2012年10月14日
下北沢X新聞(2182)〜地形と文学:茂吉と杜夫〜

(一)
歌人と小説家、係累であっても何を眺めるかということについては違うのではないか?。前者の場合、風光や風景は欠かせない。己と自然とが向き合って生まれてくる。後者の場合は、想念に耽ることで物語は生まれてくる。
世田谷文学館「斎藤茂吉と『楡家の人びと』」展に関連づけて友の会主催の文学散歩が行われる。昨年、萩原朔太郎展に関連しても文学散歩を行った。多くの応募者があって抽選したという。今回も同じだと聞いている。毎月の仲間を連れての定例会はほとんど下見はしない。が、今回は行った。世田谷松原地域が不慣れだからでもある。
松原という地名は、「鬱蒼とした赤松の林があったので赤松村と称していたと伝えられるが確かな文献は見あたらない」(『世田谷の地名』)という。が、この説はいかにも成り立ちそうだ。淀橋台から派生した丘がうねうねと連なる地域だ。その斜面には赤松が多く生えていた。
明治七年刊の『東京府志料』の松原には「土地」の「形勢」については、「高燥ノ地八分卑湿ノ地二分」とある。当地の南北を松原大山道が走っているのは地形と無関係ではない。日照りが続くと生活が苦しくなる。そういう場合は即刻、雨乞い祈願に大山に向けて青年を走らせた。
松原は起伏に富んだ地である。マンボウ・マブゼ共和国はその斜面の一角にあった。そこにひっそりこっそりと隠れて執筆に励んでいた。西隣のマンション名がTERMINIである。終端とか終末を意味する。
この名づけ親は紀行作家である。彼の著作に「終着駅は始発駅」というものがある。旅好きの彼がここから出かけて行き、そして、また帰ってきた場である。
先だって文学館で展覧会のオープンに先立って「北杜夫を語る会」が開かれた。関係する出版社の人が出席していた。「水産庁調査船の船医として航海した経験を書けばということで書いたのが『ドクトルマンボウ航海記』です」との逸話の披露があった。その出版社、中央公論社の編集長が宮脇俊三であった。紀行作家とは彼のことで、隣地が空いているので来たらと言われたことから杜夫は当地に住んだという。
(二)
井の頭線東松原駅は地味な駅だ。
都会の中の日陰駅、ひっそりした駅、芸術文学には却って都合がいい。知る人ぞ知る駅ではないかと思う。当地の住宅街をふらふらしていると著名な文化人の表札を見かけることもある。終端駅は、静寂駅、エアポケット駅なのかもしれない。
東松原駅の南に行くと、日向駅がある。小田急線梅ヶ丘駅だ。ここは広々としている。何の違いだろうか。一つには川筋の違いだとも言える。前者は北沢川支流域にある。後者は本流域にある。
もう一つにはクロスがあるのではないかと思う。地図を見ていてこれは気づいた。隠れXである。左の斜めは井の頭線である。右の斜めは羽根木通りだ。駅は古道との交差部分に作られたのだと推測ができる。地図を眺め見ていると想像が湧いてくる。
(三)
もっとも興味深く思うのは、松原に住んでいてそこがゆかりの地であることを作家自身が気づかないでいたことだ。青山脳病院は地続きの丘向こうであり、また、対岸の丘は根津山だったことである。そこは楡病院の舞台であり、昆虫採集の場であった。
この問題の奥には、人の風景観はどのように形成されるのかという問題が潜んでいるように思われる。人間の深層心理である。彼の場合は、滝坂道的な風景観が形成されていたように思う。それが後になって羽根木通り的な風景観に変わった。が、そのことに彼自身が気づいていなかったのではないか?。これははっきりと断っておきたい。自身の地形妄想物語であることを。
こつ然と、滝坂道が出てくる。なぜだ?。少年の彼は、青山の家から恐る恐る自転車に乗って冒険を試みている。「通った道を必死で思いだしながらペダルを漕いでゆくと、想像していたよりも意外に早く、本院の建物の見える豪徳寺脇の踏切に出ることができた。」(『母の影』)とある。青山から渋谷、そして豪徳寺脇へ来たとすると一本の古道が見えてくる。滝坂道だ。(東松原駅へ進入してくる井の頭線)
◎「幻影の下北沢『猫町』散歩」
山梨から矢花克己さんなどが出てこられるところから、皆さん五人を案内した。最後終点は、「代田の丘の61号鉄塔」由来碑だった。こういう目的地設定というものがあることに気づいた。碑ができての最初のツアーである。
井の頭線東松原駅は地味な駅だ。
都会の中の日陰駅、ひっそりした駅、芸術文学には却って都合がいい。知る人ぞ知る駅ではないかと思う。当地の住宅街をふらふらしていると著名な文化人の表札を見かけることもある。終端駅は、静寂駅、エアポケット駅なのかもしれない。
東松原駅の南に行くと、日向駅がある。小田急線梅ヶ丘駅だ。ここは広々としている。何の違いだろうか。一つには川筋の違いだとも言える。前者は北沢川支流域にある。後者は本流域にある。
もう一つにはクロスがあるのではないかと思う。地図を見ていてこれは気づいた。隠れXである。左の斜めは井の頭線である。右の斜めは羽根木通りだ。駅は古道との交差部分に作られたのだと推測ができる。地図を眺め見ていると想像が湧いてくる。
(三)
もっとも興味深く思うのは、松原に住んでいてそこがゆかりの地であることを作家自身が気づかないでいたことだ。青山脳病院は地続きの丘向こうであり、また、対岸の丘は根津山だったことである。そこは楡病院の舞台であり、昆虫採集の場であった。
この問題の奥には、人の風景観はどのように形成されるのかという問題が潜んでいるように思われる。人間の深層心理である。彼の場合は、滝坂道的な風景観が形成されていたように思う。それが後になって羽根木通り的な風景観に変わった。が、そのことに彼自身が気づいていなかったのではないか?。これははっきりと断っておきたい。自身の地形妄想物語であることを。
こつ然と、滝坂道が出てくる。なぜだ?。少年の彼は、青山の家から恐る恐る自転車に乗って冒険を試みている。「通った道を必死で思いだしながらペダルを漕いでゆくと、想像していたよりも意外に早く、本院の建物の見える豪徳寺脇の踏切に出ることができた。」(『母の影』)とある。青山から渋谷、そして豪徳寺脇へ来たとすると一本の古道が見えてくる。滝坂道だ。(東松原駅へ進入してくる井の頭線)
◎「幻影の下北沢『猫町』散歩」
山梨から矢花克己さんなどが出てこられるところから、皆さん五人を案内した。最後終点は、「代田の丘の61号鉄塔」由来碑だった。こういう目的地設定というものがあることに気づいた。碑ができての最初のツアーである。



















