は鮮烈であった。
 
 崖の上に狭い台地があった。そこにむしろを巻きつけられたちっぽけな数基の墓石が寄り添うように建っていた。荒れ狂う日本海に向かってである。寄せ来る大波は鎌頚をもたげて、今にもそれを呑み込んでしまいそうであった。
 寂寥とした風景であった。人間の悲しさ、寂しさが思われた。自然に奔弄される人間の造営物の、なんとはかないことだろうと思ったことであった。
 やがて、列車は海岸沿いの台地を過ぎて、なんの変哲もない田園地帯に入った。雪も小降りになった。私は窓から目を離し、瞑目した。網膜に、一枚の絵がはっきりと焼きつけられていた。吹雪にまみれている数基の、むしろを巻きつけられた墓がである。
 むしろは死者を風雪から守るための手立てなのだろうかと思った。そう思ってなにやら気持ちが熱くなった。一枚のむしろがどれだけ死者を暖めるのかは知らないが、死者を弔う北国の人々の心づかい、温もりを感じたのである。 
 それから後も、「羽越本線」には数回乗った。いつも注意しているつもりであるが、記憶の底に焼き付けられているその思い出の場所は、見つけることができないでいた。
 これまで特急に乗ってばかりいたので見落としたのかもしれない。そう思って今回はあえて鈍行を選んだのである。秋田発の上り列車であった。海が見える方の座席に坐ってひたすらに車窓に移りゆく景色を追ったのである。が、結果は同じであった。あの懐かしい光景に再会することはできなかった。
 
 もうあれから十数年が経っているのである。歳月の経過は様々な変化をもたらしているのかもしれない。自分の内に温められた記憶は、実際の景色とは違うものに変形してしまっているのかもしれない。あるいは線路の付け替え工事が行われて「羽越本線」は、あの箇所を通らなくなってしまったのかもしれない。見たというふうに思っているが、もしかしたらそれは自分が抱いているなにかの幻影なのかもしれない、などとあれやこれやと想像をめぐらしたものである。
 が、列車から眺めたあの一瞬の車窓風景はいまだに忘れることはできない。記憶の片隅にあるその映像はいまもって鮮明に思い起こすことができるのである。幻影などではあるものかと思っている。
 仕事に疲れた折などに、その折の光景がふっと思い起こされることがある。そんな時に、旅に出てみたいという願望が湧いてくる。 列車の車窓から垣間見た一瞬の景色が旅へ誘う。もしかしてこのつぎにはあの懐かしい光景と再会できるかもしれない。そのほのかな期待がいつも私を、「羽越本線」に向かわせるのである。
(松尾芭蕉生誕三百年記念エッセイ入賞)


 
 

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2004年09月02日

鉄道エッセイ(2) きむらけん

a1086a08.JPG糸魚川駅 

 駅は好きだ。とくに分岐駅はいい。線路が別れてどこかへと行く、そこから枝線が別れている停車場はそれだけで趣がある。

 写真は糸魚川駅だ。 海線の北陸本線と山線の大糸線がつながっているところだ。この構内に古い煉瓦造りの車庫があった。その佇まいはかつての昔を偲ばせる。北陸本線の開通は明治末期である。富山直江津間に位置するのが糸魚川だ。この沿線は、陸地が日本海にそれこそ転げ落ちてくるところだ。難工事であった。が、開通後も一帯は何度も地滑りに襲われた。

 かつて北陸本線は海ぎりぎりのところを通っていた。眺望絶佳である。そこを行く蒸気機関車に引かれた列車に乗ったことがある。糸魚川機関区があったはずだ。この機関庫も海辺を走った機関車がしばしの休息をしたところだろう。

 蒸気機関車が一日の仕事を終えて戻ってくる。火が落ちて釜が冷えると音がしたそうだ。その音がここにも響いていたろう。「駅」という随筆に高橋義孝が「篠突く雨の糸魚川」というエッセイを書いている。夜の待合室の光景がつぎのように描かれる。

 私の近くのベンチには別の三人がいる。三人が三人とも、よく仕事師が穿いているニッカーボッカーに地下足袋という姿で、低い静かな声で、とぎれとぎれに話をしている。どこそこへ行けばまだ仕事があるとか、どこそこでは一日でたった一日で何百円にしかならないとかいうような話をしている。一人はまだ三十にはなっていまい。あとの二人は四十を越しているようだ。荷物らしい荷物は何も持っていない。小さな風呂敷包、ビニール製の安物のカバン位のものである。(日本の名随筆「駅」作品社刊)

 薄暗い電灯のもとで彼らがぼそぼそと会話を交わしている。待合室の外では雨が音を立てて降っている。高橋義孝は聞くともなくその三人の会話を聞いている。入れ替えの機関車がときおり、じゅ、じゅ、ぼっぼっと音を立てて通り過ぎる。

 高橋は、つぎのように締めくくっている。

 その篠突く雨を衝いて、上り急行列車が轟然とプラットフォームへ滑り込んできた。列車後部の寝台車の方に駈けて行く前に、私はもう一度待合室の三人を見た。三人は依然としてベンチの上に寝ころんだままであった。この列車には乗らないらしい。そしてこの列車は恐らくこの日の最終列車なのだ。

 山と海とに挟まれた糸魚川駅の待合室で寝ころんで、朝を待つ、その三人の面影がふつふつと思い浮かんでくる。飯場を流れゆく労働者、糸魚川駅ならではの味わいがある。山の気と海風、そして待合室の屋根を叩く雨音。

 分岐駅には小さな物語がいくつも転がっている。だから好きだ。



 回想:宇高・青函連絡船                                               
 

  今年の夏、青函連絡船の臨時便が運航された。つい、この三月にこの青函航路が廃止されるにあたって訪れたばかりであったが、海峡の荒波を蹴立てて走る連絡船のあの雄姿が忘れ難く、浮かれ出るように青森をめざした。
 
 青森から乗船した連絡船は、何度か利用したことのある懐かしい「十和田丸」であった。船体の錆び具合、客席内部の様子、デッキたたずまいなど連絡船当時と変わらない。もちろん、船上から眺められる景色が変わるはずもない。険しい断崖が延々と続く下北半島、それを遠望することによって北海道に来たことを実感させる函館山。なにもかもがかつてのままである。
 海峡は冬と違って波穏やかであった。揺れることもなかった。 廃止間近の青函連絡船では、波しぶきがかかるのもかまわずデッキの手すりにへばりついて荒れ狂う海をじっと見つめている何人もの人を見かけた。一様に寂しげな背中を見せていたものである。
 
 今はそんな光景は見られない。デッキのそこここでは、乗船客が記念写真を撮り合う姿が見られた。その人々の表情はみな穏やかであった。心の余裕なのかなと思ったことである。青函トンネルが開通したいま、北海道に渡るのに、時間のかかる船をわざわざ利用することもない。青函連絡船への郷愁が乗船目的なのであろう。が、もはや、この船は連絡船ではない。観光船だ。青森で、列車から吐き出された乗客を乗せて出航したわけではない。乗客の大勢は胸にツアー客であることを示すバッジをつけていた。「郷愁・青函連絡船への旅」と銘打った観光客が大半である。
 いわば、抜け殻のような青函連絡船のデッキで、海峡を渡る潮風にうたれながら、今年の三月のことを思い起こした。
 
 絡船の廃止というのは、それだけでなにか旅情を掻き立てるものがあるようだ。青函連絡船の場合も言ってみれば見捨てられた航路であった。ところが、青函トンネルの開通を間近に控え、その廃止が取り沙汰されるようになってから乗船客が急激に増えた。思いの航路が人を惹きつけるものであろう。
 
 海峡部分で途切れた鉄道線路を船便で結ぶのが連絡船である。鉄道を利用して北海道や四国に、あるいはそれらの地域から本州に渡る人たちは、皆この連絡船に乗らざるを得なかった。青函連絡船や宇高連絡船である。この航路を多くの人が利用した。おそらく何億という数だろう。その数だけの人生を運んだ。数え尽くすことのできない喜怒哀楽がこの連絡船で渡って行った。

 「渡る」という言葉には、障害・抵抗となる地理的場面を通り越すという意味合いがある。陸路と陸路のはざまである海峡は、いわば旅人にとってなにがしかを胸に刻み込んでゆかざるをえない通過点である。そこを連絡船で渡る時、人々はきっと様々な感懐を抱いたにちがいない。海を眺めながら、別れの辛さや寂しさをひとしお強く感じたり、あるいは逆に、生きる希望や期待を持ったりした人もいたであろう。連絡船には、そこを渡った人々の感情の染みがしみついているように思える。
 
