2008年03月05日
下北沢X物語(1051)〜「三色娘」における地域文化の考察2〜

虚構空間としての下北原はもじり、つまり、本当は、下北沢であるが、それを、音の近い語に下北原に言いかけている。製作者側は意図的に安易な変名をして、実舞台が下北沢だと悟られてもよいようにしている。三文字の一字違いだから、三分の二は真実で三分の一が虚構であると考えてもよい。
彼女ら三人はお屋敷のお手伝いさんである。それぞれの家が映し出されるが広くて大きい家である。沢筋ではなく丘上の南のり面の家で、多分、窓の向こうには富士が見えるに違いない。東京近郊の丘の邸宅で働く若いお手伝いさんの物語だ。この映画はマーケットに始まって、レイクで終わる。箱根芦ノ湖で恋がめでたく結ばれるというハッピーエンドである。
下北沢と箱根を結ぶラインは小田急線である。「いっそ小田急で逃げましょう」と急行に乗って行けば箱根湯本まで行ける。この「三色娘」の映画では、郊外電車の小田急というのが背景としては効果的に使われている。
「大当たり三色娘」はミュージカルコメディである。音も重要な要素である。三人娘が得意の歌を披露するところが見せ場である。が、音は音でも電車の音も一つの効果を上げているように思える。冒頭のマーケット場面は、「はぁ、いらっさい」と店員のかけ声に始まり、それを覆い被せるように「ぷぅぅぅん」という電車のタイフォンが響いて来る。電車の警笛が物語の切り口となっている。都心であったら路面電車だが、ここでは郊外電車である。マーケット場面では電車の実物は見えない。が、横長の画面の向こうを右から左に電車が走っていく様を効果音で演出したのではないだろうか。
つぎの長栄稲荷の場面では「がったぁん、がたがたぁん」という音がこれも画面の背後を走り抜けていく。鉄板にリベットを打ち込んだ小田急電車は重い。それが、響きを立てる。京王線では出せない重量音である。東宝の効果音の係はプロだ。電車のフリークエントな行き来が田舎の人々の都会への憧れを募らせることを熟知していた。短い場面であるが、上り下りの電車が二本も通って行く。背後を右から左へと、そして、また左から右へと二両編成の郊外電車が通り抜けていく。電車天井のヘッドライトとベンチレーターが横切っていく。
映画の封切りは昭和三十二年である、蒸気機関車全盛時代である。煙を吐いて走る機関車を見慣れている観客には郊外電車は目新しいものであったろう。下り電車が新宿方向から来て、下北沢駅で、「くっきゅきゅきゅきゅ」とブレーキを軋ませて停まるところなどは今見るとなんでもない。ところがこの郊外電車の停まり方が清新に見え、また聞こえたのではないだろうか。
江利チエミと恋人とが丘上の公園で話を交わす場面がある。その場面に切り替わったとたん電車のタィホンが響き渡って左から右へと電車が走って行く。その場面は繰り返し見ると車両は二両以上で坂を下っているようだ。世田谷代田駅から梅ヶ丘方向に向かっている急行電車であろう。とするなら撮影場所は羽根木公園である。この地点は小田急の電車が快速で走って来る場面を見られる名所だった。
「三色娘」における地域文化の考察という点でいえば瀟洒さ、ハイカラさというものがある。潤沢な物資を売っているマーケットとその賑わい。街を通っている郊外電車、富裕層の邸での日常の暮らしなどである。雪村いづみが使われている家では、彼女がパンをかじりながらテレビを見ている場面があった。主人は作曲家であり、奥さんは歌手である。そういう組み合わせは下北原一帯ではあり得ることである。雪村いづみが言っていた言葉が印象に残っている。
「芸術家というのは世の中にはまるで子どもみたいでさ、なにからなにまでわたしにまかせきりでさ、全然のんきなんていうんじゃないのよ」
鉄道交点地域における文化的価値の参集は興味深い現象だ。昭和十年以降の当地での文学の隆盛は映画との関連も深いものがある。



















