2012年09月01日
下北沢X新聞(2154)〜第74号「北沢川文化遺産保存の会」会報〜
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「北沢川文化遺産保存の会」会報 第74号 WEB版
2012年9月1日発行(毎月1回発行)
会長 長井 邦雄(信濃屋食品)
事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
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1、「あの高い鉄塔」を文学モニュメントに
代田半島南端、代田の丘に一つの鉄塔が聳え建っている。「代田の丘の61号鉄塔」と称されているものだ。世田谷区地域風景資産となっている。
なぜ高圧線鉄塔が世田谷区地域風景資産となったのか誰もが不思議に思う。理由は、当地に居住した詩人、萩原朔太郎、それと彼の娘葉子を唯一想起させる建造物であるからだ。
鉄塔と詩人、そしてその娘の小説家萩原葉子との関係は長年調べてきた。そのことからこの鉄塔が彼らの居住をたった一つ思わせるものだと結論づけた。他には一切痕跡はない。 この鉄塔に関する詩人自身の記述はない。しかし、彼の作品から窺われる、思考や生き様からすると好んでこの鉄塔の側に住んだと思われる。
詩人の代表詩集の一つは『氷島』である。彼は鉄塔下の家でこれを編んだ。昭和九年二月に彼は「自序」を記している。
著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を叙べるのである。それ故にこそ、すべての詩編は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌われて居る。読者は声に出して読むべきでかり、決して黙読すべきではない。これは「歌ふための詩」なのである。
住んでいる場所は、代田に他ならない。当地で彼は故郷上州を常に思っていた。「いつも心の上に感じ」ていた。これは抽象的に述べているが具体的な感覚でもあった。
彼の娘葉子は、自伝小説『蕁麻の家』で「初めて敷地を見に来た時から高圧線の唸る音が耳についていたのも、自分の運命を暗示していたのかもしれない」と書いている。「唸る音」は彼女の父も聴いていたはずだ。実在意識として高圧線があった。
電気はどこから来るのか。「成城にある鉄塔は前は群馬線と言っていました」と電気会社の人に教わって驚いたことがある。かつては水力発電が主だった。東京に供給されるその電気は利根川上流で作られていた。上州と東京とは太い銅線でしっかりと結ばれていた。詩人の頭上にある高圧線は上州と繋がっていた。彼は高圧線のうなり声を聞きながら「いつも心の上に」実在する線を感じていた。そういう因縁との関係において当地に家を建てたのではないかと考えると面白い。
なぜ詩人が鉄塔の側に家を建てたのか、その因縁因果は如何様にも想像できる。思われることは決して不快なものに思っていたわけではない。むしろ好感を持っていたと言ってもいい。田園の中に聳え建つ鉄塔は、しゃれた近代郊外風景だったことは言える。
一方の娘にとっては、決して好ましいものではなかった。彼女は具体的にそれを述べ表している。『蕁麻の家』の一節だ。
あの高い鉄塔に登り、感電死するのが私の運命のような気がした。この土地を洋之助と見に来た時、私はまだ小学生だったのに何となく暗い予感のようなものが、私の頭をかすめたのを覚えている。今はその予感の正体が何であったのか分かったのだ。(同著)
父にとっては近代を象徴する銀色の塔だったが、娘にとっては陰鬱なものだった。実際に彼女はこの塔に登っている。今と違って鉄柵で覆われてはいない。そばには「ひまわり公園」があって多くの子どもたちがここに遊びに来ていた。遊びに飽きると、この鉄塔にだけついている塔内ハシゴを伝って多くが登った。彼女もその一人だったに違いない。
「代田の丘の61号」鉄塔は、萩原朔太郎、葉子を唯一偲ぶものである。そのことから地域風景資産として申請した。それが通って選定された。ところが、このことに関する案内掲示版はない。
