2012年10月13日

下北沢X新聞(2181)〜武蔵野に響いた電車音楽2〜

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(一)
 自身の見た目の世界が、世界である。が、本当にそれを把握できているかというとそうではない。私たちは、空漠とした現実に存在している。これはこれ、あれはあれと一応区別はしているがそれは仮のものでしかない。仮構世界に住んでいる。

 言葉や音は虚構である。とりあえず世界を捉えるための道具である。カダンスもその一つだった。レールの刻み目を車輪が打ち付ける音、これも物差しだった。レールの長さは25メートル、一分間に何回音を刻んだか、時計で測れば、速度が分かった。

 ずんちゃ、ずんちゃ、ずん、ずん、ちゃっちゃ、横揺れ、縦揺れして絶妙なカダンスを響かせていた軽便鉄道などは、さながらジャズである。聴き手がジャズとして聴いた。つまりはカダンスは、夢想的な音楽だった。

 自身の興味は、このカダンスの歴史だ。人がどのように音を聴いたか?。とびっきり面白い。しかし、この音も往古のものとなってしまった。これが消えつつある、もう消えてしまったと言い換えてもいい。それが今日現代だ。耳に心地よかった楽曲や音楽を我々は喪失した。詩を失ってしまったと言える。

「谷間の向こうに尾を引いたテールランプが消えるんです。そして、しばらく経ってまた今度、かたたん、とたとんという音が響いてくるのです。列車は見えないけど、その姿が余計に想像されました…」
 山梨県に住んでいる人から聞いた話だ。山峡を行く列車がリアルに想像される。谷間が音の共鳴板になっていた。鉄路の抒情、鉄道詩の鮮やかな片鱗である。

 夜の電車の灯りと音楽、なんとも郷愁的だ。武蔵野においても身近に見られたものだった。例えば、世田谷代田駅を出た急行電車だ。堀之内道を渡る踏切を過ぎ、つぎの代田八幡宮の境内裏手の代田2号踏切を越すと、急勾配になり梅ヶ丘まで一気に下って行く。

(二)
 先だって「斎藤茂吉と『楡家の人びと』展」の内覧会で斎藤茂一さんが挨拶された。

 ぷらぷらになることありてわが孫の斎藤茂一路上をあるく

 茂吉「つきかげ」に載った歌を紹介して、その茂一ですと言われた。世田谷代田の家のすぐ北には小田急電車が走っていた。

 近所を通る小田急の音を孫共がマネををして、「デンゴロン、デンゴロン」と抑揚をつけて電車遊びをするのをみて、「フウん、デンゴロンか、うまいな、デンゴロンは」と妙なところで感心するのであった。
 『茂吉の体臭』(岩波書店)斎藤茂太


 茂吉のカダンス批評だ。茂一さんにこのことを訪ねたら覚えがないと言われた。お母さんの美智子さんは、茂吉と孫が根津山に行く場合は八幡様の裏の踏み切りを渡っていたと証言された。

 「デンゴロン」はカダンスの見事な形容だ。代田八幡宮の裏手を通るときの音だ。下りへの予感を秘めた音だ。この後急坂にかかって音は変化する。「デゴロン、デゴロン」となり、やがて「デゴデゴデゴ…」という連続音になって急行は小さな梅ヶ丘駅を蹴散らしていく。
 先に述べた「夜の電車の灯りと音楽」が、これだ、川の下手から見ると斜めの灯りがちらちらしている。距離がある分、音がくぐもって聞こえる。ズゴロン、コンコロン、ズゴロン、コンコロンと響きを立てて消えて行く。それは彼に取っては思い出深い銀河鉄道だった。やはり武蔵野の電車音楽は下りにある。

(三)
 世田谷線旧七軒町辺りでのぼっていく電車と、下っていく電車の音を聞き分けた。のぼりは、くったん、かったんと聞こえる、速度も遅い。一方の下りは、かったん、とったん、その音も軽やかである。耳に心地よいのは後者である。

 往事、昭和初年頃、武蔵野が開けていく頃は、電車のカダンスに希望を見出していた。やはりなんと言っても下り電車の響かせる音だ。

 翻って今を考えると、カダンスなるものはない。耳を傾けるだけの価値はない、私達は常日頃感じていた音楽性をほとんど失ってしまった。電車の響きもまた手がかりだった。が、これすらも失いつつある。
(下高井戸方向から坂を下ってくる世田谷線、旧七軒町あたりで)

◎「幻影の下北沢猫町散歩」
 鉄塔由来碑完成したことから急に明日散歩をすることにした。14日、9:30分、下北沢駅改札前。
一二名なら参加可能。メール連絡を。


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