2005年08月22日

下北沢X物語(337)〜赤堤に墜ちたB29探査行(上)〜

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  情報は行って調べる、それがベストだ。頭の中で考えていては分からない。その地点の環境や地形は貴重な情報である。知覧へ行く特攻機を見送った場所、作家が書き記した土手、戦時に応急的に敷設された線路跡、そこにいくと分からないことが分かってくる。丘があり、谷があり、川がある。アップダウンはハードだ。が、ペダルでの武蔵野巡りは発見に満ちている。
  
  あることを調べていくうちに別のことがわかってくる。そういうことはしばしばである。それが思いがけない展開をみせる。まるで自分がドラマの渦中にいるように思われるときもある。物語を発見することもあるが、物語が向こうから近づいてくるときもある。
 
  フィールドワークによる経験は貴重だ。武蔵野の谷、荏原の谷を何千キロとペダルで巡ってきたことで分かることがある。口がものを言うのではなく、足がものを言う。谷の角度や斜度、それは足の記憶だ。脚に刻まれた負荷が悩を刺激する。この谷はあそこの谷と繋がっているはずだと思って行くと、果たして松の多い谷に近づく、風が強い地点だったり、ドブが匂うところだったりもする。
 
  鉄道交点近くの聞き書きから重爆撃機B29が近くに墜落したという話を聞いた。「火だるま」になって墜ちていった、高射砲の弾が当たると「たこ入道」みたいにまっ赤になって爆発する、と、そういう人もいた。日本の戦闘機が体当たりしてもびくともしない、そういう巨漢であった。
 
  代田在住の春宮さんは子どものとき、墜落地点まで行ったと話された。そこで、風防硝子を拾ったと言う。石でこすると果物の匂いがしたと。彼は墜落地点を豪徳寺の北沢川近くだったと教えてくれた。そこはどこなのだろうか。前々から気になっていた。
 
  世田谷中町の「せたがや平和資料室」に行くと経堂に墜ちたB29の金属片が展示してあった。(写真)豪徳寺か、経堂か、そう思っているときにこのブログの読者のじゃらんさんが赤堤赤堤町1丁目382番地に墜ちたという情報を伝えてくれた。番地までも示されると興味が湧く。
 
  念のためと思って「B29  赤堤」と検索してみた。すると、驚いたことに克明な記録が載っていた。そのアドレスは次である。http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/B29-42-65266.html
 
 墜落日時 1945年5月24日
 墜落位置 東京都世田谷区赤堤町1丁目382番地
 所属 第20空軍第313爆撃団第504爆撃群第421爆撃隊
 攻撃目標 東京市街地
 墜落原因  高射砲
 機体ニックネーム Game Cook Charlee
 
 「青森空襲を記録する会」のホームページの中にある「本土空襲墜落機調査」である。そこに墜落機一覧がある。赤堤に墜ちたB29のことはそこに出ている。搭乗員十一名のうち七名が亡くなり、四名が助かっている。それは落下傘で下りた兵士であろう。
「落下傘で下りてきた米兵を竹槍で脅していましたね」
 そんなことを代田の春宮さんから聞いたような覚えがある。ネットにはこうも記してある。
 
  第二次大戦で単一任務としては最大の出撃機数(562機)となった東京市街地空襲中、本機は第四エンジンを高射砲に直撃され、世田谷区赤堤町1丁目382番地に墜落した。Stalmaker軍曹、Jones軍曹、Macomb伍長、Corrie伍長の4人が東部憲兵隊司令部に拘束され、戦後帰国した。戦死者の遺骨は多磨霊園に安置。
 
 名前はイメージを創り上げる。「ゲームクックチャーリー」と名づけられた重爆撃機B29昭和20年5月24日に飛来し、日本軍の高射砲によって撃ち落された。これだけのことが分かると、その現場に行ってみたくなる。
 


rail777 at 20:27│Comments(16)│TrackBack(0)││学術&芸術 

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この記事へのコメント

16. Posted by きむらけん   2012年08月24日 17:05
[B29の女性搭乗員]

 B29に女性が搭乗していたかどうか、このブログ内の「爆撃機B29記憶の掲示板」で大きな話題となりました。

 結局は、搭乗していなかった。そのことに落ち着いています。経緯、経過が、「爆撃機B29記憶の掲示版」に記されています。参考になさってください。
15. Posted by 女性搭乗員はいないようです   2012年08月24日 16:33
AINA, Pasquale T.さんはれっきとした男性です。
http://thedailynewsonline.com/news/article_bbee0a92-b7d9-11df-90bc-001cc4c03286.html
に写真があります。
14. Posted by きむらけん   2010年09月29日 23:35
[B29女性搭乗員]