萩原朔太郎は、唯一無二の詩人と言われている。そのことから彼を偲んで遠くから訪ねて来る人は後を絶たない。案内表示がないことから辺りをうろつくということはよくある光景だった。
今回、世田谷区「地域の絆再生支援事業」に申請して、これが認められたことから改めて地域の文化発掘に取り組みをすることにした。一つは、案内掲示版の設置である。もう一つは、「下北沢文士町文化地図」の改訂五版の発行である。
鉄塔をモニュメントとする案内看板については事業の資金だけでは不足であった。が、看板の側にある企業「信濃屋食品」が協賛を快く引き受けてくれた。「北沢川文化遺産保存の会」会長で、信濃屋食品CEOでもある長井邦雄氏の計らいでもある。
看板については発注をした。簡単なセレモニーを開きたいと考えている。除幕式である。現在のところ、10月6日、午後2時から鶴ヶ丘橋たもとで行うことを予定している。
2,萩原朔太郎世田谷来訪81周年記念…記念冊子の発行
鉄塔をモニュメントとする掲示版の完成に合わせて記念冊子を発行したい。現在、『代田と鉄塔と詩人物語』というタイトルでまとめている。
キャッチコピーは
指さしをして眺める文学碑
「代田の丘の61号鉄塔」
記念モニュメント建立
鉄塔と詩人の関わりを物語としてまとめたものである。今回、偶然的に、当地に居住した人で往事のことをよく知っている人に出会った。
萩原朔太郎の生前の様子や往事の周りの様子のことを詳しく覚えておられる方である。川には水車があってその音が聞こえていたという。鉄塔についても今と昔ではだいぶことなっていたようだ。唸りが聞こえたり、雨の日には火花が出たりと今よりももっとその存在が意識されたようである。
A4版、上下二段組み、12ページの小冊子である。これにこの証言を入れたいと考えている。代田に於ける証言は今までなかったことだけに内容的にはかなり貴重な資料となるものだ。研究資料としても役立つものだろうと考える。これをどのように頒布するのか考えたい。
イメージとしては「北沢川文化遺産保存の会」紀要第1号だ。順次発行を考えたい。第2号としては「嗚呼、代田連絡線〜戦時応急救援線〜」を考えている。一冊につきいくらかの寄付を仰ぎ、つぎの紀要の資金に当てられないかと考えている。
3、鉄道線の地下化による変化
東京西部の交通網が大きく変わりつつある。先だって、京王線、調布と国領間が地下化されて街のイメージが一気に変わってしまった。激変した。街の歴史を刻んできた電車の音、踏切警報音がこつ然と消えた。踏切渋滞が解消されて便利にはなったが、何か大切なものがなくなったようにも思う。鉄道の音は時間でもあった。時間が分からなくなってしまったという人もいる。
近々、我々の近くもこれが起こるはずだ。まずは、東急が代官山から地下に潜り、現在ある東急C曲線が一気に失われる。渋谷の町のシンボルだった東急の電車が地表から一切姿を消す。
小田急の地下化工事も進捗している。世田谷代田と東北沢の間も近々完成して電車が一切通らなくなる。風景が一変してしまう。
なくなった風景はもとには戻らない。今ある風景はじっくりと見ておきたい。東急の地下化は3月16日とされている。今考えているのは、廃線になる前に「東急C曲線音楽を聴く」という街歩きを実施ししっかりとここで奏でられる音楽を聴いておきたい。
ハチ公前に集まり、行きは線路の西側に沿って歩き、代官山まで行って今度は線路の東側を歩くというものだ。二月の定例会で行おうと考えている。
小田急がなくなる前も、全部の踏切巡りはしておきたいと考えている。
4、都市物語を旅する会
私たちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地のにおいを嗅いで楽しみながらぶらぶら歩いています。参加自由です。 基本原則は、第三土曜日としています。第二は、会員の希望によって特番を設けることがあります。
・第76回 9月15日(土)午後一時 明大前改札口
明大前鉄道交点を歩く 案内者 岡本克行
1.明大前駅前 「正栄館」(映画館)の記憶
2.跨線橋の上から観る「東京山手急行線の痕跡」。富士見橋(京王線下りホーム下跨線橋)、明大前上東西跨線橋、甲州街道を渡って玉川上水公園
