2006年01月06日
下北沢X物語(462)〜下北沢の名犬アニーハクウン物語(補遺編)〜
恋すれば思われる、正月休みは犬への恋慕であった。
暮れに思い立って荏原の里のペダル巡回に出た。世田谷代田和菓子の「香風」に寄って昔話を聞いた。「近隣のお屋敷の人が死ぬ度に売り上げが落ちる」と。悲しい物語を聞き終えて鎌倉通りに出た。小田急3号踏切を通って道なりに行くと佐山さんの家がある。何度も伺って下北沢の昔話を聞いた家である。「良い年を」と挨拶だけしようと思って行ったら犬の話がひょろっと佐山さんの口から出てきた。アニーハクウンの話である。
暮れから正月にかけてアニーが自分の頭を占めた。犬はいい、自分のところでも飼っている。シェパードの血が混じっている雑種である。主人には忠実である。が、ネズミには滅法弱い。「ネズミだ、ネズミだ」と報せるだけで前足で床をひっかくだけである。自分の所にいる犬を眺めながら、佐山さんに聞いたことを物語に組み立てた。
四日の日にほとんどが出来た。それで、出来た物語を持って佐山家へお邪魔した。大筋は聞いているが、まとめるとなると細かいところが分からなくなる。その部分は自分の想像で補っている。聞いたときには分からなかったことだが佐山さんの父親が相当な犬好きで、だいぶ入れ込んでいた。しつけなどは佐山少年にはできないなと思って親爺さんのことを話の中に強調して書いた。それが合っているかどうかは分からない。それに、「肉の三吉」はあったけどアニーハクウンの話は知らないと言われた。細部で気になる点を確かめたかった。
訪ねると家はひっそりとしていた。帰ろうとすると奥さんが縁側に顔を覗かせた。佐山さんは在宅だった。家に上がってまとめたものを読み上げた。奥さんも聞いている。原稿用紙30枚分ぐらいある。ときにはうなずき、ときには目をつぶった。それで、アニーハクウンの話を聞いてもらった。
親爺さんが犬に相当入れ込んでいたことは間違っていないと言うことだった。その親爺さんがしつけをしたようだ。ジローとアニーハクウンは別の時期ではなく同時にいたととのことだった。名倉次郎さんはこちらが調べた通りで著名な英文学者であった。佐山さんところに外国から手紙が来てびっくりしたらその名倉次郎さんだったと言う。丘上の住人だったというのも間違いなかった。中村汀女さんのもう一本裏手の道に住んでいたと言う。
「肉の三吉」があったことに佐山さんは驚いていた。店の主人がアニーのことはわからないと言ったということについてはこう言った。
「昔の話だからね、66年も前の話だものね。それはね、きっとお孫さんぐらいじゃないかな。アニーが通っていたのは初代のご主人だったからね、明治生まれの人だったな」
調べたり、考えたり、想像したりして作った話は、犬を飼っていた佐山さんが納得するものになっていた。喜ばしいことだった。正月をほっぽって犬に恋をした甲斐があった。佐山さんは昭和2年に一番街大通りに来た。そして、昭和7年に、下北沢2号踏切の現在地に移って来た。帝都線の駅がすぐそばにできると思って移転したという。が、当てははずれた。けれども絶好のポジションに家を建てたと思う。下北沢の歴史をかいま見る位置にある。丘上から物語が転がって佐山家のそばで停まる。
絶妙な位置にある。それだけにいつ行っても違うエピソードがこぼれている。今回も歴史に関わる人物の名を聞いて来た。一帯の丘上には密かな歴史が潜んでいる。
例えば線路向こうにあったアパートは伝説である。ラストエンペラーの係累も住んでいた、著名な詩人も、映画監督も、作家も住んでいた。その下北沢静仙閣アパートは小田急線の向こうにあった。そこで火事があったとき佐山さんはバケツ持って消火活動に携わったという。
帰途、「肉の三吉」に寄ってみようと思った。佐山さんところからそこまでの距離を測ってみたい。それで家の前で距離計をセットした。坂を上ると井の頭線踏切だ。和服を着た女性が踏み切りの向こうで待っていた。遮断機が上がる。若い白足袋がレールの銀をまたいでいく。
鎌倉通りを北上する。すると清水博子が「街の座標軸」で言うところの「私立学園の前のよじれた四つ角」に行き当たる。アニーもそのよじれた四つ角で右に曲がったはずだ。やがて「肉の三吉」が見えてきた。が、あいにく休みである。それでも一つのことが分かった。サイクルコンピューターを確かめると700と読めた、往復1400メートルの距離だ。
風呂敷を首にかけたジャーマンシェパード、一番街大通りを抜けて、よじれた四つ角で間違いなく左に曲がって家に戻っていった。そのアニーハクウンは記憶に止めておきたい。(写真は新年を迎えた代田八幡宮の社殿)



