 その連絡船、青函航路が廃止されたいまとなっては最後の鉄道連絡船となった宇高連絡船が、じきに廃止されると聞いて瀬戸内を訪れた。この三月二十八日のことだ。

 連絡船の発着する宇野駅も高松駅も「さようなら宇高連絡船」を歌い文句にぎにぎしく飾りたてられていた。が、別れという言葉が醸し出す感傷的な雰囲気はあまり感じられない。つい十数日前、文字通り八十年の風雪に耐えて、ようやくにして勤めを終えたばかりの青函連絡船のイメージが強く印象に刻まれていたせいだろうか。
 北の国を好んで旅をしてきた自分にとって青函連絡船には深い愛着を抱いていた。それだけに何度乗ったのか分からないほどに乗船をしている。そういう経験が一つの先入観を生んだといっていい。つまり、連絡船に乗るには乗船名簿への記入が必要であるということをである。
 そういうことが念頭にあったので、どこでその乗船名簿を渡されるかということが気がかりであった。青函連絡船の場合だと、船に接続する列車の中で配られる。青森に早朝に着く夜行寝台の場合だと上野を出てすぐに配られることもある。が、四国連絡の寝台列車「瀬戸」の車掌は、宇野が近づいても乗船名簿のことは一切案内しない。怪訝に思っているうちに、列車は宇野に着いてしまった。
 
 列車を降りると潮の香りが匂ってくる。連絡船発着駅らしい雰囲気が感じられる。ホームごしに「伊予丸」と船腹に記された連絡船が望める。その船に向かって大勢の人が連絡橋を渡ってゆく。この人たちが全員、これから乗船名簿に記入するとすればさぞかし混み合うだろうと思った。だが、それは杞憂に過ぎなかった。乗船客は、桟橋デッキで滞ることなくそのまま「さようなら宇高連絡船」と乗船口に大書きされた看板の下をくぐって船の中に吸い込まれていった。なんのことはない、宇高連絡船に乗るのに、乗船名簿は必要とされないのである。ぼくは、いささか拍子抜けしてしまった。
 だが、それは考えてみればあたりまえのことなのかもしれない。宇野から対岸の高松まで十八キロ。時間にして約一時間、しかも波穏やかな内海を航行する。外海の荒波に揉まれて、四時間あまりの航海をする青函航路とは危険度が違う。
 
 「伊予丸」は、出航を告げるドラを鳴らし静かに宇野桟橋を離れていった。このドラも廃止を間近にして復活したものらしい。そのドラを打つ乗組員に乗船客が一斉にカメラを向ける。「こっちを向いて」「もう一度鳴らして」、廃止を間近にして記念乗船した人たちはあれこれと注文がうるさい。
 その騒ぎから逃れ、後部デッキに出てみる。讃岐うどんの立ち食いの店には大勢の人が並んでいた。その人垣をやり過ごして最後部の甲板に出ると、晴れ渡った空のもとに広々とした海が見えた。波もない穏やかな海上に瀬戸内の島島が浮かんでいる。美しい景色である。それにしてもなんと日の光の明るいことか。つい、十数日前青函連絡船で津軽海峡を渡ったが、空はどんよりと曇っていていまにも雪が降りそうであった。春とは名ばかりなのであった。実際に、船上から見える下北や津軽の山々は白い雪を被っていた。風景は冬の装いなのである。だが、この温暖な瀬戸内には雪のひとかけらもない。あるとすればまぶしい陽光である。暦どおりの春なのである。
 乗船客は、デッキのあちこちで「お別れ乗船」の記念撮影をしているが、滅び行くものに見られるもの悲しさ、寂しさは感じられない。この明るい日の光のせいだろうか。
 
 廃止直前の青函連絡船では、波しぶきもものかわデッキにしがみついてじっと海を眺めている何人もの人を見かけた。その後ろ姿はこれも一様に寂しそうであった。この連絡船でも同じように、デッキに出て船が作りだす航跡をじっと眺めている人がいた。しかし、その後ろ姿に寂しさは感じられない。見る側の主観なのかもしれないが、優しそうに見える。波穏やかな内海ではデッキにしがみつく必要もない。肩の力を抜いて瀬戸内の美しい風光に見入っている乗船客の姿が優しく見えるのは無理からぬことなのであろうと思ったことであった。
 大小さまざまな船が行き交うなかを連絡船はゆっくりと進んでゆく。それを見ていても見飽きることがない。しばらくするうちに、三角形の特異な形をした島、大槌島が右手に見えてきた。
 
 かつて、大勢の修学旅行生を乗せた連絡船「紫雲丸」が、濃霧の中を航行中衝突事故をを起こし何人もの犠牲者を出したことがあった。この事件を報道した新聞の現場写真の背景にこの島の島影が写っていた。あれからもう数十年が経った。周囲の島島が開発の波を受けその様相を変化させているのに対し、この小島の姿かたちはその時のままだ。
 その島のはるか向こうの空と、海と、陸の間に人工的な直線や曲線が描かれている。この完成によって連絡船はなくなる。鉄道併用橋の瀬戸大橋である。巨大な構造物である。それに比べると、連絡船などはちっぽけなものである。たとえ廃止されたとしてもなんのことはないのかもしれない。
 
 高松では、瀬戸内を一望できる名勝の屋島に登った。そこからは高松港に停泊している連絡船が望めた。風景の中に埋もれて見える連絡船は、他の停泊している船舶となんら変わるところはない。展望台でその景色を眺めていた人が「連絡船が見えるよ。」と言って他の人に教えていた。こういう広い視野のなかでも視点は連絡船に向けられるのである。連絡船には人々の思いが凝縮されているのであろうか。
 帰りの船は「阿波丸」であった。高松桟橋でのその出港風景はちょっとした見ものであった。盛大な見送り風景が見られたからである。この船で旅立つ若者を見送りにきたその友人たちが送迎デッキに集まっていた。みな手に手に五色のテープを握っている。その一方の端は、船上の人が握っている。何十本という数である。いささか演出めいたお別れ風景ではあったが、目をたのしませてくれた。 やがて、船は出港の合図を受けて岸壁から離れた。クラッカーが鳴らされる。万歳が唱えられる。手がうち振られる。数十に別れていた五色のテープは、そのうちに大きな一束となってずるずると船に引きずられてゆく。見送る側はテープをどんどん伸ばしてゆくがそれも限度がある。五彩のテープは次々に切れていって、ちぎれちぎれになる。海風がそれを目の前でひらひらとはためかせる。なんともいえず美しい。それに魅入っているところに、期せずしてスピーカーからメロデイが流れでる。「南国土佐を後にして・・・・・」というあの歌である。余りにも整い過ぎた別れの場面である。が、そう分析する自分の思考とは裏腹に身体中の感情がざわざわとうごめく。この旅に出て初めて感じた旅情である。船ならではの別れである。
 
 高松を出た「阿波丸」は、桃太郎の童話で名高い女木島沖で下り便と擦れ違った。その僚船へ合図の汽笛が鳴らされる。晴れ渡った青空の下に鳴り響くもの悲しい汽笛は、旅人を感傷へと誘う。この汽笛ももう間もなく聞けなくなる。
 下り便の船名は読み取れないが、オレンジ色の船体をしている。さきほどの「伊予丸」であろうか。いずれにせよ、宇高連絡船の船体はどの船もきれいである。赤錆びた船体をさらした青函連絡船は、うらびれた姿をしていた。寂しさを身体中に身にまとっている。それとは反対に宇高連絡船は、みな明るい色をしている。晴れやかですらある。
 この瀬戸内に降り注ぐ陽の光が、そもそも明るい。別れを彩る五色のテープの色をはっきりと際立たせる。華やかである。だが、華やか過ぎてかえって寂しい。宇高連絡船との別れには青函連絡船のような重々しい別れ、悲愴感はない。しみじみとした別れである。ふだん着を着た別れなのではないかと、遠ざかりゆく四国の山並を連絡船のデッキから眺めながらふと思ったことであった。
 廃止間際には、あれほど騒がれた宇高連絡船も青函連絡船も、もう歴史の中に埋もれ去ってしまった。きっと、この航路に愛着を持った人の記憶の中で生き続けるだろう。
                             昭和63年(1988)


言葉の鉄道を旅する                                きむらけん

  誰もが経験しないような、とんでもない旅をしてしまった。言葉の列車での旅である。きゃたこときゃたことと走る心地よい汽車詩、それに揺られ揺られて果てしもない旅をした。汽車の窓辺は図画美術館、春夏秋冬の明暗様々な風景を眺め、映りゆく景色に染まる旅人の情調をも味わってきた。忘れがたい旅空宇宙の道行であった。

  きっかけは詩集を繙いたことに始まる。鉄道をモチーフとした詩を探しているうちに、それらの詩が数え切れないほどあることに気づいたのである。日本の詩歌の中に、一つのジャンルがひそやかに形成されていたことにだ。きらめく鉄道詩であった。最初はおもしろ半分にそれを読んで気ままな旅をしていた。独りで楽しんでいたのだ。が、あるとき、ふと思いついたのである。この言葉の列車に乗ってみたらどうかと。一つ一つの詩に乗車してその詩の物語を書いてみたらどうかと思ったのである。浮かんできたタイトルは「日本鉄道詩紀行」である。なにげなく始まったその紀行は途方もない旅となってしまった。
 想像世界の列車は無限で果てしもない、そこで、色合いの異なる多くの列車に乗り、多くの駅で下りた。巡り巡る詩の旅、行きはよいが、帰りは怖い。わたしの想念の旅の終点も詩となってしまった。昭和三十六年の時刻表、単なる記号の羅列から描いた鉄道旅だ。
 