3.明大前にやってきた学校と寺院
明治大学和泉キャンパス→築地本願寺和田堀廟所→歩道橋を渡って→旧京王線松原駅跡地→日本女子体育大学付属二階堂高校→日本学園→知られざる明大前南側の寺院群→
4.竹久夢二「少年山荘」所在地と夢二の足跡
旧玉電七軒町駅跡→少年山荘所在地→弁天公園→下高井戸駅→下高井戸駅地下道→解散
〇特番開催(追加情報、2012/09/01掲載)
9月22日(土) 午後一時 多摩センター駅改札口前
「今井兼次展」見学、講演会、レセプションなど 事前の申し込み者は当日券を渡します。
希望されていない方でも当方所持の券で複数入れますので、その場合は連絡をください。
この日の参加費はありません。
・第77回 10月20日(土) 井の頭線東松原駅午後一時集合
松原の杜夫、代田の茂吉を歩く
東松原駅集合→北杜夫旧宅→青山脳病院跡→羽根木公園(根津山)→北沢川緑道→茂吉代田旧居跡→茂吉ゆかりの代田八幡宮→世田谷代田2号踏切跡(根津山に孫と行くときに通った踏切)→北沢川緑道…記念樹(ネコヤナギ)→第二書房跡→(邪宗門)
11月
特番開催
〇ぼちぼち墓地歩き(雑司ヶ谷、染井に続く第3回目)
谷中墓地を歩く 11月10日(土)午後一時 日暮里駅中央改札口前
・第78回 11月17日(土)、井の頭線池の上駅 午後一時集合
アーティストタウンを歩く1(第四象限)
杉山元元帥旧居→海外植民学校跡→東條英機旧邸→横光利一(小説)→(聖三一教会)→佐藤栄作旧邸→田村泰次郎(小説)→宇野千代(小説)・東郷青児(画家)→森茉莉(小説)→加藤楸邨(俳句)→坂口安吾文学碑→田村泰治郎・井上友一郎(小説)→三好達治(詩人)→中谷泰(洋画)→代田「邪宗門」
・第79回 12月15日(土)代田橋駅 午後一時集合
代田半島三大伝説を巡る ダイダラボッチ、代田連絡線、代田の丘の61号鉄塔
◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも300円
参加申し込みについて(必ず参加連絡をお願いします。資料部数と関連します)
電話の場合、 米澤邦頼 090−3501−7278
メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com
■ 編集後記
▲松本市、市立博物館で「戦争と平和展」が開かれた。会としては行かなかったが、会員の多くが三々五々松本まで足を運んだ。当会の「戦争経験を聴く会、語る会」の一齣も写真資料として展示してあった。近現代の松本の戦争史は重要なものだ。ぜひ継続的に展示を続けてほしいものである。当会としてもそれについては協力していきたい。
▲「下北沢文士町文化地図」(第五版)を発行したい。世田谷区の助成だけでは不足である。それでいつもの通り皆さんからの「地図寄金」を募りたい。寄付された方には必要なだけ差し上げたい。いつも通り、封筒に「地図寄金」と書いてお名前と金額と住所を記しきむらけんや邪宗門に出してください。この寄せられたお金は地図作成費のみにしか使いません。金額は幾らでも構いません。
▲拙著「鉛筆部隊と特攻隊」については『日本経済新聞』と『山梨日日新聞』に書評が掲載された。後者は配信で、『新潟日報』『信濃毎日新聞』『神戸新聞』2012.8.26付にも載った。本は事務局の「邪宗門」でも買える。
・読後感想の一節、放射能汚染で立ち入り禁止となった方々が「仮設住宅で不自由な生活を忍び『帰りたい!』思いに耐えていらっしゃる人々を常々見ております。その様な環境の中で読んだ戦争の記述は、今の現実をどのように受け止めて一歩一歩進んだらよいのか、その方達と共に考えてゆく方角を示唆してくれているように思えます。(仙台市上野靖子)
・当会への連絡、お問い合わせは、編集、発行者のきむらけんへ aoisigunal@hotmail.com
会報のメール配信もしています。「北沢川文化遺産保存の会」へご入会ください。入会費なし。年会費1000円。事務局の世田谷「邪宗門」で受け付けております。
「北沢川文化遺産保存の会」会報 第74号 WEB版
2012年9月1日発行(毎月1回発行)
会長 長井 邦雄(信濃屋食品)
