2010年06月13日
下北沢X新聞(1589)〜カンバスと短冊の接近遭遇6〜

鉄道交点には個別的なエピソードが個別的に沈潜している。情報の相互性がない都市的文士町の特徴である。分かれば分かるが、分からなければ永久に分からない。
画家が住んだ跡に歌人が住んでいたということも知ろうとしなければ分からなかった。画家には二人の男の子がいて父親が豊橋へ去った後も、当地に残っていた。父親がいない分自由だったゆえに「高津さんところへはよく遊びに行きました」との話を聞いた。子どもだけ残留していたのはやはり子どもの教育のことがあってのことだった、これも北沢小一期生の方から聞いたことだ。
画家の高須光治が歌人をよく知っていてその仲介で、後に尾山篤二郎が入ったというようなことはないようだ。家の持ち主の内藤さんが歌をたしなんでいてその関係で歌人は転居してきた。
小田原急行鉄道が開通して街は急速に開けた。震災の被害を受けた人、都心に通うサラリーマンなどがつぎつぎに越してきて町は形成された。多くはステータスのある階層だったと言える。また、新参者同士で互いに孤独だったと言える。それで趣味であるとか、信仰であるとかを結びつきにして会に集っていた。例えば、下北沢ナザレン教会の場合である。
下北沢三丁目本通りの金物店の角を南へ折れて二軒目、生け垣に囲まれた八畳、六畳四畳半、三畳、玄関台所、湯殿といった普通の日本家屋、これが最初の下北沢教会です。
集会にお集いになる方々は、曰く何々医博夫人、曰く何々将校夫人、曰く何々銀行夫人等の面々、しかも中年以上のご年配の方々のお揃いの所に未だ若いお粗末な私共が赴任したのですから、正しく?目くら蛇に怖じず?の諺通りでございました。
「創立五十周年記念誌」 1983 日本ナザレン教団下北沢教会
この教会が発足したのは昭和八年、井の頭線(帝都電鉄)が開通した年である。金物店というのは秋元金物店のことである。教会の番地は、北沢三丁目一◯一八番地だ。一◯◯八番地に居住していたのは詩人の萩原朔太郎だ。相互に五十メートルもないほどの至近距離である。教会が発足するような宅地に詩人が住んでいたということも言える。
郊外鉄道の小田原急行鉄道、帝都電鉄が開通して都心への通勤が便利になった。そのことから勤め人が多く越してきた。主体的に信仰するという人びとが少なくなかった。キリスト教を信仰する知識人がいたということも一帯に教会が多くできてきた理由となるものだろう。そのことは文学に関しても言える。
「上甲平谷 俳句集成」の年譜、昭和二十一年にこういう記述がある。
北沢四丁目在住の有志中野玉汀、松田蕗女、中嶋奈々等を対象とした俳句指導の会として北四会が発足。
「北四会」は近隣に俳句をたしなむ人びとがいたことを証すものだ。この他にも中村汀女の「風花」、福田正夫の「北沢どんぐり会」という句会があった。満岡照子主宰の「月代(つきしろ)」という歌会もあった。尾山篤二郎に家を貸していた内藤さんも短歌を嗜んでいてこの歌人を慕っていたようだ。
北澤草堂主人、尾山篤二郎は、昭和十七年「五月の歌」の中でこんな歌を詠んでいる。
この澤にかつての水田の影もなけど遣る蛙がたつる若聲
「とふのすがごも」
「そうですね、蛙は鳴いていましたね。それはうちの田圃ですよ、今の公園なっているところがそうでしたからね」
北澤の沢に鳴く蛙の合唱、北小同窓会長の安野さんは昔を思い出したように言った。水田は、どぶ川、通称森厳寺川と呼んでいる、を水源として作られていたものである。
「近辺の植生のことが歌集には全部出てきますから。どこに何が生えていたか、図に描いておいてくださいね」
「わかった、わかった」
そんな返答を昨日いただいたことだ。
「上甲平谷 俳句集成」の年譜、昭和二十一年にこういう記述がある。
北沢四丁目在住の有志中野玉汀、松田蕗女、中嶋奈々等を対象とした俳句指導の会として北四会が発足。
「北四会」は近隣に俳句をたしなむ人びとがいたことを証すものだ。この他にも中村汀女の「風花」、福田正夫の「北沢どんぐり会」という句会があった。満岡照子主宰の「月代(つきしろ)」という歌会もあった。尾山篤二郎に家を貸していた内藤さんも短歌を嗜んでいてこの歌人を慕っていたようだ。
北澤草堂主人、尾山篤二郎は、昭和十七年「五月の歌」の中でこんな歌を詠んでいる。
この澤にかつての水田の影もなけど遣る蛙がたつる若聲
「とふのすがごも」
「そうですね、蛙は鳴いていましたね。それはうちの田圃ですよ、今の公園なっているところがそうでしたからね」
北澤の沢に鳴く蛙の合唱、北小同窓会長の安野さんは昔を思い出したように言った。水田は、どぶ川、通称森厳寺川と呼んでいる、を水源として作られていたものである。
「近辺の植生のことが歌集には全部出てきますから。どこに何が生えていたか、図に描いておいてくださいね」
「わかった、わかった」
そんな返答を昨日いただいたことだ。



















