2008年03月08日
下北沢Ｘ物語（1053)〜今地域文化が熱く面白い〜
「これからの時間は黄金時間ですね、何物にも代え難い探求ではありませんか。」
そう言ったのは黄金井さんだ。鉄塔６１号が地域風景資産になったことからそこを尋ねて行くことにして世田谷「邪宗門」から近くの鶴ヶ丘橋まで歩いて行った。たかだか五、六百メートルの距離である。小さな旅だが内容は濃い。
鉄塔６０号は丘下の北沢川べりにある。つぎの６１号は丘上の斜面に建っている。東京電力の係の人がこの高さは２６メートル弱だと教えてくれた。
それにしても６１号は背丈が高い。丘上に聳え立っているからだ。内階段を収めた鉄塔はしっかりと踏ん張って斜面に堂々と建っている。われわれはワンスパンの鉄塔を見学しただけだったが満足だった。たった二つの鉄塔を見ただけでも、鉄塔それぞれには違いがあることがわかった。地勢によって鉄塔の設計図は違ってくる、そんな発見をしただけでも大きな収穫だ。短い時間だが黄金時間を過ごせたように思う。
「この６１号のところから見ると、駒沢線が連なって見えますね。ほらキャロットタワーが見えるでしょう。あそこに三軒茶屋の石橋楼がありますね。鉄塔が並んでいるのが見えますがやっぱり三軒茶屋を避けていますね。」
米澤さんがそう言う。この間、確かめて来たが、三軒茶屋の西の中里を駒沢線は通っている。大正年間に太子堂の人々が町の真ん中を通そうという東京電灯の計画に異を唱えた。
このところ鉄塔のことが話題になることが多い。
「鉄塔沿いに音楽詩歌は住まいするんじゃないかと思うんですよ。例えば、駒沢線５５号を背にして住んでいたのが大村能章ですね。作曲家だから当然ピアノが必要ですよね、だけどこれは音が出る。思う存分音を出したいけどあまり出すと近隣の迷惑になります。とすればなるべく音が邪魔にならないようにというのは自然に考えますね。そのときに高圧線の下には家は建たないというのは大きな救いだったように思うのですよ。事実、大村能章の家の敷地の裏手は東京電力の資材置き場になっていて人は住んでいません。そこに５５号鉄塔が建っているんですよ。鉄塔の下には家が建たない。そのことは音を出すクリエーティブな人には魅力的だったのですよ。『麦と兵隊』とか『同期の桜』などは言ってみれば駒沢線の恩恵ですよ」
つぎのつぎの５７号鉄塔はすぐ近くに三好達治が住んでいた。彼はピアノには直接関係ない。が、当地で書かれた詩やエッセイを見ると近隣の音については耳を澄ませて聞いている。樹木の多い寓居先の庭には小鳥が多く飛んできたようだ。彼はエッセイの中で明治神宮から飛んできたものとの推察をしている。東の明治神宮の森から代田七人衆の家の森を目指して鳥は飛んで来たのだろうか、その途中に５７号に憩った小鳥が、詩人の寓居の樹木を見つけてひたきが一羽、立ち寄った。詩集「百たびののち」は昭和２７年以降の詩を収めたものだ。「閑窓一盞」は代田での経験を詠んだものであろう。
「わが庭の破れし甕にこの朝来りて水浴ぶは／黄金褐の小雨鶲」
彼の師匠は上手の６１号鉄塔下に住んでいた。萩原葉子「蕁麻の家」によると、「高圧線があるので、東側には家が建ちません」と地主が言ったことが土地選定の決め手となってそこに詩人は家を建てたという。
この６１号鉄塔の地主の小谷さんが、こんな話をしてくれたのを覚えている。
「この前のFさんの奥さんはピアノが巧くて、詩人の朔太郎は聞かせてくださいといって来ていたようですよ」
このYさんの北どなりが著名な作詞家のHさんの家である。高圧線はFさんHさんのすぐ西を南北に通っている。
「家にもピアノありますよ。それで親爺が自分の家を選んだのは上を高圧線が通っているから東側に家は建たないということからなんですよ！」
米澤さんの家の脇を６４号から６５号をまたぐ高圧線が通っている。
「米澤さんところの並びに『帝国音楽学校』ってありましたね。なるほどね。一つの推論なんだけど、鉄塔ラインというのは緑のグリーンベルトでその左右には家が建たない。それで音を出す音楽家とか詩人とかが目をつけてここら一帯に移り住んだ。それで学校もここに出来た、そんなふうにも考えられますね」
地域文化を想像する楽しさ、その一ページである。
（写真は６０号鉄塔）
