2014年10月02日

下北沢X物語(2655)〜下北沢文士町と成城文士村〜

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(一)
 「下北沢文士町文化地図」改訂六版の作業に着手した。新たに見つかった文士旧居を幾つか入れ込むことにしている。地図上に赤丸がまた増え、文士居住密度が濃くなる。

「もうこれ以上、赤丸を増やすな!」
 春に地図配りをしているが、これを見て一人がこう述べた。一つの批評でもある。人間はとかく集めたがる。どんどんと入れ込むと、同人誌クラスの文士にまで及ぶ。それへの懸念だ。

 しかし、有名無名を含めてこれだけ集まっていることは特異な現象だ。意味があり、訳がある。比較文学論的な観点で考察すると、街の背後に隠れている文化が見えてきもする。

 この十月からまた街歩きが始まる。「文豪たちの東京を歩く」である。今日はその第一回目だ。我ら仲間うちの街歩きだと気楽だ。少々迷っても、参加者が道を教えてくれる。が、講座(NHK学園オープンスクール)として行う場合はそうはいかない。

 今日は、北原白秋を中心とした成城の街歩きを行った。ここも文士村、物書きが多く住んでいる。しかし、下北沢と成城では大きな違いがある。簡単に言えば、旧居から旧居が遠いということだ。案内役の立場でいえば、どう間を持たせるのかというのが問題であり、課題だ。

 今回は、北原白秋二箇所、野上弥生子、水上勉、柳田国男、それぞれの旧居をたどってお終いだ。歩く距離でいえば、下北沢だと十数名は軽く訪れられる。

 しかも、猫三大作品とか、踏切文学二大作品とか切り込み方も多くある。が、成城はその点難しい。「北原白秋における郊外の叙情性」、何だか訳の分からないテーマになってしまう。

 「北原白秋における鉄塔の位置づけ」という観点は個人的には深い興味を持っている。が、講座で話題にするようなことではない。第一番目の訪問地点こそは歌集『白南風』の序を記したところだ。「砧村の雲と鉄塔の下にて」と。もっともこの場合の塔は、NHK技研の電波塔だったが…



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(二)
 成城文士、下北沢文士、これには大きな違いがある。それは何か、漂着者と漂泊者の違いである。
 
 鉄道交差部の下北沢には文士が集った。傾向としていえることは詩人が多い。詩人、俳人、歌人などだ。詩人は言い換えればさすらい人だ。この街にふらりふらりと多くの詩人が集まって来た。気ままさがあった。交差部という結節点だからでもある。四方向からやってきて四方向に去っていく。逃げられるというのがいい。詩歌が集うには都合のいい場所だ。

 思い起こすのは田中英光と水上勉の逸話だ。下北沢駅前で二人は飲んでいた。田中英光が屋台の親父が気にくわない。オリンピック選手でもあった彼は機をみて屋台を持ち上げてひっくり返した。そして脱兎の如く逃げて、小田急線の電車に乗り込む。

 駅に進入してくるタイホンの音を聞きつけて行為に及んだ。逃げるのに小田急線も井の頭線も使えた。鉄道交差は、いたずらを喚起しもする。

 そう言えば思い出した。世田谷文学館から案内をもらった。「水上勉のハローワーク 働くことと生きること」というテーマの企画だ。

 水上勉の経歴が記されている。僧侶、薬の行商、役所勤め、労働者の監督、出版・編集業、代用教員、洋服の訪問販売というふうに職業を点々とした。そのプロセスをテーマにしたものだ。

 下北沢での逸話は、戦後のことだ。焼け残った街には小出版社ができた。森厳寺の近くにあった文潮社の編集者を水上勉はしていた。

(三)
 新しい家は、成城六丁目でも小田急線駅に近く、歩いて三、四分の場所が気に入ったのと、先にも述べたように、ホテルや旅館で仕事をするくせになっていた私には居宅に執着する理由はなかったのだが、こんどの家は庭も広くて階下四部屋、二階二部屋の間取りも気に入った。しかし、成城と聞くと、高級住宅地のイメージがつよく、「おれも偉くなった気がするなあ」といった怖じ気も生じないとはいえなかった。

 『東京図絵』で、水上勉が自ら記している。やはり、偉くなって住むところが世田谷成城である。成功者、富貴者、大家となって初めて住めるのがここ成城である。さすらい来て、漂着した。それが鉄塔脇の家だ。
「どうかされました?」
 跡地に建ったマンションから係の若い女性が出て来て声を掛けられた。
「成城の街歩きで、ここは欠かせないでしょう。水上勉邸があったこと、ご存じですか?」
「はい、存じ上げております…」
(写真は水上勉旧居、左手のマンション。鉄塔は川世線)



rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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