  列車番号744/日田発15時26分門司港行きは/誰そ彼時を走る汽車/かたこときゃたこと/小さな駅を/一つ拾ってはまた捨てる/香春、採銅所、呼野、石原町、志井、石田、城野 ……/夕暮れの陽はきゅるりきゅろきゅろ/黒いボタ山、黄金の稲田、薄紅色のカルスト台地/五彩に染まった窓辺はやがて瑠璃色/客車の鬼灯ぼおぁり灯って/きゃたこときゃたことてんてん/左手の海行く赤と青のランプ/船の汽笛がばぁぼうと響く関門海峡/きゃたたんこととん/機関車の汽笛もぽあうぅと応えて/もじこぅ、もじこぅと呼ばう駅のホームが流れ来て/線路は18時43分に行き止まる/その果てには壇ノ浦/海の底に都があると平家の物語/旅の情調は想い巡って/イタリアローマのテルミニ駅/薄暮に浮かぶ銅葺き屋根に/遠い異国が偲ばれる/門司港駅は終着駅/大正の時影漂う古い駅                 (「日田彦山線上り七四四列車」)
 

   想念の旅の終着駅として門司港駅を選んだ。うとうとしているうちに駅に着いた。慌てて網棚からカバンを下ろした。ところがそれは宙に躍って、油の滲みたオハ35型客車の床に落ちた。その瞬間、中から紙に書き散らした原稿がこぼれて散らばった。思いもかけない分量だった。拾って、わたしはパソコンに入力した。それが活字化されて、最初の校正原稿が届いたとき、卒倒しそうになった。億万ほどもの言葉が詰まったゲラ刷りを見てだ。僅か数行の詩に乗ってあちこち旅しただけなのに、その痕跡は宇宙ほどにも広いものであった。言葉の海の果てしない旅が思われた。
 創られた詩には確かにその人間が潜んでいる、創った作者がいると思った。どんなに短かろうと言葉には人の眼差しと心がある。漂泊の俳人、種田山頭火の句に、「炎天にレールまつすぐ」(「定本 種田山頭火句集」弥生書房刊)という作品がある。たった十文字の詞に彼の瞳が見えてくる。
 

   炎天下のことだった。行乞途中に山頭火は、とある小さな踏切を通りかかった。線路脇には月見草が萎れていた。菅笠に墨染めの衣を着た彼はそこを渡る途中でふと立ち止まった。首に巻いた手拭いで汗を拭う。そして笠をひょいと押し上げて向こうを見た。赤錆びた砂利の上に、夏の日に照らされた二本のレールが真っ直ぐに伸びていた。その果てには陽炎がゆらるゆらろると揺らめいている。青い空と白い雲を切り取った緑の山、その向こうに鉄路は消えていた。彼はしばしそれを凝視した、遙かな先にいる人が思い想われた。そっと頷いて、彼はまた歩き出した。踏切を渡るトンボが飛んでいる……。
 野辺をゆく孤高の詩人の眼差しまでもが見えてきそうだ。寂寥を宿した心も思われる。言葉には詩人の魂が宿っている。その世界を想像しているといつの間にか自分が山頭火になった気分にもなる。詩の魅力であり、恐ろしさでもある。
 

    田村隆一の「食堂車にて」という詩に乗ったときは、金色のウイスキーに酔ってしまった。変わり映えのしない車窓風景が続くアメリカ大陸横断鉄道、命のかけらすらない乾いた砂漠を旅すると身も心も荒れ果ててくる。酒なしでは旅もできない。彼は飲み続ける。そして、列車は、とある人気のない町を列車に乗って通りかかる。食堂車で車窓を眺めているときだった。隆一はそこで忘れ得ない光景に出会ったのだ。ほんの一瞬のことだった。たった独りの青年が廃屋に向かってきろぅりと陽に輝く鶴嘴を振るっていた。
 田村隆一の列車に乗ることによって発見したことがある。日本の鉄道車窓のきめ細かさである。車窓に映りゆく青い谷、萌黄に溢れる山、靄に煙る山間、木の間隠れの海、日本の鉄道の車窓ならではと思ったものである。ほろほろ酔うて汽車で往く、鉄道旅には日本酒が似つかわしい。そう言えば、かつて鉄道で旅をすると床下でごぉろんごぉろん何かが転がる音がした。大概が日本酒の一合瓶であった。おかしいなさっきからごろごろ音がしてるけど、何だろうと思っていると、自分が飲んだ牛乳瓶だった。これは、北村太郎の「センチメンタル・ジャーニー」である。妙なリアリティがあった。
 

   芥川龍之介の鉄道にも乗ってみた。彼の視点を想像し、碓氷峠は、彼にはきっとこう映っただろうということを描いた。鉄道に対しては鋭敏な感性を働かせているのが彼だ。龍之介の小説作品を読み漁っているとよく鉄道にぶつかる。
    いつか読んだ横文字の小説に平地を走る汽車の音を「Tratata tratata Tratata」と写し、 鉄橋を渡る汽車の音を「Trararach trararach」と写したのがある。なるほどぼんやり耳
 を貸していると、ああ云う風にも聞えないことはない……そんなことを考えたのも
 覚えている。(「お時儀」 「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房)
 

     龍之介が感じていた通り、なるほどそう聴こえると思う。彼は、常日頃、汽車の音に耳を傾けていたと思うのだ。彼の鉄道文学作品に「トロッコ」がある。主人公の良平少年が、生まれて初めてトロッコに触ったとき、突然「ごろり」と車輪が回る。「良平はこの音にひやりとした」、期待と不安がごろりと心に響いた、幼い少年の戦きが伝わってくる。鉄道に対して特別な感情を持っていたらばこその描写である。年経て、彼は今わの際になって「機関車を見ながら」という小品を遺した。そこには碓氷峠を下る汽車の響きが「タカポコタカサキ」と記されている。アプトの峠を下る機関車の響き、歯形軌条を噛む鉄路の音……頬杖をついてそれらに耳を傾けている龍之介が思われてならなかった。
   彼は小説家で、詩人ではない。が、彼の文章の創りは芸術的である。詩的言語を操った人に違いないと思った。彼の言葉の列車に乗って碓氷峠を下ったとき、わたし自身、気持ちが変になってしまった。彼の文章には、そこかしこに言霊が宿っていると思った。
   龍之介はジョイント音に耳を傾けた。そういうことで言うと宮沢賢治も同じだ。彼の長編詩「噴火湾(ノクターン)」には度々「車室の軋り」が言い表される。汽車に乗ってじっと軋りに耳を傾けていたと思われる。その賢治は岩手軽便鉄道に好んで乗った。軽便は簡易鉄道、そこを走る列車は縦に横に横によく揺れる。「のぼせ性こり性の人に効」ある温泉鉄道だ。いつ何時軌道を踏み外すか分からないのである。そこがスリリングなのである。宙に舞い上がれば即座に銀河鉄道となる。が、彼の詩は難解だ。乗っているうちに自分の所在が掴めなくなるのである。宇宙空間に放り出されてしまうという危ない鉄道だ。
 

    北原白秋、萩原朔太郎、中原中也、三好達治、中野重治、立原道造などの詩に乗車を試みてみた。彼らの独特の感性がそれぞれの詩に滲み出ていて、乗り心地がまるで異なるのである。幼少時の狂おしい切ない思いが浮かんでくるのは北原白秋の「汽車のにほひ」である。朔太郎の「夜汽車」は人妻とのせっぱ詰まった駆け落ち行だ。東海道の闇を駆け抜けて、やがてしののめ薄ら明かりを迎える。哀愁が見事に言い表されている。鉄道文学の最高傑作と思うのだ。諧謔に満ちた中原中也の鉄道も楽しい。三好達治の「機関車」は思いがけないドラマだ。それを冷徹な筆致で描写してみせるのである。機関車の向こうに青く波打つ太平洋と捕鯨船が目前に浮かんでくる。中野重治の「機関車」は、機関車各部がコンマ零幾つまで悉く計測された、機械的な蒸気機関車である。それが、「シャワッ シャワッ」と音を立てて走る。大型機関車のD51が駆けてゆく。立原道造の「汽車の歌」、ゆうすげの咲く信濃追分で見かけた機関車である。泡雲夢幻童女を恋い慕う初年、哀調が漂う四行詩だ。
 

   始発列車は田中冬二線、終着駅は阪本越郎線、途中には飄逸な木山捷平線、尾道の海が匂う林芙美子線、沈丁花香る山の手線の室生犀星駅、雨だれが聞こえる金子光晴駅……思えば長い旅をしたものである。想いの鉄道の一瞬一瞬が思い浮かぶ。灯火が窓辺に過ぎる。きゃたとってきゃたたたとって、想念が詩の鉄道を駆けてゆく。(
            「青春と読書」(集英社)2002年掲載文


汽車の旅はめくり絵の旅
           

 鉄道旅行をしていて、一番楽しいのは、車窓風景を眺めることである。
 のどかな田園、ひっそりとした山里、うららかな海辺、そういうところをゆっくりと走り抜けるローカル線に乗って旅をする。窓の手擦りに頬づえをついて、車窓に映りゆく景色をぼんやりと眺めながら、あれこれと勝手気ままな想像を巡らしながら時間を過ごすのは、この上なく楽しいものである。

