2009年06月
2009年06月30日
下北沢Ｘ物語(1354) 〜「暗夜行路」から「色恋行路」へ２〜
大井鹿島谷４７５５に志賀直哉は一時居住して、そこでの生活の一端を「暗夜行路」に書き表した。ダイコン畑に造成された二階家は安普請だった。上で人が歩くと、下で新聞を読んでいる者に壁土が降りかかった。にわか造成地である。
明治四十四年と鉛筆書きのメモのある地図のコピーをみると、この番地の若番は海に始まっているようだ。順次内陸に入っていく。４７５５は丘上である。一方の大井鹿島谷３１３８は数字が少ない分、海が近い。丘の西のり面である。
街道、池上通りから西へと坂を下る路地は途中で逆「へ」の字に曲がる。この曲折したところの左手が大井鹿島谷３１３８である。地番の区画そのものも道に沿ってゆがんでいる。理由は容易に推察できる。裏手の３１３７に逆Ｔ字のマークが見える。墓場である。本通りから下ってきた道が南に曲がったのは大井山光福寺境内の墓地を避けたからだと考えられる。
画家が住んでいたのは光福寺の境内の一角に建てられた貸家だと思われる。新聞記事にも近所に住んでいる「家主の横山勇氏」と記されている。境内の一角を借りたか、買ったかして貸家を建てたものだろう。開け始めた一帯に家を建てて人に貸して賃料を稼ぐ、安普請の家ではなかったのではないだろうか。宇野千代は鹿島谷の画家の家が、「木立の深い邸であった。」と書いているが寺の森を言ったものと思われる。この寺の推定樹齢８００年という大銀杏は有名である。
鹿島谷の丘の中腹にあった家からの眺めは良かったと思われる。家の下には東海道線が横切っていて、その向こうには田や畑がある。そしてずっと向こうには大森の海が見えた。画家と同衾した千代女は朝起きて見て隣りに林立している卒塔婆にぎょっとしたかもしれない。が、ハイカラな女は卒塔婆を隠す。
「生きて行く私」の中で彼女は林芙美子のことについて触れているが、「放浪記」作家だったら光福寺の卒塔婆は素材としてものにしたに違いない。太子堂円泉寺脇に住んでいたとき墓場と裏手の陸軍病院の死体安置所のことはつぶさに書いていた。陰惨な生活の一齣を描くのに充分だった。
続きを読む
2009年06月29日
下北沢Ｘ物語(1353) 〜「暗夜行路」から「色恋行路」へ〜
荏原の南端には文学の物語が至る所に転がっている。大井鹿島谷はその典型だ。そこへの冒険行はいよいよ佳境に入った。暗夜行路から、色恋物語へと移る。こちらの方がはるかにおもしろい。断っておくが、想像的冒険旅行である。
恋多き女、宇野千代と東郷青児との馴れ初めについては、彼女の色恋履歴書に書いてあった。そのいきさつはだいぶ簡略化して書いていたようだ。それでわたしは間違ったことを書いてしまった。「生きて行く私」（宇野千代 角川文庫）につぎのようにあった。
「白夜」と言う酒場はすぐ分かった。緑色のペンキを塗った、小さな店であった。扉をあけると、一眼でそれと分かる東郷青児が、首に白い繃帯を巻いたままで出て来た。「仲間が大ぜいいるんですよ。どうですか。一緒にこれから、僕の家まで来ませんか」と言ったと思うと、そのまま通りかかった車に私を乗せて、走り出したではないか。
その夜、私が世田谷の東郷の家に住みついて、そのまま、馬込には帰って来なかった、と言うことを信じる人があるだろうか。
「生きて行く私」 宇野千代 角川文庫
いえ、信じる人はいません。あなたの言い方ですっかり勘違いしてしまいました。「通りかかった車に私を乗せて、走りだした」といい、「その夜、私が世田谷の東郷の家に住み着いて」と書いてあるところはどう考えても、世田谷山崎一四０六番地の東郷青児が住んでいた家ということになります。それで、東郷青児とあなたが同衾したのはてっきりここだと思いました。「押し入れから出して来た蒲団には、血痕がこびりついて、がりがりになっていた。二人の男女の頸から流れ出した夥しい血のかたまったものだと分かった」とあなたはその場の情景を生々しく、ありありと書いておられます。それで、私は何度も、当該番地付近、今の若林小学校近辺をぐるぐると回ったものです。
それでも、最初、幾分のかの疑念がありました。「白夜」は大森にありますね。ここから世田谷山崎まではだいぶ遠いですね。昭和四年頃だと古道堀の内道を辿ることになります。よくぞまあ車を走らせたものだと感心していました。堀の内道を北上し、滝坂道と交わるところで左折したと思って、そこも調べました。何にもありませんけど、「ああ、恋するあなた方は手に手を取ってここを通っていったのだなあ」と感慨を覚えたものです。
ところが、後で知ったのです、画家とあなたとの同衾場所は、世田谷山崎ではなく、大井鹿島谷だったということを。
2009年06月27日
下北沢Ｘ物語(1352) 〜大井鹿島谷冒険行５〜
武蔵野の南端は丘陵の襞が海岸べりの平地に落ちこむところだ。その縁辺に東海道線という大動脈が敷設されていた。荏原南端は鉄道の通過地点であった。
新橋を出た汽車は芝浜、高輪、品川、大井、大森へと走っていく。ことに御殿山の切り通しを抜けた東海道本線はまっすぐに南西方向へひた走る。ここからはにわかに速度を上げる。そして、武蔵野南端の丘を切り崩したフラットな地形を大きな響きを立てて通る。谷懐だけにその音が反響し、こだまする。
荏原南端というのは都心からの距離があるところだ。上りは、間もなくすれば着くという場面であり、下りは、間もなくそこを離れるという地点である。思いは上りと下りとでは違う。
北原白秋は初めての上京の有様を綴っている。横浜を出て、いよいよ東京に入ろうとするときだ。
私は熱湯の中に怖々と身体を沈める時に感ずる異様な悪感に顫へながら強ひて落着いた風をして沈と坐つて見た。品川高輪芝浜を通り越す時分には、私は黒い際立つた建築や車庫や獣類の臭気に腐れたまま倒れかかつてゐる貨物車の影と、その湿つた九時頃の暗碧な夜の空に薄紫の弧灯がしんみりした光を放つてゐるのを見た。（「新橋」）
いよいよ都会へ接近する、田舎者と見くびられないように落ち着いた風を装って窓外を眺めている。大森、大井は暗い。当時は畑ばかりだった。品川から高輪、そして芝浜と新橋に近づくにつれ明かりが多くなってくる。都会への期待と戦きである。
有島武郎の「或る女」は新橋を汽車が出たところから始まる。汽車が出てしばらくすると葉子は気分が悪くなる。
「汽車に酔ったんでしょうかしらん、頭痛がするの」
と捨てるように古藤にいい残して、いきなり繰り戸をあけてデッキに出た。
