2013年10月20日

下北沢X新聞(2426)〜聴き耳を立てたくなる文学碑〜

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(一)
 北沢の丘を巡る文学の旅、距離は短いが想像の旅は遥かであった。

昨日実施した街歩きである。「北沢の丘を巡る文学散歩」である。横光利一、「雨過山房」の近辺を丹念に辿るという歩きである。
  
 地形環境と文学とが主題でこれを観察しながらゆく。北沢の丘は屈曲、起伏に富んでいることを改めて知った。すっかり市街化されてはいる。それでも三つのことを歩くことで実感できた。

 一つ目は、眺めが重要な要素であったことだ。
「池の上駅の標高は四十三メートルくらいです。その続きに雨過山房はありました。遠景では富士がよく望めました。近景では北沢川に転げ落ちる谷の深みが景色として見られたのですね、緑のサラダボールです」

 一つ目は、地形の屈曲だ。地名が示す「沢」である。丘があって川がある、沢筋ぞいの地形は面白い。坂を踏みしめて上ったり下ったりする。もっとも近く行き交う代沢小の児童は作家を怖がっていたようだ。いつも独り言をつぶやきながら歩いていたからだ。

 何をしていたか、それは想像がつく、「ああ、あそこの一文字は浮いている」、「書き出しの表現のしまりがない」などと、やはり自分が書いている小説のことが中心だ。

  大岡昇平は、「家の横のゆるい坂を上りきったあたりを、右に入ったところが横光さんの家だった」と記している。今回はここを歩いた。坂を上っていくというところがいい。踏みしめながら人は考える、文学の根本は思念だ。この地形が反対、例えば、「ゆるい坂を下りきった」ではお話にならない。上り坂はお話になる。

 三つ目は、緑環境の快適さがあったことだ。市街地化が進んで、付近にあった赤松、欅はだいぶ伐られてしまった。それでも雨過山房あたりはまだ緑があった。彼が家を抜け出て北沢川方向に散歩にいったときに通ったであろう道に生け垣が昔のままで残っていた。



(二)
「どうしてこの地に来たのでしょう?。考えてください。田園地帯ですね、田舎ですよ。中原中也が街に出てきて電話でお話しましょうよと言っていますが、電話がなかったのですね……」
 通信手段は手紙だった。急ぎの場合は、電報だ。場所としては不便なところだった。

 東京の郊外で風の吹きすさぶ日に、ふと軒の下で洟たれた子供を見て、よくもあのような所で生活する気になったものだと感慨をもらしたのは、谷崎潤一郎氏であるが、午前の東京の郊外の爽快さは、稀に晴天暁に起きたものでなくては分かるまい。
 「作家の秘密」 横光利一 「横光利一全集」第十二巻


 風が吹くととんでもないことになる。大山颪が吹きつけて畑の土を舞い上がらせる。洗濯物などたちまちに黒くなる。家の中にいてさえ埃が入ってきた。谷崎『細雪』の高価な和服などもたちまちに襟首に埃が侵入してくる。そんなことを考えただけで、「よくまああんなところで生活する気になったものだ」とてんで理解ができないと。が、横光は空気が違うんだ、爽快さが違うんだと言っている。

(三)
 「夜など女子供は一人では通れたものであった」(日記)という。暗い、寂しいところそこに彼は敢えて住んだ。いってみれば村外れである。

 彼こそは下北沢文士町の先駆者である。北沢に新たに場を設けてここで苦闘した。なぜここなのでしょう?。

 『微笑』に出てくる石畳は多くの音を響かせた。足音だけではなかった。鉄平石は北沢の丘の受信機だった。石に何が響いたでしょうか?。私はこのことも参加者に問うたことだ。

◎写真は、デザイン担当の道吉剛さんが、碑のイメージを説明しているところである。



rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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