 刻々と移動する電車や列車の車窓からの眺めには発見がある。山間部を走っていて、一瞬のうちに通り過ぎる小さな鉄橋。ふと下を覗くとひやりとする程の深い谷間になっていて、そこに思いがけなく清冽な水が流れていたりもする。また、窓外にぼんやりと目を向けていると、ふっと可憐な花が物陰にひっそりと咲いているのが見えたりもする。

 人間の生活が車窓から覗き見えるのもおもしろい。山間の畑を一人ぽつねんと耕している老婆が目に入ったりすると、どういう人生を生きてきた人なのだろうかと想像する。時には、葬列が目に入ってくることもある。そんなときはふっと物悲しくなったりもする。また、鉄橋近くの河辺で無心に水遊びする子供たちの姿を見ては、自分の少年時代を重ねあわせては懐かしく思うこともある。
 
 今はクルマ社会である。が、わたしは旅をするときいつも鉄道だ。汽車旅の一番いいところは座席空間が広く、安定感があることだ。ゆったりと窓外の景色を眺めながら旅ができる。勝手な想像に耽ってもいられる。
 
 かつて奥羽本線に乗ったときのことである。新庄近辺であったと思う。夕だちのさなか、一人の少年が雨に打たれながら、線路沿いの道を懸命に自転車を漕いでゆく姿が見えた。どこにゆくのだろうか。身内になにか不幸でもあって誰かに知らせに行くところなのだろうかと勝手な想像を巡らせたのである。ところがである。しばらくして、列車は夏祭りの最中の神社の裏手を、すっと通り過ぎた。少年は晴れの日の特別のお小遣いをもらって、お祭りの出店へと急いでいたに相違ない。わたしは己れの想像力の貧困さを笑ったことであった。

 こういうこともあった。今はもうない山陰線の夜行列車でのことである。
 制動がかかって、列車がゴトンと揺れたその拍子に眼をさました。駅に止まったらしい。明かりを手で遮って、窓の外を覗く。寂しげな駅だ。標示板に「上夜久野」と読めた。床下の空気弁から溜め息のような音が洩れる。そして、それが止むと一瞬聴覚が麻痺してしまったような静寂が訪れる。寝息が聞こえる。その音が妙に生々しい。
 始発駅の京都を発車したとき、列車の座席はあらかた埋まっていたのだが、今は夢世界にさまよう七八人の旅人のみだ。人の温もりが消えた車内は薄ら寒い。侘しくもある。

  薄暗い車内燈が、網棚にぽつんと載っている風呂敷づつみを、窓枠に彫り込まれた落書きを、旅人の尻の跡を形どった座席を、油の染みた黒い床を照らしている。と、ふとその床に白いものが見えた。花弁だった。一枚の桜の花弁だった。ほのかな紅が滲み出た桜のはなびらであった。それは、その場に不似合いであるゆえに鮮烈であった。

  冷え冷えとした夜更け、車内の窓は締め切ったままである。花びらが入り込む余地はない。不思議であった。乗客の背中に付いてきたものが落ちたのだろうか、デッキの方から風にでも乗って舞い込んできたものだろうか。艶やかな闖入者の侵入経路を闇夜にひた走る列車の中でわたしはは思い巡らしていたのである。そうしているときに、天井のベンチレーターからひらひらと舞い落ちてきたものがあった。花びらの侵入経路は、大げさな推理を巡らすまでもなかった。
 
 わたしは、窓の外を見た。薄明のなかを列車は、走っているようだった。窓外に白いものが無数に流れてゆく。桜吹雪であった。たゆとうように花びらが列車の風圧に翻る。朝の清澄な空気の中に舞上がるそれは清楚であった。それは鉄道旅行ならではの体験であり、発見であった。
 車で行く旅と違って、鉄道の旅には風情がある。鉄路は道路よりもより身近に生活や自然に接しているからだといえよう。家屋は道路に面して建てられる。道路が表とすれば鉄道は裏だ。線路は大概は人家の裏側を走る。洗濯物の翻る庭先を掠めて通る。人間の生活がつぶさに見える。

 景色によりマッチしているのも線路である。アスファルトという人工的な匂いのする道路とは異なり、砂利の敷かれた線路はより自然に近い。浜辺であっても、山岳であっても鉄路はその風景によく溶け込む。沿線の風景たちが道路とは違って、そ知らぬ顔をして存在している。見る方も気を使わなくてもよい。天然自然のスクリーンに映る絵、生の絵が何枚もめくられる。それは見飽きることがない。


中央線各駅停車人間模様

 夏のことである。電車は、夕闇の迫る高原を走っていた。信濃境、小渕沢と過ぎていく。ところが、その眺望を楽しみにしていた南アルプスは、雲に隠れて見えない。それでも、あきらめずにわたしは車窓に映る景色をじっと眺めていた。

 中央線のこの辺り風景は見飽きることがない。右に南アルプス、左に八ケ岳連峰の景観が窓辺に展望できるからである。ここを通るときいつもどちら側の席に座ろうかと迷う。だが、結局は右側に落ち着く。楽しみは多い方がよい。甲府を過ぎてもう一つの景色が楽しめるからである。
 
 やがて、電車は眺望の悪い切り通しを過ぎた。そして、視野が開けたとたんにであった、なにやら見慣れた山の頂がふっと飛び込んできた。意外であった。富士の頭が雲の上にのぞき見えた。夕日を受けたそれは、紅く輝いていた。荘厳な感じすら覚える。一人で眺めるにはもったいない。前の座席に座っている登山服姿の若い男に
「富士がきれいですよ。」
 と声をかけたが、彼はお義理にちらっと窓の外を覗いただけであった。そうして、あとは漫画本を読み耽っていた。
 
 甲府に着いた。その男はそそくさと降りていった。入れ替わりに勤め帰りの乗客がどっと乗ってきた。そして、男がいた前の座席には髪の毛の長い若い女性が座った。お土産を抱えているところからすれば行楽の帰りなのであろうか。

 石和、別田、山梨市と電車は一駅一駅着くたびごとに空いていった。塩山を過ぎたころには、いっそう閑散としてきた。寒くさえある。冷房がきき過ぎている。鼻水がしきりに出て止まらない。ハンカチで鼻をおおったまま窓から外をのぞく。楽しみにしていた景観が間もなく見えてくるはずだからであった。
 そのうちに、電車はトンネルに入った。前の席に座った女性の姿がガラス窓にに映って見える。ちらりと盗み見る。小説「雪国」の冒頭場面がふっと思い起された。が。彼女は外の世界には関心がない。ウォークマンを聞きながら週刊誌を熱心に読んでいた。車中での過ごし方としては、それが普通なのかもしれない。鼻水をたらしながら、ひたすらに夜の景色を眺めている中年男のほうが異様なのかもしれない。
 しばらくしてからである、その女性がバックをごそごそとさせてから、白いものを取り出した。そして、それを私の目の前に突き出した。テッシュであった。
「どうぞ、お使いくださいな。」
「・・・・・」         
 すぐにはお礼の言葉が出てこなかった。全く予期もしていなかったことだったからである。が、しかしその小さな親切に気持ちは温められた。電車は、かたとてたった、とてたとたってろ軽やかな響きを立てて走っていく。

 やがて、右手に甲府盆地の夜景が見えてきた。摺り鉢の底に明かりがきぃりりきぃるると輝いて見える。甲府盆地のもう一つの楽しみとは、この夜景を眺めることだった。
 わたしは、さっきのお返しにと思って、
「とってもきれいですよ。」
 と言って窓の外を指さした。彼女はウォークマンをはずして、しばしその景色に見入ったあとに、
「ほんとに、きれいですねえ。」
 そうぽつりと洩らした。

 富士の頂が見えたぐらいでなにを大騒動するかというさっきの若者の冷ややかな目が意識の隅にあっただけに、その一言はなによりも嬉しかった。
 
 甲府盆地のきらめく夜景は瞬く間にトンネルの闇に消えてしまった。が、中央線高尾行きの普通電車は窓辺に人影を映しだした。中年男と髪の毛の長い女性だ。その影を隧道内の蛍光灯が明るくさせたり暗くさせたりしていく。時が過ぎるということはこういうことをいうのか、テッシュで鼻を押さえながらとりとめのないことを男は思った。(1987年8月)


窓辺は隈なきものを見るものかは

 鉄道旅行の楽しみは、のどかなローカル線に乗って車窓にめくられる風景絵画をぼんやり眺めながらゆくところにある。

  自分のその鉄道旅行というのは、若いころから今日までずっと続いている。が、趣味傾向というものは歳を重ねるにつれ少しずつ変質していくものだ。

 かつては車窓に映り行く景色をすべて見尽くさねば気が済まないように思っていた。例えば、山岳路線などで右窓に見えていた渓谷が地形の都合で左側に移ったりすると、左窓の様子が気になって居ても立ってもいられずに、空いた座席を探し回るというようなことをしていたように記憶する。
 
 また、そのころは、居眠りをしていて景色を見損なうとなんだか、切符の代金を損してしまったような気がしたものだ。それで鉄道旅行をするときは「眠ってはならぬぞよ」と、己れに呪文をかけていたように思う。
 