だいぶ高くなった日の光がぱっと大森田圃に照り渡って、海が笑いながら光るのが、並み木の向こうに広すぎるくらい一どきに目にはいるので、軽い瞑眩をさえ覚えるほどだった。
葉子を乗せた汽車は大井大森近辺を差し掛かっている。窓から見えるのは田圃だ。とすれば、進行左手の景色である。都会を離れた汽車は荏原という田舎にかかる。そして、さらに行くと、「釣り橋の鉄材が蛛手になって上を下へと飛びはねる」、六郷川鉄橋、つまり多摩川を渡る。
2009年06月26日
下北沢Ｘ物語(1351) 〜大井鹿島谷冒険行４〜
大井鹿島谷へは色恋沙汰の痕跡を求めての旅だった。ところが、そこにはなかなかたどり着けない。想念の旅路は果てがなく、またまた「暗夜行路」を辿ることとなった。
志賀直哉「暗夜行路」にははっきりと大井鹿島谷の地名が出てくる。
「一寸出ます。めし迄には大概帰ります。信さんに会えば一緒に直ぐ帰つて来ます」さういつて家を出た。
信行には会はなかつた。あてにして居た列車は鹿島谷と云ふという処を歩いて居る時に姿はみえなかつたが、烈しい地響きだけを残して東京の方へ走つて行った。
大森の停車場へ来たが新橋行きまでは尚三十分あつた。彼は品川行の電車の方へ廻つた。間もなく電車は来た。
志賀直哉全集 第五巻 岩波書店 （＊旧漢字は新漢字）
主人公時任謙作が大井鹿島谷の家を出ていく場面だ。「三時七分に横須賀からの汽車が着く」、兄の信行が大森停車場にその汽車で着く、駅へ行く途中で会えば共に帰って来るよと家を預かっているお栄に断っている。
時任謙作が大森停車場へ向かうという場面で、引っ掛かってしまった。これは小説であるだけに実際的なことと結びつける必要はない。ところが、それでもどうも腑に落ちない点があった。
大井鹿島谷の家から大森停車場へ向かう道は池上通りを道なりに南へまっすぐ行くしかない。駅からの道の途中で兄に会うかもしれないということがあるのなら直行するしかない。ところが、時任謙作は鹿島谷を東へ下りている。「烈しい地響きだけを残して東京の方へ走つて行」く列車は坂を下らないと遭遇できない。が、これは駅への大迂回コースとなる。兄信行が、弟謙作は恐らく東海道線の方へ下って来るに違いないなどと思う訳はない。
古い地図を見ても分かる。池上通りは駅へは直行する。鹿島神社の裏手、東海道本線に並行する道があるが、これも駅までまっすぐではない。池上通りに戻らないといけない。まして、字鹿島谷を下り字水神下を大森方向へ行くととんでもない大回りとなる。
伊藤公前のお米屋さんにコピーさせてもらった地図を見ながら謙作の駅へのルートを推理している。すると、「あれ、そうだったのか」と思うことがあった。「京浜電気鐵道」が国道一号線を走っているのはいいが、途中で、その線路は分かれて、大森駅に入って来ている。こんな線があったんだと驚いてしまった。
続きを読む
2009年06月24日
下北沢Ｘ物語(1350) 〜下北沢地形学入門３〜
高須光治の「下北沢風景」という絵画がある。昭和二年に小田急線が開通し、辺り一帯が開発されていく。そのときの新開地としての下北沢風景が見事にこの一枚の絵に収められている。下北沢の原初風景として貴重な記録である。
この絵の存在を知ったのはついこの間である。北沢小同窓会の長谷川慎一氏に送っていただいた幾つかの資料の中にこれがあった。ソフトの何かの都合で再現できなくなったがその印象はよく覚えている。
画家は川筋の低い位置にいる。手前に描かれた赤土は畑だったように思う。その先の丘の斜面に家々が建っている。開かれ始めたばかりの土地の様子が生々しく描かれていた。丘上の頂上に蔵のような高い建物があった。
この絵が描かれた場所はどこだろうか気になっていた。自身の直感では森厳寺川左岸ではないかと思っていた。その場所は、三田用水森厳寺川分流ラインの西ではないかと想像していた。
「北沢地域の歴史地図」には三田用水の森厳寺川への分水ラインが明瞭に描かれている。北沢小学校のすぐ西を辿り、この裏手の銭湯山ノ湯の脇を流れ、そのまま緩やかな傾斜、畑地を下って森厳寺川に注ぎ込んでいる。
森厳寺川を下るときにこの絵の話をしたら同行の及川園子さんがよく知っておられた。後にメールで詳しく知らせてくださった。それによると三田用水分水ラインの東側であることが分かった。頂いたメールはこうである。六月六日に北沢小の同窓会があったようだ。
2009年06月23日
下北沢Ｘ物語(1349) 〜下北沢地形学入門２〜
森厳寺川は下北沢の町の縁辺を回り込むように流れている。一帯の地盤地形を捉える上で、この川は重要なものさしとなるものだ。歩くとこの地形が立体的に見える、下北沢地形学入門コースである。
以前、今井兼介氏から資料をいただいた。その中に「防災計画のポイント」という論述がある。そこに一帯の地形を指摘してこう書いておられる。
東側は北沢小学校に向かってゆるい登りとなり、標高の最高地点は西部の中央４２．５ｍ、最低地点は南部の茶沢通り付近の３２．３ｍで、狭い地域で高低差１０ｍ余もある起伏の大きい地形である。
大正１２年の関東大震災で焼け出された人々が移り住むようになり、さらに昭和２年小田急電鉄が、また昭和８年には帝都電鉄（現井の頭線）が開通したことなどから、閑静な住宅街となっていった。筆者はここで生まれ育ったが、小田急電鉄と帝都電鉄が交差するので、池ノ上から下北沢にかけて高架にするために、トロッコで作業をしていたのを覚えている。
当時は原っぱや樹木が多く、銀、チャン、オニヤンマ、アブラゼミ、ヒグラシ、トオセミ、コガネムシ、サイカチなど昆虫が沢山いて、小学校の頃には友だちと暗くなるまで採集して歩いたものである。また、豚小屋や釣り堀もあった。
一帯の進歩発展の出発点となったのは関東大震災である。この被災者の多く市中から郊外の下北沢近辺に逃れてきた。とくには震災後に開通した小田急線沿いは多くの人達が移住してきた。それでも、開通したばかりの頃はのどかであった。そのときの様子が論考の中の「北沢地区の歴史地図」というイラストに描かれている。これを見ると緑が多くある中を川が流れている。これがじつは森厳寺川である。当日参加した人に資料として配付したところ「おお、これは貴重な資料だ」と口々に言い地図に魅入っていた。
森厳寺川は周りの台地から水を集めて流れていた。その大本の水源地が北沢中学のところにあった大きな池である。その北沢中学の校庭を見学した後、井の頭通り脇の横断歩道を渡った。その箇所の道路が前後数十メートルに亘って大きく窪んでいる。これは森厳寺川が抉った凹みだ。
