2011年12月01日
下北沢X新聞(1967)〜「北沢川文化遺産保存の会」会報第65号〜
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「北沢川文化遺産保存の会」会報 第65号
2011年12月1日発行(毎月一回発行) WEB版
会長 長井 邦雄(信濃屋食品)
事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
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1、歴史片鱗下北沢「静泉閣」を記録する(補遺)
下北沢静泉閣は、昭和二十年三月に一号館は失火で焼け、二号館は建物疎開で壊された。ここには多くの文化人が居住していた。さまざまな価値が交錯する場である。下北沢鉄道交点文化を測るものさしだったと言える。
「日本空襲記」(一色次郎著)から、このアパートの暮らしの断面を表す記述を拾うと交点文化の一端が覗き見えてくる。昭和十九年(1944)十一月三十日の記述は興味深い。
待避壕の中はたちまちいっぱいになった。八人か九人。その中に男は私ひとり。どうしてこのアパートには、こんなに女が多いんだろう。表庭にふたつ、裏庭にふたつ、待避壕は四つ掘ってある。何号室から何号室までの人はどの穴ときまっている。つまり、アパートの四分の一の人たちがこの壕へ集まってくるわけだ。階上にも階下の室にも、二号さんの多いアパートである。
二号さんが多いというところは、価値参集の事例の一つだと言える。これはアパートだけではない、住宅街にも「寓居」と記された家が幾つかあって、これを疑問に思った人が、母親に何と尋ねたら、「子どもが聞くものではありません」と言われたという。
鉄道の交差による利便性が一つの理由だろう。欲望した男には都合のいい場所だったと言える。
この静泉閣の庭には、十センチばかりに成長した桧葉の木が多い。家主はいくらでも切って、壕をつくって下さいと言う。
桧葉の木が庭にあったというところは敷地の広さとゆとりを言い表すものだ。中山義秀が「この付近では随一の高級下宿であった」という表現と繋がるものだ。
静泉閣アパートは、西側を小田急の土手に区切られた窪地に立っている。一号館と二号館とあって、どちらも土手に対してほとんどT字型に立っている。わたしたちは二号館に住んでいる。上の一号館は、女子挺身隊の寮に徴発されている。女学生の工員である。坂をのぼって、この一号館の前を右へ折れるとすぐに踏切がある。この踏切と一号館の間の狭い地所に、お医者さんが一軒、小野寺歯科である。
一号館には徴用された女子挺身隊の女学生が住んでいた。軍需工場での労働に就いていたものだろう。
この踏切は、現在の小田急線下北沢3号踏切である。現在旧一号館前に桜樹がある。これと踏切の間が歯科医だったというのは面白い。現在でもそうだが、下北沢駅構内の看板には医院が多い。昭和九年の地図でも同じである。ちょっと下車して治療というのはあったように思う。需要と供給の関係が今日まで続いている。
もう一つ記録を記して置こう。地表線を走る小田急も,再来年には地下化し、音も聞こえなくなる。音がつぎのように聞こえていた時代もあったのかと。一色次郎は「静泉閣」に住んでいて、「電車が通りすぎるたびに、体中の皮膚がビリビリ痙攣」したという。
電車のスパークや警笛については、新聞の投書欄に苦情が出ていたが、どうしてこんなにも、爆弾の閃光や、警報サイレンに似ているのだろう。その音が聞こえはじめる。心臓が疼くほど縮こまる。電車の警笛とわかるまで、ホンの一秒、あるいは二秒だ。その間が苦しい。気がどうにかなってしまいそうなほど苦しい。まぬけな電車だとわかって、顔を見合わせる。
アパートの側を通る、小田急線電車の音をこのような思いをして聞いていたとは、今では思いつかないことである。が、もうしばらく経つと、この下北沢2号踏切と3号踏切の間の築堤には電車が走らなくなる。遠い過去のできごとも忘れられる。(了)
2、「鉛筆部隊と特別攻撃隊」刊行のお知らせ
わたしたちは、本当はとんでもない新しい時代を迎えているのに気づかないでいる。先だって、伊那谷から権兵衛トンネルを潜って、数分で木曽谷に抜けたときは衝撃だった。明るい伊那谷から陰影の深い木曽谷に数分で通り抜けてしまった。目眩がしたほどだ。
