2016年07月

2016年07月31日

下北沢X物語(3087)〜ぽけもんぼけもん近代文明批評〜

100NIKON-DSCN0011_DSCN0011 (2)(一)ぽけGO人気はとどまるところを知らない。今朝の新聞、「ぽけGO人気懸念も〜国内推計一千万人超・相次ぐ削除要請〜と伝えている。夏休みに入ってさらに熱気は増しているようだ。希少キャラのいる聖地へ聖地へと向かっていると。異様なエネルギーである。彼らはさすらった挙句どこへ行くのだろうか。ふと思い起こすのがエミール・ゾラの小説を思い起こす。「獣人」の主人公は「アル中と狂気の血故に、発作的に人を殺す」、機関車を運転中に助士に襲い掛かり、二人は機関車ら落ちてしまう。操作する人間のいない機関車は遮二無二突っ走る。「おい、いいスピード出しているじゃないか!」と後の車両に乗った「兵士どもは、すっかり酔っぱらっていて、自分たちに迫りつつある運命には気づいていない」という話だ。 

  ゲーマーたちは面白がってキャラを夢中で捕まえているが、機関車の運転士に当たる人のことは誰も問題にしない。こちらも凶暴な奴で、人に襲い掛かって殺し、そしてゲーム総体のシステムを勝ってにいじってしまう。

 ハメールンの笛吹男も思い出す。笛吹男は意のままに子供をあやつり百三十人の少年少女を洞窟に導きそしてこれを封印してしまった。人間、善意の人ばかりではない、昨今はドロップアウトした凶暴性を秘めた男たちが増えている。どう悪用するか分からない。

 問題は、人が夢中になってしまうことだ、自分自身の考えで行動するのならまだしも、案内者は機械である。機械的にあっちこっちにキャラをばらまいている。新聞では、「原子力発電所でカメ型のポケモン『ゼニガメ』がみつかった」と記す。ファンにとってはたまらないお宝、平気で施設に入っていくだろう。

 電車内でちらりと見かけた見出し、ぽけGOの情報はCIAに集約されると、実際これは悪用されかねない。今朝の新聞だ。

 情報の管理についても警戒する声がある。
 ポケモンGO配置情報を利用するため、プレイヤーの行動範囲や自宅、勤務先までが分かってしまうリスクがある。


 このことは商売に直結する情報だ。この社会ともかく儲かることが最優先となっている、この情報は金目筋のものとして重宝されるだろう。ぽけもんGOの位置情報で漏れた情報がどこに回ってしまうか分からない。知らないうちにつけねらわれるかもしれない。

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2016年07月29日

下北沢X物語(3086)〜ぽけもんぼけもんれんぺいじょう〜

DCIM0060(一)つい数日間に始まった、革命的なゲームをマスコミは大勢として肯定的に報道している。しかし、この現象本当に人間にとっていいことなのか?

26日の日、会報を届けに邪宗門に行ったところ。
「家の主人が後ろからきた自転車にぶつけられて転んでしまったのよ。その子助けもせずに逃げちゃったのよ、ゲームをしながら走っていたのね……」
 身近な例だがこの追突全国規模ではかなりの被害があるようだ。

 時間の近代化は人に時間の概念を植え付けた、身体の近代化は他者との共通の動きを学習させた。システムを管理する上では好都合だった。昨今出現したゲーム機は指先の近代化ではないか?

 誰か分からない機械の親玉の指令で皆が街に繰り出す。そしてそろって指先を動かして獲物をゲットしていく。この夏ヒートしている。が、キャラクターの配置などは人間が介在して機械が場所を割り振っていく。

 悪用されないのか。例えば、最強のキャラヒトラーマンが〇〇に出ると設定して、多くの若者をここに集める。万人ほどの人が集まったときに「ヒトラーマン」がでてきて、「この社会は不公平にに満ちている、特に君ら若者は一番の被害者だ。よって今、機が熟してきた。今こそ攻撃の時だ」と煽る。ゲーマーたちは「ワオー」と叫んで、彼の術に乗せられて暴徒と化す、ありえないことではないだろう。

 SNSを見ていたら、「世田谷公園」が、聖地となって大変なことになっているとあった。いつもの荏原逍遥のついでだと昨日ここを見に行った。

 行くと確かに人が大勢いた。皆スマホをかざしている。指を駆使して獲物を捕まえているのだろう。この風景からして異様である。人が随所に林立して画面に見入っている。そして指先を動かす。「ゲット」とかの声は聞こえるが総じて静かである。
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2016年07月28日

下北沢X物語(3085)〜会報第121号:北沢川文化遺産保存の会〜

20057,16 041
…………………………………………………………………………………………………………
「北沢川文化遺産保存の会」会報 第121号                 2016年8月1日発行(毎月1回発行)
   東京荏原都市物語資料館:http://blog.livedoor.jp/rail777/
               会長 長井 邦雄(信濃屋)
 事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1
                                                      03-3410-7858
                 会報編集・発行人   きむらけん
…………………………………………………………………………………………………………
1、全国級の地域文化を記録に(地域の絆ネットワーク支援事業認可)

 28年度、世田谷区地域の絆ネットワーク支援事業へ、北沢川文化遺産保存の会は申請していた。これが認可されたとの連絡を受けた。我々の会は、代田、北沢、代沢に眠る文化を掘り起こし、これを記録することを狙いとして創設した。活動を続けて十一年目を迎える。北沢川緑道に四基の文学碑を建て、「北沢川文学の小路物語」をはじめとする多くの冊子、また四号を数える研究紀要を発行して着実にその成果を上げてきた。今回、これの認可が下りたことから二点の事業を行いたい。

� 峅舎迷�文士町文化地図」改定七版の発行

 下北沢鉄道交点一帯には文化人が多く居住した。日本でも第一級の作家や詩人である。萩原朔太郎、横光利一、三好達治は、その顕彰碑を緑道に建立したが、彼が当地に生き、多くの作品を創った、土地固有の事象が作品に染み出ている。が、この三人だけではない。驚くほどの作家、詩人、俳人、歌人たちが居住していた。彼らがどこに住んでいたのか。長年に亘ってこれを調べてきた。そしてその旧跡を地図に記してきた。文学者のみならず芸術家、画家、作曲家、彫刻家の旧居まで記してきた。極めて限定的な地域に、驚くべきほどの文化人が居住していた。いわゆる旧来的な文士村を凌駕している。親玉が呼びかけて「来たれ!」と呼び掛けたわけでもない。今になって気づいてみると、あの人もこの人も居住していた。従来の「文士村」という物差しで形容することのできない文化現象が当地一帯にある。それで我々は「文士町」と評している。あらゆる価値が集まってきている。演劇や音楽も含めて多岐にわたっている。近代の日本文化形成史に記録されるべきものだ、質、量において引けをとるものではない。

 「下北沢文士町文化地図」は改定に改定を重ねて今日まできた。しかし、この全貌はまだよくわかっていない。例えば、北原白秋が祖師谷大蔵に住んでいたことからここに近い下北沢に後に著名となった弟子筋が数名いるがその居住場所は分からない。調べに調べを続けていて、意外な人が住んでいた。ついこの間も北村透谷の奥さんが当地で亡くなっていることを知った。
 この文士町は、鉄道開通がきっかけだった。昭和二年の小田急、続いて昭和八年の井の頭線、これが交差することで利便性が高まり、多くの人々が集まってきた。人の集まりは文化をも集めた。芸術ばかりではない、教会も集めた。文士町の形成に鉄道は深くかかわっている。が、最近になって明治期に活躍した作家、生田葵山が代沢一丁目に住んでいたことを知った。今回は新たに分かったことを新版第七版に記入し、記録したい。従来どおり一万部を刷って配布したい。これまでのを加えると五万八千部に達する。