 いまは、いくら座席が空いていても滅多なことで座席を移動したりはしない。「花は盛りに、月は隈なきものを見るものかは」である。これは兼好法師が述べていることだ。まっさらな美の真髄を見るよりもそれを想像せよと言うことだ。まったく同感だ。我々は得てしてダイレクトに美を見ようとする。

 鉄道旅行もがむしゃらに車窓美を食べなくてもいいと思うようになった。想像することの楽しみもある。目をつぶっていても床下の車輪のひびき、窓からの明るさの具合などから見えない車窓を想像する。

 小海線だったか、目をつぶっていてああ、山間を通っているのだなと思って目を開けると林の片隅に紫色の花が見えた。桔梗の花だった。陸羽東線だったか、がぁうと小さな鉄橋を渡る音がしてして覗くと渓谷に落ち込む小さな滝が見えた。渓谷が見える側の座席に坐っていたら見えない情景である。一瞬にしてそれが過ぎ去る。が、なんだか得したようにも思う。

 この頃では居眠りしたいときには、居眠りをする。むしろ、意図的に居眠りをするようになったといってもよい。
 ふっと、目覚めると、鮮やかな新緑が目を射たり、燃えるような紅葉に目を見張ったりすることがある。予期せぬことであるだけに新鮮である。居眠りの効用でもある。 
 
 敢えて眠る。それには見たくないという気持ちがどこかにあるのかもしれない。自分自身が覚えている鉄道過去風景というものがあって、それがあまりにも変わり果てたということもある。ことに駅の特色がなくなった、芸備線の駅、肥薩線の駅、五能線の駅、それぞれに趣があった。が、今はみんな寂れていて情景が一緒である。

 ローカルな駅だけでなく、都市の駅もそうだ。みんな造りが同じになってしまった。クルマ社会は鉄道を高架にしてしまった。かつてのように金はかけられない。それで規格化された駅になる。島式ホームが二面あって、階段を降りるとコンコース、改札を出ると、中央を通路にして左右はおみやげ物売り場……

 地平駅だったら改札を出るとかつては土地の匂いがした。海辺の駅だと潮が匂ったものだ。駅前のロータリーには色とりどりのバス、古びた市内電車などが並んでいた。

 利便という速さをとことん追求するのが文明だ。その貪欲さはおぞましいと覚えるほどだ。わたしは、この頃、速く走らない鉄道を見つけて旅をすることにしている。

 一番好きなのが五能線だ。高校時代から通っている。初めてこの線に乗ったとき、客貨混合の列車だった。86形式の蒸気機関車だった。途中駅で停まっては機関車が入れ替え作業をする。じゅっ、じゅっ、ぼっぼっ、海辺の駅の構内に排気音がこだました。それは耳に鮮明に記憶されている。

 五能線、その車窓美を眺めるための展望列車が今は走っている。わたしはそれには決して乗ることはない。東能代から川辺までの各駅停車がいい。どこまで行っても続く日本海は行く末、来し方、人生という時間を自分に哲学させてくれる。ときとして居眠りをして、夢ともうつつともつかない旅をする。鉄道旅の楽しみである。(2007年7月)

 



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2004年09月01日

鉄道エッセイ(3) きむらけん

7d9333a5.JPG 旅の余韻                                 

 旅はその余韻に旅情がある。旅が終わった後に、その折々の情景を思い起こす。旅で貯めた絵画をゆっくりとかみ砕いて楽しむのもいい。

 岬の鼻をまわったとたん見はるかす海だったという車窓、交換待ちで田圃の真ん中に単行が止まったとき、アキアカネが稲穂の上に銀色のさざ波が見えた、アキアカネだった。そんな情景を記憶のアルバムから取りだして、心のスクリーンに再現してみる。旅を二重に味わうのも楽しい。

 食感を思い起こすのもいい。

 駅のホームに降りたとたん鰹節の匂いがすることがある。見ると、ホームに蕎麦屋がある。ただお湯に生そばを浸すだけである。が、巧い人となるとその蕎麦が旨い。お湯にぐっとつけて、とある時間をおいて素早く、麺を引き上げる。そして、手を返して水気を抜く。すばやく椀に盛って、たっぷりとネギをかける。そして、おまちと言って、こちらに突き出す。そういうお店は当たりだ。歯触りがよく、啜った蕎麦も舌になじむものだ。

 駅蕎麦は、格別なものではない。が、電車待ちの間に食べるそれは旨い。わたしは分岐駅の蕎麦は格別に旨いと思っている。


英国の田舎の停車場

   小池滋氏の編んだ本として「英国鉄道文学傑作選」(ちくま文庫)というものがある。その中に幾つかの詩が取り上げられている。中でも「アドルフストップ」は味わいの味わいのある詩である。
 鉄道を歌った詩には書き手の思いが映って見える。英国のものとなると、情景を通してその国の文化が映って見えてくるように思う。日本画的タッチではなく油彩的な絵が見えてくる。
 後半の物語は、「アドルストロップ」を自分で再現した物語である。

アドルストロップ Adlestrop     エドワード・トマス   沢崎順之助訳

そう、おぼえている、アドルストロップ、という
駅の名前を、ある暑い日の午後
乗っていた急行列車がふとその駅に
停まったからだ。六月の末のことだった。

しゅっと蒸気の音、だれかが咳ばらいをした。
がらんとしたプラットフォームは
来る人も去る人もなかった。見たのはただ
アドルフストップ、という駅の名前と、

ヤナギの木と、ヤナギランと、牧草と、
シモツケソウと、乾いた干草の山だった。
それが空に浮かんだちぎれ雲と同様
動かず、ひっそりしていて美しかった。

そして停車していた一分間、近くで
クロドリが一羽鳴いていた。その周りを
遠くへ遠くへ霞んで、オックスフォード州、
グロスター州のすべての小鳥が鳴いていた。
                     英国鉄道文学傑作選 小池滋編 ちくま文庫(2000年刊)
 
 そう、あのアドルストロップという停車場のことは、よぉく覚えている。遠い昔のことなのに、いまもエドワードの記憶に鮮やかに残っている。
 それは六月の末の暑い日、それも午後のことだった。
 エドワードは、とらたた たらたた とらたたと響く汽車の走行音を耳に聴いてうとうととしていた。ロンドンを出た下り急行列車は、オックスフォードを過ぎ、グロスター州の牧草地帯を駆けていた。うねるような緑の丘が車窓に流れる。心地よいジョイント音がいっそうに眠りに誘う。微睡んではまた微睡む。窓辺の桟についた頬杖がふっと滑って目覚めることもある。ぼぉうと外を眺めていると、開け放った窓からは日向に照らされた青臭い牧草がむぅうと臭う。ときには羊の糞ももぁうと鼻を衝く。
「ジョンソンさん、まあ、この年は日和のいいことですなあ。苺も赤い実をつけて、たんと甘いじゃろう」
 隣りに坐ったトム爺さんが向かいの男に話しかける。トムはスコットランドヤードを定年退職して年金生活を送っているという。悠々自適の汽車旅のようだ。
「まあ、そうですなあ、牧草も青々としとって、美味い羊肉ができそうですなぁ」
 ジョンソンには青い牧草が眩しいらしい。彼は外を見るときは必ず右手を庇にする。車中での話から分かったことは、彼はロンドンで郵便夫をしているということだった。孫の男の子が産まれたというのでジョンソンは娘の嫁ぎ先へ行くという。日焼けした顔と武骨な手が彼の真面目な仕事振りを偲ばせる。
 エドワードが、二人の四方山話を夢うつつに聴いているときだった、列車がにわかにスピードを落とした。それで彼は目を覚ました。外を見ると相変わらず牧草地が続いている。「おや、こんなところに停車場があろうはずもないのに」、と考えていると、思いに反して急行列車はいよいよ速度を落とした。
「まぁだ、着くはずもないのになあ」
 旅慣れたトム爺も同じことを考えていたようだ。が、列車の床下で車輪が軋んだ。制動がかかって、やがて、客車は停まった。かてんと停まって、ごったぁんと一つ揺り戻しがあった。そして、連環連結器の鎖がかしょんと鳴った。トム爺さんが背もたれに押されてこっくんとお辞儀を一つした。
 走行音が突然に消えて、耳がつぅぃんとする。にわかに到来した静寂だ。動きを止めた蒸気機関車が前の方でふぅしゅう、ふぅしゅうと微かに息を吐いている。客車に乗っている誰かが咳払いを一つした。それが驚くほど大きな音になった。
「いったいぜんたい、ここはどこなんでしょうか?」
 トムが聞き込み口調で三角の目をして聞いた。それでエドワードは窓から首をのぞかせた。覆いも何もない石積みの歩廊がそこにはひょんと伸びているきりだった。エドワードは前の方に目を遣った。停まった蒸気機関車のボイラーの脇腹に陽炎が立っている。後ろを見ると、最後部の車両の向こうに長く伸びた線路があるだけだった。プラットフォームには人っ子一人いない。誰も下りないし、誰も乗らない。止まってしまった空気が重苦しいほどだった。と、歩廊の中ほどに一枚の表示板が立っていた。古ぼけたそれには、「Adlestrop」とただ書いてあった。
「アドルストロップ」
 表示を目ざとく見つけたトム爺さんが声に映す。しぃんとした車内にその声が響く。六月の陽に炙られた風が吹いている。それがプラットフォームの脇に生えているヤナギの木の枝をなびかせる。緑の細い枝が麗しい髪の毛のようにゆらぁりゆらぁりと揺れている。その木の下の周りにはヤナギランが群をなしていくつもいくつも花をつけている。赤紫色のそれ彩りが目に映える。その向こうには緑の牧草地が広がっている。ところどころにぼぅわりとした紅い花、シモツケソウ。そして、かしこには丸い枯れ草の山がある。アドルストロップ停車場にはそんなものがあるきりだった。
  日は晴れ渡って空は真っ青だ。ところどころには白いちぎれ雲がそこに浮かんでいる。ものみな停止している。視界に入る景色がすべて止まって見える。ひっそりと静かである。時折、機関車がしゅはぁ、しゅはぁと蒸気を吐く。それが却って静寂を浮き立たせる。目前に繰り広げられている絵が心に染み入る。
 やがて、ゆるりと車両が動き出した。と、そのときにすぐ近くで鳥が鳴いていたことに気がついた。急行列車が停車していたのはほんの一分間くらいだった。が、思い出すと、その間中、一羽の黒歌鳥が囀っていた。その美しい歌声に耳を研ぎ澄ます。すると綺麗な楽曲は次第に高まった。音色は波紋を生じるように遙かな遠くへ遠くへと鳴り響き、ついにはその音がこだまして霞のように四周に広がる。まるでオックスフォード州、グロスター州のすべての小鳥が鳴いているようだった。
  汽車の警笛がぽぁうと鳴って、急行列車はアドルフストップ停車場を離れた。かたかたとったん、停車場の静物画は後ろへはらりとあと退って消えてしまった。
 トム爺さんのしわがれ声がいまもって耳に残っている……時影の向こうに消えたプラットフォーム、黒歌鳥の鳴く停車場、アドルストロップ。
  


