2013年04月19日
下北沢X新聞(2303)〜小田急廃線跡の踏切をさすらう4〜

(一)
街に誇れるものがあるというのは大事だ。俺達の街は何も変わらないというところが誇りなんだ。古い街の老人が言っていたことに大きな衝撃を受けた。私たちは、すべてが壊され変わっていくということに慣れているからだ。
小田急地表線はレールが撤去されたり、信号ケーブルなどが外されたりと鉄道風景はどんどんなくなりつつある。下北沢3号の風景に桜と踏切とがあった。この桜、伐採されるはずだったが代沢小児童の嘆願でこれを免れた。この経緯について事情をよく知る人から聞くことができた。この土地は小田急の土地だということだ。児童の願を聞いた小田急トップがこれを聞き入れて即座に判断したと言う。これは立派である。いわれのある桜だ。
下北沢静泉閣の前にあった一本のサクラ、これが伐採されずに残ったものだ。昭和十九年十二月十四日の日記に一色次郎は、ここ桜のことを記録している。
地蔵さんの上のサクラは,星明かりにすかされて,糸のようなほそい枝先までそっくりよく見えた。梢の枝の中に北極星が光っている。右半分の枝に大熊座,左側に小熊座がひっかかっている。それから,どの枝にも星屑が燦いていた。枝の中は小さく銀色に光り,そして,またたきが少ないようだった。すっかり葉の落ちつくした冬の木に,星の実がなった。私は敵の飛行機に冬の星を教えてもらったことに気がついて苦笑した。
『東京空襲』一色次郎 河出書房
この表現文学的にも味わいが深い。「どの枝にも星屑が輝いていた」というのは詩的である。歴史逸話のある樹木だ。私は「次郎桜」と呼んでいた。ただ残すというのではなく、こういう経緯をも伝えて残して欲しいと私は思う。掲示看板を建ててもいいのではないかと思う。。
可能であるならば、現在個人宅に移動された地蔵さんをここに戻し、道行く人がお参りできるようになればなお嬉しいが……。

(二)
私が残してほしいものの一つに、踏切地蔵がある。現在、下北沢2号踏切の脇にひっそりと建っている。
この踏切についてはこれまで二件の照会があった。一つは、あまりにも木々が生い茂っているので剪定をしたい。この連絡先はどこかという問い合わせだ。この方がされたかどうか分からないが、今はきちんと植え込みの剪定がなされている。
もう一つ、地主に依頼された不動産屋がこの踏切地蔵のいわれについて問い合わせてきた。学芸大学の不動産屋だ。これで思い出したことがある。学芸大学駅近く、碑文谷公園の南端に地蔵尊がある。なぜこれがここにあるのか分からなかった。しかし、理由は上を見あげればわかる。ちょうどこの上には東横線の高架が走っている。これは前は地上を走っていた。そのときに踏切があって多くの子どもがなくなった。それでこれを建立したものだ。高架化によって置き去りにされたものだが、今も子どもの安全を見守っている。
小田急下北沢2号踏切脇の地蔵尊も踏切事故で亡くなった子どもの霊を慰め、そして、安全祈願を願って建てられたものだ。ここに「をまもり地蔵尊」建て、ここの踏切で起こった悲しい事件を人びとは後世に伝えようとした。それは「一万五千余名ノ賛同ヲ得」たものだ。
(三)
私は、小田急下北沢踏切の踏切地蔵尊は、当地の歴史を伝えるものとしてぜひ残してほしいと願うものである。現今の、線路跡がどのようになるのかは分からない。が、ここが整った段階で、線路側から小路が通じていて、お祈りができるようになればよい。
今でも、ここにお参りをされている人びとがいる。地域の子どもがつつがなく生きてほしい。そういう思いを祈る場として残すべきだと思う。(上、伐採されずに残った桜。下、下北沢2号踏切脇の踏切地蔵尊)



