��紀要第五号の発行

 北沢川文化遺産保存の会は、研究紀要を発行してきた。昨年は戦後七十年を記念して、第4号『戦後70周年記念戦争記録集』を発行した。全国からの要望があって200部弱を発送したことだ。
 今年度、地域の絆予算が下りたこともあって発行したい。去年から引き続き世田谷の高射砲陣地についての調べがまとまってきた。「世田谷の高射砲陣地」をテーマと考えていた。しかしこれは極めて特殊的である。それで今回は地域に密着したものをテーマにしようと考えた。
 民族学者柳田国男の著述に「ダイダラ坊の足跡」がある。その書き出しは、「東京市は我が日本の巨人伝説の一箇の中心地」と述べる、すなわちこここそが世田谷代田である。このことはあまり知られていない。我々はこの埋もれている文化を発掘してきた。これを劇にしたり、また「ダイダラボッチ音頭」にして伝えてきた。後者は昨年世田谷代田児童館の協力を得て作った、これをユーチューブに載せて公開している。すでに再生回数は750回を超えている。
 また、この六月には、日本経済新聞には、このわれらの活動が紹介されもした。これらのことから今回の紀要は、東京府巨人伝説の中心地「代田のダイダラボッチ」として発行したい。

2、北沢川文化遺産保存の会第二回「研究大会」消えゆく街の歴史を残そう 

大会テーマ シモキタらしさのDNAを語る

主催 北沢川文化遺産保存の会
共催 下北沢グリーンライン 協賛 世田谷ワイズメンズクラブ
後援 世田谷区教育委員会
開催期日 8月6日(土)北沢タウンホール、スカイサロン
     会費 500円(資料代) 若者学生は 200円
第一部 午前十時から十二時まで
 シモキタの昔を古老に聞く
・戦前の下北沢       釣り名人    三十尾生彦さん(93歳)
・戦後の下北沢       元薔薇族編集長 伊藤文學さん (84歳)
第二部 午後十三時半から午後十六時半
 シモキタの歴史研究 前半
・下北沢を中心とする交通網の変遷(きむらたかし氏)
・報告:東京セロファン世田谷工場の歴史(木村康伸)
 シモキタの歴史研究 後半

〇シモキタの街を参加者で語る 司会石坂悦子さん
 街の歴史を参加者が語り、街の記憶を共有し、未来につなげる。
 問題提起に向けての資料提示
・下北沢文士町文化地図をもとに なぜ文化がこの街に集まってきたか?
参加された方が自由に発言をして進行させていく、この際、昔の写真を映写し、街の形成過程を参加者で討議していく。
第三部 懇親会、納涼会 17時30分より
  会費3500円 豪華「ミドリ楽団物語弁当」つき
 イベント マジック 作道明・藤井理嗣さん
〇 懇親会参加者は必ず申し込んでください。お弁当を発注するので8月1日まで
 米沢邦頼 090−3501−7278 に連絡を。
 ・懇親会は夏恒例行事、できれば楽しい飲み物が食べ物を一品持参
 ・オークション 家にある物品で要らないものを これはオークションにかけて
  会の資金にしている。
*当日、会場設営や運営にボランティアで協力してくださる方がいれば助かる。
  その場合は会場に9時30分に集合。


3、『ミドリ楽団物語』〜戦火を潜り抜けた児童音楽隊〜刊行
 
 世田谷代沢小に戦前、昭和14年器楽バンドが発足した。当校に赴任してきた浜館菊雄先生がこれを発足させた。全国でも先駆けとなる先進的な試みである、が、調べていくとこれが地域の文化と深くかかわっている。音楽的素養、芸術的な素養が登校してきている子どもたちにあったらばこそである。この学童音楽集団の活躍は当地、下北沢地域の文化を映し出す鏡である。音楽、文学、舞踏などいわゆる芸術にたしなみのある親がいてこれら子弟の多くがこのミドリ楽団に加わっていた。戦中における陸軍部隊の慰問、そして戦後における華々しいデビューは強烈だ。
 例えば、アメリカン、アメリカの軍人たちがどれほど彼らの演奏に驚いたことか。大劇場アニーパイルでの公演では、全員がスタンディングオベーション、拍手は鳴りやまなかった。この楽団の指導者は単に猿真似ではない、音楽、アメリカ物がうまく演奏できるだけではだめだ。クラッシックにも挑戦して、器楽演奏でこれも合奏できるんだと訴えた。日本人としての誇りを持たせようとして学童たちに多ジャンルを学ばせていたのではないかと思う。
 知られざる地域史であり、また知られざる戦後史、そして、児童音楽文化史である。今回のものはともかく「楽しい」、それは音楽物語であるからだ。ノンフィクションではなく事実を元にした物語として書いてまとめた。八月六日の研究会に発行が間に合うはずだ。会場でこれを販売したい。2000+税だが、税は割り引く、ぜひ購入を。

4、都市物語を旅する会

 私たちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地の文化を発見して楽しみながらぶらぶら歩いています。参加は自由です。 基本原則は、第三土曜日午後としています。第二週には、会員の希望によって特番を設けることがあります。

・第120回 9月17日(土)午後1時 田園都市線桜新町駅改札前
 駒沢給水塔の水道を歩く 案内者 駒沢給水塔保存会 新庄靖弘さん
 共催 駒沢給水塔保存会・北沢川文化遺産保存の会
 〇都市東京の発展の礎、渋谷町単独の水道事業の痕跡を歩く。
 桜新町駅から多摩川の取水口まで歩く: 桜新町駅→大山道追分→真福寺→フラワーランド→岡本隧道→岡本民家園→野川水道橋→砧下浄水所


・第121回 10月15日(土)午後1時 山の手線田端駅改札口前
田端文士村を歩く 案内者 原敏彦さん
・第122回 11月19日(土)午後1時 京浜東北線大森駅西口改札前
馬込文士村を歩く 案内者 松山信洋さん
・第123回 12月17日(土)午後1時 小田急線東北駅西口前
萩原朔太郎の居住痕跡を歩く     案内者 きむらけん
◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも550円(資料代保険代)
 参加申し込みについて(必ず五日前まで連絡してください。資料部数と関連します)
  電話の場合、 米澤邦頼 090−3501−7278
  メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com FAX3718-6498

■ 編集後記

▲終戦記念日特別行事〜下北沢周辺の戦争痕跡を歩く 募集したところ3名しか集まらなった。それでこれは行わない。先の例示は、こういうコースで歩けるという提示でもある。要望があれば日を改めて開催したい。
▲先月、七月「第九回 駒沢練兵場を歩く」を実施した。「世田谷平和資料館」ができたことからこれをコースに入れて組んでみた。が、トピックとはならない。今後どうするか。地道に続ける努力が必要だとのこと。装いを改め、「第十回 世田谷の戦跡を歩く」として継続することにした。簡単に言えば、下馬の野砲兵跡、下代田の陸軍病院跡、陸軍獣医学校跡、駒場の輜重兵跡などを、つまり、三軒茶屋から池尻大橋までの間の南と北の戦跡を歩くということにして、継続する。季節は「戦争経験を聴く会・語る会」と同じく五月にしたい。七月は暑いことから「地下街を辿ってお江戸東京を歩く」を計画したい。
▲会員は、会費をよろしくお願いします。邪宗門で受け付けています。銀行振り込みもできます。芝信用金庫代沢支店「北沢川文化遺産保存の会」代表、作道明。店番号22。口座番号9985506です。振り込み人の名前を忘れないように。
▲当、メール会報は会友に配信していますが、迷惑な場合連絡を。配信先から削除します。
◎当会への連絡、問い合わせ、また会報のメール無料配信は編集、発行者のきむらけんへaoisigunal@hotil.com 「北沢川文化遺産保存の会」は年会費1200円、入会金なし。会員へは会報を郵送している。事務局の世田谷「邪宗門」で常時入会を受け付けている。(今はなくなった下北沢エグンザス)



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2016年07月26日

下北沢X物語(3084)〜改定七版へ:下北沢文士町文化地図�供�

14 107(一)「今度のものの中に『真正寺ミュージカル劇場』というところがあるんですよ。お宅の寺の本堂で音楽会を開催するのです。境内の庭に面した障子戸を開けると、日傘を持った女の子が出てきて、『絵日傘』を踊るのです、するとムシロ持って集まってきた村人がびっくりするんですよ。踊りが決まっているんでしよ。手つきとか、表情とか、もう村人は大騒ぎで……」
「何か目に浮かびますね…」
 真正寺の住職さんが言われる。
 物語の最終校正を行っていて、先代住職とか現住職さんの名前が出て来る。間違ってはいけないと確認の連絡を、塩尻市洗馬の寺に電話しての話だ。
「そうそう、それとようやっと復活した『真正寺学寮歌』も記録として本に載せておきましたから」
 この歌は、物語の中で大きな役割を果たしている。
「そうですか…」
「いやね、何しろ音楽物語ですから、映画向きなんですよ。映画にすればいいですよね。そうして、疎開学童が演ずる『真正寺ミユージカル劇場』をそこで撮るといいですね」
 昨年、『鉛筆部隊と特攻隊』の一部が劇化されて放映された、これよりも絵になる部分が多い。

