2005年08月24日

下北沢X物語(339)〜笹の下に眠っていた高射砲陣地跡(1)〜

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   当てもなく家を出た。武蔵野を巡るプチ漂泊である。が、思いもかけない展開となった。どうやらペダルが硝煙の臭いをかぎつけたようだ。
 
   台風の余波を受けていて、空は今にも崩れてきそうで暗い。遠くまではいけない。
「よし、代田までいくか」
 ワンポイント調査を思いついた。赤堤に墜落したB29、その現場に行って匂いガラスを拾ってきたという人がいた。代田の春宮さんである。もっと具体的なことを聞いてみよと思った。
  
    代田までは丘を三つ越える。川も三つ渡る。まず、蛇崩川、つぎに烏山川である。そこまで来て、ペダルが左、川上に行こうとする。鼻より、足、ペダルが臭いをかぎつけたようだ。「ガソリンのにおいか」と思った。すると、Game Cook Charlee、赤堤に墜ちたB29のニックネームが思い浮かんできた。その墜落原因は、高射砲である。クックチャーリーは船橋にある高射砲陣地から発射された弾に当たって墜落した。
 
   地図上の船橋を基準に考えると納得がいく。西から飛来したB29が船橋の高射砲の攻撃を受けて当たった。高度一万メートルだと当たらない。が、この昭和20年5月24日と25日は低空で敵機は侵入してきている。それを世田谷若林の海野十三は記録している。ゲームクックチャーリーが墜ちた24日のことである。
 
○激しいB29の空襲が始まった。三千メートル位に降下している。照空灯の光の中にしっかり捉えられている。(「海野十三敗戦日記}(中公文庫 2005年7月刊)
 
   船橋の高射砲はそれを捉えて、弾を放った。それでゲームクックチャーリーを撃ち落とした。 船橋三丁目の北東約1,5キロほどの所に西福寺がある。この近くにB29の胴体は墜ちた。尾翼は真北の上北沢に落ちた。惰力と重さで胴体は西北へ、風とその軽さの加減か尾翼は真北にという推測が地図上からできる。
 
    船橋の高射砲によってB29が墜ちたことは、赤堤小学校の三十周年記念誌にも載っていた。そこには、「船橋にはてきの飛行機をおとす高射砲がありました。ここでうったたまがB29に当たりました。そして、赤堤三丁目の畑におちました。」とあった。
 
「よし、ペダルの向くままだ」
   ハンドルを西に向けて、船橋三丁目をめざした。烏山川の遊歩道にそって、さかのぼった。ムクゲやフヨウの花が咲いている。夏の終わりの蝉の声、それを聴きながらペダルを漕ぐ。思いついて出てきたので地図はない、けれども、船橋三丁目は烏山川沿いにあったことは覚えている。川を上流に行けば必ず行き着くはずだ。
 
  やがて、経堂という地名表示が現れた。目的地は近づいた。経堂三丁目の道を渡ると、もうそこは船橋三丁目である。回りには高層マンションが建っている。軍事施設の跡には公園やマンションや公団住宅が建つ、自転車乗りの経験だ。それは勘である。が、人は歩いていない。手がかりもないままにペダルを漕ぐ。すると、前にコンビニの袋を下げた男が歩いている。いい後ろ姿だ。
「あのう、一つうかがってよろしいでしょうか?」
 おずおずとわたしは聞いた。すると、かまいませんという返事だった。
「この船橋にかつて高射砲陣地があったと聞いてきたのですが、ご存じないでしょうか?」
「ああ、知っている」
 意外な返答であった。戦争の跡のことを聞いてもほとんどの人が知らないと答える。
「ここの丘の上に、都立千歳丘高校があります。正門を入ってグランドの方に行く道があります。そこを下っていくと松の木が数本茂っているところがあります。そこが高射砲陣地跡でしたね。確か礎石か台石のようなものがありましたよ」
 まったく思いがけない展開だ。一人の人間に聞いて全部が分かるというのもまれなことである。それにしてもなぜ知っているのだろう。
「ああ、昔、そこに勤めておりましたから」
 彼は笑った。親切なことに、わたしの持っているノートに地図まで書いてくれた。
「ごくろうさまです」
 彼は、別れ際にそう言った。自転車で戦跡を訪ねていると言ったからだろう。(写真は、「都立千歳丘高校」のグランドから撮った高射砲陣地跡の松林) 


rail777 at 21:21│Comments(0)│TrackBack(0)│

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