2005年08月12日
下北沢X物語(328)〜夏、荏原の丘自転車紀行〜
荏原の里の谷巡りに出かけた。
赤い花はフヨウ、白い花はムクゲ、坂の途中や、鉄塔の下に咲いていた。夏は川がいい、久しぶりに環七の代田宮前橋から北沢川沿いに下った。暗渠の上の模擬水流だが、涼味を添えて爽やかに流れていた。
赤い花はフヨウ、白い花はムクゲ、坂の途中や、鉄塔の下に咲いていた。夏は川がいい、久しぶりに環七の代田宮前橋から北沢川沿いに下った。暗渠の上の模擬水流だが、涼味を添えて爽やかに流れていた。
つい数ヶ月前まで淡島の宇野千代邸跡は更地だった。が、そこも新築の家が建ちつつあって、痕跡はまたたく間に衣替えしてしまいそうだった。谷崎潤一郎からもらった箪笥をこの淡島の家から荷車に積んで彼女は出て行く。それが東郷青児との別れだった。はす向かいに欅の木がある。この樹はそれを記憶しているはずだ。
宇野千代旧邸前を過ぎて、左に折れる、代沢2丁目の坂である。右手、中腹に東条英機邸はあった。戦災図を見ると「暗影光輝」が薄い。東条邸は焼けたと聞いている。米軍は私邸を戦略的に狙ったのだろうか。政治家についてこれまで触れることはなかった。が、この代沢地区は政府首脳、高位高官が居住していたところである。とある政策や戦略が、この空間の片隅で決定していたこともあるはずだ。横光利一の住まい「雨過山房」のすぐそばだ。文学の隣には政治があった。為政者や軍人が思念した地点でもある。東条邸の近くには杉山元帥も住んでいた。その「元帥夫婦は米軍進駐直後自決され」たと、「今、語り継ぐこと」(世田谷区・戦災体験記録集)にあった。
井の頭線池の上駅の脇を通り、真北に向かう、すると東北沢駅に着く。新宿方向に白い物体が見えた。それがみるみる大きくなっていく。まっ白なボディの最新型「VSE」ロマンスカーだ。夏の箱根に行く乗客、くつろいだ姿が目の前を駈け抜けていった。
笹塚の金子静枝さんところに寄った。北沢五丁目で焼け出された人だ。
「五月二十五日の夜にすっかり焼けて、朝なるとずっと向こうまで見えるの。普段は見えないのに井の頭線の電車までが見えるのよ。」
北沢五丁目も焼け、大原も焼けた、戦災図からもその情景は想像できた。
「知覧に行く特攻機見送ったのはね、日本学園のそば、交番のすぐ前の道を通って、一本目を左に曲がるの」
彼女は地図を書いてくれた。それで位置がようやっと飲み込めた。松原2丁目18番だ。
「五月二十五日の夜にすっかり焼けて、朝なるとずっと向こうまで見えるの。普段は見えないのに井の頭線の電車までが見えるのよ。」
北沢五丁目も焼け、大原も焼けた、戦災図からもその情景は想像できた。
「知覧に行く特攻機見送ったのはね、日本学園のそば、交番のすぐ前の道を通って、一本目を左に曲がるの」
彼女は地図を書いてくれた。それで位置がようやっと飲み込めた。松原2丁目18番だ。
「六十年前のことなのにねぇ、六十年なんかあっという間だね」
笹塚から北沢五丁目に向かう。和菓子「亀泉堂」に行くと奥さんがいた。
「岸さんところ行った?、今日はね、隠居所で高校野球見ているわよ。二階の窓が開いていれば、いるわね。北五の生き字引だから昔のことはなんでもわかるわ」
岸さんは北沢八幡宮総代である。教えられた場所に行くと、あいにく窓は閉まっていた。
笹塚から北沢五丁目に向かう。和菓子「亀泉堂」に行くと奥さんがいた。
「岸さんところ行った?、今日はね、隠居所で高校野球見ているわよ。二階の窓が開いていれば、いるわね。北五の生き字引だから昔のことはなんでもわかるわ」
岸さんは北沢八幡宮総代である。教えられた場所に行くと、あいにく窓は閉まっていた。
北沢五丁目から二丁目、下北沢一番街の大月菓子店に行く。ここでは70円のビンのコーラをいつも飲む。
「空襲ではここら辺焼けなかったわね。アメリカ兵ね、カビの生えたチョコもらったわ。それをそぎ落として食べたわ。ああ、いいものある。あげるよ」
下北沢と出会う雑誌、「Misatikoh」2005.july.28thである。「下北沢にあった4つの映画館」を特集していた。知りたいと思っていた「エトワール」近辺のことが書いてある。興味深い雑誌だ。
「空襲ではここら辺焼けなかったわね。アメリカ兵ね、カビの生えたチョコもらったわ。それをそぎ落として食べたわ。ああ、いいものある。あげるよ」
下北沢と出会う雑誌、「Misatikoh」2005.july.28thである。「下北沢にあった4つの映画館」を特集していた。知りたいと思っていた「エトワール」近辺のことが書いてある。興味深い雑誌だ。
「『下北沢南口生まれ、南口育ち』ってわたしのこと書いてあるけど、下北沢西口生まれだね」と言って笑っていた。
北口駅前市場の高村園さんに行った。ブログに載せた記事を届けるためである。先客が二人いた。奇遇である。話しているうちに分かった。一人はいつも伺っている佐山さんのところの長女の息子さんだった。
「米軍の兵隊ね、代沢4丁目あたり、あそこらに住んでいたの覚えているなぁ」
進駐軍のことはすべて佐山家の血筋が知っているように思った。
「下北沢のことは彼がもっともよく知っているよ。」
高村園さんが笑いながらもう一人を指さす。言われた彼も笑っていた。下北沢交点地下に埋まっている化石の種類まで知っているのかと思った。が、違う、下北沢の暗闇世界のことのようである。
「米軍の兵隊ね、代沢4丁目あたり、あそこらに住んでいたの覚えているなぁ」
進駐軍のことはすべて佐山家の血筋が知っているように思った。
「下北沢のことは彼がもっともよく知っているよ。」
高村園さんが笑いながらもう一人を指さす。言われた彼も笑っていた。下北沢交点地下に埋まっている化石の種類まで知っているのかと思った。が、違う、下北沢の暗闇世界のことのようである。
旅の終わりは代田「邪宗門」である。
「お盆はみな居なくなってしまうので暇ですよ」
作道さんはいう。となればもったいない時間だ。そう思って、ルパング島の小野田寛郎氏の第一発見者、鈴木紀夫氏のことを聞いた。彼はここで三ヶ月ほど接客修業をしていたそうである。
午後の静かな喫茶室で一人の男の冒険とロマン、そして、死を聞いた。長い長い一日だった。
(写真は、手品師としての作道氏である。代田「邪宗門」にて)
「お盆はみな居なくなってしまうので暇ですよ」
作道さんはいう。となればもったいない時間だ。そう思って、ルパング島の小野田寛郎氏の第一発見者、鈴木紀夫氏のことを聞いた。彼はここで三ヶ月ほど接客修業をしていたそうである。
午後の静かな喫茶室で一人の男の冒険とロマン、そして、死を聞いた。長い長い一日だった。
(写真は、手品師としての作道氏である。代田「邪宗門」にて)



