 徳光君のスピーチも絵になる。「ミドリ楽団」が初めてワシントンハイツのアメリカンスクール向かう。このバスに彼が乗っていた。団員ではないのに「なぜ?」と皆はいぶかる。ところがいよいよ音楽会が始まる時に彼が舞台に出てくる。そして、なんとまあ滑らかな英語であいさつをした。これから演奏をしようというときに団員は緊張していた。もう度肝を抜かれてしまって、皆口はあんぐり。

 この二つの事例、地域とかかわってくる。前者の話で言えば、北沢の古老、三十尾生彦さんの話を思い起こす。彼は、日本舞踊の大家藤間勘七龍とともにアメリカ軍に慰問したという。思い出したのは、真正寺で巧みな踊りを披露したのはこの藤間勘七龍の稽古場に通っていた子ではないか。

 徳光君の親は、英語が堪能だったという。言えば学区域知性であり、文化でもある。真正寺は再疎開先だ。その前の浅間温泉でも音楽会を開いたとき、兵隊服を着た女子が現れて巧みに洋舞を披露した。これも地元民に強烈な印象を与えている。
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2016年07月25日

下北沢X物語(3083)〜改定七版へ:下北沢文士町文化地図〜

CCI20160725_0000(一)「下北沢文士町文化地図」第七版の発行を決めた。われ等の会、北沢川文化遺産保存の会は、平成28年度、世田谷区地域の絆ネットワーク支援事業に応募していた。このほど採用決定通知があった。それで重版発行を推進することにした。

 今回、地域の文化を再興するということで二つの事業を考えていた。一つが「下北沢文士町文化地図」七版の発行だ。これは改定に改定を重ね、四万八千部を発行していた。次七版では総数、五万八千部になる。「文士町」がまた広く認知される。

 地図は七版だが、実は初版の前に零版がある。2006年5月31日に発行した「北沢川文学の小路物語」の表紙の裏にこれが印刷されている。デザインを担当した東盛太郎さんが作成したものだ。彼はこの後に急逝してしまう。

 地図は彼が遺した遺産だ。現今のものはこれを基にしている。毎版ごとに順次見つかった文芸人の旧居などを書き込んできた。改版は時の経過を表わすものだ。

 こういうこともあった。五版目ぐらいだったろうか。地図を見た人が驚いていた。
「こんなに著名人が住んでいたのか知らなかった。しかし、これ以上は探すな…」
 そんな忠告をした人がいた。地図作りを進めていくと、地点やポイントを集めようという気持ちが働く。彼が言うのは、これ以上調べると「同人誌級の作家となる」と。つまり、記録してきたものの価値が薄まっていくという指摘である。

 しかし、この改版の背景にこそ、「文士町」の特異性がある。この認識も十年に及ぶ経験からきている。旧居調べは隣接する区域にまで及んでいる。隣町の三軒茶屋もそうだ。最近見つけたのは山田風太郎旧居だ。

 文化的な観点での比較でいうと、三軒茶屋は商域や街としては下北沢よりも広い。が、旧居密度は後者が断然濃厚だ。このことによって文士町の特異性が浮かび上がってくる。

 端的に言えば、文士町の全貌は分かっていないことだ。改版を重ねていくうちに少しずつ分かってきて、それが改版につながっていることだ。版を重ねられる街、そういう観方ができる。

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2016年07月23日

下北沢X物語(3082)〜都市論としての「夜霧の第二国道」�供�

DSC_0021(一)「夜霧の第二国道」は、名前がいい。一級から落ちる点がローカルで裏さびれている。落魄行である。物寂しさや哀れさが滲み出ている。フランク永井の大ヒット曲である。昭和三十一年の高度経済成長時代、金銭的には潤ってきた。しかし、庶民の多くは心が満たされないでいた。かろうじて生きながらえている者もいた。ネットで見ていると、やはり、この曲は懐メロとしては人々の心に生きている。とある人が、「むしろ、ある喪失感、下降する人世の、辛い、甘美な肌合いだけは、いまも鮮明に僕の心に残っています。」と書いている。働けど働けど、思いは報われない。ネオン街で恋人を見つけることもできない。社会を支えている男たちの郷愁歌であったのだろう。恋もままならぬ青年たちがせめてこの歌をうたうことで憂さを晴らしていたのかもしれない。

 ネオン街に後ろ髪を惹かれながらもそれを捨てて第二国道を行く、これも男気の一つだったのかもしれない。そういうことでは、ここのサビは泣かせる、「バック・ミラーに あの娘の顔が 浮かぶ夜霧の ああ 第二国道」である。気温の差があって、海岸部の第一国道では霧が出ないのかもしれない。武蔵野の起伏には多摩川からの川霧が押し寄せ霧が出たのかもしれない。

 彼が乗った車、コロナか、二国を走っていく。折々にミラーを眺める。後続車のヘッドライトの向こうには都会の明かりも見える。そこに捨ててきたはずの「あの子の顔」が浮かぶ。本当は好きだったのだけど行きがかりで、「オレはおめえなんか嫌いなんだから」と粋がってみせてしまった。が、二国まできて思う。関心は深かっただけにその女を思う。バックミラーに彼女の横顔が浮かんでくる。「おお、幸子!」とか、ところが無惨にも夜霧がこれをさえぎってしまう。

 バックミラーの守備範囲はある。彼女の顔が浮かび、都会のネオンの光彩映る。距離でいうと環七ラインでないだろうか。つまりは都鄙境である。物語が湧いて消えるところだ。具体的な場所を言えば、松原橋だ。環七を越えていく橋だ。東京外郭環状線である。

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2016年07月22日

下北沢X物語(3081)〜都市論としての「夜霧の第二国道」〜

DSC_0019〇今日から都市の風景が変わった。街や公園の一角に大勢がたむろしている。若者が中心だ。それぞれがスマホをかざして懸命に画面を見ている、折に画面を見せ合う場合もあるが、個々別々の作業にふけっている。その場に居合わせている人間同士だが、つながりは希薄だ。その彼らは探すことに熱中している。得体の知れないものがこの人々をどこかで操っているのではないか。空を見上げるが黒幕は見えない。社会は何か恐ろしいものに引っ張られているのではないか?今日、駒沢公園で出会った異風景である。

(一)テレビチャンネルを回していたら懐メロが聞こえてきた。「夜霧の第二国道」である。これを聞きながら思った。
「なんだあ、これは荏原都市論じゃないか!」

 歌謡曲は情緒性が必要だ、名前はとくにそうだ。これは地理的には「中原街道」でもよい。しかし、「夜霧の中原街道」ではあまりにも田舎臭い。一国はどうだ、「夜霧の第一国道」、これはおしゃれ度が過ぎてフィットしない。やはり抒情といのはある種、臭みが必要だ。場末的な情緒である。一級酒よりも二級酒が訴える。が、これに足を取られると心もおぼつかなくなる。飲酒運転ではまずかろう。ところが「夜霧の第二国道」をゆく運転手は素面のようだ。

 歌にうたわれる、「夜霧の第二国道」はどこだ。国道二号というのがある。これは山陽道を走る、国道だ。この第二国道は、国道一号のうち、東京都品川区西五反田から神奈川県横浜市神奈川区までの区間における道路通称名である。つまり、第一国道の補完道路である。それで人々は「ニコク」、「第二京浜」と呼びならわしていた。

 この「夜霧の第二国道」昭和三十一年(1956)に発売されている。高度経済成長が始まった時期と重なる。また二年後には映画として昭和三十三年(1958)年二月に封切られている。主演は小林旭だ。歌手のフランク永井も、芸名で出演し歌を歌っている。作詩:宮川哲夫 作曲:吉田 正である。

