2012年10月03日
下北沢Ｘ新聞(2175)〜武蔵野に響いた電車音楽〜
めくる旅からめくられる旅へ、汽車に乗ったとたん、景色が後ろへ後ろへと飛んで行く、これは何だ！。近代の旅は衝撃的だった。
交通革命は蒸気機関車の出現によって始まった。景色は自らが獲得するものではなくなった。機械が代わって行ってくれる。うち眺めていればよい。
ところが、人間は景色が移り変わってゆくのを見ているだけでは満足しない。何もしなくてよくなった時間をどう埋めるのか。新たな問題が、退屈との闘い、生じてきた。
（一）
日々荏原逍遙を始めて、もうどのくらいになったろうか。この頃思うのは、歩く時間の豊かさである。自らが歩いて、景色を獲得していく。一帯には歴史物語の痕跡が至る所に隠れ潜んでいる。
「あの大きな松のある家はね、海軍大将の家で、それで……」
一旦、昔を知る人に出会って聞こうものなら話は止まらない。たちまちにこちらの記憶容量がいっぱいになってしまう。この頃は、本筋よりも枝葉が恐い。あっちとこっちとが繋がってくる。その驚きの方が大きくなった。
支流の支流、そのまた支流に真実が眠っている。
気づくと手持ちの問題が数多くたまってきてしまった。これ以上増やすと、混乱してしまいそうだ。それで古老を見かけても聴くことはしない。なるべくひっそりと歩くことにしている。
ついこの間まで、大谷石の門柱に旧番地を記した表札が掛かっている大きな邸宅があった。鬱蒼と生い茂った木々の緑ごと立派な日本家屋は倒されてしまった。赤土がむき出しになっていたそこもたちまちに夏草に覆われてしまった。近代人士の夢の跡だ。
鮮やかな赤土、そこはかとなく曲がっている道、路傍の標（しるべ）、あちこちで出会う。旅は近間の逍遙でよい。電車に乗って郊外まで行って自然の中を歩きたいと思いはするが、そこに行くまでの苦痛が思われる。家並みを抜けるまでの退屈な時間を思うと、電車での旅が面倒になってくる。
かつて鉄道黄金時代に、乗りも乗ったり､いやというほどに列車に揺られて旅をした。蒸気機関車がふんだんに走っていた時代である。青いモケットのボックス席に陣取って外を眺める。ゆっくりと景色が移ろった。沿線の木々の枝に機関車から吐き出された烟が絡みついては消えて行く。床下からは音楽が響いてくる。かたとって、ちたつっと、心地よく、気持ちよい。ついうたた寝をしてしまう。ふと目を開けると、果てもなく広がる海の側を列車は走っていた。
乗客は、床下に響く音楽を聞きながら旅をした。音色はそれぞれだった。葬送曲であったり、ソナタであったり、ジャズであったり……
レールの切れ目や継ぎ目に車輪が当たって、音が響く、カダンスだ。ところが、今は、これは聞こえなくなった。
散歩でよく通るのは東横線柿の木坂の切り通しだ。みなとみらい線の電車が、ずはずはずはと駆け抜けていく。めりはりのない音の一塊が抜けて終わりとなる。音楽性は全くない。
（二）
先日、明大前鉄道交点歩きを実施した。そのときに一枚の絵を見せて聞いた。
「この絵はつい最近手に入れたものです。野口欣一さんのお父さんが描かれたもので、話によると、昭和三年頃に描かれたものだということです。描かれているのはここを走っていた京王電車です。微傾斜の沢を電車が走っていますが、この電車は坂を登っているのでしょうか。それとも下っているのでしょうか？」
これに対して、「電車は下っている」と答えた人がほとんどだった。
絵は、開けゆく武蔵野近代を描いたものだ。起伏のある丘の真ん中に赭土をむき出しにした切り通しが見える。そこをオープンデッキの単行が走っていく。絵の多くを占めているのは木々や草の緑だ。が、走りゆく電車の向こうには赤い屋根の家やモダンな洋館も見えている。