「東京荏原都市物語資料館」に端を発した物語、松本浅間温泉で、飛来してきた特攻隊と世田谷の疎開学童がふれ合っていたという話も、分かってみると思いがけない歴史の真実だった。歴史のトンネルを抜け出ると、その事実はほとんど知られていないことだった。松本陸軍飛行場跡に建つ空港図書館がこれ関係の資料を集めていると聞いて訪れた。自身が調べていることはほとんど分かっていないということだった。
代沢小、東大原小、駒繋小の、当時の疎開学童に当たって調べた。陸軍松本飛行場に飛来してきた特攻隊と学童とのふれ合いの事実を多くの人から取材することができた。枚数に少し余裕があることから、物語の経緯に関わる、「北沢川文化遺産保存の会」の発足のいきさつ、下北沢鉄道交点に集まっていた価値の集積、このことを付け加えてまとめていることである。会の活動の一環として行っていたことが物語として、実を結んだものである。原稿用紙400枚を超えるものとなりそうだ。
タイトルは、「鉛筆部隊と特別攻撃隊〜あの歌が、言葉が、約束が、今も忘れられない〜」が彩流社から刊行される。来年五月には、この関連行事、第五回「戦争経験を聴く会、語る会」を開催する。「世田谷の疎開学童と特攻隊」である。証言された方には贈呈をしたい。これに間に合うように刊行する予定である。
3、「北沢川文学の小路」を行政に提案する
「北沢川文学の小路」へ外部からの訪問者が増えていることから、これをきちんと行政でも認識し、森茉莉、横光利一、萩原朔太郎の事績を記した看板や碑を建てようと区役所に行って企画を提案下。その場には、みどりとみず政策、都市整備部、教育委員会、生活文化部など窓口を縦断する形で役職の方々が集まって下さった。そのときに当方の企画を提案したことである。
後日その結果が出たということで再び区役所を訪れた。当方の企画を全体的に支援するところまではいかないと言う。主には財政難があって手を出せないようだった。が、みどりとみず政策ではわれらの運動の可能性があることを知った。一つは,現今,「北沢川文学の小路」に建てられている看板にスペースが空いているところは、使える可能性があるようである。
もう一つ,当方が資金を集め,それを寄贈という形でのものならば可能性があるとのことだ。それには願いを出して認可を受けることが必要だ。
これをどのように運動していくか課題である。具体的に予定しているのは、せせらぎ公園に《夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石。》 森茉莉 という文学碑, 中下橋たもとに、微笑といふものは人の心を殺す光線だ。 横光利一 という文学碑, そして、萩原朔太郎に関わる風景資産の鉄塔の案内表示を考えている。
これを実現するには資金の問題がある。市民からの寄付を募って行くが、個別の企業、,あるいは、個人でも、あの人のは建てたいと言うことはあるかも知れない。終生の森茉莉ファンがいて「わたしが建てたい」という人が居るかも知れない。その場合は,寄贈者の名前は後ろに彫られて永遠に残るのではないだろうか。
もしも市民、あるいは団体で、協力してもいいという場合には,こちらに連絡をください。
4、定例会:歩く会について
都市物語を旅する会
わたしたちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地のにおいを嗅いで楽しみながらぶらぶら歩いています。参加自由です。 基本原則は、第三土曜日としています。第二は、会員の希望によって、特番を設けることがあります。
・第68回 12月17日(土)午後一時 代田橋駅前北口
淀橋台から分岐した代田半島の地形を眺めながら歩くというコースだ。 昨年、好評だったことから第二回を実施する。 おおよそのコースはつぎの通り。三キロ強。
大原稲荷神社、代田橋跡(巨人築造伝説)、玉川上水、宇田川湯支流源流部(ダイダラボッチ足跡形成に関わる)、御嶽神社、中原教会、代田八幡宮、代田教会、代田の丘の61号鉄塔、北沢川せせらぎ跡など、ゆく年を送る今年最後の街歩きおいでください。
*昨年は、中原教会に立ち寄った。今年は、代田教会の中を見学する予定である。
最後は、代田「邪宗門」で歓談。(希望者)
・第69回 1月14日(土) 午後一時 午後1時 豪徳寺駅改札前
新春言祝ぎ紀行〜神社を巡って手と脚の健康を祈る〜 会費100円
案内者 天羽大器 今年の歩きぞめです。ご馳走で太った身体をスリムに!