つらい恋なら ネオンの海へ
捨てて来たのに 忘れてきたに
バック・ミラーに あの娘の顔が
浮かぶ夜霧の ああ 第二国道


鉄道にしても車線にしても上り下りというのがある。この車の運ちゃんはどちらへ向かっているのか。これは間違いなく下りである。彼、主人公の男は「ネオンの海へ」つらい恋を捨ててきた。「バカ野郎、おめえなんか嫌いだよ」と言って車に乗り込んだ。車種はコロナだ。ひたすら西へ向かう。まずは桜田通だ。五反田手前の坂を下っていく。山手線のガードを潜り、目黒川の橋を渡り、山手通りを過ぎてやっと「第二国道」に入る。

 都心から遠ざかれば遠ざかるほど「あの娘」が思われる。折々に彼はバックミラーを覗いてみる。このあたりでは明りが見える。

 不図見ると、東京と思う方は、宛然火事でも有るかの様に、明るさが空に映じて居た。瓦斯燈、電気燈、軒に並ぶ街燈、道行く提灯、虚飾と実用とに論なく、戸外に於て輝き合せ、夜の東京をして一層多忙ならしめて居る。その集団の遠き火光が、自づから大いなる背景を造つて、近き大崎田圃の発電所の大煙突二本を、切組絵の様に浮出さして居た。
 明治大正文学全集〈第1-15巻〉「蛇窪の踏切」


 明治四十年発行の「蛇窪の踏切」である。大体位置的には二国に入ったあたりのである。都心の明かりが煌々と空を染めている。この時代は煙突の煙がガスとして舞っていた。が、昭和三十年では、多摩川の川霧が漂ってきたのだろうか。

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2016年07月19日

下北沢X物語(3080)〜第10回「世田谷の戦跡を歩く」〜

P1060039(一)駒沢練兵場を歩く、いつの間にか九回目を迎えた。恒例行事である、野砲兵、そしてけん引する馬、人馬が汗した場だ。ここの近衛野砲兵は皇居の「午砲」(ドン)の担当をしていた。昼時をこの砲兵たちが知らせていた。また三軒茶屋に繰り出して憂さを晴らした第一野砲兵連隊の兵士はレイテに行ったまま帰ってこない。忘れ去られた彼らを追慕する行事だった。来年は十回目となる。

 先の「戦争経験を聴く会語る会」、九回目だった。十年は一つの大きな区切りである。しかし、われらは義務ではやってこなかった。これがねばならないというと辛くなる。先が持たない。
「必ずしも十回目を開催する必要はないと思います」
 これは私の意見だ、先の五月の「戦争経験を聴く会語る会」は、多くの方々が支えてくださった。準備会も何度も行い、反省会までした。
「地域の子どもが入って会をやることは素晴らしい。しかも彼らが自分たちの古い先輩方が歌った疎開学童歌をうたったんだから意味がありますよ」
 サポートした人々の意見だ。それで、来年第十回は目は、五月二十七日に開くことを決め会場も予約した。

 「駒沢練兵場を歩く」はどうするか。九年間行ってきてマンネリ化している。追悼、追慕というベーシックなものがあるゆえに致し方がない面はある。が、続けてくることで知ったこと、発見したことは多くある。今回は、世田谷平和資料館ができてこれをうまく活用できればトピックになりうると。最後にここに着いてここのホールで戦争経験者から一帯の昔の様子を聴くことを考えていた。が、できないらしい。

 継続するとすればどんな工夫があるだろうか? 
「この駒沢練兵場は大体がフラットで歩きやすい、反面景観性に欠けているように思います。」
 蛇崩川と北沢川とに囲まれた台地の上にここは広がっている。それで練兵場と兵営を築いたのである。歩いていくときの楽しみは景観である。これまでので言えば、今も往時の兵舎が残る韓国會館は歩きの中でのトピックだ、年々朽ち果てていくさまがみられる。哀れである。駒沢練兵場の西、昭和女子大構内の記念碑、そして木造兵舎、馬魂碑は戦跡景観としては見るだけの価値はある。

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下北沢X物語(3079)〜追慕行事:九年目の駒沢練兵場�供�

image006(一)戦後71年、戦争の風化は著しい、昨日、疎開学童連絡協議会の長谷川直樹さんからメールには、「疎開体験を語り継ぐという活動に、展望が見えてきません」とのこと。疎開経験者の老齢化で語り継ぎの継承は崖っぷちにあると。活動を辞めたとたんに歴史も消え去ってしまう。疎開学童関係については当事者が亡くなりつつある。彼らが所持している日記や手紙は戦時資料として貴重だが、遺品はごみとして処理される。が、これらを体系的に収集している資料館はない。この保存を含めてきわどいところに来ている。
 
 世田谷からは多くの学童が松本市を中心とした地域に疎開している。その時に書いた日記や手紙は貴重な資料だ。軍関係の記録は多くが焼却されていてない。戦争末期、沖縄戦の後方支援基地だったここには数多くの航空兵が出撃待機で浅間温泉には滞在していた。その時の学童の日記や手紙を丹念に読んでいくと具体的なことが分かってくる。誠隊の所在、あるいは振武隊の所在、この間は、湯本屋にこれが滞在していたことが分かった。

 世田谷区域には歴史記録が多く眠っている。近代戦争史の片鱗がこっそりとある。疎開学童の絵日記には具体的な機影が描かれ、そしてまた最新型重爆撃機の飛来記録までもがある。

 また一方、広大な軍事施設が置かれていた。近代戦争史を支えた場である。砲兵、輜重兵、騎兵などが一帯の施設には駐屯して訓練を重ねてきた、そして大陸や南方に派遣され多くが亡くなっている。玉砕した隊も少なくない。
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 九年間、私たちは駒沢練兵場を巡ってきた。毎月街歩きを行っているが時代の変化とともに衣替えをして継続している。駒沢練兵場を歩くは基本を変えないでこれを継続してきた。夏の暑い盛り、戦跡を歩こうと呼びかけても人が集まらない。

 九年間行ってきたから、次に来年十回目もやろうとは考える。しかしどうしても義務として行わなくてならないこともない。今回は、一つの期待があった、新しくできた世田谷平和資料館を軸に、戦跡歩きと古老からの聞き取りをセットで開催することを。しかし、施設側は冷淡だった。この行事、断念することも選択肢の一つとしてあると思った。
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2016年07月17日

下北沢X物語(3078)〜追慕行事:九年目の駒沢練兵場〜

P1060038(一)回数を重ねて九回目となる戦跡歩きだ。ところが戦争の風化を足が感じた。戦後71年、あの戦争から大きく遠ざかってしまった。しかし、時間の経過だけではない、風化には空疎感があった。なぜだろう、今朝新聞を読んでいて出会った、「現代世界におけるあらゆる信用が揺らぎつつある」と。「そうだ人間への信頼がなくなりつつある」と思った。相次ぐテロ事件、これが日常化して普通に人々が死んでいく、過去の戦争の酷さ、今のテロにおけるひどさ、今日的価値観から戦争の無謀さへの想像力が希薄となってきたように思った。
 
 昨日、119回目となる街歩きの案内者はせたがや道楽会の上田暁さんだ。例によってまず最初は、昭和女子大構内にある近衛野砲兵の記念碑から見て回る。具合よく昭和女子大の教授永山誠先生も参加されていて、建物の中にさりげなく飾ってあるトルストイの絵を見せていただいた。レーピンの手になるものだ。

 近衛野砲兵連隊跡から、第一野砲兵連隊跡へ、この行事の大きなトピックとなるものがここにある。今もなお兵舎がここに残っているのである。韓国会館として使用はされているが、東半分は使われていない。年々朽ちていくだけである。

 明治31年に建てられたとする貴重な歴史建物遺産

 上田さんはこう資料に記していた。

「詳細は調べなくてはなりませんがこの建物の設計が、全国の学校の校舎建築に影響を与えている可能性はあります」
 永山先生の指摘だ。現存する貴重な建造物、保存をとここ数年訴えてはいるが共鳴する動きはない。貴重だということの意味を具体的に示唆する意見だと思った。

「明治時代のものだとすればどのようにして作られたかというのも考えなくてはなりません」とも。先生の指摘でわれらは壁材の板に目を向けた。
「長尺寸ではなくて短寸(1、5メートルぐらい)だから運ぶのに具合よいのでしょうね。当時のことだから馬車で運んだのでしょうね。だとすると日本鉄道の渋谷駅からでしょうか?」と私。

