2010年03月28日
下北沢X物語(1536)〜特攻兵は戦争を語らない〜
「おまえらが特攻に行かなかったから日本は負けたんだよ!」
このことを言われもし、そういう目で見られたと言う。X氏は予科練に志願した特攻兵士だった。名前も言いたくない、戦争も語りたくないと言われる。それでも断片的に話を聞き出すことができた。メモは取っていない。記憶にある範囲のことを記しておきたい。
「毎月18日に特攻兵を慰霊する法要が世田谷観音で行われているんだ。おれはそのときには行かないで朝、お参りするんだ。自分の仲間が亡くなったからね。あのときは十七八歳だよ。あれからおれはもう何十年と生きている……いつまで行けるかわからないが行けるまでは行く……」
彼は目に涙を浮かべていた。
「回天や震洋の訓練はしたんだ。それに乗っていくはずだったけど行けなかった……」
いわゆる人間魚雷のことだ。それに乗って出撃するはずだったが終戦を迎えて、作戦は取りやめになった。彼の深い思いが額の皺に刻まれているように思った。意志の人である。
彼は池の上の海外植民学校で牛乳配達のアルバイトをしていた。
「代沢小学校五六年のときと中学の一二年のときだった。四五年間ぐらいしたよ。新聞配達するのに使うようながっしりした自転車だった。ハンドルに牛乳配達バックを振り分けにして運ぶんだ。ハンドルは重くて切りにくかったよ。よく転んでね、割れるとまた一苦労なんだ。学校まで戻っていかなくてはならないからな。北は中野、南は目黒あたりまで牛乳を配達していた。とくに雪が降ったときなんか大変だった……」
桜の咲くこの時期、いつも坂口安吾文学碑前で「下北沢文士町文化地図」を配布している。昨日それを行った。地図を渡しながら人と話をする。楽しいひとときだ。が、面白い話ばかりではない、悲しくてつらい話もある。
Xさんの話はそうであった。彼の口は重い、特攻兵は戦争を語らずに生きてきた。生きて帰ってきた彼らを社会は温かくは受け入れなかった。
『おめおめと帰ってきやがって』というふうな批判がましい目が向けられていたことがXさんの話から推測できた。特攻に行くことに決まっているのに終戦を迎えて、その作戦は取りやめとなった。はしごをはずされた彼らが行き場を失って、暴れ回ったことはよく知られている。特攻くずれと言われた。
『おまえらが特攻に行かなかったから日本は負けたんだよ!』
このことばは当事者でない自分でも心臓にグサリと突き刺さってくる。が、これは言った当人だけの問題ではない。発言の背景には我等の社会の問題点が潜んでいる。
物事の本質を冷静に考えないで、いちゃもんやいいがかりをつける。批評や批判精神を欠いている点である。ものごとを客観的に捉えて、きちんとした批評をするということができないという欠点がある。市民意識の欠如である。これが今でも巣くっている。この欠点を正さない限り、またわれわれは戦争を起こすに違いない。
「戦争が終って、九月に徳之島から本土に向かったんだ。特攻兵だったということで普通の船で航海するのは危険だというのでカツオ船で引き上げてきたんだ。船倉に閉じこめられてね、鹿児島の串木野に上陸した。原隊復帰するために汽車で長崎の川棚へ行くんだけど、熊本の手前で鉄橋が爆破されていて、そこは歩いていったよ。それで原隊についたところ、衣服なんか先に来た連中がみんなもっていってしまって、われらは裸同然で帰っていくしかなかったよ……」
「戦艦大和なんて絶対沈むはずがないなんて言われてね、あの大きな船に乗り組んでみんな死んでいったでしょう……連合艦隊司令部なんて日吉の地下壕にあって、そんなところで指揮して……」
戦争のことは話したくないという彼には戦争に対する深い思いがあるのだと知った。そして、もう一つ知ったことがある。代沢小でわれらが一昨年に開いた第一回「戦争経験を聴く会、語る会」に参加していたという。人の話は聴くだけは聴く、しかし、自分の経験は話さない。誇り高い姿勢である。
「海軍反省会」というテレビ放送が話題になった。戦争に関わった海軍の指導者たちの証言記録である。その彼らはあの戦争を多く語った。が、一兵卒の海軍軍曹、特攻生き残りのX氏は寡黙を通そうとしている。語られない戦争経験も多くあるはずだ、むしろその方に潜む真実がより重いのかもしれない。
『おまえらが特攻に行かなかったから日本は負けたんだよ!』
このことばは当事者でない自分でも心臓にグサリと突き刺さってくる。が、これは言った当人だけの問題ではない。発言の背景には我等の社会の問題点が潜んでいる。
物事の本質を冷静に考えないで、いちゃもんやいいがかりをつける。批評や批判精神を欠いている点である。ものごとを客観的に捉えて、きちんとした批評をするということができないという欠点がある。市民意識の欠如である。これが今でも巣くっている。この欠点を正さない限り、またわれわれは戦争を起こすに違いない。
「戦争が終って、九月に徳之島から本土に向かったんだ。特攻兵だったということで普通の船で航海するのは危険だというのでカツオ船で引き上げてきたんだ。船倉に閉じこめられてね、鹿児島の串木野に上陸した。原隊復帰するために汽車で長崎の川棚へ行くんだけど、熊本の手前で鉄橋が爆破されていて、そこは歩いていったよ。それで原隊についたところ、衣服なんか先に来た連中がみんなもっていってしまって、われらは裸同然で帰っていくしかなかったよ……」
「戦艦大和なんて絶対沈むはずがないなんて言われてね、あの大きな船に乗り組んでみんな死んでいったでしょう……連合艦隊司令部なんて日吉の地下壕にあって、そんなところで指揮して……」
戦争のことは話したくないという彼には戦争に対する深い思いがあるのだと知った。そして、もう一つ知ったことがある。代沢小でわれらが一昨年に開いた第一回「戦争経験を聴く会、語る会」に参加していたという。人の話は聴くだけは聴く、しかし、自分の経験は話さない。誇り高い姿勢である。
「海軍反省会」というテレビ放送が話題になった。戦争に関わった海軍の指導者たちの証言記録である。その彼らはあの戦争を多く語った。が、一兵卒の海軍軍曹、特攻生き残りのX氏は寡黙を通そうとしている。語られない戦争経験も多くあるはずだ、むしろその方に潜む真実がより重いのかもしれない。
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この記事へのコメント
1. Posted by 桜上水Confidential 2010年03月31日 11:34
物事の本質を冷静に考えないで、いちゃもんやいいがかりをつける。批評や批判精神を欠いている点である。ものごとを客観的に捉えて、きちんとした批評をするということができないという欠点がある。市民意識の欠如である。これが今でも巣くっている。この欠点を正さない限り、またわれわれは戦争を起こすに違いない。
その通り、思わず膝を打ってしまいました。
平和とは単に戦争をしないことではない。
私たち社会が、その基本として持つ、民主主義、国際平和、主権在民、基本的人権の尊重、そして権利濫用への戒め
そういった価値をひろく世界に、そして未来へと共有していくために、私たちは過去に何が起こったのかを顧みる必要があるのでしょう。
その通り、思わず膝を打ってしまいました。
平和とは単に戦争をしないことではない。
私たち社会が、その基本として持つ、民主主義、国際平和、主権在民、基本的人権の尊重、そして権利濫用への戒め
そういった価値をひろく世界に、そして未来へと共有していくために、私たちは過去に何が起こったのかを顧みる必要があるのでしょう。



