豪徳寺駅スタート→世田谷八幡宮→烏山川緑道→松陰神社→若林天満宮→若林稲荷神社→若林稲荷神社→太子堂八幡神社→鎌倉通り→北沢八幡神社→邪宗門ゴール
・第70回 2月18日(土) 午後一時 世田谷線下高井戸駅
世田谷線を歩く 下高井戸から三軒茶屋まで
案内者 別宮通孝氏 会費300円
・第71回 3月17日(土) 午後一時 下北沢駅北口
森茉莉の足跡を歩く (毎年定番のコース) 会費100円
・第72回 4月21日(土)午後一時 渋谷ハチ公前(予定)
駒場鷹狩コースを歩く 池尻道楽会 上田暁氏案内 会費300円
◎申し込み方法、参加希望について
参加申し込みについて(必ず参加連絡をお願いします)
電話の場合、 090−3501−7278
メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com
■ 編集後記
▲夢みたいなことを考える。毎年三月に「森茉莉の足跡を歩く」は実施している。考えたのは「もういやというほど森茉莉を歩く」だ。現在の時点では、通例のコースを実施することにしている。が、つぎの無謀な計画に希望者がいれば実施する。その概要は、こうだ。
3月17日、朝十時に下北沢駅北口集合、彼女ゆかりの北口駅前市場は近々無くなるようだ。下北沢から淡島までの彼女のお買い物ルートを歩き、倉運荘跡、代沢ハウスを見て「邪宗門」へ。ここで1000円の「森茉莉弁当」を食べ、紅茶を飲む。午後は、その後、舳徹冶(三好達治)旧居、彼が芸術院賞もらってテレビに出たとき、森茉莉は、テレビを観に苅萓梗子(萩原葉子)の家を訪れる。そのルートを歩き、途中、「恋人たちの森」に出てくる「若林の奥の邸町」とおぼしきあたりを訪ね、パウロやギドウの臭いをかぐ。その後、葉子旧居、そして近くの小堀杏奴旧居跡へ。強行軍は続くが、梅ヶ丘駅から経堂までは電車にする。ここで下車して、終焉の地、「フミハウス」を訪ねるコースだ。いっそうのこと三鷹禅林寺へ行ってお墓に詣でるというのもあるがそこまではしない。
ミソは「森茉莉弁当」だ。10人集まれば注文ができる。希望者がいれば実施するというのも面白い。先着十名、このネットを通して全国に希望を募ってみる。
われと思わん方は参加してください。この会報をネットに掲載した瞬間から受け付けたい。希望者は、わたしにメールで申し込んでください。おお、すでにもう一名の申し込みがあった。ホントの話です。
▲今年は、「萩原朔太郎展」があったこともあって、外部からの文学散歩の依頼が多かった。都合七回、案内引率を行った。とくに山梨県からバスで来られたのは印象的でした。痛感したことは、ガイドがいないことです。一人では後が続きません。「北沢川文化遺産ガイドの会」、どなたか入会しませんか。地域発見、自己発見に繋がります。
▲今年は、いろいろありました。大変な年でした。三日には、忘年会があります。これを楽しくやって、邪気を吹き飛ばしましょう。
・当会への連絡、お問い合わせは、編集、発行者のきむらけんへ aoisigunal@hotmail.com
会報のメール配信もしています。「北沢川文化遺産保存の会」へご入会ください。入会費なし。年会費1000円。事務局の世田谷「邪宗門」で受け付けております。間もなく新年です。会費が切れますので、これの方もよろしくお願いします。
「北沢川文化遺産保存の会」会報 第65号
2011年12月1日発行(毎月一回発行) WEB版
会長 長井 邦雄(信濃屋食品)
事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
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1、歴史片鱗下北沢「静泉閣」を記録する(補遺)
下北沢静泉閣は、昭和二十年三月に一号館は失火で焼け、二号館は建物疎開で壊された。ここには多くの文化人が居住していた。さまざまな価値が交錯する場である。下北沢鉄道交点文化を測るものさしだったと言える。