「この材をどこから運んだかということもありますね。往時だと多摩川のいかだ流しがあったから奥多摩とかの材がきているかもしれません。そうなると二子玉川辺りに製材所がなくてはなりませんけどね」
 永山先生は想像力が豊かだ。多摩川のいかだ流しで運ばれたなどというのは今回九回目で初めて出会った示唆だ。

 しかし、この建物年々朽ちていくばかりだ。ちょっとした地震でも崩壊するのではないかと思う。部材などでも保存できないか、街並み保存の会の丸山さんと訴えたこともあるが、その彼も亡くなってしまった。

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2016年07月16日

下北沢X物語(3077)〜「ミドリ楽団」と地域文化〜

DSC01906(一)代沢小のミドリ楽団の興隆と発展、戦争を挟んでの活動であった。敵味方に慰問活動をした児童楽団というのは稀有である。戦争という時代を彗星のように駆け抜けたこの楽団は地域文化と深く結び付いている。そこに固有性がある。鉄道交点文化を映し出す鏡だともいえる。
 
  13日、山崎小OBの長谷川直樹さんと会った。彼も疎開組である。浅間温泉では小柳旅館に滞在していた。彼らも満州から飛来してきた特別攻撃隊と親しくなっている。昭和二十年三月末、出撃していく戦闘機を見送った。翌4月3日、九州新田原近くの佐土原から手紙が届いた。近々出撃するから新聞を注意と。ところが、どういうわけか満州に原隊復帰して、その彼らとまた手紙で交流をする。この正体は分かっていない。

 山崎小と代沢小、そう遠くはない。が、背尾根一つ越えたところにある。前者の最寄り駅は梅が丘駅、後者は下北沢だ。が、学校の環境や雰囲気が異なる。

「代沢小ではさまざまなジャンルがあったみたいですが、信じられません。わたしたちの場合は軍歌だけでしたから…忘れもしません昭和二十年十一月、疎開から帰ってきて梅が丘駅に整列して歌ったのは『勝利の日まで』だった。戦争に負けたのになんであの歌を歌ったのか後々の語り草だ」
 
 山崎小学校には代沢小とは違う不自由さがあった。保守的であった。それでここに漂っていた不自由さがあったようだ。生内泰子さんは、四年生のときに、教室で数え歌をした海苔が焼けたのを三畳焼けた、四条焼けたとうたのがある。彼女は順に行って「九条焼けた」とうたった。このことによって問い詰められた、なぜ歌ったのか。
「九条焼けたは宮城焼けたにつながることからとがめられた」
 彼女は今でも苦い思い出だという。

 都会の田園地帯にある学校はどうも不自由であった。軍隊上りのいばった教師がいてのさばっていたこともあるようだ。

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2016年07月14日

下北沢X物語(3076)〜「ミドリ楽団」とワシントンハイツ�供�

CCI20160714_0000(一)昨日のことだ、会の事務局で人と待ち合わせをしていた。三軒茶屋で街歩きの掛け金を振り込んだ後、代田まで散歩がてら歩いた。途中、太子堂富士見湯の前を通りかかったときに一人の女性と目があった。
「お風呂が開くのは二時からなの、でもね、いつも早くから来て待っているの、こうして待っているのがとても楽しいのね」
 自分では待つのは嫌いだ。行列に並ぶことはない。しかし、待ちながらオープンまでの時間を楽しめるというのはいい。
「道を人が通るのを見たり、待っている人同士で話したり、そしてときにあなたみたいな人が来て、私に知らないことを教えてくれるの。今日はね、とても幸せでしたよ。私が知らないことを教えてくださったのだだもの…」

 彼女は生まれてこの方、この近隣で過ごしていたようだ。小さい頃、今の世田谷公園辺りではよく遊んでいたそうだ。
「あそこはね、駒沢練兵場だったのです。広々とした原っぱがあったでしょう。風が吹くともう大変でした土煙がもうもうと立って目を開けてはいられないし…」
「そうそう埃はすごかったですね。窓を閉めていてもだめなんです。掃除が大変でした、掃除機なんかないしね」
「世田谷公園の西側は野砲兵の兵営がずらりと並んでいました。ここからするとこの坂を上ったところが国道246号です。その向こうが兵舎、そこの溝から流れてきた水がほらそこのドブに流れてきていたんですよ」
「私は、ずぅっと住んでいますけど、そんなこと知らなかったわ、ありがたいことですよ」
 彼女はしきりに感心していた。

 246沿いの世田谷区社会保険事務室に街歩きの保険を提出した。係担当の女性も驚いていた。
「道の向こうに兵営がずらりとあったんですか、そんなこと考えたこともなかった…」
 この一帯、街の歴史が各所で眠っている。が、人はそれを知らない。

 私たちは皮相的な面でしか生きていないのではないか。土地固有のものを知らないで生きている。そして、その最新時間だけがどんどんと人を連れていく。

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2016年07月13日

下北沢X物語(3075)〜ワシントンハイツと「ミドリ楽団」〜

4024e099(一)建物名称からみる都市考現学、日々歩いていて思うことがある。単数が住まう家の名はほとんどが日本名だ、が、これが複数になると外国名となる。ハイツは多い、パークハイツ、スカイハイツ、グリーンハイツなどだ。朽ちかけたアパートまでがメゾンなどとついている。そんなときに梅花荘とか出会うと感動してしまう。しかし、問題は単純ではない。先に起こった猟奇事件はマンションで起こった。立地しているのは世田谷区野沢だが建物の名には、目黒区の柿の木坂がかぶせられている。販売価格では柿木坂である方が、一万三千二百五十八円高いらしい。かつて多数を占めていた〇〇荘、〇〇アパートはない。パレスやハイムなどにどんどん侵食されている。われら日本人のレーゾンデートルはどうしたのか?

 夢野久作の小説「人間レコード」にはこんな場面が出てきた。

 列車の速力がダンダン緩ゆるくなって来て、蒼白いのや黄色いのや、色々の光線が窓硝子ガラスを匐い辷った。やがて窓の外を大きな声が、
「小郡イ――イ。オゴオリイ――イ」
 と怒鳴って行った。


 「オゴオリイ――イ」は、懐かしい、駅ホームでの案内の声、旅路で出会った旧知の地名、小説を読んでいても切なくなる。この響きのいい地名、いつしか消えて、「新山口」となった、後年、「シンヤマグチー」と呼ぶ声に出会ってどれほど落胆したことか。旧来の地名や名前に人々はこだわらなくなった。沓掛などはいい名前だ、が、中軽井沢の方が通りがいい、だいぶ前にこれは改名された。

「世田谷代田も隣の東松原や下北沢にどんどん侵食されてきているのですよ」
 歴史ある地名なのに松原コートとかメゾン下北沢とつけているらしい。地元の人の話だ。

 建物名前の欧米化、全東京が侵されている。この現象、どこから始まったのか。例えば、ハイツなどは駐留米軍がつけた居留地の名前だ、グランドハイツ、ワシントンハイツなどだ。西欧に対するあこがれはハイツから始まっている。

ワシントンハイツの存在は日本人の住空間を大いに変えていく。
芝生を駆け回る犬と白い家……。
日本人が立ち入ることのできないフェンスの中の「アメリカ」をモデルに、日本人は畳や床の間を捨て、リビングに応接セットを並べて、何の疑いもなく大量消費時代へと邁進していくのである。 
『ワシントンハイツ』 秋尾沙戸子 新潮社 二〇〇九年刊

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2016年07月11日

下北沢X物語(3074)〜土壇場のショック:ミドリ楽団物語〜

CCI20160710_0000(一)戦前の昭和十四年に発足し、戦後の高度経済成期時代に消えた児童楽団がある。戦火を潜り抜け、そして戦後になって世界デビュー、全米でのテレビ中継までされた楽団だ。地味な努力とそして華々しい活躍、彗星のような軌跡を描いた音楽集団だ、児童音楽文化史に記録されるべきだと思う。地域の文化発掘をし続ける中でこの話と出会った。すなわち、世田谷区代沢小学校の「ミドリ楽団」だ。何とかしてこれを記録しておきたい。その一心から「ミドリ楽団物語」〜戦果を潜り抜けた児童楽団〜を書き上げた。今校正段階に入っているが、ここに至って思いがけない事実に遭遇した。