2009年06月21日
下北沢Ｘ物語(1348) 〜下北沢地形学入門〜
下北沢、これは荏原北辺の沢の多い湿地ということが地名に込められている。それをフィールドワークとして学ぶコースが「森厳寺川を歩く」である。下北沢という土地がどのように形成されているかを考えたり調べたりするにはもっとも適したコースである。地形の凹凸がよく観察できるからだ。
昨日、十四、五人の学び人とこの川を歩いて、下北沢地形学の認識を深めたことだ。
まず、断って置きたいことは、この川の名称は正式なものではないことだ。が、存在は名を付与して位置づけられ、価値づけられる。下北沢一帯の地形を俯瞰するときになくてはならない川である。それゆえに仮称であった森厳寺川をわたしたちは今では「森厳寺川」と呼びならわしている。
まず、京王線代田橋駅に集まった。
「これから森厳寺川を歩きます。この川の見どころは地形にあります。水源は玉川上水と同じ高さにあります。今わたしたちが立っているところは台地です。標高が約四十五メートルほどです。西からきたこの台地、淀橋台といいます。これが少しずつ低くなりながら東に伸びています。南へは緩やかに下っています。実はこの玉川上水を流している台地は南の世田谷代田のビルの屋上からみると西から東へ屏風のように連なって見えます。この台地の傾斜を活用して水を流していました。その水が玉川上水で、この先東の笹塚で三田用水が分流していきます。」
森厳寺川は下北沢の裏手を通る川だ。源流地点では四十五メートルあるが下流の北沢川文化との合流点あたりは二十五メートルである。約二キロぐらいのうちに二十メートルも下っている。それは水圧の強さを想起させる。近辺の谷を創ったのがすなわちこの川であるなどということも付け加えた。
「きょうの見どころとしてはつぎの点が挙げられます」
・ダイダラボッチ川と森厳寺川の分水嶺
・北沢中学に大きな池があったこと
・詩人がいたところの環境。福田正夫、中村草田男、尾山篤二郎
・野屋敷の台地が舌状にせり出しているところ。
・綿谷家の緑
・安野家のクランク
・尾山篤二郎旧居
・東北沢３号踏切
・オデオン座裏 一帯は湿地帯 よく水が出た。一番街からの小川が合流
洗い場があった。カトリック教会には池があった
・左側斜面はずっと小田急線からは松林が続いていた。(大岡昇平が言っている）
・晴光園
・森厳寺川とダイダラボッチ川の合流点 ここも水がよく出た
・森厳寺 富士塚があった
・北沢川との合流点
2009年06月20日
下北沢Ｘ物語(1347) 〜大井鹿島谷冒険行３〜
荏原は都市と田舎という境界をさまよいながら今日という時代へと来ている。それだけにスリリングな話、欲得にまみれた話、誠意誠実が生きた話、戦争の苦労話、悲劇喜劇などあらゆる逸話が転がっている。掘れば掘るほど出てくる。
「タケノコのシーズンは大変でしたね。タケノコ飯を炊くのにお米一俵は炊きましたからね、うちは竹山を持っていました。そのタケノコを向こうの弦巻に掘りに行くんですね。こう地面を見ているとほんのちょっと割れるか割れないかというところを見つけるんですよ。土がちょっと盛り上がったところですね、それを見つけて掘るのですね。ちょっとでも大きくなったものはもうだめですね。」
桜新町の「ふじのや」のおかみさんだった田中ふみさんが話された。桜新町が都会と田舎の間にあった時代の話だ。タケノコ飯を供したお店の苦労話はおもしろかった。
「震災のときにまっ先にうなぎのタレを持ち出したというのは、あれはつぎ足しつぎ足作っているからとっても大事なものだったのですよ。」
誠意誠実細腕繁盛記の一端をかいま見るようだった。
一方では大正二年の不誠実な話である。
五反田から大井を抜けて大森山王へ行く道で「自家の地所」を通りかかったのが「暗夜行路」の主人公時任謙作と兄の信行である。ところが、四つ目垣で囲まれたその二千坪の土地には入り口がなかった。管理を委せている植木屋の亀吉がそうしたものだった。
亀吉は実際謙作が疑つたやうに本統の正直者でない事がわかつた。草刈をしたからと、土地の広さに対しても多過ぎる手間賃を本郷の家から受け取つて置いて、草は草で、生えたなりに馬の飼ひ葉として売り、懐手をしながら、両方から金まうけしてゐたのであった。
「志賀直哉全集」（岩波書店）第五巻
いかにもありそうな話ゆえに事実であろう。荏原都市近郊が都市の膨張によって肥大化してくる。土地開発を巡る話である。このことに絡んで資金が流れてきて、それを旨い汁として吸った例だ。都市生活者の誠実と阿漕な職人との構図が浮かび上がってくる。都会と田舎の境界地ゆえの話である。
四つ目垣を巡らした大井の二千坪の敷地というのも興味深い。それも畑地を宅地としたものだ。土地をドレスアップして買い手を待つという状態だ。その裏には何かがある。調べるとあった。大井町駅の開業である。東海道線に京浜線の電車運行を始めるために大正三年十二月に大井町駅が開業している。大井鹿島谷に居を定めるというのは大正二年十二月のことである。駅開業を見込んでの宅地造成だったように思える。
2009年06月18日
下北沢Ｘ物語(1346) 〜大井鹿島谷冒険行２〜
鹿島谷探訪行は想像的な文学世界の冒険旅行である。文字で書かれた物語の筋を実際に辿って行くものだ。江戸の鈴ヶ森刑場、それから大正、昭和の鹿島谷である。それは志賀直哉「暗夜行路」であり、宇野千代「色ざんげ」の端緒を掴む旅でもある。
先日、１４日の日曜日「深沢・桜新町さくらフォーラム」でも志賀直哉の話は出た。昭和十五年から世田谷新町に彼は住んでいた。
「志賀直哉さんのところの南には松が生えていましてね、わたしたちは十二本松といっていましたね。一本松は今の深沢中学のところにありました。深沢小に通っていくときに通るのですけどね、寂しいところでした‥‥」
志賀直哉の新町旧居のそばを今は六車線の国道２４６号が通っていてかつての面影は偲びようがない。が、証言によって往時が想像できる。南側へは土地がサラダボールのように凹んでいた。そこには赤松が生えていて、向こうには呑川左岸の緩やかな傾斜地がずっと続いていた。多くは畑で、のどかな武蔵野風景が眺められた。志賀直哉はその風景を選んで当地を購入したのではないかと思った。
「わたしは昭和四年から住んでいますけどね、一帯はススキの原でしたよ。勤め人が住んでいるわけではなく、退役軍人とか体の悪い人とか、隠居さんが多かったですよ。別荘ですよね」