「日本空襲記」(一色次郎著)から、このアパートの暮らしの断面を表す記述を拾うと交点文化の一端が覗き見えてくる。昭和十九年(1944)十一月三十日の記述は興味深い。
待避壕の中はたちまちいっぱいになった。八人か九人。その中に男は私ひとり。どうしてこのアパートには、こんなに女が多いんだろう。表庭にふたつ、裏庭にふたつ、待避壕は四つ掘ってある。何号室から何号室までの人はどの穴ときまっている。つまり、アパートの四分の一の人たちがこの壕へ集まってくるわけだ。階上にも階下の室にも、二号さんの多いアパートである。
二号さんが多いというところは、価値参集の事例の一つだと言える。これはアパートだけではない、住宅街にも「寓居」と記された家が幾つかあって、これを疑問に思った人が、母親に何と尋ねたら、「子どもが聞くものではありません」と言われたという。
鉄道の交差による利便性が一つの理由だろう。欲望した男には都合のいい場所だったと言える。
この静泉閣の庭には、十センチばかりに成長した桧葉の木が多い。家主はいくらでも切って、壕をつくって下さいと言う。
桧葉の木が庭にあったというところは敷地の広さとゆとりを言い表すものだ。中山義秀が「この付近では随一の高級下宿であった」という表現と繋がるものだ。
静泉閣アパートは、西側を小田急の土手に区切られた窪地に立っている。一号館と二号館とあって、どちらも土手に対してほとんどT字型に立っている。わたしたちは二号館に住んでいる。上の一号館は、女子挺身隊の寮に徴発されている。女学生の工員である。坂をのぼって、この一号館の前を右へ折れるとすぐに踏切がある。この踏切と一号館の間の狭い地所に、お医者さんが一軒、小野寺歯科である。
一号館には徴用された女子挺身隊の女学生が住んでいた。軍需工場での労働に就いていたものだろう。
この踏切は、現在の小田急線下北沢3号踏切である。現在旧一号館前に桜樹がある。これと踏切の間が歯科医だったというのは面白い。現在でもそうだが、下北沢駅構内の看板には医院が多い。昭和九年の地図でも同じである。ちょっと下車して治療というのはあったように思う。需要と供給の関係が今日まで続いている。
もう一つ記録を記して置こう。地表線を走る小田急も,再来年には地下化し、音も聞こえなくなる。音がつぎのように聞こえていた時代もあったのかと。一色次郎は「静泉閣」に住んでいて、「電車が通りすぎるたびに、体中の皮膚がビリビリ痙攣」したという。
電車のスパークや警笛については、新聞の投書欄に苦情が出ていたが、どうしてこんなにも、爆弾の閃光や、警報サイレンに似ているのだろう。その音が聞こえはじめる。心臓が疼くほど縮こまる。電車の警笛とわかるまで、ホンの一秒、あるいは二秒だ。その間が苦しい。気がどうにかなってしまいそうなほど苦しい。まぬけな電車だとわかって、顔を見合わせる。
アパートの側を通る、小田急線電車の音をこのような思いをして聞いていたとは、今では思いつかないことである。が、もうしばらく経つと、この下北沢2号踏切と3号踏切の間の築堤には電車が走らなくなる。遠い過去のできごとも忘れられる。(了)
2、「鉛筆部隊と特別攻撃隊」刊行のお知らせ
わたしたちは、本当はとんでもない新しい時代を迎えているのに気づかないでいる。先だって、伊那谷から権兵衛トンネルを潜って、数分で木曽谷に抜けたときは衝撃だった。明るい伊那谷から陰影の深い木曽谷に数分で通り抜けてしまった。目眩がしたほどだ。
「東京荏原都市物語資料館」に端を発した物語、松本浅間温泉で、飛来してきた特攻隊と世田谷の疎開学童がふれ合っていたという話も、分かってみると思いがけない歴史の真実だった。歴史のトンネルを抜け出ると、その事実はほとんど知られていないことだった。松本陸軍飛行場跡に建つ空港図書館がこれ関係の資料を集めていると聞いて訪れた。自身が調べていることはほとんど分かっていないということだった。
