2011年11月12日

下北沢X新聞(1954)〜荏原のダイダラボッチを旅しませんか?〜

P1010943
北沢川文化遺産保存の会  きむらけん

(一)
「東京市は我日本の巨人伝説の一箇の中心地といふことが出来る。」と述べたのは民俗学者の柳田国男である。この中心こそ大田、目黒、世田谷を包括する荏原に他ならない。

 彼は、「ダイダラ坊の足跡」という論考で、こう切り出した後に、つぎのように述べている。

 我々の前住者は、大昔かつてこの都の青空を、南北東西に一またぎにまたいで、歩み去った巨人のあることを想像してゐたのである。而うして何人が記憶してゐたかは知らぬが、その巨人の名はダイダラ坊であった。

  遙か昔、この荏原上空でとてつもない音が響いた。驚いて人々が戸外に出てみると彼等の頭上に巨大な足があった。親指の間からは泥が落ちてくる、が、それも一瞬のことで消えてなくなったかと思うと、ずっしんどんと音がして家々が揺れた。右足か、左足かが地についたようだ。
「ダイダラ坊だ!」 人々は口々に言った。「デェダラボウだ」という人も居る。
「ダイダラボッチ、ダラボッチ、どこまで行ってたダイダラボッチ」とはやし立てる。

 ダイダラボッチを民俗学者は、単にお話と捉えないで、その奥に潜む、この国の文化をこれを通して考えようとしていた。この伝承話の根幹には民俗の歴史を象徴していると。

 荏原一帯には、大田区にしても、目黒区にしても、世田谷区にしても、この伝説は随所で語り継がれていた。主には土着の農民が伝えてきた。実際に、巨人の足跡だと思われる箇所があって、そこがダイダラボッチだとされてきた。

 その具体例だ。大田区池上のドンガラ様、洗足小池、洗足大池、千束狢窪、目黒区大岡山擂鉢山、谷畑(自由ヶ丘)、(八雲衾町公園・推測)、世田谷、代田、野沢、駒沢などである。柳田国男はこのことから荏原上空を自由に行き来していたダイダラボッチを想像した。彼は、その驚きを「巨人来往の衝」とまで述べている。

 もっとも著名なところは、世田谷の代田だ。ここにはダイダラボッチが当地にあって、長く引き継がれていた。代田の地名はダイダラボッチが来ている。

 この度、初めてのこころみとしてこのダイダラボッチを訪ねる小さな歩き旅を企画した。
ところが、受け手にはこの内容がよく分かっていないことが分かった。

(二)
 昨日、11日のことだ、外部の人から、街歩きへの問い合わせがあった。十二月の「世田谷代田地形学入門」についてである。どんな企画なのかというものだ。

 当方がいつも企画しているものは、会報に記すだけで、外部に分かるような説明をしてなかったことが分かった。急いでまとめているうちに、11月と12月の街歩きは、「ダイダラボッチ月間」だと気づいた。
 
 あらためて説明しておきたい。興味ある方はぜひ参加してください。本邦初のダイダラボッチ歩きである。

(三)
・第67回 大田・目黒のダイダラボッチ伝説を歩く
日にち 11月19日(土)
 集合場所 午後1時 池上線 長原駅改札前
 会費 100円く
 案内者 きむらけん・川口信
距離 約四キロ弱
 

 ダイダラボッチの研究をしていた谷川磐雄の論考に「武蔵の巨人民譚」というものがある。これにはこうある。

又これは自分がある農夫から聞いたのであるが荏原郡衾村字大岡山小字擂鉢山といふ所と、千束村狢窪といふ所に窪地があつて、そこは昔しダイダラボッチが足を踏ん張つた所でその時その杖をついた跡が今の洗足池となつたその際ダイダラボッチが片手で一方の土をとり一方に置くとその土をとつた跡は品川の海となり土を置いた所は富士山となつたといひ傳へてゐる、私はその足跡地に何度も行つて石器や土器を採集した

もう一つの伝承も記して置こう。

 昔、ダイダラボッチという大男が歩いて来た。千束の辺りまで来ると杖をついて小便をした。その時に右足のふんばって盛り上がったところが大岡山付近の擂鉢山で、左足のくぼんだところが狢窪である。そしてその杖を抜いた穴が小池で、小便が溜まったところが洗足池だという。[馬込(千束) 男 明治45年生]
 大田区の文化財第二十二集 
 口承文芸(昔話・世間話・伝説)大田区教育委員会 S61

