2011年12月11日
下北沢Ｘ新聞(1974) 〜下北沢の小盆地の近代史４〜
（一）
下北沢小盆地を通るとき、いつも一軒の家を眺め遣る。これをみるたびに「ちいさいおうち」を思い出す。かつてはのどかでひなびたところにあった。せいぜい音がするといえば、家の脇を通っている電車の音だけだった。小田急線だ。
「そうね、前はたった一両で走って来たからね」
この土地の変遷を見つめてきた古老はそう言った。佐山一雄さんである。この頃は、あまり伺う機会がない。というのは、小田急地下化工事が始まって以来、あまりにも騒がしくなってしまったからだ。常に多くのガードマンがいて交通整理をしている。ダンプも頻繁に通る。誘導の笛がうるさい。電車もひっきりなしに通る。
お宅の縁側に腰掛けて古老の話を聴くというような環境ではなくなってしまった。すっかり騒音や喧噪、そして建物に取り囲まれてしまった。
庭の海棠は季節になると一際目立ち、電車の窓からもよく見えた。車窓の楽しみにしていた人もいるはずだ。
記憶に残っている話がある。この家はもともとは下北沢一番街にあった。渋谷急行電鉄、帝都線の駅ができるというので越してこられたという。
今、地形的に考えてみるとこの小盆地を通過する路線計画も考えられなくはなかったとも思う。現行の線路よりも低い位置にある。土地の高低などを考えるとここを通す方が建設費が安くついたのではないかと思いもする。
（二）
もうだいぶ前になる、この小盆地の歴史を何度も通っては伺った。それこそ「ちいさいおうち」という物語に似通っていた。近辺が次第に都会になっていくプロセスロセスが面白かった。飽きることなく聞いた。多分、聞かれたから話されたのだろうと思う。聞かなければ当地の近代史は聞けなかった。
ちょうど向かいには下北沢２号踏切があって、そこに踏切地蔵がある。その植栽はお父さんがされたと聞いた。今もその杉は残っている。
その踏切のあたりから線路はカーブして世田谷代田方向に向かっている。かつては８００Ｒあって、フェイスブック風に「いいね！」と言えるカーブ、好ましい女性美を見せていた。ところがこれが、工事で緩和されて今ではだらしなくなった、「わるいね！」になった。文明近代は女性美も衰えさせる、そんな感懐をもったほどだ。
昭和二十年三月、この小盆地の沿線一帯は建物疎開で壊された。静泉閣二号館もこれで立退きを求められ、ここに住んでいた一色次郎も代田の西の丸荘に移っている。
佐山一雄さんの家はこのカーブで助かった。最初の測量では建物疎開に引っ掛かった。が、線路がカーブしているところからもう一度測り直してくれと申し入れて、かろうじて疎開を免れたという。
（三）
この代田カーブにこそ近代史は眠っている。今日は十二月十一日だ。六十七年前の昭和十九年のこの日、佐山さん宅の線路を挟んだ、向こうに住んでいた一色次郎はつぎのように記録している。一色と一雄は至近距離にいて互いを知らずに住んでいた。
突然、情報の前ぶれであるラジオのブザーが、ガガガ−、と静寂を破った。
「東部軍情報、東部軍情報。先に侵入せるＢ２９一機は、目下京浜中辺地区を飛行中なり」
こんやも風がない。あたりには、空襲警報下の異常な緊張がみなぎっている。小田急の非常電車が一台、猛烈な音を立てながら、西へ向かって走っていった。
「日本空襲記」 一色次郎
モハ１２１系は、下北沢駅を通過してタイフォンを大きく鳴らした。戦時用の遮光ヘッドライトが闇夜にカーブを映した。瞬時、下北沢２号踏切にかかったとたん、車輪がくきゅくきゅと軋む。代田側への勾配にかかって、釣り掛けモーターが一層に唸る。無骨な菱形のパンタグラフは青いスパークを引きちぎるように走っていく。
（２００５年３月８日、手前下北沢2号、向こう下北沢3号踏切）
もうだいぶ前になる、この小盆地の歴史を何度も通っては伺った。それこそ「ちいさいおうち」という物語に似通っていた。近辺が次第に都会になっていくプロセスロセスが面白かった。飽きることなく聞いた。多分、聞かれたから話されたのだろうと思う。聞かなければ当地の近代史は聞けなかった。
ちょうど向かいには下北沢２号踏切があって、そこに踏切地蔵がある。その植栽はお父さんがされたと聞いた。今もその杉は残っている。
その踏切のあたりから線路はカーブして世田谷代田方向に向かっている。かつては８００Ｒあって、フェイスブック風に「いいね！」と言えるカーブ、好ましい女性美を見せていた。ところがこれが、工事で緩和されて今ではだらしなくなった、「わるいね！」になった。文明近代は女性美も衰えさせる、そんな感懐をもったほどだ。
昭和二十年三月、この小盆地の沿線一帯は建物疎開で壊された。静泉閣二号館もこれで立退きを求められ、ここに住んでいた一色次郎も代田の西の丸荘に移っている。
佐山一雄さんの家はこのカーブで助かった。最初の測量では建物疎開に引っ掛かった。が、線路がカーブしているところからもう一度測り直してくれと申し入れて、かろうじて疎開を免れたという。
（三）
この代田カーブにこそ近代史は眠っている。今日は十二月十一日だ。六十七年前の昭和十九年のこの日、佐山さん宅の線路を挟んだ、向こうに住んでいた一色次郎はつぎのように記録している。一色と一雄は至近距離にいて互いを知らずに住んでいた。
突然、情報の前ぶれであるラジオのブザーが、ガガガ−、と静寂を破った。
「東部軍情報、東部軍情報。先に侵入せるＢ２９一機は、目下京浜中辺地区を飛行中なり」
こんやも風がない。あたりには、空襲警報下の異常な緊張がみなぎっている。小田急の非常電車が一台、猛烈な音を立てながら、西へ向かって走っていった。
「日本空襲記」 一色次郎
モハ１２１系は、下北沢駅を通過してタイフォンを大きく鳴らした。戦時用の遮光ヘッドライトが闇夜にカーブを映した。瞬時、下北沢２号踏切にかかったとたん、車輪がくきゅくきゅと軋む。代田側への勾配にかかって、釣り掛けモーターが一層に唸る。無骨な菱形のパンタグラフは青いスパークを引きちぎるように走っていく。
（２００５年３月８日、手前下北沢2号、向こう下北沢3号踏切）