代沢小、東大原小、駒繋小の、当時の疎開学童に当たって調べた。陸軍松本飛行場に飛来してきた特攻隊と学童とのふれ合いの事実を多くの人から取材することができた。枚数に少し余裕があることから、物語の経緯に関わる、「北沢川文化遺産保存の会」の発足のいきさつ、下北沢鉄道交点に集まっていた価値の集積、このことを付け加えてまとめていることである。会の活動の一環として行っていたことが物語として、実を結んだものである。原稿用紙400枚を超えるものとなりそうだ。
タイトルは、「鉛筆部隊と特別攻撃隊〜あの歌が、言葉が、約束が、今も忘れられない〜」が彩流社から刊行される。来年五月には、この関連行事、第五回「戦争経験を聴く会、語る会」を開催する。「世田谷の疎開学童と特攻隊」である。証言された方には贈呈をしたい。これに間に合うように刊行する予定である。
3、「北沢川文学の小路」を行政に提案する
「北沢川文学の小路」へ外部からの訪問者が増えていることから、これをきちんと行政でも認識し、森茉莉、横光利一、萩原朔太郎の事績を記した看板や碑を建てようと区役所に行って企画を提案下。その場には、みどりとみず政策、都市整備部、教育委員会、生活文化部など窓口を縦断する形で役職の方々が集まって下さった。そのときに当方の企画を提案したことである。
後日その結果が出たということで再び区役所を訪れた。当方の企画を全体的に支援するところまではいかないと言う。主には財政難があって手を出せないようだった。が、みどりとみず政策ではわれらの運動の可能性があることを知った。一つは,現今,「北沢川文学の小路」に建てられている看板にスペースが空いているところは、使える可能性があるようである。
もう一つ,当方が資金を集め,それを寄贈という形でのものならば可能性があるとのことだ。それには願いを出して認可を受けることが必要だ。
これをどのように運動していくか課題である。具体的に予定しているのは、せせらぎ公園に《夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石。》 森茉莉 という文学碑, 中下橋たもとに、微笑といふものは人の心を殺す光線だ。 横光利一 という文学碑, そして、萩原朔太郎に関わる風景資産の鉄塔の案内表示を考えている。
これを実現するには資金の問題がある。市民からの寄付を募って行くが、個別の企業、,あるいは、個人でも、あの人のは建てたいと言うことはあるかも知れない。終生の森茉莉ファンがいて「わたしが建てたい」という人が居るかも知れない。その場合は,寄贈者の名前は後ろに彫られて永遠に残るのではないだろうか。
もしも市民、あるいは団体で、協力してもいいという場合には,こちらに連絡をください。
4、定例会:歩く会について
都市物語を旅する会
わたしたちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地のにおいを嗅いで楽しみながらぶらぶら歩いています。参加自由です。 基本原則は、第三土曜日としています。第二は、会員の希望によって、特番を設けることがあります。
・第68回 12月17日(土)午後一時 代田橋駅前北口
淀橋台から分岐した代田半島の地形を眺めながら歩くというコースだ。 昨年、好評だったことから第二回を実施する。 おおよそのコースはつぎの通り。三キロ強。
大原稲荷神社、代田橋跡(巨人築造伝説)、玉川上水、宇田川湯支流源流部(ダイダラボッチ足跡形成に関わる)、御嶽神社、中原教会、代田八幡宮、代田教会、代田の丘の61号鉄塔、北沢川せせらぎ跡など、ゆく年を送る今年最後の街歩きおいでください。
*昨年は、中原教会に立ち寄った。今年は、代田教会の中を見学する予定である。
最後は、代田「邪宗門」で歓談。(希望者)
・第69回 1月14日(土) 午後一時 午後1時 豪徳寺駅改札前
新春言祝ぎ紀行〜神社を巡って手と脚の健康を祈る〜 会費100円
案内者 天羽大器 今年の歩きぞめです。ご馳走で太った身体をスリムに!