 昨今の溢れかえる情報の中で個人的に驚いた情報がある。東盛太郎さんがこの「ミドリ楽団」の団員だったことだ。十数年前、2004年、彼との出会いがきっかけとなってわれ等の「北沢川文化遺産保存の会」が創立された。創設メンバーであった。

 彼と二人で最初に手掛けたのが「北沢川文学の小路物語」である。彼がデザインを担当し、私が文章を書いた。下北沢地域一帯に眠る文化を掘り起こして何とか伝えたい、そんな思いからだ。

 現在、我々は「下北沢文士町文化地図」を作って配布している。改定に改定を重ね、今では六版となった。今年度中に七版を出すつもりだ。実は、この原型を作ったのが他ならぬ彼、東盛太郎さんだ。

 われ等は個々人の経歴についてはあまり話題にしない。生きている今が大事だからだ。しかし、共に奉仕的に活動してきた彼は急逝してしまった。下北沢で彼のお別れ会があった。このときに初めて知ったのが本職のデザイナーだったことである。

 彼との協働でできたのが「北沢川文学の小路物語」だ、お別れ会ではこれが遺作となったと紹介されて改めて感銘を受けた。

 しかし、そういわれるだけの評価はあった。発行すると「朝日新聞」と「毎日新聞」二紙で大きく取り上げられた。前者は2006年6月24日朝刊の東京版に載った。あれからもう十年以上が経つ、このところ「ミドリ楽団」の調べをずっと続けていた。関係者は高齢化し、証言を得ることがとても難しかった。が、あろうことか灯台下暗し、身近なところに関係者がいたのだった。しかし、彼から話をもう聞くことはできない。

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2016年07月10日

下北沢X物語(3073)〜鉄塔とダイダラボッチと弁天池事件〜

P1060035(一)私たちはつぎつぎに入ってくる情報に翻弄されている。国内では相次ぐ殺人事件、国外では止まることのないテロが続く、力による暴力だ。道徳や倫理は全くの無力だ。世界や社会が閉塞化しはじめている。資本主義の金権至上主義の行き詰まりでもある。ドロップアウトした人々がやみくもに人を殺し始めている。多くは疎外者だ。体制は殺人やテロには敢然と立ち向かうというが根絶は不可能だ。便利、金権至上主義は人の心を破壊し始めている。

 昨日雨の中をいつも通り散歩した。弁天池殺人事件の犯人は逮捕されたが池はまだ立ち入り禁止となっていた。ここから北上すると取材陣が大勢いた。ネタに群がるハゲタカのようなものだろう。一連の報道の展開は、マンション内部での遺体解体の可能性が高いことを全国津々浦々に流していた。田舎のじいちゃんばあちゃんまでが殺人事件の推理に加わり「マンションの住人が怪しいね」と嫌疑をかけていた。一番胸をなでおろしたのは住民だろう。

 散歩では池からいつも北上する。西から緩やかに流れている浸食谷が東へと続いている。これが細長い半島を形成している。この最東端に駒繋神社がある。よってこの地区のあざ名は「子の神」である。

 緩やかな坂を上っていくと、報道カメラが並んでいた。犯人の居住マンションを写しているらしい。ドンピシャリ、そこは背尾根に当たる、すぐそばには小学校がある。中丸小学校だ。「中丸」は地名をとったものだ、「丸」は、丘だ。ゆえに背尾根にあることを示している。当然丘を向こうに下れば低湿地がある、そこが鶴が窪だ。すなわちダイダラボッチ伝説のある池である。

 この一帯民俗学的には面白い箇所である。西丸、中丸、東丸、これは尾根筋ラインをいう。東端の東丸の地形は丸っこい、駒繋神社が鎮座している。「子の神」は、大国主を祀ってあることからついているが、さらに古代に遡れば、「子」は星、北斗星を遥拝するところではなかったかともされている。

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2016年07月08日

下北沢X物語(3072)〜弁天池事件の現場をゆく〜

P1060026(一)昨日、碑文谷警察署から電話があった。例の殺人事件の現場は散歩コースでよく歩いている。それで聞き込みかと思った。
「碑文谷公園には家からだと呑川支流の左岸を越えていくのです。背尾根が境界です。ここに古道堀之内道が走っています。現在の環七ですね、ここが境界で向こうが碑文谷、こちらが衾です。地形的には碑文谷の方がフラットです。しかし、あの碑文谷の弁天池は交通的には不便ですよね。南の目黒通りと北の駒沢通の間にあるでしょう。車で行く場合は、一方通行路などをよく知っていないとスムースにはいけませんね」

「碑文谷弁天池の南端には子育て地蔵尊がありますね。被害者を悼んで花束も手向けられているようですが、あれは踏切地蔵です。かつて東横線の踏切があってここで多くの子供が電車に轢かれて死んだのです。それを供養するために作られたものです。今は、すぐ上を東横線が走っていますね。高架下になってもかつての犠牲者をいまも供養しつづけているのですが、何かの理由で子をなくした人がお参りしているみたいです」

「現場一帯にはマンションがありますが、学芸大学と名付けているものも少なくありません。理由は最寄り駅のことを指しています。あの地域から学大を最寄り駅としていたとすれば道には精通するはずです。」

土地の発展と形成と鉄道ということはある。碑文谷地域を東横線がぶち抜いている。注意すべきは北東から南西に走っていることだ。道は耕地整理して作られている。これは南北を基準に作られている。よって最寄り駅、学芸大駅に行くとすれば真直ぐにはいけない、角角をまわりながら向かう。したがって学芸大学を最寄り駅としていれば自然と碑文谷公園あたりの道には精通してくる。

 池があるとすれば周りに傾斜があるはずだ。碑文谷公園弁天池は立会川の源流となっている。実際池を取り巻く北側は坂となっている。現場となったマンションは背尾根ある。よってここから池に行く場合は傾斜を下ることになる。
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2016年07月07日

下北沢X物語(3071)〜自由、平和、そして憲法が危ない〜

DCIM0053(一)日々の荏原逍遥ではいくつか目を楽しませてくれるものがある。一つは保育園児だ。遊歩道で、彼らは無心に遊んでいる。あどけないしぐさを見ていると心和む。が、ふと過行くと大人たちの顔写真が貼られた看板に行きつく。参議院選のポスターである。公約の中に「核武装推進」を掲げている者もいる。これらが子供たちの未来につながるのか?。

 この子供たちの問題では格差が広がっている。高所得者の子弟はいい学校に入れて、高い学力を身に着けて社会に出ていく。が、低所得者は学費が壁になって大学までいけない。何とかしようと奨学金を借りる。ところが、学校出たとたん容赦なく返済を迫られる。人生のスタート時にすでに数百万、中には一千万を超える借金を背負って社会への船出となる。が、甘くはない、女子大生などは到底返せそうにないということで風俗に転職していくという。すべてにわたって若者への支援は薄い。

 今朝の新聞のトップの見出しは、「改憲勢力3分の2に迫る」と与党の優勢を伝えている。他紙でも同じようだ。このところ与党の野党批判はすさまじい、野合だ、政策がないなどと徹底的に攻めまくっている。多くの皆さんの票を得て決められる政治を行っていく、経済政策も道半ばです、これからさらにエンジンを吹かして景気をよくしていきますと。

 危ない、危ないと思う。権力や権勢はのさばり、おごる、これは目に見えている。彼らは力に頼んでどんどんと国民を攻めて来る。何はともあれ国家大事、最優先で、個々人の自由な考えなどはどんどん狭めていく。
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民主社会における勢力の拮抗は大事だ。こここそが緊張関係を生む。自由というものも勢力拮抗があって生み出されるものだ。この拮抗を過ぎて、多くの票を得ると、がぜん与党は張り切る、数に頼んで何でもありだ。やりたい放題で説明などはしない。

憲法について、「憲法解釈変更を閣議決定 集団的自衛権の行使容認」というのは二年前の新聞の見出しだ。そして、去年、とうとう「安保関連法案、衆院可決」となる。十分な審議も尽くされないままである。「集団的自衛権」の閣議決定は違憲だと論議もあったが。今回の参院選では与党は憲法について争点にしないという。