   鉄道詩の旅
                          きむらけん
 
  鉄道と言葉、無機質な鉄と抒情とが結びついて一つの文学ジャンルが形成されていた。鉄道を主題とした詩である。近代詩の陰でその鉄道詩が幾百も織られていた。人々の鉄路へのせつない郷愁を表すものであろう。
  近代は鉄道の出現によって始まった。移動手段の大変革である。汽車の窓辺に映りゆく絵が現れた。くるくると動く車窓は驚きだった。それをどう描くかという文学の課題も生じた。石川啄木の「雨に濡れし夜汽車の窓に/映りたる/山間の町のともしびの色」(「一握の砂」)はそれに応えた傑作だ。この車窓美を描くことに誰もが苦心した。
 「こんなやみよののはらのなかをゆくときは/客車のまどはみんな水族館の窓になる」
と描いたのは宮沢賢治だ。「青森晩夏」の冒頭である。夜汽車の窓辺は水族館、ぼっと灯りの点った水槽、それが夜闇に連なって走っている。幻想的な列車である。
 「ふと二人かなしさに身をすりよせ/しののめちかき汽車の窓より眺むれば/ところもしらぬ山里に/さも白く咲きてゐたるをだまきの花。」と人妻との駆け落ちを描いたのは萩原朔太郎である。「夜汽車」と題されたこの詩は言葉の絵画の傑作だ。しがらみを断ち切っての逃避行だ。寝苦しい夜を経て迎えた朝、二人して白いおだまきの花を山里に発見する。が、その景は一瞬にして過ぎ去る。
 「夕ぐれ近く、くらくなりかけた海のほとりをとほる。三保三隅などといふ驛を過ぎる。黒い海、暗澹とした空、岩礁にぶつかる白い波、群がつて飛ぶ海鳥のくらい一群」(「ノート�此廖砲筏�したのは立原道造だ。散文ではあるが窓辺に詩の灯火が点って見える。
 ほんの数行の断片的な鉄道詩の紹介だった。が、書き手の心がそれぞれの言葉に映って見える。車窓は書き手を映す鏡である。宮沢賢治には宙を翔ていく戦慄的な旅への興奮が、萩原朔太郎には夜闇の隧道を二人して抜け出た安堵感が、立原道造のには孤独と悲しみが映って見える。鉄道詩のドラマだ。
 車窓は時とともに景と情が変転していくものだ。暗い隧道に入ると心も翳る。が、外に抜け出ると気持ちも解放される。言葉の旅であってもその明暗変転のドラマは同じだ。鉄道詩をなぞる旅は心を解きほぐす旅である。
 想像の車窓旅だ。唱歌「汽車」では窓辺の美しさを「廻り灯籠の絵のように」とたとえている。それは夜の窓辺に満月が落ちて来たり、夕暮れの用水路が金塊に見えたり、白い田舎道が弓なりに消えたりすることだ。窓辺のマジックは読んでいても飽きない。
 人生とは景色を貯める旅だと言える。いい情景は心を和ませる。ならばその貯蔵庫である鉄道詩を紐解いて旅に出てみる。懐かしい景との再会がきっと叶うはずである。                                 (「健康」2007 秋)
                      


ラッセル出動             高橋兼吉

撒きあげる地上の雪
逆落ちする天の雲
森閑と人声絶えた黒い夜
そこに羽搏く鉄の鷲
いま ラッセルは息をつめ
妖しく光る壁の内側で待機する
獣の爪跡も消え
渦巻いている白い闇
河が凍り
鉄橋が沈み
谷は無限にひろがる
うめきをあげる崖に
白い炎が吹きあげ砕け散る
すでに人影は吸われ
そこに羽搏く鉄の鷲
翼を閉じて姿勢を整える
ラッセルの始動
意識の底にしぶきあげる白い闇
歯を剥き出した吹雪の野生
黒い制帽が扉を開く
あご紐の男が 案外に若い
罐の火が ぐわっと燃える
火の粉が硝子のように光る
雪でおおわれた厚い白壁がつづく
旋回する松林や部落を映して
風景は豆粒のようだ
眉を切る烈風
ぼうぼうと闇が広がる
白い闇がひろがる
翼を拡げる
鉄の意志が挑む
飛ぶ
砕ける
突きささる
跳ねる
周辺の風速がどつとここに集まる
進む
速度を増す
羽搏く
警笛を鳴らす
裂く
すべての闇がここに集まる
すべての闇を白く切り裂く
切り裂いていく
                                    出典「国鉄詩集」1957 国鉄詩人連盟

「ラッセル出動」の物語的解釈                 きむらけん

  機関庫の大扉がばさると鳴り、外の電信線がびょうと唸る。天井の隙間からか入り込んできた雪が庫内の熱で溶け、霧雨となって降る。裸電球がうっすらと濡れたC11機関車の形式銘板を照らしている。外は吹雪いていた。それは降り止まない。太刀風は地上の雪を撒きあげる。天空からは雲が逆落ちしてくる。雪が降り積み降り積もる。寂とした大地、人声もすっかり絶えた黒い夜。そんな中に羽ばたこうとしている鉄の鷲。鋭く尖った黒いくちばし、畳んだ両翼。いままさに、ラッセルはその時を息を詰めて待っている。フィラメント電球の灯がキ100形の影を壁に妖しく映し出している。鷲が背中にエアータンクを載せた姿を。
 鉄路を覆い尽くした雪、点々と森へと続くキツネや野兎の爪跡もとうに消え去った。今は白い闇が渦巻いている。河はすっかり凍てつき、ワーレントラスの重厚な鉄橋さえも沈みかけている。茫漠と続いた谷が果てしなく続いている。雪に押しつぶされた崖はうめき声を上げている。そこにまた白い炎が吹き上げ、そして砕け散る。とうに人煙も呑み込まれてしまった。その雪の原野に羽搏こうとしている
 鉄の鷲。エアーは満タン、ラッセル乗務員がウイングレバーを引いて翼を縮める。いよいよラッセルの始動だ。行路が思われた。しぶきをあげる白い闇。歯を剥き出した吹雪の野生……先頭ラッセルの扉が開いた。黒い制帽が顔を覗かせて挨拶をする。顎紐掛けた男は、おやと思うほど若い。その彼に敬礼を返す。機関助士がそれをしおに投炭を早める。ボイラーの火が、ぐわっと赤く燃え上がる。焚き口から跳ねた火の粉が硝子の粒子になってきるると光る。
 ラッセル出動!。C11は推進運転、連結した鷲の黒いくちばし、ブランジャーが「ぐわぁう」と低いうなり声を上げながら雪を力強くかき分けている。しばらく行くと白壁、機関室キャビンの脇すれすれをそれが続く。キ100形の背中に当たった前照灯の光が横に漏れて雪をオレンジ色に照らしゆく。やがて雪原、ほの暗いブルーの雪明かりの下に松林や村落がぐうるりと旋回する。点在するそれらが豆粒のように見えては消えてゆく。
 眉毛を切っていくほどの烈風が突き抜ける。行く手にはぼうぼうと闇が広がっている。白い闇が広がっていた。と、鷲がウイングを拡げた。鋼鉄の翼が自らの意志を持って攻め寄せる雪に挑んだ。雪が、飛ぶ、砕け散る、先端鋭角が矢形に突き刺さる。雪が跳ねる。渦巻いていた風がいちどきにラッセル動車に集まってくる。それでも雪をかき分け進む。カマは煮えたぎり、ピストンは激しく往復する。速度を増す。また一段と鷲は羽を拡げる。壁に翼が食い込む。ラッセルが笛を鳴らす。機関車も「ぼっ!」と短笛で返す。喚呼応答、雪掻鷲機関車合体。鉄の爪が雪を裂く。渦が巻き、すべての闇がブランジャーの切っ先に集まる。その闇を白く切り裂く。ラッセルは薄青い雪を果敢に切り裂いてゆく……