この絵、描き手は、好ましく思ったからこそ描いたに違いない。目に麗しく映った風景だ。本当は電車は音も立てているはずだ。が、絵にはレコードされていない。それでもその響きは想像できる。
都市近代の新しさがこの絵には描かれている。鈍重さはない。むしろ、軽快さだ。駆け上がる電車ではなく、駆け下るさまを描いたものだろう。
かたたん、つたたん、そういう音の響き、カダンスが絵の中から聞こえてくる。
（三）
私たちは、明大前から世田谷線の方へと歩いた。旧七軒町駅へと向かった。ちょうどこの辺り、下高井戸電停を出た電車が、下っていくところを竹久夢二も描いている。こちらは微傾斜ではない、かなりきつい坂をくだっている。
「この絵は、２５パーミルぐらいあるのではないでしょうか？」
私は言った。
「確か、その表示はありますよ。それくらいですよ」
参加者の別宮通孝さんが言う。
一例があって、二例がある。当然、三例も、四例もあるはずだ。武蔵野を走る電車は下りを描く。約束はしていないが、画家はみな下る電車を描いた。二つの絵を比較して思ったことだ。
「音を聞き比べるといいのでは」
竹久夢二が描いたのは玉電だ。この線は残っていて、現に世田谷線として走っている。この下りの音と、上りの音を聞き比べてみると分からないことが分かってくるのではないか？。
（明大前原初風景を手に持って、描かれた辺りに立つ）
◎世田谷区地域風景資産「代田の丘の６１号鉄塔」
この鉄塔の由来碑が１０月１日に、北沢川緑道に設置された。６日に、序幕式は予定通り行う。
先日、明大前鉄道交点歩きを実施した。そのときに一枚の絵を見せて聞いた。
「この絵はつい最近手に入れたものです。野口欣一さんのお父さんが描かれたもので、話によると、昭和三年頃に描かれたものだということです。描かれているのはここを走っていた京王電車です。微傾斜の沢を電車が走っていますが、この電車は坂を登っているのでしょうか。それとも下っているのでしょうか？」
これに対して、「電車は下っている」と答えた人がほとんどだった。
絵は、開けゆく武蔵野近代を描いたものだ。起伏のある丘の真ん中に赭土をむき出しにした切り通しが見える。そこをオープンデッキの単行が走っていく。絵の多くを占めているのは木々や草の緑だ。が、走りゆく電車の向こうには赤い屋根の家やモダンな洋館も見えている。
この絵、描き手は、好ましく思ったからこそ描いたに違いない。目に麗しく映った風景だ。本当は電車は音も立てているはずだ。が、絵にはレコードされていない。それでもその響きは想像できる。
都市近代の新しさがこの絵には描かれている。鈍重さはない。むしろ、軽快さだ。駆け上がる電車ではなく、駆け下るさまを描いたものだろう。
かたたん、つたたん、そういう音の響き、カダンスが絵の中から聞こえてくる。
（三）
私たちは、明大前から世田谷線の方へと歩いた。旧七軒町駅へと向かった。ちょうどこの辺り、下高井戸電停を出た電車が、下っていくところを竹久夢二も描いている。こちらは微傾斜ではない、かなりきつい坂をくだっている。
「この絵は、２５パーミルぐらいあるのではないでしょうか？」
私は言った。
「確か、その表示はありますよ。それくらいですよ」
参加者の別宮通孝さんが言う。
一例があって、二例がある。当然、三例も、四例もあるはずだ。武蔵野を走る電車は下りを描く。約束はしていないが、画家はみな下る電車を描いた。二つの絵を比較して思ったことだ。
「音を聞き比べるといいのでは」
竹久夢二が描いたのは玉電だ。この線は残っていて、現に世田谷線として走っている。この下りの音と、上りの音を聞き比べてみると分からないことが分かってくるのではないか？。
（明大前原初風景を手に持って、描かれた辺りに立つ）
◎世田谷区地域風景資産「代田の丘の６１号鉄塔」
この鉄塔の由来碑が１０月１日に、北沢川緑道に設置された。６日に、序幕式は予定通り行う。