 しかし、多数の議席を確保すれば間違いなく憲法改正へと動く。それで今日の新聞のようにに「改憲勢力3分の2に迫る」と見出しを打つ。

 権力の常套手段は、外国の敵が攻めて来るだ。これであおって票を集める。まとまるとまたさらに強硬手段に出る。戦争することも選択肢に入ってくる。それが目に見えている。

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2016年07月05日

下北沢X物語(3070)〜下北沢文士町の発展と形成〜

P1060019(一)異質なものによって本質が見えてくる。下北沢文士町の核は昭和期文学である。昭和初期に開通した二本の鉄道がクロスすることによって町が形成された。詩人、俳人、歌人、文士が交通の利便性の高まりから集まってきた。ここ十数年の調べからわかったことは彼らの関係性である。人同士の派閥的、党派的な関係性が希薄であることだ。ゆえに文士村ではなく、文士町だと呼称している。

 この文士村の領域に新たに一人の文士が見つかった。明治期に活躍した生田葵山である。彼は鉄道開通以前の大正十年から住んでいたようだ。下代田、陸軍獣医学校の裏手の小ぎれいな庭のある二階家である。隆盛期には稿料が入ったがこれを過ぎての生活は苦しかったように思える。都鄙境に越してきたのは家賃が低廉であったからではないか。

 下北沢文士町が形成された背景の一端は沢尾根一つ隔てて東大があったことも大きい。文学ではないが北沢の世田谷カトリック教会は、東京帝国大学航空研究所長中西不二夫教授の邸宅の二階で発足している。やはり北沢池ノ上駅に近いところに住んだ森敦は東大生で学校に近く、そして彼と関係の深かった横光利一も住んでいた。

 生田葵山がどのような関係で当地に来たのかは分からない。しかし、彼が借りていた小ぎれいな二階家は、下代田の近隣にある学校の教員向けに建てられた家だったと推測できる。彼が越してきたとき、いわゆる民家はほとんどが平屋だった。二階家というのはめずらしかったと古老は言う。

 彼は、巌谷小波の門下生だった。麹町に住む小波が主催する文学サロンが木曜会である。ここに集ってきて、永井荷風と知り合ったようだ。

 下北沢文士町地域では「水曜会」というのが知られていた。亡くなった映画プロジューサーの森栄晃さんはここに通っていた。横光や川端康成にこれからは映画だと言われて映画界に入ったと本人から直接聞いた。今でも彼が語ったエピソードは鮮明に覚えている。

「木曜会のときでした、雨過山房に野鳥が飛んできましてね、綺麗な色をしていました。『いいかい、今鳥が飛んできたのを見て皆はっとしたろう、これが文学なんだ』と先生は言っていました。これは彼の小説の一場面に出てきた覚えがあります。『鳥』という題だったような」

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2016年07月04日

下北沢X物語(3069)〜文士町の成り立ちと生田葵山�検�

P1060028(一)常日頃、荏原を逍遥している、今日、ひょいと路地から出ると数名の人だかり、テレビカメラを据えていた。管内警察署の裏手だ。さては猟奇殺人事件に変化があったのか、家に戻ってテレビを点けたがその報道はなかった。さて、何だろう?

 自身が歩き回っている地域は、江戸見坂地点だ、小高いところに上れば都心の繁栄、進展が目で見える。明治末年、この地点から都心方向を眺めると煌々とした明りが見えた。一人の自殺志願者は、「激烈な生存競争」と見えた。そしてこういう「如何(いかん)とも仕様の無いのは生存競争の結果、倒れる者は如何(どう)しても倒れるのであろう」(江見水蔭『蛇窪の踏切』)と。
 

 現今はどうか、まず林立するビルによって都心方向は見えない。ビルの上階に登ってみると林立する高層ビル群、華やかな光は見える。しかし、今は都市の繁栄は目では見えない。ビル群の地下には網の目のように張り巡らされた地下鉄があり、道路があり、また街もある。都市なるものの全貌は目では見えない。華やかであるが、実際的にこれは虚構的だ。

 明治末年と同じように「激烈な生存競争」はもっと激しくなっている。が、内実が違ってきている、「富めるものはますます裕福に、貧しいものは一層貧乏に」、格差の広がりがどんどん大きくなっている。後者はどんどん疎外されている。そして、今また都市の虚構の明かりはもっと光を増そうとしている。燃料が尽きかけているのに残余のエネルギーを使おうとしている。このきらびやかな明かりは一気に消滅してしまわないかと思う。

 明治末年、「激烈な生存競争」に敗れた人々の処し方は自死だった。生田葵山はこの時期にまさにこの名の通り、『自殺』と題した短編を書いている。そして、彼自身、昭和二十年十二月三十一日、播磨灘で自ら命を絶って死んだ。

 『自殺』の巻頭辞にはこうある。、

黒き蝶の来て止まりたる夕より
清き香失せし白百合の花


 とある夕暮れ、不吉な黒い蝶が飛んできた。すると清らかな香りを放っていた白百合の花は輝きを失ってしまった。白百合は彼が愛していた妻のようだ。

 昭和二十年十二月、世田谷下代田の家で、生田葵山は妻に向かって「祈れよわが手くださむ」と言い残し出ていったのかもしれない。
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2016年07月01日

下北沢X物語(3068)〜会報第120号・北沢川文化遺産保存の会〜 

CCI20160627_0001
…………………………………………………………………………………………………………
「北沢川文化遺産保存の会」会報 第120号 
               2016年7月1日発行(毎月1回発行)
   東京荏原都市物語資料館:http://blog.livedoor.jp/rail777/
               会長 長井 邦雄(信濃屋)
 事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
                 会報編集・発行人   きむらけん
…………………………………………………………………………………………………………
一、北沢川文化遺産保存の会第二回「研究大会」  

 大会テーマ 

シモキタらしさのDNAを語る 

 今年、一月、古老の話を聞く会を開いた。北沢在住の古老、九十三歳の三十尾生彦さんが下北沢が切り開かれたばかりのころの話をされた。話される昔、その多くは忘れ去っていたしまったことに気付いた。「街のベーシックな歴史をきちんと聞いて、遺そう」という声があがり、今回の研究大会のテーマは決まった。
消えゆく街の歴史を残そう

主催 北沢川文化遺産保存の会
共催 下北沢グリーンライン 協賛 世田谷ワイズメンズクラブ
後援 世田谷区教育委員会
開催期日 8月6日(土)北沢タウンホール、スカイサロン

第一部 午前十時から十二時まで
 シモキタの昔を古老に聞く
・戦前の下北沢       釣り名人    三十尾生彦さん(93歳)
・戦後の下北沢       元薔薇族編集長 伊藤文學さん (84歳)

第二部 午後十三時半から午後十六時半
 シモキタの歴史研究 前半
・下北沢を中心とする交通網の変遷(きむらたかし氏)
・報告:東京セロファン世田谷工場の歴史(木村康伸)
 シモキタの歴史研究 後半
〇シモキタの街を参加者で語る 司会石坂悦子さん
 街の歴史を参加者が語り、街の記憶を共有し、未来につなげる。
 問題提起に向けての資料提示
・下北沢文士町文化地図をもとに なぜ文化がこの街に集まってきたか?
・下北沢古写真大映写会(総数百三十三枚 一挙映写)
第三部 懇親会、納涼会 17時30分より
  会費3500円 豪華「シモキタらしさのDNA弁当」つき
 イベント プロの出演予定
  ・マジシャン 作道明・藤井理嗣さん
〇 懇親会参加者は必ず申し込んでください。お弁当を発注するので8月1日まで
 米沢邦頼 090−3501−7278 に連絡を。
 ・懇親会は夏恒例行事、できれば楽しい飲み物が食べ物を一品持参
 ・オークション 家にある物品で要らないものを これはオークションにかけて
  会の資金にしている。


各部のねらい
・第一部は 古老に聞く会だ。小田急地下化を契機に街が大きく変わりつつある。かつての街の姿が人々の記憶から消えつつある。過去を長く生きてきた古老たちの記憶からDNAを引き出し、これを後世に伝えたいというものである。

第二部は、「シモキタの歴史研究」である。交通網の整備がこの街を変えてきた。その基礎的な話を、きむらたかさんがしてくれる。これは貴重報告となるものだ。二番目の東京セロファン工場は、今年初めの古老の話を聴くで大きな話題となった。関係の人々からの資料、またきむらたかしさん提供の工場史をもとに報告をしてもらう。