寝台廃止に思う                 きむらけん

   鉄道旅は夜行にこそ真髄がある。ゆっくりとした速度で流れる街の灯りを、瀬戸内の朝焼けを窓辺に映していく旅は最高だ、旅の王道である。が、採算が取れないことからJRは九州行長距離寝台を廃止するという。その新聞記事を読んで、鉄道旅のシンボルが日本から消えてしまう寂しさを覚えた。
 

  九州行を採算が取れないからと廃止することは鉄道にはマイナスだ。鉄道のよさは選択肢があることだ。早く行きたいときには新幹線で、ゆっくり旅したいときは夜行寝台で、これが大きな利点だ。旅の需要としては後者もかなりあるはずだ。それを開拓しないで廃止するのは大魚を逃すようなものだ。現行のように古びた車両を使っていたのでは魅力がない。トワイライトエキスプレスのように個室を充実させたり、食堂車を連結したりすれば需要はあるはずだ。

  一つの提案をしてみた。いっそうのこと東京駅から長崎駅まで「ジャパンエキスプレス」を運行してみたらどうかということだ。昼は「のぞみ」が動いている、夜は「ジャパンエキスプレス」が動いている。それは、われわれ日本人にとっても大いなる希望となるはずである。(2007年12月)


 百鬼夜行鉄道絵巻(断章)

 給炭口の扉がかぱりと二つに裂けて蒸気機関車のはらわたがのぞき見えた。金色の炎が紅く縁取られて燃えている。焚き口からこぼれた明かりが機関室の夜の窓を朱に染めた。ところが、その釜から突然に台車が飛び出て来た。機関助士はたじろくこともなく、投炭スコップを左手に持ち替え、「きれいに焼けました」と台上を指さした。そのとたんに、耳元で汽笛がはじけるように高鳴った。キャビンのステップに足を掛けていた貴史はホームに飛び降りた。間髪を入れず、ゲッフゲッフ、シュハ、シュハと巨体が吠え、カタ、タァンタァンと連結器が鳴きながら後ろに流れてゆく。すると足下のホームの砂が蜜柑色に染まった。客室からこぼれた明かりだ。トンテンタン、トンテンタンと窓窓が走りゆく。ビロードの緑だけが流れる。が、三両目のまん中だけが一点黒、それは喪服姿の女だった。その顔がちぃろるとこちらに向く。貴史はあっと叫び声を上げた。
 縁側の障子戸がほの青い。そこに松葉の影がくっきりと映っていた。貴史は布団にくるまっている自分に気づいた。それでも鼓動が止まらない。蜜柑色の夜汽車はまだ記憶を走っていた。コッテンタン、脈打つ柱時計の響きが駆け去る車輪の音と重なる。数えても数えても夜が続く。隣のじぃは寝息を立てている。ぼっと灯った豆電球が祖父の夜語りを思い出させた。
「えすかことのあったとよ」……
 長崎本線博多行きの列車は中原停車場を過ぎた。左窓に背振の山並みの稜線が桔梗色に染まっていく。キャタコトテンテン、客車内も走るに連れ、茶羊羹から、小豆羊羹に変わった。向かいに坐った印半纏の男が煙管に火をつけた。マッチの明かりが一瞬彼の彫りの深い顔立ちを浮かび上がらせて消えた。赤い点の火が、点いたり消えたりするうちに列車はスピードを緩めた。そして、かてんと止まった。鳥栖停車場であった。しばらくすると天井がみぃしりりと鳴った。誰かが屋根に乗っている。乗客の島田髷もいがぐりも、白髪も不安な面持ちで上を見上げる。とたんに天井に丸い穴がぱぁかりと開いて、ぬっとランプが下りてきた。それが二つ、三つ、四つとつぎつぎに天井から現れる。車内は急に明るくなった。すると今まで黙っていた乗客が顔を見合わせて話を始めた。斜向かいのいがぐりも「腹の空いたとよ」と母親に甘える。歩廊には高張提灯を腰に吊した男が、「べんとぉ〜」とのびびやかによばいながら過ぎていく。彼の半纏の背に大きく鳥栖と染め抜かれた文字が仄かな灯火に浮いて見える。銀杏髪の母親が窓から身を乗り出して背に声を掛けた「弁当ば、二つくれんね」と。行きかけた提灯はくぅるりとまわって灯芯がゆらっとゆらめきゆろめいた。駅弁売りが窓辺にやってきた。すると、「おれも」と言う声がかかる。「お茶は、度ぎゃんすっと」と駅弁売りが聞く。その彼の向こうを駅員が手押し車で通る。棚状になった箱にはまだ三つ四つランプが残っていた。薄暮の藍色歩廊をランプ車が通る。
「博多行きは灯火をホームに流して出ていくとたい」
 明治生まれのじぃの寝語りは貴史を夢中にさせた。ぽつりぽつりと語られる言葉から貴史は幻灯画を拾ってはその場面を思い描いた。宵のランプ車が彼を寝せない。貴史は寝返りを打った。すると寝屋の隅にぼぉやりと白いもの浮かんで見えた。ぎょきりと震えた。貴史は布団をひっかぶり、そして、首をそっと覗かせてみた。ほの青白いそれは障子からこぼれた夜明かりにただ映えている。そのときになってふと彼は気付いた。衣紋掛けに淑子の白いワンピースが掛かっていたことにだ。気が回ったとたん貴史は体の芯がしびれるのを感じた。彼は気配を伺って、そして起きあがった。隣の仏間の位牌がぼぉと浮き上がって見える。
「そがんことしたらいけんよ」
 耳の奥で細い声がした。が、忍び足が歩いて行く。そして、震える手が柔らかいものを掴んだ……遠くで汽笛が鳴った。
 天空にはオレンジ色の片目玉がふわりと浮かんでいる。地上の筑紫平野は薄青いシルクスカーフをふぅろるとまとっている。果てもなく続く菜種原だった。遠く横一列に連なったほの黒い葦葺きの屋根が、縦にぐにゅりと流れているほの白いクリークが、青い布地を切り裂いている。
 女姿の少年はむせかえる菜の花の匂いに酔っていた。ふらりふろぉりとワンピースがあぜ道に揺れる。春の気が溢れかえる畦、そこを貴史は北へ向かって浮かれ歩いていた。そんなときに声がした。貴史はびくりとした。
「だいね、うちのよそ行きを汚したんは!」
 貴史は立ち止まって後ろを振り返った。集落の葦葺きの屋根が青い夜の花の向こうに黒々とうずくまっているばかりだった。また「ぼぉうぉぉ…」と汽笛が鳴った。目を戻すと灯りが菜種原の向こうに見えた。ぼっと点った紅い光の連なり、柿渋色の提灯がゆるるゆろるると西から東へと向かっている。灯火が夜をいっそう暗くする。長崎本線上り夜行列車だった。
「門司港行きやんね、母ちゃんのおんさっと」
 走りゆく夜行列車の灯りに貴史は思った、母まで繋がっている線路を。諳んじていた駅名が口を衝いて出てくる。
「佐賀、伊賀屋、神崎、三田川、中原、肥前麓、鳥栖、田代、基山、原田、二日市、水城、雑餉隈、竹下、博多、吉塚、箱崎、香椎、筑前新宮、古賀、福間、東郷、赤間、海老津、遠賀川、折尾、黒崎、八幡、枝光、戸畑、小倉、門司、門司港……門司港に着くやろ、そいから海峡連絡船に乗ればよか。向こうの下関に渡って、唐戸から電車で行くとたい」
 走りゆく夜汽車の窓に貴史は、濃紺と肌色に塗られた山陽電軌のチンチン電車を思い浮かべた。ぐぅぅいぃんとモーターが唸って走り始める。左手に赤間神宮の朱塗りの竜宮門、やがて、電車は左手からなだれ落ちてきた崖を巻いて右にカーブする。すると潮が渦を巻いて流れていく海峡が開けてくる。早鞆ノ瀬戸だ。その潮に逆らって灰色の船体がちょうど通りかかる。真灰色に塗ったアメリカの軍艦、そのブリッジの砲門が目の前をぐぃと過ぎていく。そのときに電車が止まった。「みもすそ川、みもすそ川」と車掌が声をあげる。が、誰も下りない。コンプレッサーがぐうぅぅん、ぐうぅぅんと鳴っている。貴史は軍艦から視線を外して海峡の向こう、瀬戸内の方に目を遣った。すると懐かしい島影が見える。おっぱい形をした満珠島がだ。母が入院している病院の真向かいの浜、その沖に島はあった。貴史は母の乳房を思い出した。夜汽車の蜜柑が泣いて汁がこぼれてくる。彼は自分の胸を両手で押さえた。そして、衣服を嗅いだ。女が匂った。二つ目玉の赤いテールランプがシルクスカーフの上をきゃたとっときゃたとっと、尾を引いて流れてゆく。汽笛がぼぁうぁうぁうと鳴って菜種原にこだました。貴史はまた胸を強く掴んだ…
 夜汽車が去って春の夜更けの夢遊びは瞬く間に終わった。帰路は月も薄雲に隠れてなお暗い。長い裾を貴史はたくし上げて小走りに駆けた。夜が追ってくる。
「高麦の頃はあぶなかとよ……」
 麦や菜種が伸びて高くなると危ないとじぃは声を低めて言った。山に住んでいる玉抜きが平地に降りてくる。男の大事なものをひっこ抜いてしまという化け物だ。
「畝と畝の間のトンネルを潜り抜けて、人に分からんごとして来っけん。あそこばさい……そっと盗んでいくけんね」
  思いの恐怖が湧いてくると夜はいっそうに暗くなる。クリークの岸を通りかかるとまた声が聞こえてきた。
「たかふみ、おいば助けてくれんね」
 去年の夏、濠で溺れ死んだ洋介が呼んだ。貴史は葬式のときのことをはっきりと覚えていた。鴉が何十羽と飛んで来た。そして、お経が流れている間、ずっと葦屋根の上でぐぁうがぁうと鳴いていた。
  女姿が転がるように駆け出す。道が集落の方へほの白く続いている。その両脇に生えた草がきゅるりりと夜露に光っていた。その間を草履がとったんとんとったんとんと音をたてて走ってゆく。が、それが急に止んだ。貴史が轍につまずいて転倒したのだ。腹這いになった彼の目にうすぼんやりとしたものが見える。路の脇に白々と咲いている蓮華草だった。と、不意にきんきんとした声が聞こえてきた。
「だいね、うちのよそ行きを、こぎゃん汚したんは!」
 淑子が眉を逆立てて怒るさまが目に浮かんできた。慌てて起きあがった貴史は着衣を見た。淡い月影が黒く汚れたワンピースの裾を浮き上がらせていた。彼は体全体がさざ波を立てて硬くなっていくのを感じた。
 夜更けの堀端でパンツ一枚になった少年が洗い物をしていた。その水面をごにょりと揺らしたものがいた。ライギョのようだった。
「また汽車を見にいったんね?」
「うん」、貴史は脱いだ衣服の汚れを懸命に落としていた。
「おなごのスカートなんかはいて恥ずかしうなかと」
 洋介がとがめだてた。
「そがん言うても変なことなんもしとらんばい」
「なんもしとらんていうてもしとっとじゃなかと、こがん夜更けにさい、変なもの着てさるきよってから」
 夜闇にうすぼんやりと青く人形が映っている。それがゆるりゆらりと揺らめいている。


