2010年03月22日

下北沢X物語(1532)〜瓢箪から駒、講演会から古道〜

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 日々変転していく。が、過ぎゆく時間はおもしろみがない。近代現今の風景を人が干からびさせているからだろうと思う。風景に潤いがない。かつての武蔵野にはそれからそれへと続く丘陵の向こうに富士が見えた。が、それもほとんど望めなくなった。

「今日は、自宅のある目黒区八雲からここまで歩いてきたんですよ。まず、呑川駒沢支流をさかのぼるのです。そうすると国道246号にぶつかります。大山厚木街道ですね。この尾根では品川用水を渡ります。この尾根筋を降りるとこんどは蛇崩川です。これを渡ってだらだら坂を上ると代官屋敷のあるフラットなところに出ます。そして区役所を通ると国士舘大の脇の坂道に、太夫山の斜面に出ます。これを下ると烏山川、渡って上ると滝坂道、わたしは北上してくるわけですよ。そうすると尾根や川が東に向かって流れているんです。朝から文化散歩ですね…」
 講演会の枕に振ったのが朝の徒歩行だ。そして、結末はつぎのように述べた。

「人生とは何か?、どれだけいい風景を見たかではないでしょうか。世界風景資産ではなく、自分が発見した風景資産です。それを何枚貯められるかだと思います。自分風景資産をみつけよう……」

風景資産の講演での締めくくりとしてこんなことを述べた。が、昨日、瓢箪から駒、講演会から古道、胸躍る風景資産を見つけたことだ。

講演の中で梅ヶ丘地区会館の近くにある宇田川家のケヤキの話をした。
「三年ぐらい前だったでしょうか、ちょうど宇田川家の欅の枝おろしをしているところに行き会ったのです。それを見ていたら、『この欅の枝を前は品川や大森の漁民が買いにきていたもんだよ。海苔粗朶に使うんだな』とご主人が自慢していました。」


  講演会が終って、梅ヶ丘地区会館の脇を通っている古道滝坂道をみなで散歩した。一巡しての帰途、主催者の青野達司さんがせっかくだから宇田川家の脇を通っていきましょうと言った。そこに行くと枝をすっかり落とされた欅が五六本残っていた。
「そうそう昔ね、この欅の枝を浜の方の漁民が買いに来ていました。それがいい値段になるということでこの欅も植えたものですよ。もう大昔ですけどね、浜の方からは貝売りも来ていましたよ。」
 宇田川家のおばあさんがそう話をしてくれた。参加者はみなびっくりしてしまった。

「ここら一帯の道は、みんな品川につながるんですよ。ちょっと南なんですけどね、稲毛道というのがあって、その道が掃き清められたように綺麗になっているんですね。それは荷車からはみ出た海苔粗朶の枝が道を掃いていったんですね……」
 「蛇窪の踏切」に出てくる話もしていた。ゆえに浜への道が気になった。
「どの道を通っていったんでしょうか?」
「いやあ、それはわかりません」
「それは、品川道を通っていったんですよ!」
 参加者の別宮通孝さんが言った。つづいてこう言う。

「このすぐ近くに烏山川をわたる品川橋があるんですよ。これは品川に通じている道なんですよ。だからそこを通っていったんですよ」
 荏原一帯のすべての道は品川に通ずる。自身の居住区である目黒から品川へと繋がる道は実際に歩いているのでそのことが理解されていた。が、世田谷はあっちこっちと道が輻輳していて品川へ繋がる道は全く知らなかった。別宮さんの話を聞いて、自分の脳裏の中で道と道とが繋がっていくように思った。

 道が繋がると風景が見えてくる、ああ、あそことあそこが繋がるのか!。自分風景を見つけたときには胸に不思議な感懐が湧いてくる。

 その別宮通孝さんから昨日、メールが届いた。

 本日のワークショップに参加させていただき、「地形と風景」のきむら先生の大変楽しいお話聞かせていただくことができましてありがとうございました。フィールドワークに出て、宇田川家はじめ荏原地域の一角をなす、あの地域が荏原の中心部品川との交流が、あったとのヒアリングができ大きな収穫でした。
 付近にある、烏山川に架っていた品川橋跡も確認でき、荏原地域は、品川湊が荏原地域のみならず三多摩地域の江戸をひかえた物流拠点のひとつであったことが理解できました。
 品川橋跡の道は、大山街道の下宿を経由して、六郷田無道と重なります。駒留め通りから向天神の先(向井潤吉アトリエ館)の近くまでは、区画整理によって消えておりますが、品川用水の手前あたりから先に続いていきます。
品川方面から滝坂道に繋がる物流ルートが今回確認できましたことは、収穫です。


向井潤吉アトリエ館の辺りは常日頃の散歩コースだ。ここに南東へと走る斜めの妙な道があって不思議に思っていた。それがもしかしたら?………。
(宇田川家の欅)


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