二、『ミドリ楽団物語』〜戦火を潜り抜けた児童音楽隊〜完成記念販売

 私たちは、代田・北沢・代沢の歴史文化を掘り起こしこれを記録している。この過程において近代史に秘められた「鉛筆部隊の物語」がみつかった。昨年夏、戦後70周年の終戦記念特集のテレビ番組でこの一部が劇化されてテレビで放映された。
 今回の『ミドリ楽団物語』も鉛筆部隊の調査過程で発掘したものだ。今まで全く知られていなかった話である。
 昭和十四年に創部された代沢小のバンドは、戦争になって疎開するときに楽器を持参して技量を落とさなかった。これが功を奏し戦後、アニーパイル劇場で連続三日間の公演を行ったり、全米で活躍の様子がテレビ放送で流されるなどして華々しい活躍をした。これをもとに描いた物語だ。八日の研究会には間に合うとのこと、大長編物語の予価は2000円である。ぜひお買い求めください。当方への予約は大歓迎。

三、第10回、「戦争経験を聴く会・語る会」(2017年)

 毎年行っているこの会は、五月に無事に終わった。戦争と音楽という新趣向で、代沢小学校の協力を得て、疎開学童歌を再現させる合唱を代沢小、五六年生の協力を得て開催した。学童が参加して会場である下北沢都民教会の会堂を歌で響かせた。非常に新鮮な思いを私たちはしたものである。
 このことを受けて、来年度もこれを継続して行うかということを話題にした。先だって関係者七名が集まって総括をしたが、やはり次年度は、大きな節目であることから実施したいということになった。会場は、今まで通り、下北沢都民教会である。
  日にちは 2017年5月27日(土) 午後一時半から

 内容については、早速に山小の長谷川直樹さんから提案があった。軍歌というのが戦中に流行ったがこれが戦意高揚、若者を戦争に駆り立てる役割を果たしていなかったかというものだ。実際の軍歌を聴いてこれについて詳しい人に解説をしてもらうというものだ。
 企画としてはCDで聞くということだが、ボランティア団体を募集して生を歌ってもらうというのもいいのではないか。
 総括ででた一つの案が出た。戦争ものの群読を行って、戦争を伝えるというもの。市民が協力して戦争の悲惨さをそれぞれが伝えるというもの。
 「群読」ということで言えば、我々は「代田のダイダラボッチ」を行なった。これを同じ形はできる。一番良かったのは参加した人がこれに意義を見出したことだ。
 私の作品に『広島にチンチン電車の鐘が鳴る』がある。これを十数年一人芝居として演じているのは女優の蒔村三枝子さんである。ふと思いついて今提案したことだ。
 第10回「戦争経験を聴く会・語る会」 市民朗読劇『広島にチンチン電車の鐘が鳴る』はどうかと。市民が参加して群読を行い、広島原爆の惨劇を訴えるというものだ。
 いかがか?

四、終戦記念日特別行事〜下北沢周辺の戦争痕跡を歩く(再提案)
 
 第九回戦争経験を聴く会・語る会で近隣の戦争遺跡を歩いてみたいとの声があった。思いついたのはどうせ行うのなら私個人は8月15日に歩いてみようと思った。が、この期間はお盆で多くの人が帰省していない。歩く会も八月だけは休みだ。それで思いついたのは企画に賛成して、静かに歩いてみたいという人がいればやってみたいと思った。
結論から先に言うと、これに応じたのは三名だった。当日が、月曜日ということもあるようだ。「十名と言わないで七八名も集まればやるべきです」と幹事の米沢邦頼さん。この行事は義務で行うのはつらい。気が向いたらのんびりと行きましょうよという程度だ。
それで曜日を変えて再度提案する。

 期日 8月14日(日) 新代田駅前 13時集合。案内者 きむらけん
 会費 500円(保険なし)資料なし プライバシーに関わる部分もあるので口頭のみ。
コース:戦時応急連絡線跡(代田連絡線)→戦時歌謡作曲者旧居→代田円乗院空襲記念碑→戦争物語の宝庫代沢小→大東亜戦争戦勝記念碑→開戦記念日の俳句「十二月八日の霜の屋根幾万」作句場所→陸軍獣医学校跡→開戦時首相旧邸→終戦時の某元帥邸跡→池の上駅
申し込みが10人いれば開催。締め切り7月20日まで。開催不開催は掲示板にて。

五、都市物語を旅する会 

 私たちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地の文化を発見して楽しみながらぶらぶら歩いています。参加は自由です。 基本原則は、第三土曜日午後としています。第二週には、会員の希望によって特番を設けることがあります。

・第119回 7月16日(土)午後1時 田園都市線三軒茶屋駅中央改札前
  第9回駒沢練兵場を歩く 案内者 世田谷道楽会 上田暁さん
  夏の恒例行事だ。当地戦跡に生きた人馬を偲んで歩くというものだ。
三軒茶屋駅→昭和女子大野砲兵碑→韓国会館(元兵営建物)→下馬馬魂碑→世田谷公園(駒沢練兵場跡など)→世田谷平和資料館→馬糧倉庫など


・第120回 9月17日(土)午後1時 田園都市線桜新町駅改札前
 駒沢給水塔の水道を歩く 案内者 駒沢給水塔保存会 新庄靖弘さん
 桜新町駅から多摩川の取水口まで歩く
・第121回 10月15日(土)午後1時 山の手線田端駅改札口前
田端文士村を歩く 案内者 原敏彦さん
・第122回 11月19日(土)午後1時 京浜東北線大森駅西口改札前
馬込文士村を歩く 案内者 松山信洋さん
・第123回 12月17日(土)午後1時 小田急線東北駅西口前
シモキタ猫町文学散歩(仮)     案内者 きむらけん

◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも550円(資料代保険代)
 参加申し込みについて(必ず五日前まで連絡してください。資料部数と関連します)
  電話の場合、 米澤邦頼 090−3501−7278
  メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com FAX3718-6498

■ 編集後記
▲保険について、このところ「行事保険」を掛けている。別途50円取っている。ここのところは承知されたい。保険はあらかじめ人数の点検をしてその実数に基づいて掛ける。しかし指定した日までの申し込みは集まらない。それで苦肉の策として予測して掛けている。これが20人である。この間は珍しく20人ピッタリだった。20名に達しない場合が多い。その穴埋め分は保険金を調整して行っている。よって50円まるまるを保険金に充てているわけではない。残余は不足分に充てている。交通経費も掛かるがこれは入れていない。保険はまず書類に記入し、つぎに掛け金を銀行に振り込む。そして社会福祉協議会に行って、加入手続きをする。保険を掛けるようになって事務負担が増えている。
▲松本博物館への寄贈。・武剋隊今野軍曹が本土最終寄港地健軍飛行場から実家宛に出した手紙。・武剋隊佐藤正さん関係、二子玉川小六年貴和子さんに揮ごうした布切れ。佐藤正さんの妹さんから手紙。佐藤正さんが貴和子さんに各務原から送ったハガキ。佐藤正さんが満州の飛行場で他の仲間と撮った写真。五点を会として寄贈した。今年も、博物館では「戦争と平和展」を行うとのこと。寄贈品の展示も考えているとのこと。
▲山梨市の矢花克己さんは、偶然鉛筆部隊の手紙の束を山梨護国神社で見つけられた。このことが契機になって「疎開学童史」の一端が明らかになった。家々で眠っている疎開学童の日記、手紙類、処分される場合には当方に連絡を。貴重なものは手続きを取って関係する博物館や資料館に寄贈手続きをしたい。
▲街歩きテーマは常に募集している。また他団体との共催街歩きも募集している。
▲会員は、会費をよろしくお願いします。邪宗門で受け付けています。銀行振り込みもできます。芝信用金庫代沢支店「北沢川文化遺産保存の会」代表、作道明。店番号22。口座番号9985506です。振り込み人の名前を忘れないように。
▲当、メール会報は会友に配信していますが、迷惑な場合連絡を。配信先から削除します。
◎当会への連絡、問い合わせ、また会報のメール無料配信は編集、発行者のきむらけんへaoisigunal@hotil.com 「北沢川文化遺産保存の会」は年会費1200円、入会金なし。会員へは会報を郵送している。事務局の世田谷「邪宗門」で常時入会を受け付けている。


rail777 at 00:00|Permalink│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化