鉄道詩

関門海峡電車物語

海峡に沿って走る
チンチン電車が懐かしい
彦島口から長府駅行きの
山陽電軌鉄道

関門海峡の
潮流と
競り合って
いつも負けていた

海と山しかない電停
黒門、黒門と車掌が
声を上げるが
誰も下りない
電車の向こうには
春の海がきりきりと
金の反射板を
揺らしている

鉄路太平洋線点描

弓形の浜辺を
車窓のコマに巻き取って
列車は駈けてゆく
かとてっと
とたとっと

沖合に
うねりが湧いて
ふくれて波となって
汀に打ち寄せる
青色のシンフォニー

男が一人
膝を抱えて海を眺めている
そばに控えた
黒白まだらの犬は
こちらに吠えかかる

夕暮れの浜は
藍色のゼリー
人と犬の陰は黒く
波はほの白い

かとてって
たとたっと
八戸線のジーゼルカーは
粘った景色を脱して
終点久慈へと向かう
二つのテールを
赤く点して


 列車の窓は
 
こととっと こととっと
レールを踏みつける音は
四分の二拍子のギャロップ
カーテンを引くと
窓に朝が飛んでいく
 
こととっと こととっと
低い家並みが流れゆく
古びた平屋が目に留まる
玄関に白い張り紙
黒枠の「忌中」
庭先に焦げ茶の犬
尻尾を垂れての哀悼が
目の端に消えていく
 
こととっと こととっと
刻まれた画像も消えぬまま
寝ぼけ顔の寝台列車は
駅のホームをかすめゆく
夜の燃えかすに輝く表示には
かろうじて「富海」と読めた
 
かたことたっと、たとたっと
轍のリズムが転変したとたん
車窓スクリーンに瀬戸の海
凪の海面、島の影、汀の浜
列車はどん欲に水彩や油彩を
食って食って食い尽くして走る
 
 
春の夜汽車に乗って
 
めくってめくられる窓
蜜柑色の灯りが一つ
見えてきては遠ざかる
光がうるんで見える
(なぁにあれはただの防犯灯ですよ)
 
めくってめくられる窓
青と赤の灯りが二つ
海原に光っている
その光芒が妖しい
(なぁにあれはただの航路標識ですよ)
 
めくってめくられる窓
金銀銅の三つのともしびは
天空に輝くエメラルド
旅人が本物の旅人になる   
(なぁにあれは天のお星様ですよ)
 
変哲もない灯が
窓の額縁に映ると
一つ一つが物語を語る
たたたん ととてん
夜のベルベットを
機械は時速八十二キロで
切り裂いていく
鋭い汽笛がこだました
(なぁにあれは夜汽車の泣き声ですよ)


京子と機関車

C12241号機関車
とおいむかし阿蘇に
放たれていた黒金の馬は
いまは阿蘇高原鉄道の
終着駅 高森に眠っている
軸配置 2-6-2 火格子面積(m2) 1.30

とうにカマの火を落とした
おれはスレート葺きの屋根の下で
夢を食んで惰眠をむさぼっていた
そんなおれを起こしたのは
「機関車よ、撮って」と
はしゃいた京子だった
おれはこそばゆい思いをして
彼女の背景になってやった
機関車運転重量(t) 50.05 付熱全面積(m2) 74.20

長さ166m,高さ68mの
白川第一橋梁は鉄路の綱渡り
せせらぎがにわかに音高くなると
阿蘇高原に春が来る
おれは火の山を眺めながら
桜花に浮き立つ心を鎮めて
キャタコトと客車を牽いて駆けた
動輪上重量(t) 32.02 水タンク容量(m3) 5.5

あえかに紅い合歓が
夏の宵に紛れるころ
おれは貨物を二三両牽いて
立野に向けてのんびり走った
月夜に霞む阿蘇連山を肴に
石炭をカプリリと食いながら
生きてある自分を思った
シリンダ、直径×行程(mm) 400×610 全長(mm) 11,350

そう言えば思い起こした
かつておいぼれかけたおれの
銘板に熱い目を向けていた少年がいた
寂しがりやだったやつも老境に入ったという
あいつが少年の心して
たまたまおれの側に来合わせた
京子を熱く恋しているという
思いの線路遙か宙空へ
C12241号は
またきょうも銀河を駆け抜ける
缶圧力(kg/cm2) 14.00 全高(mm) 3,900

 貨物列車

機関車に引かれた
長い列車が
走ってくる
EF64だ
みんなぁ数えるよう

いち、にぃ、さん
白い貨車はなんだ?
あれはお魚運ぶ貨車
あ、家畜車になんかいる
すき間から黒目が
見えたぞぅ

赤牛だ、赤牛
数かんじょうも忘れて
おれたちは
家畜車を
見送った

一番最後は車掌車
デッキに車掌さん
おいらが手を振ると
青いフライキで合図した
影はみるみる小さくなって
赤く染まったレールの向こうに
貨物列車は消えていった
あとには虫の音ちんちぃりと

博物館機関庫風景

大輪の赤と薄紅の秋桜が
ゆわるゆわろり揺れている
しゃはしゅは、と機関車が
懐かしい言葉で語りかける
煌々と点った前照灯
「8630」の銘板
輝き輝く昔日の光り

彼の機関車の果てには
扇形の機関庫
左手の端には
C612が武骨な尻を覗かせている
後は頭をこちらに向けて黙している
それは蒸気機関車納骨庫
D51200・C1164
9633・C551・C622
C581は交差した日輪に菊の御紋章
D511・C621・D50140
D52468・C59164
C5345・C51239
小型のB2010は扇の外

火竜と呼ばれた蒸気機関車たち
億万の物語を運んだ錆びた鉄輪
彼らは幻の火を噴き
黙して黙々時を噛む
幼児が「おおちいね」
D52468を指さす
そのとたん8630が
「ぱぁぁぁう」と吠える
秋桜がふゆるると揺れた
野球帽が耳に手を当てる

丸時計十五時の淡い陽が
京都梅小路扇形機関庫の
真鍮製の記号番号と
黄金の菊模様を
穏やかに眠らせている