後藤徹太氏が言われた。新町住宅地は大正元年から二年にかけて造成され、ここが「日本で初めての分譲住宅地」となった。
志賀直哉全集（岩波書店）の年譜「大正二年（一九一三）」には、「十二月下旬、大森山王（東京府下大井鹿島谷四七五五）に移る。」とある。この月、「十五日、尾道をひきあげ、十七日帰京」している。このあたりのことが「暗夜行路」には描かれている。自伝と虚構とを織り交ぜた小説である。が、「赤坂福吉町」の市内の家を引き払い、府下大井鹿島谷に引っ越すあたりのことは事実を下書きにしているようだ。
「暗夜行路」前編第二の十一に兄の信行が時任謙作のところに来てこういう。
「あした、一緒に見に行かう、五反田の方に二軒、大井の自家の地所の近所に二三軒あるさうだ。」
つぎに「暗夜行路」前編第二の十二はつぎのような書き出しで始まっている。
2009年06月17日
下北沢Ｘ物語(1345) 〜大井鹿島谷冒険行１〜
武蔵野の谷での文化ラインの繋がりがどうなっているのか考えるのはおもしろい。あれがああなっていて、これがこういうふうに繋がっていてというふうに想像を巡らせていく。事象が繋がったり、また反対に途切れてしまったりする。
つい五百年ほど前に「一国おしなべて野なり」と太田道灌は武蔵野の様子を述べたそうだ。が、江戸から東京へ。野は都市に変じた。そして、ここには小さな歴史が数多く埋まっている。その一つ一つのエピソードに分け入っていくことはスリリングだ。わずかな手がかりから大森林を分け入っていく。それは窮め尽くすことのできない想像の冒険旅行である。
記録を見たり、資料を調べたりしたものも後になって分かって来ると、自身が指摘したことが間違っていることもある。前から気になっている地点があった。大井鹿島谷である。それで昨日、訪ねて行った。これも不思議な因縁である。かつてここに記述したもの中に「近代の歌枕大井町を訪ねて」というのがある。このときに萩原朔太郎の旧居を探しに伊藤公墓所を訪ねていった。この墓の真ん前のお米屋さんが土地の歴史に詳しく、一帯の古い地図を持っていた。それをコピーさせていただいた。それを見ていて、地番に三一三八とあったところからこの旅を始めたことだ。ささやかなきっかけから冒険旅行は始まった。
めざしたのは、「鹿島谷四七五五」と「鹿島谷三一三八」である。これは品川歴史館の近くのようである。ついでである、前から気がかりだった他の一箇所にも行ってみようということで、大森駅から、まずは「鈴ヶ森刑場跡」へ向かった。
2009年06月15日
下北沢Ｘ物語(1344) 〜都市は戦争痕跡を残さない２〜
都市東京が武蔵野丘陵に形成されたことによる地形の影響、こういうテーマで書かれた論述があるかもしれない。駒場や三宿に練兵場を造ったのは理由のあることだ。波打つ地形は軍馬を鍛錬するには都合がよかった。
めぐろパーシモンホールはかつて練兵場として使われていた。「八雲小１１５周年記念誌」に掲載された「明治〜大正期の八雲小周辺」の地図にそのことが記されていた。
地域の歴史を調べていくときに学校の周年記念誌というのは大いに重宝する。地域に密着した情報が載っているからだ。情報も正確である。パーシモン一帯がかつて練兵場だったというのは確度の高い情報である。その跡地に建っている目黒区立中央図書館に何かの資料はないかと思って行った。が、資料相談係から色よい返事はなかった。「防衛庁の資料室とかに行かないと分からないのではないか」と言う。
練兵場として使われていたのは日露戦争当時という。と、すれば、1904年（明治37年）から、翌、1905年（明治38年）にかけてのことである。ここに野砲兵連隊の馬小屋が造られていたという。この連隊は三軒茶屋にあった野砲兵第一連隊、近衛野砲連隊などであろう。当時、この連隊の東側には駒沢練兵場があった。多くはそこで訓練をしていた。ところが、そこだけでは手狭である。それで近隣にある空き地が練兵場として使われた。下馬から野沢へは道が通じている。この野沢から天沼(パーシモン辺りの古い字名）へも一本の道で繋がっていた。出張訓練所みたいなことで使われていたのではないだろうか。それで、兵舎はなく、地域の農家に分宿して訓練をした。
昨日、「深沢・桜新町さくらフォーラム」が桜新町区民集会所で行われた。「昔思い起すまま 桜新町深沢あたり 」というタイトルで、「五人の方を囲んで新町住宅地のまちや暮らしのお話をうかがい、語り合います。」という内容だった。昔語りが聞けるということで参加した。わたしの家の前を流れている呑川を遡ると桜新町に着く。
2009年06月14日
下北沢Ｘ物語(1343) 〜都市は戦争痕跡を残さない〜
人間の生きた記録を消し去るところが都市である。町並はいつも何もありませんでしたという顔をしている。そ知らぬ顔をしていればいるほど、なにかあったんだなと疑ってかかる。すると思った通り町のそこかしこにこっそりとエピソードが眠っている。掘り当てると、町並は恥ずかしそうにする。知られたくなかったのだと分かってくる。
先だって、下北沢野屋敷の今井兼介氏から、「今井兼次 建築創作論」（鹿島出版会：２００９年５月発行）を送っていただいた。この中に「松尾部隊表忠碑」という項目があった。近隣一帯の戦争痕跡を尋ね回っているが、このことは全く知らないことであった。今井兼次は「記念碑の石」としてつぎのように記している。
満州事変に壮烈な最期をとげた松尾部隊の記念碑が、昨年八月九日、東京渋谷の近衛輜重兵大隊の営庭に建てられました。
「表忠碑」と荒木陸軍大臣の筆によって刻まれた碑前に、黒味がかった、長さ九尺、幅四尺、高さ三尺九寸の巨石が置かれてあります。
この石にまつわるエピソードが記されている。新潟の奥からその石は多くの人に手によって運ばれた。明け方、紡績工場の脇を石は通った。
松尾部隊の記念碑になる石材が東京へ運ばれて行くのだと知った女工さん達は、すっかり感激して綱を曳く手伝いをさせてくれ、と一斉に綱を握りました。石は鮮やかに速く滑りはじめました。これまで随分つかれていた人達も、元気百倍して全身に力が加わり、鬨の声は静まりかえった山野にとどろき渡りました。
紡績工場の女工たちは満州事変が起こって松尾部隊の全員が悲惨な最期を遂げたことを知っていた。それゆえに疲れた体にむち打って東京に運ばれようとする石を曳く綱にすがりついた。当時松尾部隊のことは国民の誰にも記憶されていたことである。
2009年06月12日
下北沢Ｘ物語(1342) 〜「三田用水流路学」を楽しむ４〜