事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
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1、「あの高い鉄塔」を文学モニュメントに
代田半島南端、代田の丘に一つの鉄塔が聳え建っている。「代田の丘の61号鉄塔」と称されているものだ。世田谷区地域風景資産となっている。
なぜ高圧線鉄塔が世田谷区地域風景資産となったのか誰もが不思議に思う。理由は、当地に居住した詩人、萩原朔太郎、それと彼の娘葉子を唯一想起させる建造物であるからだ。
鉄塔と詩人、そしてその娘の小説家萩原葉子との関係は長年調べてきた。そのことからこの鉄塔が彼らの居住をたった一つ思わせるものだと結論づけた。他には一切痕跡はない。 この鉄塔に関する詩人自身の記述はない。しかし、彼の作品から窺われる、思考や生き様からすると好んでこの鉄塔の側に住んだと思われる。
詩人の代表詩集の一つは『氷島』である。彼は鉄塔下の家でこれを編んだ。昭和九年二月に彼は「自序」を記している。
著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を叙べるのである。それ故にこそ、すべての詩編は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌われて居る。読者は声に出して読むべきでかり、決して黙読すべきではない。これは「歌ふための詩」なのである。
住んでいる場所は、代田に他ならない。当地で彼は故郷上州を常に思っていた。「いつも心の上に感じ」ていた。これは抽象的に述べているが具体的な感覚でもあった。
彼の娘葉子は、自伝小説『蕁麻の家』で「初めて敷地を見に来た時から高圧線の唸る音が耳についていたのも、自分の運命を暗示していたのかもしれない」と書いている。「唸る音」は彼女の父も聴いていたはずだ。実在意識として高圧線があった。
電気はどこから来るのか。「成城にある鉄塔は前は群馬線と言っていました」と電気会社の人に教わって驚いたことがある。かつては水力発電が主だった。東京に供給されるその電気は利根川上流で作られていた。上州と東京とは太い銅線でしっかりと結ばれていた。詩人の頭上にある高圧線は上州と繋がっていた。彼は高圧線のうなり声を聞きながら「いつも心の上に」実在する線を感じていた。そういう因縁との関係において当地に家を建てたのではないかと考えると面白い。
なぜ詩人が鉄塔の側に家を建てたのか、その因縁因果は如何様にも想像できる。思われることは決して不快なものに思っていたわけではない。むしろ好感を持っていたと言ってもいい。田園の中に聳え建つ鉄塔は、しゃれた近代郊外風景だったことは言える。
一方の娘にとっては、決して好ましいものではなかった。彼女は具体的にそれを述べ表している。『蕁麻の家』の一節だ。
あの高い鉄塔に登り、感電死するのが私の運命のような気がした。この土地を洋之助と見に来た時、私はまだ小学生だったのに何となく暗い予感のようなものが、私の頭をかすめたのを覚えている。今はその予感の正体が何であったのか分かったのだ。(同著)
父にとっては近代を象徴する銀色の塔だったが、娘にとっては陰鬱なものだった。実際に彼女はこの塔に登っている。今と違って鉄柵で覆われてはいない。そばには「ひまわり公園」があって多くの子どもたちがここに遊びに来ていた。遊びに飽きると、この鉄塔にだけついている塔内ハシゴを伝って多くが登った。彼女もその一人だったに違いない。
「代田の丘の61号」鉄塔は、萩原朔太郎、葉子を唯一偲ぶものである。そのことから地域風景資産として申請した。それが通って選定された。ところが、このことに関する案内掲示版はない。
萩原朔太郎は、唯一無二の詩人と言われている。そのことから彼を偲んで遠くから訪ねて来る人は後を絶たない。案内表示がないことから辺りをうろつくということはよくある光景だった。
今回、世田谷区「地域の絆再生支援事業」に申請して、これが認められたことから改めて地域の文化発掘に取り組みをすることにした。一つは、案内掲示版の設置である。もう一つは、「下北沢文士町文化地図」の改訂五版の発行である。
