2006年04月21日
下北沢X物語(565)〜武蔵野晩春ペダル輪行(中)〜
「武蔵野」の自然美を描いて武蔵野の名を高め、広めたのは国木田独歩である。その彼が描写した武蔵野は自分がフィールドワークをしているすぐそばにあった。
自転車のペダルで漕ぎ回っていると身体感覚が土地の高低を覚える。丘のアップダウンは足が憶えている。小田急線山谷近辺は小刻みに坂を上ったり下りたりする。丘のうねりが他とは異なる。山谷という地名がそれを表しているのだろうか。これもフィールドワークによる気づきだ。
鉄道交点が巡回の中心だが、その圏外に抜けると因縁がたちまちに繋がっていく。興味が興味を生む。行って、見て、そして、調べる。すると関わりの道がまた開けてくる。田山花袋からその独歩へとは見事につながった。
「東京に三十年住んでいた一文学者の追憶記」として田山花袋が書いた「東京の三十年」という文章がある。岩波文庫の「解題」によると「大正六年(1917)年六月」に発行されたものだと言う。ここに「丘の上の家」と題されたエッセイが載っている。田山花袋が国木田独歩を訪ねていくという場面があった。
田山花袋が渋谷道玄坂にいる友だちを訪ねた。ところが生憎当人は不在だった。それで花袋はこの近くに国木田独歩がいるからそこへ行こうと一緒の友人を誘う。
渋谷の通を野に出ると、駒場に通ずる大きな路が楢林について曲がっていて、向こうに野川のうねうねと田圃の中を流れているのが見え、その此方の下流には、水車がかかって頻りに動いているのが見えた。地平線は鮮やかに晴れて、武蔵野に特有な林を持った低い丘がそれからそれへと続いて眺められた。私たちは水車の側の土橋を渡って、茶畑や大根畑に添って歩いた。 岩波文庫 1981年
彼ら一行は道玄坂の市街地から野に抜けた。「駒場に通ずる道」というのは滝坂道のことを指すのだろうか。よくわからない。ここで言う「野川」というのも気になった。それで今日白根記念・渋谷区郷土博物館・文学館に行った。ここの学芸員に尋ねると、それは「宇田川」であると教示された。渋谷川の支流だ。
国木田独歩の住居跡には碑が建っていることも知った。さっそくに渋谷宇田川町に向かう。途中渋谷の街を横切る。ビルの林と、人の群れの間を自転車で縫って行く。かつての武蔵野はどこにもない。が、足が教えてくれる。丘のうねりは足にはきついからだ。かつての面影は坂にわずかに残っている。
渋谷区役所脇の二、二六事件慰霊塔を過ぎる。何度も来た地点だ。その前の坂を下る。するとすぐに歩道右手の銀杏の木の下に木碑が建っているのが見えた。「国木田独歩居住跡」とある。つぎのように記されている。
国木田独歩は、明治四年(一八七一)銚子に生まれ、明二十九年にここに移り住み名作「武蔵野」の構想を練りました。また、「源叔父」、「欺かざる記」もここで執筆しましたが、翌三十年六月麹町に移りました。
赤煉瓦の敷かれた歩道に立って、田山花袋の文章で往事を想像するしかない。田山花袋と国木田独歩がここで出会った。
「好い処ですね。君。」
「好いでしょう。丘の上の家……実際われわれ詩を好む青年には持ってこいでしょう。山路君がさがしてきてくれたんですが、こうして一人で住んでいるのは、理想的ですよ。来る友だちは皆褒めますよ。」
「好い処だ……。」
「武蔵野って言う気がするでしょう。月の明るい夜などは何とも言われませんよ。」
田山花袋 「東京の三十年」岩波文庫 1981年
この地点が国木田独歩の武蔵野観察地点、そして、武蔵野回遊の出発地点でもある。NHK放送センター脇の丘の途中だ。鉄道交点までは直線で2キロあまりしかないのではないだろうか。詩情を生んだ武蔵野、その原点がここにある。何度も通ったはずなのに気づかなかった。ペダルによる都会漂流は思いがけない展開をみせた。



