三田用水、余水流路末端には明治近代の痕跡が数多く残っている地点である。とくに交通移動に関わるエピソードがおもしろい。民俗学的にも貴重である。
タヌキ、ムジナが淀橋台南端の御殿山近辺に出没している。このことは既に八ッ山の大狸、権現山の狸として採録されている。権現山の狸はこうである。
新橋駅を出た東海道線の汽車は、品川駅を過ぎると間もなく権現山の裏手の谷間を通る。ある夜、上りの汽車が権現山の下にかかると、品川方向から同じ汽車が来る。汽笛をならし危険を知らせたが、向うはスピードをおとさない。驚いてこっちが止まると、今まで走って来た汽車がなくなってしまったのである。こんな事がたび重なるので、機関士はこれはてっきり権現山のたぬきのしわざと考えた。
現代民話考 �掘‐消�みよ子 立風書房
タヌキ、ムジナが汽車に化けて出るという民譚は全国各地に残っている。とくに東海道線は多い。「東海道の鉄道沿線には狸が能く汽車の真似をする。」（柳田国男「狸とデモノロジー）。その一例が権現山の狸である。八山には大狸もいた。近辺でいえば日本鉄道が通っていた五反田にも出没していたようだ。明治二十年のころ「五反田あたりの店で買い物をして白金の家に帰ろうとしていたとき」に踏切で待っていると汽車が来た。が、いつまで経っても汽車が来ない。おかしいと思って手元をみると買ったはずの油揚げがないという話も御殿山縁辺の偽汽車話である。
三田用水、余水流路を行く途中に同行のまりママさんが御殿山の狸の話を土地の古老から聞き出した。汽車には直接関わらない話だが御殿山に狸がいてそれが人を化かしていたというのは他の話と繋がってくる。お爺さんの連れ合いが品川宿で髪結いをやっていて「御殿山を越えてく時、よくむじなにばかされたって言ってた」ようだ。この「越えてく」という感覚がおもしろい。
2009年06月11日
下北沢Ｘ物語(1341) 〜「三田用水流路学」を楽しむ３〜
三田用水余水路の旅は、初心者には雲を掴むような話である。が、分からないルートを探しての旅は新しい冒険である。狭くなった流路は人に近づく、それで地域の話が聞ける、分かってもくる。この三田用水跡を巡る旅は、埋もれた文化を掘り起こすスリリングな旅である。
白金猿町の三田用水本流から外れて、余水路への谷をまずは下った。そこに鷲頭豆腐店があった。用水探訪の先達の一人、川口信氏は豆腐屋の主人からは何度も話を聴き取っておられるようで主人とは顔見知りだった。
余水巡りは余分な道に分け入る。どうも水路好きの人は豆腐に目がないようだ。三四人が豆腐を買った。が、柔らかいのを買った人は後に苦労する。水がしみ出て荷物を濡らしてしまったようだ。わたしは固い方を買ったので被害はさほどではなかった。
おいしい豆腐屋はその佇まいから想像できる。そこそこ古びている豆腐屋のとうふは旨いものだ。通りから入ったこのお店は目立たない。そこで営業しているのは味のある豆腐を作っているからだ。噛むと大豆の味がした。
当日、品川神社の夏祭りで折々、御輿が通って行った。清泉女子大から御殿山小学校に行く途中の御神酒所には大勢の古老がいた。その人たちから話を聴くことができた。が、三田用水の話ではなく戦争の話だった。
「岩崎邸には高射砲があって、Ｂ２９に向かってぶっ放したんだけど一発も当たらなかったんだ‥‥」
塩谷さんという古老はアメリカ大使館の運転手をしておられたようだ。マッカーサーから表彰状をもらったと言っておられた。
「地図をアメリカ軍が変えてしまったんだ。それでみんな道路の名前は英語名になっていたんだよ。第二国道がセカンドストリートだったかな。みんな変えられたんだよ‥‥」
終戦秘話を塩谷さんは語っていた。
われわれのツアーのメンバーもそれぞれ古老から話しを聞いたようだ。そのことが三田用水の掲示板に記されていて、この中でとくに気を惹かれた書き込みがあった。当日同行していたまりママさんの記事である。
2009年06月09日
下北沢Ｘ物語(1340) 〜「三田用水流路学」を楽しむ２〜
地表にその痕跡を留めていない三田用水という流路を想像の世界に蘇らせ、それを物差しとして近代を考える。それが「三田用水流路学」だとも言える。淀橋台から伸びた半島の脊梁をひたすらに辿っていくこの用水跡はほとんど残っていない。重力を利用して自然通水をするという考えをあたかも憎んでいたようにその痕跡は潰されている。その背景には、利便を求めてやまない都市の貪欲さがある。
「去年、地下鉄副都心線は開業したのですね。渋谷から学校の最寄り駅の和光市まで一本の地下鉄で来られるのです。三十数年、山手線と東武東上線を使っていた身には大きなカルチャーショックでしたね。ところが一年経ってみるとその便利さは普通のこととなっていて特には感動もありません。今、東横線と副都心線を繋ぐ工事をやっていますからやがては自宅の最寄り駅から和光市までは一本の電車で行けるようになります。でもそれが実現したときは驚くでしょうが、一年経つと何にも思わなくなります。とことん便利になるということが本当にいいことなのだろうか？‥‥」
昨日、和光市の公務員養成所での授業があった。その枕に振ったのがこの話である。
講義を終えてまた副都心線で帰宅した。途中小竹向原で急行の渋谷行きに乗り換えた。ホームのアナウンスで十両編成が来ると知った。それを聞いて驚いた。地下鉄の十両編成というのは長大だ。朝夕の混雑時は３０００人ほどの乗客が乗っている。小さな町の人口が地下空間で行き来しているというのも恐い。
東京への一極集中は続いている。人が集まって、資金が集まる。それで高層ビルがつぎつぎに建てられ、地下鉄が網の目のように張り巡らされる。東京は上よりも下へ伸びているようだ。電気、ガス、水道、通信線、鉄道、道路、そして建物、潤沢な資金がつぎ込まれ地下へ地下へと人工物は設置されている。見えないだけに批評のしようがないという点はある。が、この一極集中は日本という国家全体から考えると、著しい偏在である。
東京は重力に逆らって、エネルギーを厖大に費やして地下へ手足を伸ばしている。三田用水の自然重力を利用した究極のエコなどほとんど無視していると言っていい。
続きを読む
2009年06月08日
下北沢Ｘ物語(1339) 〜「三田用水流路学」を楽しむ
消えた用水の痕跡を求めての旅は、流路学という新しい学問の所在の可能性を我々に提示してくれたように思う。その流路学は隠れた、あるいは、潜んでいる文化を実際的なフィールドワークによって発掘することである。