鉄塔をモニュメントとする案内看板については事業の資金だけでは不足であった。が、看板の側にある企業「信濃屋食品」が協賛を快く引き受けてくれた。「北沢川文化遺産保存の会」会長で、信濃屋食品CEOでもある長井邦雄氏の計らいでもある。
看板については発注をした。簡単なセレモニーを開きたいと考えている。除幕式である。現在のところ、10月6日、午後2時から鶴ヶ丘橋たもとで行うことを予定している。
2,萩原朔太郎世田谷来訪81周年記念…記念冊子の発行
鉄塔をモニュメントとする掲示版の完成に合わせて記念冊子を発行したい。現在、『代田と鉄塔と詩人物語』というタイトルでまとめている。
キャッチコピーは
指さしをして眺める文学碑
「代田の丘の61号鉄塔」
記念モニュメント建立
鉄塔と詩人の関わりを物語としてまとめたものである。今回、偶然的に、当地に居住した人で往事のことをよく知っている人に出会った。
萩原朔太郎の生前の様子や往事の周りの様子のことを詳しく覚えておられる方である。川には水車があってその音が聞こえていたという。鉄塔についても今と昔ではだいぶことなっていたようだ。唸りが聞こえたり、雨の日には火花が出たりと今よりももっとその存在が意識されたようである。
A4版、上下二段組み、12ページの小冊子である。これにこの証言を入れたいと考えている。代田に於ける証言は今までなかったことだけに内容的にはかなり貴重な資料となるものだ。研究資料としても役立つものだろうと考える。これをどのように頒布するのか考えたい。
イメージとしては「北沢川文化遺産保存の会」紀要第1号だ。順次発行を考えたい。第2号としては「嗚呼、代田連絡線〜戦時応急救援線〜」を考えている。一冊につきいくらかの寄付を仰ぎ、つぎの紀要の資金に当てられないかと考えている。
3、鉄道線の地下化による変化
東京西部の交通網が大きく変わりつつある。先だって、京王線、調布と国領間が地下化されて街のイメージが一気に変わってしまった。激変した。街の歴史を刻んできた電車の音、踏切警報音がこつ然と消えた。踏切渋滞が解消されて便利にはなったが、何か大切なものがなくなったようにも思う。鉄道の音は時間でもあった。時間が分からなくなってしまったという人もいる。
近々、我々の近くもこれが起こるはずだ。まずは、東急が代官山から地下に潜り、現在ある東急C曲線が一気に失われる。渋谷の町のシンボルだった東急の電車が地表から一切姿を消す。
小田急の地下化工事も進捗している。世田谷代田と東北沢の間も近々完成して電車が一切通らなくなる。風景が一変してしまう。
なくなった風景はもとには戻らない。今ある風景はじっくりと見ておきたい。東急の地下化は3月16日とされている。今考えているのは、廃線になる前に「東急C曲線音楽を聴く」という街歩きを実施ししっかりとここで奏でられる音楽を聴いておきたい。
ハチ公前に集まり、行きは線路の西側に沿って歩き、代官山まで行って今度は線路の東側を歩くというものだ。二月の定例会で行おうと考えている。
小田急がなくなる前も、全部の踏切巡りはしておきたいと考えている。
4、都市物語を旅する会
私たちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地のにおいを嗅いで楽しみながらぶらぶら歩いています。参加自由です。 基本原則は、第三土曜日としています。第二は、会員の希望によって特番を設けることがあります。
・第76回 9月15日(土)午後一時 明大前改札口
明大前鉄道交点を歩く 案内者 岡本克行
1.明大前駅前 「正栄館」(映画館)の記憶
2.跨線橋の上から観る「東京山手急行線の痕跡」。富士見橋(京王線下りホーム下跨線橋)、明大前上東西跨線橋、甲州街道を渡って玉川上水公園
3.明大前にやってきた学校と寺院
明治大学和泉キャンパス→築地本願寺和田堀廟所→歩道橋を渡って→旧京王線松原駅跡地→日本女子体育大学付属二階堂高校→日本学園→知られざる明大前南側の寺院群→
4.竹久夢二「少年山荘」所在地と夢二の足跡
旧玉電七軒町駅跡→少年山荘所在地→弁天公園→下高井戸駅→下高井戸駅地下道→解散
