2006年01月01日

下北沢X物語(457)〜下北沢の名犬アニーハクウン物語(1)〜

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    せつなくもの哀しい話に出会った。犬の物語はいつもそうだ。

 その名はアニーハクウンという、犬種の正式名称はジャーマン・シェパード・ドッグである。通称はシェパードという。佐山一雄さんはその犬の話を記憶の小箱から引き出してきた。そして、ゆっくりと語り始めた。
 年の瀬の冬の日が縁側をのんびりと照らしていた。そこでわたしはじっと話に耳を傾けた。

「しっぽが黒くて長い犬でした、アニーハクウンという名前の大きなシェパードでしたよ。家へ来たのが昭和十年頃、わたしが十一の時ですね。やつは手の平に載るほどのほんの小さな子犬でしたよ。でね、借金のカタに親爺が飼い主から譲ってもらったものですよ。犬の値段は高かったですね。その頃犬を血統種を飼うなんてことは一般的じゃあなかったからです。でも、血統のいい犬は高い値段で取引されていたのですね」
「そうだったんですか?」
 そう言ったとき赤い車体の「箱根号」の上り電車が通っていく。佐山さんの家の道路一つ隔てた向こうには小田急線の線路がある。その特急が通り過ぎてから彼は話を続けた。

「親はガロって言ってましたね。親爺が犬好きだったんで、その犬は自分のものじゃなかったんだけど、下高井戸あたりまで自転車で連れて行って運動させていましたよ。で、その犬に子どもができたんですよ。ちょうど飼い主に120円の貸しがあったのですね。親爺は借金のカタにそれをもらい受けたんですよ。当時、シェパードの純血種は目の玉が飛び出るほど高価だったんですよ。」
「そうか、そうか、お金の価値が違っていたんですね?」
「ええ、そうですよ。だってね、120円なんて大金ですよ。その頃は50銭もらって大喜びしていましたよ。電車賃だって下北沢から新宿までは9銭、渋谷までは7銭でしたよ。それで、5銭で映画見られたんですよ。新宿行ったら武蔵野館行きましたね。映画見て帰りに買い食いができるんですよ。渋谷なんか行くと映画見て、それで屋台の焼き鳥食べて、残ったものを駅前にいるハチ公に上げましたよ。秋田犬は喜んで食っていましたけどね。」
  佐山さんは50銭の内訳を話しているが、50銭もらって大喜びというのは複数のことを言っていることに気づいた。兄弟である、二人で映画見て、そして帰りに買い食いする。お金と人間の単位が分割を前提とされている、かつてはそういう物の考え方である。



「ハチ公っていうのはあのハチ公ですか?」
「そうですよ、渋谷駅前に銅像があるでしょう」
「ええ、ありますね。いまは待ち合わせの名所になっていますね」
 歴史の中にいたハチ公が目の前に浮かんでくる。国立科学博物館でハチ公の剥製をみたことがある。その犬が自分の世界の中で生き返る。佐山さんのやった焼き鳥に食らいついている様をである。

 醤油ダレのついた肉片を串から取ってハチ公に差し出すとやつはその少年の目をちろりと見て、肉にかぶりと噛みついて、すぐに呑み込んでしまう。そしてまた彼を見上げる。
「なんだ、まだ食い足りないのか」
 少年はこんどは焼き鳥のハツを二つ串からひき抜いて差し出す。そんな光景を思い浮かべた。よく聞く話である。主人を迎えにではなくお余りの焼き鳥食いにきたのだとも。その忠犬ハチ公は昭和10年に亡くなっている。佐山さんが焼き鳥の肉をやっていたときはもうだいぶ歳がいってよぼよぼだったそうだ。

(写真はシェパードの血を引いた雑種の犬である。この話とは直接関係ない。が、このエピソードは「下北沢一番街」を舞台にしたものだ。下北で一番古い商店街だ。萩原朔太郎「猫町」はここを舞台としている。また、この近辺には詩歌の作家が多くたむろしていた。ヒットラーユーゲントが視察に来た町でもある。歴史ある商店街だ。新しいスーパーの進出で客足が鈍っている。この話が商店街を勇気づけることになればよい)



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