2013年03月11日
下北沢X新聞(2277)〜原発事故、あれから二年2〜

(一)
3、11の大地震によって原発はシビアアクシデントを起こし、大量の放射性物質をまき散らした。やっかいなのは人体に危害を与えるこの物質が目に見えないことだ。
「大丈夫、大丈夫、二十ミリシーベルトなら安全だよ」
文部科学省は福島の児童の被曝線量上限を20ミリシーベルトとした。
「とんでもありません、一般公衆の線量限度が年間一ミリシーベルトなのに……」
子を持つ母親が言う。疑いの心だ。
人を疑心暗鬼に追い込んでいくという精神的なストレスも極めて大きい。この方は、カウンターで測ることはできない。いわゆる心の被曝である。ここ数日、テレビの特番などで心を蝕まれている多くの人びとの現実が報道されている。深刻な問題だ。
集会で演壇に立った人は別の不安を言っていた。余震がまだ続いている。この揺れが小さくても心配だ。ついテレビを点けてしまうと。
辛うじて保たれている福島第一原発の4号炉、これが地震で倒壊すると膨大な燃料棒が空気に触れメルトダウンする恐れがある。原発は停まっていても危険性がある。
原発事故は収束していない。世界が経験したことにない苛酷事故はその原因の究明が待たれる。ところが、政府や事故調の調査が終わったが、その後が進んでいない。
昨日、NHKスペシャルで「3.11 あの日から2年 メルトダウン原子炉"冷却"の死角」が放映された。事故調が見逃したところを丹念に拾い出し、具体的な実験まで行って真相の究明をしていた。見応えのある番組だった。しかし、これこそ事故調がやるべきだったのではないか。
この番組冒頭に「柏崎刈羽原子力発電所」のある新潟県知事が言っていた。
「検証のスピードが弱まっているのではないか。どこに問題があったかをあいまいにしたまま原子力行政を進めようというのは、これは国民の信頼を得ることが難しいのではないかと思います」
事故原因の究明をしないままに何が何でも再稼働へ舵を切ろうとしている。危険であり、無謀である。

(二)
この二年の間には学ぶことが多かった。地震と原発、とくには前者にはプレートテクトニクス理論が大きく関連する。日本列島には、海側からフィリピン海プレート、太平洋プレートが陸地側のプレートにもぐりこんでいる。これよって引きずり込まれた陸のプレートは、ひずみが溜まって摩擦力の限界に達すると、一気に跳ね上がる。それが地震だ。
とてつもない破壊力を持ったものである。このことの学習を通して知ったことは、日本は他の国よりも自分達が立っている土地の動きがとてつもなく速いということだ。ゆえに地震が頻繁に起こる。非常に不安定な土地の上に生活をしている。
いわゆる核燃料サイクルが見通しが立たなくなって地層処分の問題が浮かびあがっているが、この日本列島ほど地層処分するには難しいところはない。
一月に山梨県大月駅の側の岩殿山に登って驚いた。岩石だと思っていたものは礫だった。海洋系のプレートと大陸系のプレートの境目だ。この礫は海底にあったものが隆起してこの山になった。高レベル放射能廃棄物を埋めたところで、いずれは地表に露呈してくるのではないか。そんな恐怖を思った。
(三)
原発という機械は動かせば莫大な利益が上がる。これによって利益を得られるものは何が何でも、たとえ危険があって動かそうとする。停めると儲からないから、不具合があってもそれを隠す。原発を稼働させて以来そのことはずっと続いていた。危険極まりないもを動かしているのに当事者の責任という意識は希薄だ。今もなお不都合なことは積極的に知らせようとはしない。むしろ隠そうとしている。
昨日の、テレビ番組では、福島原発の一号機がメルトダウンに至った過程を丁寧に説明していた。イソコン(アイソレーション コンデンサー)が動いているか、動いていないかが分かってれば食い止めようがあったとの指摘だった。
「豚の鼻からもやもやしているものがでているから大丈夫だろう?」
ところが、それは違っていた。外国ではこれを実際に動かして、その音がとんでもない大きな音をたてることを知っていた。ところが、日本では、これを動かすということは全く行っていなかった。すべて安全だ、大丈夫だと思い込んでいた。
(四)
多くの問題が今浮かび上がっている。一つは、除染だ。中間貯蔵施設が決まっていない。もちろん最終処分地も決まっていない。ところが現実には除染しないと生活できない。それで家庭内の庭に埋めるということを今はしている。
原発を稼働させて核燃料を燃やせば使用済み核燃料が出る。これを再処理して、核燃料として再使用できるようにする、これを核燃サイクルというが、この技術開発は全く進んでいない。諸外国ではこれをやめている。日本だけはこれを前提にすべての計画を進めている。ほとんど無理であるものを継続させている。ここに判断が加えられないでいる。
青森県六カ所村の核燃料再処理工場は、核燃サイクルを前提としている。ところが、これが危うくなってきた。これに対し、「再処理しないのなら各原発に使用済み燃料を返す」と青森県知事が発言をした。関係者は泡を食ったろう。夢を先に食ってしまった罰だといえる。
3.9の集会で、発起人の一人内橋克人さんが、現状の政策を非難して、「アメを先に与えて、ムチを後にしようとしている」と述べた。原発を稼働し、問題を後に先送りしようとすることを皮肉ったものだ。莫大、甚大な負の遺産を、先々へ先々へ送ることは危うい。今きっちりと片を付けることが求められている。
集会の最後で、韓国から来た代表が、「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアフクシマ」と訴えていた。気づいてみると被爆地が増えている。これを聞いて思ったことは、私たちは、掛け声をかけているだけではないかと思った。一つあれば、二つあって、そして三つ目もあった。想像できることは間違いなく四つ目や五つ目が出てくることである。
(五)
最後は希望だ。寒い冬が終わって春が巡ってきた。花々が芽吹き始めた。
日本という国土は、開発によって痛めつけられているもののまだ自然は豊かである。山々があって、海があって、川があって、丘がある。ここに降り注いでいるのは太陽光だ。地にあるものはこの恩恵を受けて緑色に輝いている。自然エネルギーがふんだんにある。水力も、地熱も、潮の干満も、潮流も、そして風もある。この自然環境を生かさない手はない。
先進国である日本だからできるということを外国人が言っていた。原発に頼らず、潤沢な自然エネルギーを軸とした国家づくにチャレンジしていく、そうしてこそ美しい日本が取り戻せると考える。



