〇特番開催(追加情報、2012/09/01掲載)
9月22日(土) 午後一時 多摩センター駅改札口前
「今井兼次展」見学、講演会、レセプションなど 事前の申し込み者は当日券を渡します。
希望されていない方でも当方所持の券で複数入れますので、その場合は連絡をください。
この日の参加費はありません。
・第77回 10月20日(土) 井の頭線東松原駅午後一時集合
松原の杜夫、代田の茂吉を歩く
東松原駅集合→北杜夫旧宅→青山脳病院跡→羽根木公園(根津山)→北沢川緑道→茂吉代田旧居跡→茂吉ゆかりの代田八幡宮→世田谷代田2号踏切跡(根津山に孫と行くときに通った踏切)→北沢川緑道…記念樹(ネコヤナギ)→第二書房跡→(邪宗門)
11月
特番開催
〇ぼちぼち墓地歩き(雑司ヶ谷、染井に続く第3回目)
谷中墓地を歩く 11月10日(土)午後一時 日暮里駅中央改札口前
・第78回 11月17日(土)、井の頭線池の上駅 午後一時集合
アーティストタウンを歩く1(第四象限)
杉山元元帥旧居→海外植民学校跡→東條英機旧邸→横光利一(小説)→(聖三一教会)→佐藤栄作旧邸→田村泰次郎(小説)→宇野千代(小説)・東郷青児(画家)→森茉莉(小説)→加藤楸邨(俳句)→坂口安吾文学碑→田村泰治郎・井上友一郎(小説)→三好達治(詩人)→中谷泰(洋画)→代田「邪宗門」
・第79回 12月15日(土)代田橋駅 午後一時集合
代田半島三大伝説を巡る ダイダラボッチ、代田連絡線、代田の丘の61号鉄塔
◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも300円
参加申し込みについて(必ず参加連絡をお願いします。資料部数と関連します)
電話の場合、 米澤邦頼 090−3501−7278
メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com
■ 編集後記
▲松本市、市立博物館で「戦争と平和展」が開かれた。会としては行かなかったが、会員の多くが三々五々松本まで足を運んだ。当会の「戦争経験を聴く会、語る会」の一齣も写真資料として展示してあった。近現代の松本の戦争史は重要なものだ。ぜひ継続的に展示を続けてほしいものである。当会としてもそれについては協力していきたい。
▲「下北沢文士町文化地図」(第五版)を発行したい。世田谷区の助成だけでは不足である。それでいつもの通り皆さんからの「地図寄金」を募りたい。寄付された方には必要なだけ差し上げたい。いつも通り、封筒に「地図寄金」と書いてお名前と金額と住所を記しきむらけんや邪宗門に出してください。この寄せられたお金は地図作成費のみにしか使いません。金額は幾らでも構いません。
▲拙著「鉛筆部隊と特攻隊」については『日本経済新聞』と『山梨日日新聞』に書評が掲載された。後者は配信で、『新潟日報』『信濃毎日新聞』『神戸新聞』2012.8.26付にも載った。本は事務局の「邪宗門」でも買える。
・読後感想の一節、放射能汚染で立ち入り禁止となった方々が「仮設住宅で不自由な生活を忍び『帰りたい!』思いに耐えていらっしゃる人々を常々見ております。その様な環境の中で読んだ戦争の記述は、今の現実をどのように受け止めて一歩一歩進んだらよいのか、その方達と共に考えてゆく方角を示唆してくれているように思えます。(仙台市上野靖子)
・当会への連絡、お問い合わせは、編集、発行者のきむらけんへ aoisigunal@hotmail.com
会報のメール配信もしています。「北沢川文化遺産保存の会」へご入会ください。入会費なし。年会費1000円。事務局の世田谷「邪宗門」で受け付けております。
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この記事へのコメント
4. Posted by きむらけん 2012年09月07日 09:06
[特攻兵の資料保存]
大学で近代戦争史を専門に熱心にやっているのはあまり聞きません。もちろんこれを専門としている学者はいると思います。戦争を巡る価値観というのはさまざまにあります。軸足をどこに置くかが問われます。ゆえに研究機関ではこの問題は避ける場合が多いように思えます。
