2005年08月02日

下北沢X物語(319)〜ひばりが唄う軍歌は反戦歌(下)

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  昭和の歌姫には時代の情調が潜んでいる。敗戦から復興へ、それは個々人にドラマを残した。ゆとりのないめまぐるしい変化だった。が、少し暮らしにゆとりが出てきて、振り返ると時代は過ぎていた。「ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて‥」いた。「川の流れのように」は彼女を代表する歌である。
 
   「大当たり三色娘」の時代、ひばりも若かった。昭和三十年代は北口駅前市場が最も華やかな時だった。買い物客でごったがえし通り抜けるのに四十分もかかったことがあった。
 
   戦前の写真を見ると北口駅前には広場があった。そこに戦後になってやみ市が立った。それが駅前市場となったと言う。近隣の新屋敷や野屋敷の焼け残った民家は米軍用の賃貸ハウスとなった。かなりの数が借り上げられたようだ。進駐した際の、米兵の収用場所をあらかじめ考えていて、わざとこの区域一帯は残していたのではないか。そんな妄想すら湧いてくるほどである。
 
   下北沢交点周辺に居住する米兵、それを狙って夜の女が多く集まってきた。やみ市にも米兵相手の小さな店があった。そこで女と兵隊がからんでいる。性が丸見えだったと言う。兵隊はPXで買った品物を商人に売って、そして、女を抱く金を作ったのだろうと思う。この北沢市場には闇物資は異様に多かった。
 
 米の兵隊が吹きだまって、女もやってくる。やがて経済も安定してきて、周辺の丘には応接間を洋風にした家が建っていた。シネマスコープ第一作の舞台として下北沢が選ばれている。洋風の応接間のある谷の街はシネマの映りが良かったのかもしれない。
 
 東宝スコープはサイズが大きくなって三人娘の肌まで見える。メイクは相当念入りに化粧をほどこしたであろう。今北口駅前市場は暗い。当時、ここで映画を撮るとき照明は苦労したと思われる。ライトアップすることでトイレ臭さは消え、山の手の活気ある市場となった。ロングスカートをはいた美空ひばりが駅前市場を唄いながら歩く場面を想像した。それも悪くない、昭和浪漫である。
 
 「 歌え! 青春 はりきり娘」(1955)というタイトルの美空ひばり映画もある。ひばりの役はバスガイドである。これは代田の隣、小田急バス若林営業所でロケが行われたという。丘上の淡島通りを通るバスである。代田と若林の境、そこは森茉莉「恋人たちの森」、ギドウやパウロが住んでいた地点からすぐである。この作品、「新潮」昭和三十六年八月号に掲載されたものだ。
 
   映画や小説の舞台としての下北沢付近、丘の彫り込みは映画によく映る、また、森茉莉が描いたひそやかな同性愛も小さな谷間に似合う。谷間にはドブが流れている。丘と小川は武蔵野の原風景である。そこに人間が住み着いて排泄し、そして、思いを語った。
 
   美空ひばりが買い物をした北口市場、そこにも細流が流れていた。「小魚がいましたよ」と高村園さん。それは、森厳寺川に注ぎ、そして、本流の北沢川に流れた。ドブはすべて暗渠になった。が、昔と同じように地下に川は流れている。流れが曲がったところでは音を立てている。聞いているのはドブネズミばかり。
  
  地上では、ぴっちりと股に巻き付いた短めのジーンズ、上は小さめのTシャツ、むっちりとしたお腹の肌が露出している。髪はそぎ切りで濃淡のある茶髪、メイクもやや濃いめ、そんな女性が今日も下北沢の歩いていた。夕暮れにはアイスキャンデ屋が鳴らす鐘の音も街に響いていた。(写真はビックベン前の八百屋、「八百銀」である)
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