六月六日、三田用水の痕跡を求めての小さなツアーが開催された。二回目までは、用水という痕跡が辛うじて残っている地域を探査していった。
「このコンクリートにおれが傷つけたところが実は三田用水の跡だったんだ」
前回のエピソードだ。偶然に出会ったお米屋の主人が家の脇にある跡を教えてくれた。彼がつけたというわずか数センチの引っ掻き傷を見て皆は「おお」と感動した。彼の記憶の中に流れている用水がわれわれにも流れとして感じられた。
今回は高輪台駅を出発した。用水の本流を離れての支流、余水路を辿る探査行である。きむらたかし氏はつぎのように説明されている。
『高輪台->桜田通り->本立寺北側の坂道 三田「用水」の公式の終端は、高輪台駅北方の、
現在白洋社のお店のあるビルのあるあたりです。だだし、今のようにポンプで圧送するわけではなく、いわば重力によって水を送っていた水路ですので、余った水（余水）をどこかに流す必要があります。』(出典、(［三田用水］情報交換所�供岨暗塚竸紊鮟笋詁さ帖У�録：情報など〜 ）
用水路は重力で送られていた。このことは当たり前のことのようだが気づくとなるほどそうだったと思う。参加していた山本さんがひたすらに水を尾根筋を流すというのは「究極のエコですよ」ということを指摘されていた。うんそうだよと頷いたことだ。
地形を巧みに活用して重力によって水を送っていたというのが三田用水（他の用水もそうだ）である。淀橋台から分かれた半島状の地形の脊梁部をどこまでも追っていくというところがとてもスリリングだ。
極力動力を使わないで水を送るということの思想、考えは、とても重要である。今という時代は圧送が前提とされている。電気でポンプを動かし、エネルギーを使って送水している。例えば北沢川ではせせらぎの流れが再現されている。が、これは新宿の落合処理場で再生された高度処理水を活用しているものだ。ポンプで圧送された水である。処理水を使っているということが利点として説明されているが、実は多くのエネルギーを費やしている。
2009年06月06日
下北沢Ｘ物語(1338) 〜ネット時代の戦争物語８〜
時間や言葉というものはわれらの世界を構築する基本となるものである。が、これらは世界で起こっている現象を取り敢えず形にして留めておくものに過ぎない。時間というのは取り敢えず間隔を決めて測りましょうと約束して定められているものである。言葉もおおよそこれはこういう意味にしましょう決めた約束事、記号に過ぎない。
取り敢えず装いを凝らして、動いている時間、そして、意味づけられている言葉、これらに規定されて、時間の旅をしているのが我々である。人が自らが創り上げた価値体系の大船に乗って誰もが旅をしている。が、この時間という代物は、つぎつぎに発明される器物、新型機械によって、いっそうに速度を増している、ときにこの時間から振り落とされそうに思うことがある。
言葉は時代を映し出す鏡である。その時その時の時間速度を言葉は映し出している。近代時間は直線的で、古代時間は曲線的だと言える。
わたしの家の近くに公共施設、パーシモンホールがある。元の都立大学跡地である。その一角に万葉歌碑がある。大理石に刻まれた短歌である。そのうちの一首で、それは九州の海岸防衛のために出かけた夫を恋い慕う歌である。作者は椋椅部刀自売（くらはしべのとじめ）、荏原在住の女だ。折々ここに立ち止まってはこの歌碑を眺めることがある。
草まくら旅行く夫が丸寝せば家なる吾ひも解かず寝む
遙かなる道を旅していく夫、細道を踏み分けながら歩いて行って、夜になるとそのまま転がって野宿をしているだろう。その夫は今ごろどうしているだろう？。私はあなたを恋い慕って、腰紐を解かずに寝ていることですよ。
古代の万葉人の想像力が偲ばれる歌である。ゆったりとした時間、静まりかえった時間の中で妻は、遙かな道を往く夫を想い慕っている。想いを想うことで時間が費やされている。
しかし、その万葉の時代から１２００年は過ぎた。時はいつの間にか通り過ぎていく。気づいてみたら、その日その時から遠く隔たったところにいる。なにやらわれらも時の旅人となっていた。
2009年06月05日
下北沢Ｘ物語(1337) 〜ネット時代の戦争物語７〜
生きていく命、その存在の価値を見出しにくくなっている時代である。人は尽きることのない欲望を満たそうとしているだけではないか？。人間存在への疑問である。が、この頃思うことは、自己という存在がこの世に生を受けて今にあることの奇跡的な偶然性である。何億兆、いやもっとだ、何百億兆、何千億兆という偶然の積み重なりの中で存在している、その不思議さの中でわれらはかろうじて存在していると思った。
偶然的な積み重なりの中でわれらは存在しているということ、これは新しい媒体によっても紡がれている。それはインターネットである。その功罪は大きいものがある。その特性は情報の速達性であり、また、開かれた発信性である。
ところが、人間は妄想的で、感情的な動物である。この動物にネットを持たせることは危険性が大きい。矯めることなく思い、感情を伝える。仲裁役がいないから即座に言い合い、罵り合いが始まる。掲示板などでよくみかけられる現象である。怒り、憤怒が渦巻いている。自身もまちＢＢＳで喧嘩した経験がある。
それでもネットが新たな価値を生み出していることは間違いないことだ。地表現実世界とネット架空世界とが紡がれて新しい場が生まれている。このわたしのブログもそうである。気まぐれな思いつきから発した情報が積もり積もって、情報の結晶とまではいかないが、塊にはなっている。これが検索というスコップで掘られたり、穿たれたりして、発信側の情報と結ばれることがしばしば起こるようになった。これによって眠っていた話が新たに掘り起こされることがある。今回の一連の戦争物語は、その典型例だと言える。
戦争物語の発端を作られた旭正章さんは「戦争経験を聴く会、語る会」にお母さんを伴って参加された。その旭さんの話を記録しておこう。
2009年06月03日
下北沢Ｘ物語(1336) 〜ネット時代の戦争物語６〜
ネットに端を発した戦争物語である。後代に伝えたい貴重な記録だ。ところが当日、ICレコーダーの電池が切れていて発言者の録音はできなかった。わたしの失敗である。
しかし、当日の参加者は４０名ほどいて話を聴いたり、また録画をしていたりしてくれていた。一昨日、当日のことを記事にしたミニコミ誌の原稿がFAXで届いた。藤岡郁子さんからである。そこには松本明美さんが東京の両親と交わした手紙が二百通にも上ったとあった。ああ、確かにそうだった。その往復書簡が彼女の心の支えだった。この数は話を具体的にするものである。