上記のことから、小池、大池、狢窪、擂鉢山が関わったダイダラボッチ伝説がある。これを訪ねて行く旅だ。
 もう一つ、意外なことは、江見水蔭「蛇窪の踏切」は、洗足小池から始まっていることである。考古学に深い興味を持っていた彼は一帯を渉猟していたようだ。
 東工大は、通っていく道にあるところかが大学の、出穂山稲荷、ひょうたん池など、ここに埋まっている民俗学を歩いて訪ねるというものだ。(写真は洗足小池)

(四)
・第68回 世田谷代田地形学入門
日にち 12月17日(土)
  集合場所  午後1時 代田橋駅改札口前(地下)
  会費  100円
案内者 きむらけん、米澤邦頼
 徒歩行程 三キロ強
 

 いわゆる代田と言われるところは淀橋台から派生した台地にある。それが半島の形状をしている。不細工な長靴の形をしている。かかとは整っているが足先はいびつだ。右足に見えるところが興味深い。

 世田谷代田の「だいた」は、ダイダラボッチから来ている。守山小学校の裏手にあったこの足跡を観察に来たのが民俗学者の柳田国男だ。彼は、ここで「長さ約百間もあるかと思ふ右片足の跡が一つ、爪先あがりに深く踏みつけてある、と言ってもよいような窪地があった」(「ダイダラ坊の足跡」)で述べている。

 代田には、巨人の右片足があって、代田半島もその右片足の形をしている。地形上の面白い符合である。こういうふうに考えると、代田の地形形状には何か意味があるように思えてくる。代田半島のくびれはダイダラボッチの足跡だ。そしてまた、半島先端あたりには、詩の巨人、萩原朔太郎が住んでいて、当地で亡くなっている。

 一つの考えだが、ダイダラボッチは、太古の昔の折節だとも考えらる。繰り返し唱えてみると分かる。例えば「ダイダラボッチ、ダイダラボッチ」言うと、音律の響きが心地よく聞こえてくる。

 今回は、折々に、腰をかがめて、地形の傾きを眺めていく旅だ。今年、最後の、街歩きである。興味を持ったらぜひ参加してしてください。

 健康は、考えて、動くことだ。街歩きはこの両方を満たしてくれる。

 おおよそのコース
代田橋跡(巨人築造伝説)、大原稲荷神社、、玉川上水、宇田川湯支流源流部(ダイダラボッチ足跡形成に関わる)、御嶽神社、中原教会、代田八幡宮、代田教会、代田の丘の61号鉄塔、北沢川せせらぎ跡など
 *昨年は、中原教会に立ち寄った。今年は、代田教会の中を見学する予定である。

  最後は、代田「邪宗門」で歓談。(希望者)

申し込みについて
米澤邦頼 電話で090−3501−7278
メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com

〇人数が大勢集まっても困るが、情報が巧く伝えられていないことがある。
 今回の場合、代田を歩く場合、外部の方には、代田三土代会にも広報してもらうことにした。
 大田、目黒のダイダラボッチは、ごらんになった方口コミでよろしくお願いします。

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この記事へのコメント

2. Posted by きむらたかし@三田用水   2011年11月12日 20:21
[愛すべき「異界人」]訂正

何か変だと思ったら…

>数ある民潭を「あらあら」分類すると…
は
>数ある民〈譚〉を「あらあら」分類すると…
でした。


1. Posted by きむらたかし@三田用水   2011年11月12日 19:36
[愛すべき「異界人」]

数ある民潭を「あらあら」分類すると…

人にほぼ即効に危害を及ぼす異界人(?)は、
柳田の遠野物語に登場する山人(ヤマビト)、山姥(ヤマンバ)や、雪女、天邪鬼、さらにはタイプは違いますがザシキワラシ(居なくなるとその家は没落する)など
は、人間のサイズ×(1/2〜2)
程度の範疇にどうやら収まります。

一方、人に間接的にはともかく、すぐには影響を及ぼさない方の異界人は、
大はダイダラボッチ、小はコロポックルなど
人間からおよそかけ離れたサイズに想定されているものが多いように思われます。

このあたり、日本人は、「この世」の外にある「異界」には、
「すぐ隣」にあって我々に直接危害を及ぼしかねない世界と、
もう一つ、
たまに垣間見えるけれどもほとんど「異次元」にあって直接には影響が及ばない世界
との2つがあって、それは「異界人のサイズ」で識別できる、という感覚を持っていたのかもしれません。

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