豪徳寺駅スタート→世田谷八幡宮→烏山川緑道→松陰神社→若林天満宮→若林稲荷神社→若林稲荷神社→太子堂八幡神社→鎌倉通り→北沢八幡神社→邪宗門ゴール
・第70回 2月18日(土) 午後一時 世田谷線下高井戸駅
世田谷線を歩く 下高井戸から三軒茶屋まで
案内者 別宮通孝氏 会費300円
・第71回 3月17日(土) 午後一時 下北沢駅北口
森茉莉の足跡を歩く (毎年定番のコース) 会費100円
・第72回 4月21日(土)午後一時 渋谷ハチ公前(予定)
駒場鷹狩コースを歩く 池尻道楽会 上田暁氏案内 会費300円
◎申し込み方法、参加希望について
参加申し込みについて(必ず参加連絡をお願いします)
電話の場合、 090−3501−7278
メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com
■ 編集後記
▲夢みたいなことを考える。毎年三月に「森茉莉の足跡を歩く」は実施している。考えたのは「もういやというほど森茉莉を歩く」だ。現在の時点では、通例のコースを実施することにしている。が、つぎの無謀な計画に希望者がいれば実施する。その概要は、こうだ。
3月17日、朝十時に下北沢駅北口集合、彼女ゆかりの北口駅前市場は近々無くなるようだ。下北沢から淡島までの彼女のお買い物ルートを歩き、倉運荘跡、代沢ハウスを見て「邪宗門」へ。ここで1000円の「森茉莉弁当」を食べ、紅茶を飲む。午後は、その後、舳徹冶(三好達治)旧居、彼が芸術院賞もらってテレビに出たとき、森茉莉は、テレビを観に苅萓梗子(萩原葉子)の家を訪れる。そのルートを歩き、途中、「恋人たちの森」に出てくる「若林の奥の邸町」とおぼしきあたりを訪ね、パウロやギドウの臭いをかぐ。その後、葉子旧居、そして近くの小堀杏奴旧居跡へ。強行軍は続くが、梅ヶ丘駅から経堂までは電車にする。ここで下車して、終焉の地、「フミハウス」を訪ねるコースだ。いっそうのこと三鷹禅林寺へ行ってお墓に詣でるというのもあるがそこまではしない。
ミソは「森茉莉弁当」だ。10人集まれば注文ができる。希望者がいれば実施するというのも面白い。先着十名、このネットを通して全国に希望を募ってみる。
われと思わん方は参加してください。この会報をネットに掲載した瞬間から受け付けたい。希望者は、わたしにメールで申し込んでください。おお、すでにもう一名の申し込みがあった。ホントの話です。
▲今年は、「萩原朔太郎展」があったこともあって、外部からの文学散歩の依頼が多かった。都合七回、案内引率を行った。とくに山梨県からバスで来られたのは印象的でした。痛感したことは、ガイドがいないことです。一人では後が続きません。「北沢川文化遺産ガイドの会」、どなたか入会しませんか。地域発見、自己発見に繋がります。
▲今年は、いろいろありました。大変な年でした。三日には、忘年会があります。これを楽しくやって、邪気を吹き飛ばしましょう。
・当会への連絡、お問い合わせは、編集、発行者のきむらけんへ aoisigunal@hotmail.com
会報のメール配信もしています。「北沢川文化遺産保存の会」へご入会ください。入会費なし。年会費1000円。事務局の世田谷「邪宗門」で受け付けております。間もなく新年です。会費が切れますので、これの方もよろしくお願いします。



















