2006年04月13日
下北沢X物語(557)〜代沢文豪騒動始末記〜
われわれが作って配布しているのが「北沢川文学の小路物語」というパンフレットだ。これがひそかな反響を地元にもたらしている。こういう人物もいたぞ、こういう建物もあったぞ、行く先々でそんな話になる。これによる町の文化掘り起こしはもう起こっている。
過去の記憶の刺激が年配の人々を元気づかせている。
先日の日曜日も北沢川遊歩道、「橋場橋」たもとでパンフレットを配布した。そのときに新情報を教えてくれた人がいた。菊池寛がすぐそばに居住していたと言う。本当だとすれば大ニュースである。その人はこのように語ったことを覚えている。
「『菊池寛』という表札が長い間、その家にかかっていましたよ。」
「渋谷からタクシーに乗って代沢四丁目の菊池寛の家のそばと言ったら、大概は知っていて自分の家にたどり着けましたよ。」
「菊池寛は女系家族でその娘さんが家を継いだから、姓はまえまではTでした。だけど、いまはGですね。そのGさんは確か菊池寛の孫にあたる人ですよ」
「菊池寛」と言う家のすぐ近くに住んでいる人の話だから信用がおけると思った。その話が本当だとするとビックニュースだ。「文藝春秋社」を興した人で、芥川龍之介とも親しかった著名な作家であるからだ。
パンフレットの配布を終えた。が、わたしは矢も楯もたまらず、そのことを確認したくなった。歩いて三四分のところである。それで勇んで行ってみることにした。
代沢橋を渡る道の延長線上にある。代沢サラダボールの北向き斜面に位置する家だ。丘の中腹にあった。最近立て替えた大きなお屋敷だ。門柱にはGとあってインターホンが二つある。右を押してみる。すると男の声があった。
「ちょっと昔のことについてお尋ねしたいのですが」
「いま忙しいのでそんな時間はありません」
訪問販売か何かに間違われたようだ。空振りである。
家に帰ってから現代日本文学大系にある「菊池寛」の年譜を見た。世田谷居住のことは全く記述がない。どうやって調べたらいいのだろうか。「菊池寛」情報を教えてくれた人は文藝春秋に電話すればいいのではと言っていた。が、それもためらわれる。
ネットで調べていて、四国高松に「菊池寛記念館」があることを知った。それで電話をしてみた。応対に出た女性は丁寧だった。専門の人に聞いてみて折り返し電話をくれるということなった。そして、その返事があった。記録にはまったくないということだった。
が、なお、調査してみるとのことだった。
昨日、世田谷図書館に行って「菊池寛」全集を調べた。この全集、販売は文藝春秋社だが、編集は「菊池寛記念館」が行っていた。この年譜を見ると「昭和十二年四月、雑司ヶ谷一の三九二に新築移転」とあるのみであった。世田谷居住は依然として不明なままである。
代田「邪宗門」に行くと、菊池寛の家のあったところのGさんの電話番号が分かったという。電話をかけようか、直接行こうかと迷った。結局は、邪宗門の奥さん、作道貴久枝さんとわたしが行くことになった。
「邪宗門」の前の道を東に行けばよかった。五分ぐらいの距離である。家に着いたがインターホンを押すのがためらわれる。
「近所に知っている人がいるといいですけどね」
「ああ、そういえば、すぐそばの岡さんがパンフレットもらいにきたわ」
少し戻って岡さんの家に行く。玄関に出てきたその岡さんが言う。
「Gさんのすぐ向かいは老人会の会長だから古いこと知っているわよ。わたしが案内してあげる」と言って先に立った。そして、Gさんのはす向かいの篠塚さんのインターホンを押す。すると中から奥さんの声が聞こえた。不在のようである。が、岡さんはその行き先に当てがあるようでそこへ案内するという。
いつの間にかわれわれ三人は探偵団になっていた。
「こうなれば別宅でもいいですね」
「そうそう妾宅とかいうとかえってロマンがあるわよ」
そんな話をしながら行くと、岡さんは暖簾のかかったお店を指さした。
「ここに篠塚さんいると思うわ」
戸を開けて探偵団が三人入った。すると店の奥に、眼鏡をかけた当人がもう一杯やっていた。われわれのものものしい雰囲気に老人会会長はびっくりしていた。
「会長さん、お宅の家のはす向かいに『菊池寛』って表札かかっていたようだけど、あれって本当の『菊池寛』さん?」
「ああ、あれか、あれはね、同姓同名の『菊池寛』だよ……」
おばさんおじさん探偵団三人はずっこけはしなかったが。心はでんぐりがえしになっていた。お店の親爺さんも、おかみさんはなんのことだかわからず突然の来訪者にとまどい顔だ。
代沢文豪騒動はこうして一件落着だ。が、「菊池寛」が有名であるゆえにこういううわさ話が立ったものだと思われる。「代沢にも菊池寛がいた」という伝説は信じられやすい、近隣に著名な文士が住んでいたゆえのことだ。そういう文学風土があったとことに起因する。いわば現代文学伝説である。
本当のことがわかるまでは戦慄的だった。が、わかってみるとなんのこともない。さっそく高松の「菊池寛記念館」にお詫びの電話を今日入れた。係の方も、気に掛けておられたようでご遺族の方の名前まで調べておられたとのこと。顛末を説明して了承してもらった。(写真は橋場橋でのパンフレット配布風景である)



















