2013年12月12日
下北沢X新聞(2461)〜眺望、遠望、富士風景〜

(一)
「文士町のポイントの一つとして東京中央との距離がありますね」
十七日、来年から講座として始まる「下北沢文士町入門」の下見を行った。スタートは池の上駅からだ。
「歩き始めたところから疑問を持つ、何でもいいのです、駅名でも」
「ああ、池の上ですね」
「そうそう上があれば下があると考えると楽しい」
同行人は学園の係担当の二人の女性だった。文学のみならず地形にも興味を持っている。
文学は根本的にはさすらいだ。旅にこそ詩の真髄がある。近間の旅であっても遥かさを感じれば旅だ。私の日々の荏原逍遙も彷徨である。つらつら考えてみるに、そのコースは都心に背を向けている。ふと思い出したのは、柳田国男が書いた『武蔵野の昔』だ。
国木田君は今から二十一年程前、渋谷の停車場から少し西北へ入った処の丘の陰に住んで居て、閑さえあれば東京と反対の方向へばかり散歩して居つた。
都心を背中にし、西を向いて歩く。岩波文庫『武蔵野』の解説には「大体明治三十年頃の東京郊外を中心とした叙景文である」と記される。どのような景色が見えていたか。一人の歌人が描いた文章がある。
そしてこちらの郊外の背景をなすものは遠く西の空に浮んでゐる富士山の姿であることを忘れてはならぬ。何處からでも大抵は見えるこの山ではあるが、ことに此處等の赤松林の下蔭、幾つか連つた丘陵の一つのいたゞきから望み見る姿は、たゞの野原であるのより遙かに趣きが深いのだ。
『東京の郊外を想ふ』と題された若山牧水の文章の一節だ。東京に背を向けて歩くと必ず富士が見える。連綿とつづく丘陵の連なりの向こうに見える。
「この辺り北沢の丘一帯からはかつてはとてもよく富士が遠望できました。都心での仕事はストレスが大きいですから、郊外に来て、富士の見える家で寛ぐ、理想だったでしょうね」
(二)
武蔵野を武蔵野たらしてめいるのが富士である。果てもない丘陵のうねりのとある一点に聳え立つ白い山がある。それは視線の落としどころ。心の持っていきどころだ。
この富士眺望論は面白い。永井荷風のエッセイに『海洋の旅』というのがある。ここに富士論が述べられている。横浜から長崎への往復の船旅をしての感懐が描かれている。風景への懐疑である。
自分は美しい祖国の風景を海の上から、乃ち其の外側から眺めるにつけて、其の内側に潜んでゐる日本現代の生活と日本人の性情とがいかに甚しく日本的風景と其の趣きを異にしてゐるかに一驚せざるを得ない。
試みに旅から帰つて来て、乃ち日本の風景の懐中から去つて東京の市街を歩んで見よ。新しい日本人が経営する新しい都会の生活には、日本の江湾と山岳とによつて印象されるやうな、可憐美麗真実なる何物が見出だされるであらうか。自分は工業と商業の余儀ない外観を云々するのではない。個人として国民としての内的生活に於て、現代日本人の心情は余りに、富士山の姿と天の橋立の趣きから遠ざかり過ぎてゐる事を自分は不思議に感ずるのである。国民と国土の風景とが何等の関係もなく余りに別々である事を不審に思ふのである。
今日の日々の生活と日本人の性情と、それと富士に代表される日本風景とが大きく乖離していると批判する。荷風のこのエッセイの末尾には、明治四十四年九月と記されている。
今と違って武蔵野からはふんだんに富士が望めた時代だ。
(三)
今年、富士は世界遺産になった。しかし、これには幾ら儲かるかという、欲得的なものが強い。
「富士にやられました。こっちの客はさっぱりですよ」
松本で今夏タクシーに乗ったとき運転手は嘆いていた。
永井荷風は、世界遺産に富士がなったことをきっと喜ばないだろうと思う。
永井荷風は「国民としての内的生活に於て、現代日本人の心情」は、時代とともに富士から遠ざかっているという。それは今も続いている。自然に対する敬虔さ、敬い、それを私たちは失っている。
「美しい祖国」は、今やずたずたにされつつある。私は思ったことだ、富士の土手っ腹に穴を開けて鉄道を通すことは許されない。が、南アルプスは許される。そんなことを思う。
自然を破壊してやまない我々は必ずや自然からのしっぺ返しを受けるに違いない。
(写真は、山梨の矢花克己さんが撮った富士と月見草の写真だ)
*引用の文章は『青空文庫』から
武蔵野を武蔵野たらしてめいるのが富士である。果てもない丘陵のうねりのとある一点に聳え立つ白い山がある。それは視線の落としどころ。心の持っていきどころだ。
この富士眺望論は面白い。永井荷風のエッセイに『海洋の旅』というのがある。ここに富士論が述べられている。横浜から長崎への往復の船旅をしての感懐が描かれている。風景への懐疑である。
自分は美しい祖国の風景を海の上から、乃ち其の外側から眺めるにつけて、其の内側に潜んでゐる日本現代の生活と日本人の性情とがいかに甚しく日本的風景と其の趣きを異にしてゐるかに一驚せざるを得ない。
試みに旅から帰つて来て、乃ち日本の風景の懐中から去つて東京の市街を歩んで見よ。新しい日本人が経営する新しい都会の生活には、日本の江湾と山岳とによつて印象されるやうな、可憐美麗真実なる何物が見出だされるであらうか。自分は工業と商業の余儀ない外観を云々するのではない。個人として国民としての内的生活に於て、現代日本人の心情は余りに、富士山の姿と天の橋立の趣きから遠ざかり過ぎてゐる事を自分は不思議に感ずるのである。国民と国土の風景とが何等の関係もなく余りに別々である事を不審に思ふのである。
今日の日々の生活と日本人の性情と、それと富士に代表される日本風景とが大きく乖離していると批判する。荷風のこのエッセイの末尾には、明治四十四年九月と記されている。
今と違って武蔵野からはふんだんに富士が望めた時代だ。
(三)
今年、富士は世界遺産になった。しかし、これには幾ら儲かるかという、欲得的なものが強い。
「富士にやられました。こっちの客はさっぱりですよ」
松本で今夏タクシーに乗ったとき運転手は嘆いていた。
永井荷風は、世界遺産に富士がなったことをきっと喜ばないだろうと思う。
永井荷風は「国民としての内的生活に於て、現代日本人の心情」は、時代とともに富士から遠ざかっているという。それは今も続いている。自然に対する敬虔さ、敬い、それを私たちは失っている。
「美しい祖国」は、今やずたずたにされつつある。私は思ったことだ、富士の土手っ腹に穴を開けて鉄道を通すことは許されない。が、南アルプスは許される。そんなことを思う。
自然を破壊してやまない我々は必ずや自然からのしっぺ返しを受けるに違いない。
(写真は、山梨の矢花克己さんが撮った富士と月見草の写真だ)
*引用の文章は『青空文庫』から



















