2013年10月13日
下北沢X新聞(2421)〜「夜の靴」は言葉の万華鏡〜

(一)
焼き鯖には独特の味わいがある。それが文学ではないかと思った。
一昨日、BSテレビで「鯖街道」を放映していた。
「やっぱりなんたって焼き鯖だね」
小浜の魚屋では焼き鯖が売られていた。身をほぐしてそれを頬張るシーンもあった。無性に焼き鯖が食べてみたくなった。昨日はそれで桜新町の「神田屋」に行って鯖を買い、自分で開きにして焼いて食べた。旨い、鯖独特の味が舌に染みた。
現代の道は肉街道だろう。牛や豚の肉を積載したトラックが走っていく。誰もが皆口にしているものを運ぶ道を肉街道と名づける必要もない。が、かつては鯖を待ち焦がれる人がいた。峠を越えて魚が運ばれる道があって人はそれを鯖街道と呼んだ。味が恋しく忘れられない。
文学は文字に籠められた固有の味わいだ。が、今、人は味付けの濃厚さを嫌う。すらすらさらさら読めるものが求められる。需要と供給、噛めば味が出てくるといような文章は敬遠される。それで絹ごし豆腐のようなものになってしまう。
文学は時代とともに変わる。現今、鯖の味的文学は敬遠される。が、改めて、『夜の靴』に触れると、ワンフレーズ、ワンフレーズに土臭い自然風景が浮かんでくる、これにはするめ的な味わいがある。
(二)
下北沢文士町で文学に死んだ人は、この人をおいて他にはいない。そう思った。北沢の丘は、文学実験工房だったのだと思い始めている。
「私はね、『夜の靴』が一番好きです。自分があの中に出てくるからではありません。私に取っては親父の遺書みたいなものです…」
「私が好きなのは、渋谷の帝都線のホームからB29を眺めている場面ですね。翼すれすれのところで高射砲弾が爆発した。近くにいた見知らぬ青年が『あッ、いい高度だな』って批評するところがあるでしょう。あの場面は好きですね。
「ああ、あれは、突然出てくるから……」
横光佑典さんが言われた。
「批評精神が高度の空中で、淡淡と死闘を演じている」という、あの戦争批評はすばらしいと前々から思っていた。
「あれ、そうなんですか?、あれは東京空襲のときの様子なんですね!」
「そうです」
『夜の靴』に空襲場面が回顧される。五月二十四日、五月二十五日の山手空襲のときだと勘違いしていた。改めて読んでみると、「厳寒」とある、三月十日の東京空襲の時の話に違いない。もちろん、北沢の丘、雨過山房でのできごとである。
厳寒の空襲のあったある夜、私と妻とはどちらも病気で、別別の部屋に寝たきり起きられず、子供たち二人を外の防空壕へ入れて置いた夜のことである。私は四十度も熱のある妻の傍へ、私の部屋から見舞いに出て傍についていたが、照明弾の落ちて来る耀きで、ぱッと部屋の明るくなるたびに、私は座蒲団を頭からひっ冠り、寝ている妻の裾へひれ伏した。すると、家の中の私たちのことが心配になったと見え、次男の方がのこのこ壕から出て来て、雨戸の外から恐わそうな声で、「お母アさん。」とひと声呼んだ。
あまり真近い声だったので、「こらッ。危いッ。」と座蒲団の下から私が叱りつけた。子供は壕の中へまた這入ったらしかったが、続いて落ちて来る照明弾の音響で、またのこのこ出て来ると、
「お母アさん。」
「こらッ。来るなッ。」 横光利一全集 第十一巻 河出書房
この本文に出てくる次男は佑典さんのことだ。長男は象三さんである。
「兄は五年ほど前に亡くなりましたけどね、この家の裏手に住んでいましたが…」
そこは用賀である。
「この家の前にあるのが正田家のテニスコート、何度か来られてその御姿がみられましたけどね」
緑豊かな敷地がそこにはある。現天皇の皇太子時代の話だろうと思う。日清製粉の世田谷清珠荘に家は隣接している。
(三)
ここに住んでおられたという象三さんも『夜の靴』のことについては触れている。
私には、ほんの百数十日の間のことだが、父や母の印象を、蓋を開ける都度、まるでそこに居合わせているかの様に生々しく感じさせる玉手箱がある。
「夜の靴」―父の最晩年の長編とも言われるこの作品である。
「玉手箱」 『父の肖像』 かまくら春秋社 平成十一年刊
これは佑典さんにとっても同じだろう。父母の生の声が会話文として出てくるからだ。そこを読む度に、実際の声が、顔が浮かんでくる。(横光利一の散歩コース、北沢八幡神社の角)
「そうです」
『夜の靴』に空襲場面が回顧される。五月二十四日、五月二十五日の山手空襲のときだと勘違いしていた。改めて読んでみると、「厳寒」とある、三月十日の東京空襲の時の話に違いない。もちろん、北沢の丘、雨過山房でのできごとである。
厳寒の空襲のあったある夜、私と妻とはどちらも病気で、別別の部屋に寝たきり起きられず、子供たち二人を外の防空壕へ入れて置いた夜のことである。私は四十度も熱のある妻の傍へ、私の部屋から見舞いに出て傍についていたが、照明弾の落ちて来る耀きで、ぱッと部屋の明るくなるたびに、私は座蒲団を頭からひっ冠り、寝ている妻の裾へひれ伏した。すると、家の中の私たちのことが心配になったと見え、次男の方がのこのこ壕から出て来て、雨戸の外から恐わそうな声で、「お母アさん。」とひと声呼んだ。
あまり真近い声だったので、「こらッ。危いッ。」と座蒲団の下から私が叱りつけた。子供は壕の中へまた這入ったらしかったが、続いて落ちて来る照明弾の音響で、またのこのこ出て来ると、
「お母アさん。」
「こらッ。来るなッ。」 横光利一全集 第十一巻 河出書房
この本文に出てくる次男は佑典さんのことだ。長男は象三さんである。
「兄は五年ほど前に亡くなりましたけどね、この家の裏手に住んでいましたが…」
そこは用賀である。
「この家の前にあるのが正田家のテニスコート、何度か来られてその御姿がみられましたけどね」
緑豊かな敷地がそこにはある。現天皇の皇太子時代の話だろうと思う。日清製粉の世田谷清珠荘に家は隣接している。
(三)
ここに住んでおられたという象三さんも『夜の靴』のことについては触れている。
私には、ほんの百数十日の間のことだが、父や母の印象を、蓋を開ける都度、まるでそこに居合わせているかの様に生々しく感じさせる玉手箱がある。
「夜の靴」―父の最晩年の長編とも言われるこの作品である。
「玉手箱」 『父の肖像』 かまくら春秋社 平成十一年刊
これは佑典さんにとっても同じだろう。父母の生の声が会話文として出てくるからだ。そこを読む度に、実際の声が、顔が浮かんでくる。(横光利一の散歩コース、北沢八幡神社の角)



