 経堂に遺体が並べてあった中に女性がいたというのは読んだ覚えがあります。海軍第14期飛行予備学生で北浦海軍航空隊に居た人がB29墜落現場に行ってハイヒールを履いていた女性隊員がいたと言っていました。
 昭和20年(1945)4月18日、大刀洗飛行場を攻撃したB29が墜落しています。これに搭乗していた通信員は女性のようです。名前は、AINA, Pasquale T.となっています。北欧系の女性名がついています。通信員にはいたと思われます。

13. Posted by 桜上水condfidentia;   2010年09月29日 23:01
さらにたびたびお騒がせしてすみません

投稿前にもっとよく精査すべきでした。


「帰宅して、砲兵出身の父に聞いたところ(彼はラバウルにおりましたから終戦前後の国内は詳しいことは分かりません)、高射砲陣地が船橋(現千歳丘高校校庭)にあったならば、経堂赤堤通り団地前交差点付近にあった高射砲陣地とは、地形からみて高射機関砲陣地であろうとのご託宣でした」
と訂正しておいてください。
12. Posted by 桜上水confidential   2010年09月29日 22:53
第三弾失礼いたします

3.高射機関砲陣地
B29墜落地点の近く、現在セブンイレブンがある経堂赤堤通り団地前交差点には、高射砲陣地があったというお話しを伺ったことがあります。
帰宅して、砲兵出身の父に聞いたところ(彼はラバウルにおりましたから終戦前後の国内は詳しいことは分かりません)、高射砲陣地が船橋(現千歳丘高校校庭)にあったならば、それは地形からみて高射機関砲陣地であろうとのご託宣でした。
「高射機関砲の最大射程は3500mで、配備された目的はB29ではなく、高射砲陣地攻撃を試みるB29を支援する戦闘機を狙い、高射砲陣地などを守る」
「高射機関砲は、低空で(高射というになぜ低空なのかという質問には、高射というのは45度以上の発射角を持つ砲のことであり、必ずしも低空に対する高空を意味しないそうです)来襲する敵航空機を対象に開発されたもので、敵機に直接弾着による損害を与える。
高射砲は一般に10000m以上の射程(射程であって、弾着の高度を言うわけではない)を持つ。直接の弾着ではなく、敵機の来襲高度に対応して信管を調整することにより、爆発による風圧、散開する破片に敵機が突入することで損害を与える」
高射砲が敵機に届かず詳しい思いをしたと言う話をよく聞きます。しかし、そもそも砲弾を当てることを目的として打ったのではなかった。
11. Posted by 桜上水confidential   2010年09月29日 22:50
2.女性搭乗者
調べてみれば分かることですが...
第二次世界大戦は総力戦とはいえ、女性を戦闘員として戦場に送ることは、日本軍にもなかったことです(一部にそのような伝説がありますが、徴兵制の対象は成年男子であります)。
米国では、しばらく前イラクでの戦闘に女性が加わっていたことが話題になるほどですから、65年前女性をB29搭乗員にしたとは、あり得ないでしょう。
私たちは、男女同権の米国では、戦前からすでに様々な職場に女性が進出していたと考えがちです。しかし、米国女性の社会進出は、日本とまったく同じで、第二次大戦がきっかけでした。対日戦争が米国女性の社会進出を促したのです。

B29女性搭乗伝説は、市民一般初めて目にする色の白さに性別に惑うことがあったものか、或いは、それを「女を爆撃に同行させるヤワな連中」というキャンペーンに利用したものか?
10. Posted by 桜上水confidential   2010年09月29日 21:51
1.上北沢に落ちた尾翼
赤堤に落ちたB29の尾翼は途中で本体を離れて上北沢に落下したのですが、本体の落下方向は途中経堂方面から赤堤へと変わったとあります。
これは、尾翼が離れたことにより、本体の落下方向に変更を生じたものであり、ここでいう上北沢は当時の住所と思います。現在の桜上水三丁目でありましょう。
尾翼落下地点を聞いたような記憶もあるのですが、定かでありません。
9. Posted by きむらたかし@三田用水   2010年09月29日 21:39
[ナパーム弾]

最近WEB上のどこかで、欧州戦線で通常の爆薬を消耗しすぎて、
太平洋戦線では通常爆弾が枯渇してしまったのが、焼夷弾攻撃
に転換した要因の一つだったとの話を読んだことがあります。

「鉄道文学館」掲示板をみて思い出したのですが、もう30年
も前、公私とも、結構頻繁に寝台特急を使っていたころですが、
「あさかぜ」で、同じブロックに乗り合わせたおじさんから、
こんな話を聞いたことがあります。

終戦になって敵さんのフネが東京湾に入ってきたろう。
見て悔しかったねぇ。
だってさぁ、あっちのフネも、もうボロボロ。

ハワイを基点に考えても、やたら長い戦線ですから、消耗もは
げしく、いかな物量を誇る国といえども、補給も思うようには
ならなかっただろろうことは、それなりに想像できます。