時間が経つに連れ、この戦争物語は自分の思いの世界の中で発酵しはじめている。
先日、ひょんなことから鉛筆の意味を知った。レンコン農家を継ぐ長男が父親の栽培技術を学ぼうと日々日記を付けている。NHKの「小さな旅」の中のシーンにあった。そのノートが大写しになったときに筆跡痕が凹んでいるのが目に入った。
「そうだ鉛筆は筆跡痕が明瞭に残るんだ！」
鉛筆痕はより人間的だと思った。立川裕子さんから借りている手紙を取り出してみたらやはり鉛筆で書かれている。シャープペンとは全く違うものだと思った。自身の記憶も思い起こされた。肥後守という小刀で鉛筆を削っていたと、その削りカスが出た。
鉛筆は削って芯を尖らせる。シャープペンはぽんと頭を一押しすれば芯が出る。この二つは根本的に違うものである。書く心が違うと思った。松本明美さんにしても、立川裕子さんにしても、鉛筆を削りながら両親を思っただろう。とともに何を書こうかと思案していたはずである。頭で何を書こうかと考えて、そして、書いたと思われる。書くまでに間があった。それであれだけのことが書けた。鉛筆部隊という命名にも指導者の特別な思いがあったのではないだろうか‥‥。
「思いをたくさん書きなさい、思いを伝えるようにしなさい。鉛筆でしっかりと書くことで思いは伝わりますからね。あなたたちは銃後の鉛筆部隊ですね。鉛筆を握って闘う。そのことが武剋隊のお兄さんへのお弔いともなります‥‥」
指導者の柳内達雄氏のそんな言葉を自身では想像したことである。
当日の記録については当会の米澤さんが録画していた。それを彼は家に届けに来てくれた。貴重な記録映像である。
2009年06月02日
下北沢Ｘ物語（1336）〜「北沢川文化遺産保存の会」会報 第３５号〜
「北沢川文化遺産保存の会」会報 第３５号
会長 長井 邦雄（信濃屋食品）
２００９年６月１日発行（毎月一回発行）
事務局:世田谷「邪宗門」（木曜定休）
155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
１、「戦争経験を聴く会、語る会」が終わりました
第2回、戦争経験を聴く会、語る会が終わりました。四十名ほどの参加者がありました。が、どれだけ人が集まったかということよりも、何人であれ、どれだけ中身のある話を聞けたかではないかと思います。その点、本当に、中身のある、しみじみとした話を聞けたと思っています。代沢小の疎開経験者に当時の苦しい経験を具体的に聴くことができました。お話ししてくださった皆さんありがとうございます。また、遠くから駆け付けてくださった旭正章さん、矢花克己さんにも感謝を申し上げたいと思います。
戦争から離れるに連れ、戦争の記憶がどんどん消えていきます。何とかそれをつなぎ止めて後の世に伝えていかなくてはならないと思います。が、それは困難になっています。それでも戦争の悲惨さは伝えていかなくてはならないと思います。参加者の多くが続けていくことの大事さを感じて帰られたと思います。が、多くは年配者でした。三人ほど若い人がいて参加して良かったと言っておられました。
そのことから三回目も開きましょうということにはなりました。が、三度目ともなれば何かの工夫が必要です。ただ体験を語っても来てはもらえない。下北沢のことですから演劇や音楽に乗せて語るなどということをやればあるいは若い人にも来てもらえるかもしれません。なんらかの工夫が必要です。
今回は、「疎開児童の経験を聴く」というふうにテーマを絞った点は良かったと思います。このことから次回のテーマとして考えたのは「下北沢と戦争」というテーマです。若い人にもこれだと興味を持ってもらえるのではないかと思いました。
「昭和19年8月12日の夜、疎開児童は代沢小に集まりました。いよいよ学校を出発というときに親子はなかなか別れられません。警防団の人が汽車に乗り遅れるということを言って強制的に引き離しました。下北沢駅までは提灯を照らしていきました。大勢の親がついてきました。電車が出発するときには大変でした。親が子どもを呼ぶ声が満ちていましたからね。あふれんばかりの人でしたよ。」
もうとっくに忘れ去られた駅の思い出である。その地上駅もやがて地下化してしまう。疎開児童を送った駅だった。出征兵士を送った駅だった。これは記憶に残して置きたい。
「下北沢と戦争」ということで言えば多くのエピソードがあります。具体的にはつぎの項目です。
ヒットラーユーゲントの下北沢来訪。小田急線沿いの第六次強制疎開。下北沢と空襲。「日本空襲記」と下北沢。小田急で進軍した駐留米軍。焼け残った町下北沢。
下北沢が焼け残った。そのことで戦後は他の町の代用機能を果たしていた。それが今日の文化に結びついているということは言えます。
戦争を身近に感じられるテーマとする。それは地域と戦争です。戦争と結びついた地域の歴史を知ることで、地域の未来も見えてくるように思います。
下北沢における戦争と文学というのは知られない事実だと思います。そういう面白いエピソードが幾つも眠った町を再評価するということにも繋がっていきます。そんな工夫をして第三回「戦争経験を聴く会」を催したいものです。いつも単独開催ですが、趣旨に賛同される団体があれば共催も可能ではないかと思います。 （きむらけん）
＊当日、カンパしてくださいと言ったところ１７０００円ほどが集まりました。これは有効に使わせていただきたいと思います。なお、これとは別に矢花さんの交通費に使ってほしいということできむらたかし氏から一万円の寄付を頂いていました。矢花さんが辞退されましたのでこのお金は本人の同意を得て地図基金に回すことにしました。
２、「下北沢文士町文化地図」改定４版基金
戦災地域を入れ込んだ「下北沢文士町文化地図」の改定版はこの四月一日に発行しました。５０００部印刷し、いまのところ１５００部ほどがなくなりました。先日、「せたがや平和資料室」にいったところ、地図はまだないかと言われました。数十部置いていたものがたちまちになくなってしまったそうです。戦災図が入ったことでほしがられる方が多いといことでした。この戦災図は少なからず反響があり、手応えを感じています。
改定四版は新しい情報を入れようと考えています。地図の範囲を井の頭通りのところまで持っていくことで、これも大きな改定になります。
