2013年04月12日

下北沢X新聞(2298)〜都市時間論、渋谷・下北沢・雪が谷〜

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(一)
 時間には固有性がある。地域地域によって時間の流れがある。が、これも一定ではない。根幹には、時間を決定づけているものがある。音、色、そして人である。

 日々荏原逍遙を続けている。気ままにあちこちと歩き回る。時に下北沢に行ったり、また雪が谷まで足をのばしたりする。この二つの町に共通する点は多分人は知らないだろう。

 雪が谷にはスーパーオオゼキがある。そして、ここを出たところに雪が谷1号踏切がある。下北沢も同じスーパーがあって、ここの側に東北沢6号踏切があった。

 先だって五日の日、北沢タウンホールで、ドキュメンタリー映画『原発の町を追われて』の上映会があった。帰り、スーパーに寄って買い物をした。閉店前で、鯛が半額だった。これを買った。鯛を買って店を出るなり惚けてしまった。
「この間、あそこ、オオゼキの前の6号踏切、店出たとたん、誰も立ち止まっていないで、向こう側の方に人が歩いていくのですよ。何かショックでした。あれだけ頻繁に電車が通っていた踏切には音がないのですよね。警報器とか電車の音とかが、炭酸飲料の気が抜けたみたいな時間が流れていました…」
 先だって電話が掛かってきた人が、下北沢や渋谷の変わり様を言ったので、私も感想を述べた。

「何か、このところ、台詞の乗りが悪いんだよ、いつもは観客の間にすっと声が響いて届くような感じがあったんだけど、それがないんだよ。何でかと考えたんだ……考えついたのは、踏切だと思ったんだ、俺はいつもオオゼキ前の踏切通って劇場にきているんだけど、今考えると、あそこが、ほら、能舞台で『鏡の間』ってあるだろう、舞台直前にこれがあって、ここで鏡に向かい,姿をととのえ,心をしずめて登場を待つところが…踏切が鏡の間を果たしていたように思うんだ。遮断機に停められたときに気持ちを整理していたと思うのだよ…」
 一人の役者の独白、私のこれは想像である。

(二)
 一昨日、雪が谷に行った。一つ気づいたのは、見慣れない建物が出来上がっていた。完成直前のようだった。この建物なんだろう?。色使いがシックである、しばらくして分かった。「ああ、斎場か!」と。多分そこには何かの店があったのだろう。それが廃れて、斎場に、需要と供給、押し寄せる老齢化社会、これから人が大勢人が死ぬ、それを見越してのものだろうと思った。

 オオゼキではグラントバージワインを買った。時々これの廉売広告が載る。家には、碑文谷店のが入るが、荏原逍遙ゆえにゲリラ的に自身は出没する。ときに雪が谷店にときに野沢店に行ったりもする。オオゼキだけではない。サミットも行く。深沢店だったり、代沢十字路店だったりと気ままだ。

 雪が谷には、出てすぐのところに踏切がある。くわんくわんくわんと音がのどかだ。電車が通る、池上線は3両の、短編成である。ところが、この踏切、かつての小田急線踏切のように最後部が過ぎたとたん、パンと遮断機は跳ね上がらない。数拍置いて、開く。この町では時間の間合いが異なる。雪が谷時間がある。

 そういえば来るときに石川台2号踏切を渡った。ふとみると、信号機にこうこうと赤色が点っていた。私の家の近くを走る東横線にはもうこれがない。

 雪が谷の時間だ。夜になると、踏切がくわんくわんと鳴って、そして、線路の踏み面には信号機の青色がこぼれている。すると、ついと『武蔵野』の一節を思い起こす。「つまり東京市街の一端」、「あるいは中原道となり」という個所だ。雪が谷はこの中原街道に沿った街である。

(三)
 時間も寂れるということはある。雪が谷の隣り、石川台には希望が丘商店街がある。かつては賑やかだったここもシャッターを閉じた店が多くなった。シャッターに錆が浮いてきた分、時間が緩やかになってきた。

 しかし、この寂れた時間も、やはり、東京市街の一端の時間である。地方とは異なる。ここから推理できることは、『武蔵野』は、風光の風情を描いているが、その本質は時間論ではないかということだ。(旧オオゼキ前、東北沢6号踏切跡)

〇昨日、消滅踏切を歩きませんかと書いたが、とくに応答がないので、自分の好きな時間にいきます。

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