陸軍松本飛行場から飛び立った武剋隊や武揚隊は極めて異例だったと言えます。そのためにこの人々の資料をきちんと取っておいて、展示したり、閲覧ができたりするといいと思います。松本固有のものとも結び付いていきます。
近代戦争史の中で松本陸軍飛行場が果たして来た役割を、きちんと記録することは大事です。そのことはこれからも訴えていくつもりです。
大学で近代戦争史を専門に熱心にやっているのはあまり聞きません。もちろんこれを専門としている学者はいると思います。戦争を巡る価値観というのはさまざまにあります。軸足をどこに置くかが問われます。ゆえに研究機関ではこの問題は避ける場合が多いように思えます。
陸軍松本飛行場から飛び立った武剋隊や武揚隊は極めて異例だったと言えます。そのためにこの人々の資料をきちんと取っておいて、展示したり、閲覧ができたりするといいと思います。松本固有のものとも結び付いていきます。
近代戦争史の中で松本陸軍飛行場が果たして来た役割を、きちんと記録することは大事です。そのことはこれからも訴えていくつもりです。
3. Posted by 川端敦子 2012年09月06日 23:07
石川県の川端です。資料のデジタル化についてですが、大学などの研究機関と協同で行うことは難しいでしょうか?
2. Posted by きむらけん 2012年09月04日 09:12
[資料保存 ]
共同配信の書評が「北国新聞」にも掲載されていたのは、初めて知りました。
残された資料をどのように保存するかは大きな課題です。寄贈してしまうと自由にならないということがあります。その所蔵館の考えもあって、取材する場合も、館の考えに沿ったものを撮るという念書を書かされるそうです。
個人所蔵ができればいいのですが、受け継ぎや引き継ぎが難しいですね。おっしゃるようにデジタル化して多くの人が見られるというふうにするといいのですが……
共同配信の書評が「北国新聞」にも掲載されていたのは、初めて知りました。
残された資料をどのように保存するかは大きな課題です。寄贈してしまうと自由にならないということがあります。その所蔵館の考えもあって、取材する場合も、館の考えに沿ったものを撮るという念書を書かされるそうです。
個人所蔵ができればいいのですが、受け継ぎや引き継ぎが難しいですね。おっしゃるようにデジタル化して多くの人が見られるというふうにするといいのですが……
1. Posted by 川端敦子 2012年09月03日 15:16
石川県の川端です。私は地元、北国新聞の新刊案内で鉛筆部隊と特攻隊の刊行を知りました。 評者はルポライターの林えいだいという方で、「疎開児童たちの秘話描く」というタイトルでした。(確か8月19日付)
武剋隊という文字が目に飛び込んできて、本当に驚きました。戦死した叔父が所属した部隊だったからです。叔父のことは、実家の母から聞いており、母が知覧に行って亡き兄のことを調べたことも知っていました。かなり前、板津忠正さんが金沢に調査にいらした時も母はお目にかかっています。
鉛筆部隊と特攻隊には私の母の知らない事実が書かれていました。この本に出会い、私は実家に遺された叔父の手紙や葉書、そのほかの資料に久々に目を通しているところです。
こうした資料を今後どのように保存したらよいか、考えています。資料の劣化は避けようがなく、最終的にはデジタル化するのがよいとは思っていますが・・・。
武剋隊という文字が目に飛び込んできて、本当に驚きました。戦死した叔父が所属した部隊だったからです。叔父のことは、実家の母から聞いており、母が知覧に行って亡き兄のことを調べたことも知っていました。かなり前、板津忠正さんが金沢に調査にいらした時も母はお目にかかっています。
鉛筆部隊と特攻隊には私の母の知らない事実が書かれていました。この本に出会い、私は実家に遺された叔父の手紙や葉書、そのほかの資料に久々に目を通しているところです。
こうした資料を今後どのように保存したらよいか、考えています。資料の劣化は避けようがなく、最終的にはデジタル化するのがよいとは思っていますが・・・。



