現在、この地図基金への協力を呼びかけています。これに応じて定額給付金を使ってほしいと言われる方もおられます。現在のところ集まっているのは２９０００円です。目標は十万円です。これは地図の作成費用だけに当てるものです。このお金はきむら自身が預かって管理をしております。これに協力くださる場合には、封筒に「地図基金」と書いてお名前とご住所をそれに書いて邪宗門か、きむらにお渡しください。
３、「花見堂夕涼み会」の予定
毎月の歩く会で出たのが夏の懇親会をしようということでした。ローカルな地点でローカルなことを行う、これがわれらの会の真骨頂であるように思えます。それで代田地区会館が借りられそうだということでつぎのことを計画しております。おおよそのあらましです。日にちは変わりません。が、時間や内容など少し変更があるかもしれません。詳しくは次号、３６号でお知らせします。
８月１日（土）５時より 「代田地区会館」
１，「幻想朗読劇 ダイダラボッチ」の披露
一応、創作者のきむらけんが朗読することにしています。が、これには代田人、代沢人、北沢人、語り部という役柄があります。それぞれの役を引き受けて朗読してもいいという人を募集しております。
２，懇親会、文化情報交換お楽しみ会
会費 ２５００円 お箸、紙コップ持参。一人一品差し入れ持参。
例、自作有機野菜のサラダ（梶さん）、危ない漢方薬酒（山本さん）
とくに内容に制限はありません。おもしろがってやっていることです。
＊「幻想朗読劇 ダイダラボッチ」〜東京市巨人伝説〜について簡略に経緯を説明しておきたい。朗読劇を望まれて創作したものである。学校での公演が決定していた。が、著作者の作品への思い入れから、自身の都合で降ろさせていただいた。一般に台本の提供はします。興味のある方は連絡をしてください。
４、歩く会について
都市物語を旅する会
「北沢川文化遺産保存の会」は毎月テーマを決めて下北沢周辺の文化探査をしています。毎月、第３土曜日の午後１時に集まっています。集合地点はそのコースごとに多少違っています。基本的には少人数、10名程度ということにしていまます。それぞれがこの歩く会に参加して楽しむというものです。最後は世田谷「邪宗門」にたどり着いてお茶を飲みながら歓談します。参加費は徴収しておりません。歓談の際の飲み物は各自でお支払ください。なお、保険には加入しておりません。事故のないよう各自で責任を持ってください。
この会は参加の義務はまったくありません。ふらりと参加して、歩き、そして、歓談して終わりです。またいつかテーマで面白いなと思った時に参加する、そういう自由な会です。
これまで実施したコースはつぎの通りです。
・代田連絡線の跡を歩く（３回）・小説「猫町」を歩く（３回）・下北沢の大谷藤子を歩く・「森茉莉」足跡を歩く（５回）・下北沢の銭湯跡を歩く・下北沢の無頼派を歩く・下北沢の教会を歩く（３回）・坂口安吾の通勤ルートを歩く（２回）・駒沢線詩歌文学ラインを歩く（２回）・下北沢の映画痕跡を歩く・ダイダラボッチ川を歩く。・下北沢の稲荷社・庚申塔・地蔵尊を歩く。・代田のダイダラボッチ痕跡を訪ねる（３回）・代田の詩人師弟を歩く（萩原朔太郎・三好達治）・林芙美子から坂口安吾を歩く・.「下北沢店員道場を検証する」・池の上の古い町並を歩く ・下北沢の詩人痕跡を訪ねる・「森厳寺川の源流を探索する」（２回）・「代田の歴史を歩く」・駒沢練兵場を歩く・滝坂道を歩く（２回）・駒場の戦跡を歩く
・第３８回 ６月２０日（土）午後一時 代田橋駅南口
森厳寺川を歩く、下北沢という町を地形的に作り上げている水路を探検する
水路ですから雨天決行です。最近見つかった尾山篤二郎旧居にも行きます。
・第３９回 ７月１８日（土）午後一時 田園都市線池尻大橋駅改札口集合
駒沢練兵場跡、野砲兵兵舎跡を歩く
・第４０回 ９月１９日（土）午後一時 東北沢駅
下北沢の踏切文化を検証する（地下化する小田急線踏切を走破する：予定）
代々木上原３号踏切から世田谷代田１号踏切まで９つの踏切がなくなります。工事によって原形が崩れつつあります。いまのうちに見ておこうという企画です。
・第４１回 １０月１９日（土）午後一時 経堂駅改札前 案内者 別宮通孝氏
滝坂道を歩く（�掘� 世田谷城、豪徳寺などを巡りながら行きます。
◎申し込み方法、参加希望について（実施一週間前までに）
参加申し込みについては当会の米澤邦頼まで必ず連絡をください。
米澤邦頼 ０９０−３５０１−７２７８
メールアドレスyonezawa-.-v1961@ezweb.ne.jp
■ 編集後記
「インターネットでの伝わりというのは思いがけないものがあります。」と先号で書きました。遠くの人が何かをきっかけにして検索してきて、わたしのブログに行き当たる。そのことから偶然的に分からなかったことが分かるというようなことはあります。このインターネットは世界的なものです。先日、「邪宗門」にはポーランドからの人が見えたそうです。備え付けのノートにはポーランド語で感想が書いてありましたが意味は分かりませんでした。インターネットの「東京荏原都市物語資料館」も世界の人が見ているようです。フィンランド語では「Museum Information Ebara kaupungin Tokyo Story」となるようです。
インターネットでの検索というのも面白いものがあります。ブログの中に三田用水についての掲示板があって濃厚な意見が交わされています。先日、三田用水についてはテレビでの放送があったこともあってネットを賑わせています。掲示板内の情報は学術的な見地からも注目されているようです。それは三田用水ツアーへの参加希望者からの情報で分かったことです。
検索で「三田用水」と「品川用水」を引き比べると面白いことがわかります。グーグルで調べると「６６４０件」と出ました。後者は「１７８０件」です。前はこんな開きはなかったように思います。掲示板内の熱い議論はどうもアメリカ国内にあるグーグルロボットが感知したようです。感触としてはこのロボットがこれらの議論を定期的に巡回して点検しているように思えます。三田用水というローカルな情報がアメリカで収集されているようです。ネバダの砂漠に設置したサーバーに密かに収集されているかもしれません。 当会報への連絡、お問い合わせは、編集、発行者の きむらけん へ aoisigunal@hotmail.com
○「北沢川文化遺産保存の会」へご入会ください。年会費１０００円です。会員の方にはこの会報を自宅に郵送しています。入会は随時事務局の「邪宗門」で受け付けております。入会金はありません。年会費だけです。
