2006年01月08日

下北沢X物語(464)〜小田原急行鉄道の文学と帝都電鉄の文学(上)

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  彩りの異なった鉄道線が交差する、そのことで下北沢は独特の文化が育まれてきた。
 鉄道のクロスが下北沢の活力の源であった。それぞれに趣の異なった線が交わったところから、街がそれによって色づけされた。その線が昭和2年開通の小田原急行鉄道、小田急電鉄であり、昭和8年開通の、帝都電鉄、現在の京王帝都電鉄井の頭線である。

  こういう観点で見てみよう。文学的な観点からそれぞれの線を考察してみるというものである。まず、言葉を当てはめてみる。「小田急電鉄文学」ではどうだろうか。なにやら語呂合わせが悪い。「いっそ小田急で逃げましょうか」という名フレーズは巧みである。けれども、文学は各停を欲するのか「小田原急行鉄道文学」とするともっと似合わない。

  横光利一、大岡昇平の小田急線出会いエピソードは既に記したことだ。下北沢に住んでいた大岡昇平が新宿行きの電車で横光利一と乗り合わせる。その車両が東北沢を過ぎて人を轢く。若輩の昇平は小説家はこういう場合どうするか、横光の動きをじっと観察していたという話だった。

 小田急線の車内のことをよく書いているのは宮本百合子である。進駐軍の兵士に日本語を教えている女性が辺り憚ることなく彼らが砂糖やチョコを豊富にくれること、そのチョコレートが飛びっきり甘いことを吹聴している場面、それを宮本百合子が「その源」というエッセイで書いている。また、彼女は人から聞いた話として「小田急の電車の中で、パーマネントの若い女の髪をつかんで罵りながら引っぱっている男を、ぐるりから止めることもできないような雰囲気で、実にこわかったということをもきいた。」ことを「私の感想」というこれもエッセイに書き記している。彼女は小田急沿線に住んでいたのだろう。書いたものの中に小田急のことがよく出てくる。英語が堪能でおしゃま、他を憚らない傲慢な女性が住んでいた。また百合子のように知的な文芸人も沿線に住んでいただろう。

 寺田寅彦が先ほど出てきた東北沢駅のことを記している。

 小田急東北沢の駅員は片道切符には格段注意を払わないが、往復切符となると「特別念入りに検査する」という。そうして、「小田急線の往復切符は一種特別な比較的稀有な刺激としてそれに応ずる特別の動作を誘発するに過ぎないかもしれない。」(寺田寅彦「破片」)と考察している。往復の場合、切符の地紋が特殊だったのだろうか。
 
 改札の駅員の動作を通して人間観察に及んでいる。が、これとても小田急固有のものというにはもの足りない。けれども、東北沢というところが面白い。下北沢鉄道交点を外した駅である。萩原朔太郎が一時住んだところが年譜では「東北沢」となっている。



  地名に東北沢はない。駅名のことを言っていると考えていい。水上勉は修業時代ここで降りて代沢の「文潮社」に通っていた。歌人の宮柊二も駅近くのアパートに住んでいた。女流小説家網野菊の住まいも下北沢よりもこちらの方が近かったはずだ。安藤組組長、映画俳優安藤昇も東北沢の友人の家に転がり込んだところから運命が変わる。(「自伝 安藤昇)下北沢に出張っていってついには街を制覇していく。

 文学文化は下北沢衛星駅に秘密があるように思える。小田急で言うと東北沢や世田谷代田である。小田急の急行は下北沢には停まるが、これらの駅には停まらない。中心から外れた駅が面白い。例えば、世田谷代田には萩原朔太郎が居を定めた。

  京王帝都電鉄の井の頭線で言うと下北沢を中心にすると渋谷寄りが池の上であり、吉祥寺寄りが新代田である。前者は丘上の駅、後者は谷間の駅である。

 ここまで書いてきて、そういえば井の頭線下北沢2号踏切の写真があったなと探してみた。あった、それが掲げた写真だ。映っている駅は新代田だ。電車の上にはよく見ると高圧線が横切っている、駒沢線である。右手前の白い家の手前から二軒目あたりが日野啓三氏の家だった。

  自分の過去ログ「下北沢X物語(211)〜都市論としてのブルージーンズ〜」の冒頭に「日野啓三は下北沢に住んで、街の特徴を色で捉えた。それは白と黒だ」と書いた。その彼はこの踏切が気に入っていた。折々野花の咲くこの踏切は好きでよく写真を撮った。日野啓三氏もこの場所が好きだということを彼の著作で読んでほほえましく思った。が、2002年にこの自宅で亡くなったと後で知ったことだった。

 



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この記事へのコメント

1. Posted by Shuji Kamano   2006年01月16日 14:23
ご近所のお話しですので興味深く読ませて頂きます.

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