2008年03月11日

下北沢X物語(1055)〜荏原台崖線上のペダル民俗学2〜

2fa27453.jpg

 ペダル民俗学という呼称は気に入った。頭脳ではなくペダルを漕ぐ脚の感覚を立脚点として民俗学を考えるというものである。「ペダル民俗学」なるものが生まれてくると面白い。

 自分自身の自転車荏原巡遊十キロ圏に五十もの古墳群があった。それは驚きだった。しかも、常々そこを通っていて、景色や眺望は慣れ親しんでいたものである。そのことから指呼の間に古代が見えているような気がした。古代が身近になったような実感がある。

 時間の空白が埋まったようにも思う。つまり、常々自転車による荏原巡遊を繰り返してきたが、その過程で神社仏閣などの歴史の痕跡には至る所でぶつかった。が、それらの多くは鎌倉室町などの中世止まりである。それ以前は空白だった。ところが思いがけなく大きな古墳に出会った。はるか遠くの古代まで時間が繋がるように思った。

 



 しかし、それにしてもなぜ崖線上に古墳が多く密集しているのか、大きな疑問であった。それでペダル民俗学をしに再度自転車で確かめに行った。古代への旅はたかだか十キロである。が、はるかな古代を巡る、壮大な思いの旅である。

 ペダル民俗学的観点はまことに面白い。地勢をペダルを漕ぐ脚が教えてくれる。負荷がかかるときは丘である。その上と下とでは土地の雰囲気が異なる。空気が違うと言ってよい。

 目黒の自宅は呑川べりにある。その川筋から出発する。国分寺崖線へ行くには、進路を南に取る。東西方向に横たわっている丘を一つ越えて行くことになる。それで一旦坂を上る。この尾根筋には目黒通りがある。旧道二子道だ。この丘を下る。すると呑川支流の九品仏川の暗渠に行き当たる。

 地形を観察しながら行くと面白いこと発見があった。九品仏のある台地の特徴に気づいたことだ。お寺の上に顔を覗かせている木々の繁茂の具合も手がかりになる。それによって台地の高さの見当がつくからだ。ゆっくりとペダル民俗学をしていると「なるほど」と気づいた。「ああなって、こうなって、ああなっている」と自分のこれまでのペダル民俗学資料館に蓄積された情報から分かった。それは当然のことといえば当然であるが実感で分かるとよけいに面白い。九品仏浄心寺は舌状台地の上にあるということである。ここはかつての奥沢城の跡である。見晴らしの利くところに城は造られる。世田谷城も舌状台地の上にある。

 九品仏を載せた台地は墳墓のある丘へと続いている。「へ」の字の左端に九品仏があって、「へ」の頂上、尾根には環状八号線が通っている。「へ」の右端が崖線である。転がり落ちると多摩川だ。古墳を作るには賦役が欠かせない。人々を集めて土木工事をさせたわけだから尾根筋の道は古道だろうと思う。

 まずは「東京都指定史蹟」、「野毛大塚古墳」を尋ねた。その案内看板には全長82メートルの前方後円墳とある。そして、「野毛大塚古墳は関東地方の中期古墳文化を代表する五世紀後半に築造された古墳である。出土した多数の武器、武具類や石製模造品は、この古墳が南武蔵の有力な首長墓であることを示している」とあった。

 荏原巡遊行で何度も来ていて、解説文は読んでいるはずである。が、今回これを読んで、「ああ、そうだったのか」と頷いたことだ。

 円墳の上に上った。回りに建物が建っているがかつては円周状に眺望が利いたはずだ。人工的に積み上げられたそれは十メートルほどの高さがある。住宅地図で標高を調べると、下が32,8メートルで、頂上が41,7メートルであった。

 武蔵野の丘の縁辺部分においてこの標高はかなり高い。なぜここを墳墓に選んだか。それは眺めだろうと思った。西側の崖が抉れて下には多摩川の流れ、その向こうには富士が見えたはずだ。下からは見上げる円墳の高さ、これは権威を誇示するには充分であろうと思った。



トラックバックURL

この記事へのコメント

2. Posted by きむらけん   2008年03月13日 20:45
崖線巡りをして古墳を辿っています。地位によって彼らの眠る場所が決まるというような感触が掴めてきました。田園調布の土地の価値というのも古墳との関連だとも感じています。
1. Posted by きむらたかし@三田用水   2008年03月12日 23:24
古墳いうと奈良や大阪南部にどうしても目がゆきますけど、荏原だって、まAスケールは違いますけど、捨てたものではありませんよね。
昔、テレ朝だったかの深夜番組で、野毛大塚古墳は関東屈指の古墳の一つと知ってびっくりしたのですが…
もっとびっくりしたのが、東急の多摩川駅から田園調布駅にかけて分布している「西岡○○墳」というので。
今では、むしろ、日本トイレ協会会長とか世界のトイレットペーパーのコレクターとして有名な西岡秀雄教授が若かりしころ発掘した古墳群だったことでした。
元考古学少年としては、そんなこと知っていたら、講義のときにもっと質問しとくべきでした。

そういえば、駒繋神社も、かねがね典型的な古墳地形だなと思っていたのですが、10数年前に神社の縁起書をいただいたら、しっかりと、そう書いてありました。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔    星