2014年10月03日
下北沢X物語(2656)〜下北沢文士町と成城文士村2〜

(一)
首都東京は膨張し続けてきた。それに連れて人々の居住地も郊外へ、郊外へと広がっていく。その場合崖線は一つのポジションだった。文学と崖線という伏在するテーマを今回の歩き、「文豪たちの東京を歩く」は抱えている。
言えば古代多摩川の崖線である。具体的にはまずは野川、つぎに宇田川、最後が神田川である。文学や芸術が位置を占めた左岸崖線を西から順に旅をしていくのが今回の企画である。
「これって山ですか?」
成城三丁目緑地に来たときに誰かが言った。
「野川に沿った崖線です。こちらが標高が40メートルあって、転げ落ちると川、20メートルの落差があるのです…まず言えることは眺望がいいですね、富士を眺めるにも絶好のポジションですね、だから崖線に建っているお家はきっと地価も高いですよ…」
崖線の背尾根は、古代から人々が憧れを持った場である。この国分寺崖線の眺望ラインには多くの古墳がある。
「前にこの崖線にある野毛山古墳に行きました。棺桶の向きをタブレット端末を置いて確かめたところ寸分違うことなく富士の方を向いていました。みんな感動しました。『やっぱり富士なんだ!』ってね」
私達は、転がり落ちていく坂がつぶさに眺められる茶屋坂の上で立ち止まって下を眺めた。近くには明正小学校があってちょうど学童たちが下校してきた。
「反対向いて降りて行くと面白いんだよ」
三人連れの女の子が傘を差したまま後ろ向きで降りて行く。
「まあ、まあ、あんなことをしちゃって…」
坂は小さなドラマを作り出す。
急坂を眺めていて思い出した。三好達治の詩に「なつかしい斜面」というのがあった。傾斜には郷愁があるのだと思った。
丘上は富士の眺望がよいという点が評価される。が、そればかりではない。坂下に広がっている世界が俯瞰できるという点もある。人々の暮らしなり営みなりを客体化できるという点だ。
坂は人を立ち止まらせる。そこに立って眼下を眺めるとなぜか懐かしさも自然に湧いてくる。過去を思い起こすからだろうか?

(二)
文学よりも映画である。白秋旧居からすぐのところに東宝スタジオはあった。壁一面に「七人の侍」が描かれている。
「あれ、誰だったかしら?」
『七人の侍』1954年(昭和29年)4月26日に公開された日本映画である。六十年前だ。それでも参加者はみな懐かしがっている。が、三船敏郎の名は出てきても後が続かない。
「志村喬、加東大介、木村功、千秋実、宮口精二、稲葉義男」
守衛のおじさんが教えてくれた。おばさんたちは名前が出る度に感動する。
「今はね、こういうふうに家が建て込んでいるけれど、ここらはみんな原っぱだったんだ。だから、この映画もみんなここらへんで撮ったんだよ…」
東宝撮影所、前身のPCLが昭和七年に出来て以来、多くの作品がここで撮られた。
このすぐ側に住んでいた北原白秋も、ここのことを多く詠んでいる。
東宝宝映画撮影所俯瞰
・夏山に波の音荒く起りしがあはれあはれトーキーの模擬音にして
・夏撮(うつ)す林檎の花は光れども現(うつつ)ならねば早やあはれなり
・街建てて夜々華やぎし今朝聴けばぐわらぐわらとすでに壊(くず)しつつあり
詩も虚構だが、映画のセットはもっと現実的な虚構だった。
(三)
ここで『連合艦隊』は撮られている。これを撮影した松林宗恵監督は絵をそのまま言葉にして話す人だった。「邪宗門」にはよく見えていて何度も話は伺った。
「何かやっぱり女優というのはきれいだったね、目が覚めるような人もいたと話をされていましたが、そうだったんだろうなと想像できますね」
「撮影所から誰か出てこないかしら?」
「日比谷の東宝本社行くのに下北沢で乗り換える、それでちょっと下りて駅前のマコトでコーヒーを飲む。いつもいくと映画関係者が多くいたなあ…」
監督の述懐である。



