8. Posted by きむらけん   2010年09月29日 17:01
[赤堤B29墜落続報]

経堂小のホームページ拝見しました。書かれた方は5月25日に新潟に疎開されていますね。その「出発の前日だったと思うが」と記されています。経堂小の近くに搭乗員の遺体が野ざらしにされていたとありますが米軍記録と合致するので24日墜落は確かな事実だと言えますね。搭乗していた少年兵の性器を人がわざとさらしていたとリアルな描写があります。国領のB29の場合も、米兵を竹槍で突き刺したみたいなことを目撃者から聞きました。戦後はそれを皆黙っていたとも。こういう市民レベルの情報交換は必要なことだと思います。
7. Posted by 桜上水confidential   2010年09月29日 16:13
1945年5月24日赤堤に落ちたB29については、経堂小学校同窓会ホームページの
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kyodosho_dosokai/4genkou.htm
に記載があります。

不時着地、および、直掩戦闘機マスタングの発信基地として硫黄島を確保した米軍は、指揮官を悪名高きカーティスルメイに変更、1945年3月10日を期に、それまでの高空精密爆撃から、低空の焼夷弾攻撃に戦術を変えました。
戦術変更は、米軍側にも被害増加をもたらし、B29搭乗員は死を覚悟して出動したと伝わります。直接戦闘による戦死はもちろんですが、憎悪にかられた住民によるリンチはそれ以上の恐怖でした。
軍隊、警察は、捕虜尋問から得る情報収集のため、墜落米兵の身柄を確保しましたが、実際に住民によるリンチはかなりの頻度で発生していたようです。
軍隊、警察による身柄確保後の待遇も酷いものだったようで、この撃墜されたGame Cook Charlieの生存搭乗員がこのときの恐怖の体験から、米国帰国後も精神の障害に苦しんだことが記録されています。
戦争は戦闘による直接被害だけでなく、その後も人々をさまざまに苦しめるものであります。
6. Posted by きむらけん   2010年09月27日 16:03
[赤堤に墜落したB29]

貴重な情報です。機体は対空砲火でバラバラになったようです。尾翼は上北沢に墜ちたとも聞きました。落下した「耕作地」には油が残って大変だったようです。今すぐ、典拠は示せませんが、経堂駅前に遺体が並べてあって女性乗組員も居たと書いてありました。昭和20年5月24日、いわゆる山の手空襲のときですね。落下傘で下りた四人が捕虜になっているようです。女性は銃後という考えからすれば大型爆撃機に女が搭乗していたというのは驚愕だったでしょう。空から墜ちてきた黒船みたいなものですね。
4月7日には杉並区久我山にも墜ちています。紀行作家、宮脇俊三の姉が遺体を見、「とっても若くてきれいな顔しているの。鼻筋が通ってて立体的なのね。それに指輪なんかはめているのよ。恋人でもいたのかしら」(「時刻表昭和史」)と書いています。
5. Posted by 一桁の息子   2010年09月27日 00:34
はじめまして。母が疎開先の経堂で撃墜の一部始終を見ていたようです。祖母と母の二人の頭上にまっすぐに落ちてきたので防空壕に入っても助からないからと外に立って呆然と見ていたそうです。しかし途中で急に方向を変えて赤堤の方に墜落したのだそうです。翌日、耕作地にめり込んだ機体を見に行って、搭乗員の腕がだらりと出ていたのを見たそうですが、亡くなった搭乗員の肌があまりに真っ白で周囲の大人たちは女性だと思ったようで「米軍は女性を爆撃機に乗せている。」といっていたようです。船橋の高射砲隊は優秀で、この日も彼らが撃墜したのだと言っていました。
4. Posted by きむらけん   2009年07月04日 20:37
戦争の証言や記憶などを多くこのブログ、東京荏原都市物語資料館に収録しております。次代に記憶を繋げるためです。学徒動員のときの記憶、体験、もしもよろしかったらここに記してください。
3. Posted by 林幸三   2009年07月04日 13:10
5 1944年は、学徒勤労動員で、住友金属
若山製作所、旋盤工として、ジュラルミン
再生素材で、エンジンケースを作りました。
2. Posted by きむらけん   2007年09月03日 18:45
 難しいご質問ですね。答えられる範囲で回答いたします。当時墜落した本体部は畑の中だったようです。北沢川を辿って見に行ったという人に何人か会いました。
 匂いガラスを拾って家に持って帰ったと。破片なども珍しいものだから持ち帰ったのでしょう。平和資料館のはそういうものかもしれません。
 本体はしばらく放置されてそれから片づけられたものと思います。金属のジュラルミンは貴重でしたから恐らく再生利用されたものと思われます。
1. Posted by 新井 勲   2007年09月03日 14:26
墜落したB29の機体はそのご、どうなったのでしょうか?

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