2014年10月09日

下北沢X物語(2660)〜発足十周年「北沢川文化遺産保存の会」2〜

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(一)
 十年は、単なる時間の累積ではない。経過に意味がある。もっと端的にいえばこの間に行った運動である。自転車と歩行とでの自力移動だ。

 何が面白かったのか。それは地形の溜に潜む物語の発見だった。丘と沢との物語がいくつもいくつも潜んでいた。あそこの窪み、そこの路地に心ときめくドラマが眠っていた。

 この十年間は憑き物がついたように懸命に調べてきた。人間、行っているときには気づかない。今になって分かることがある。
「ああ、地形の溜には歴史真実が眠っていたのだなあ」

「文学碑をつくってきたことも大きいですが、本を三冊にまとめたことも大きいですね」 
碑の建立について打ち合わせをしているときに岩城康雄さんは言われた。地域貢献活動を会社の係としてサポートされて来た方である。「北沢川文化遺産の保存の会」の活動を最も客観的に見ておられるのだと思った。

 人に批評されて、そうだったかと気づきもする。何をしてきたか?地域に眠っていた歴史真実の掘り起こしである。とくにここに地形が関係してくるからこそ面白い。

 「ある日の夜、私の店の前をぞろぞろと小学生の列が通った」(『烈風の中を』) 

 ここでいう私は、歌人の渡辺順三、店は下北沢駅南口にあった古本屋大地堂だ。ちょうどこの前は駅に向かって登り坂になっている。学童の足音の響きがよく聞こえた。こんな夜に、どうしたのか?、その疑問は氷解する。彼らがどこへ行くのか、これを知って歌を詠んだ。

集団疎開の学童の列がこのまちを通りてゆけり夜の十時頃

 これは記録と合致する。昭和19年8月12日、代沢国民学校の445名は夜の十時に学校を出発した。燈火管制で真っ暗になった道を提灯に導かれて通っていった。下北沢駅へと向かう行列だ。

 彼、歌人は「通りてゆけり」と詠んだ。坂を登ってやがて足音は止んだ。そこにこそ彼の詠嘆があった。

列なして疎開児童の行くさまをあわれとみつつ涙ぐみたり

 もう何年前だろう。このことをこのブログに記した。記事を見つけた人が、書き込みをしてきた。これで私の調べが本格的に始まった。文学の調べが歴史真実の探査へと向かった。

 下北沢には歌人、詩人、俳人が多く集った。これは鉄道が交差していることに関係する。ムラではなくマチである。相互関係は希薄だ。プロレタリア歌人と人間探求派の俳人とは直接には結びつかない。しかし、自分の調べの過程では偶然に結びついていった。その俳人は中村草田男である。



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(二)
  代沢国民学校の疎開をきっかけとした物語の発掘は、一冊の本にとどまらず、とうとう三冊目まで至った。最終巻はこの夏に発刊された。その『忘れられた特攻隊』を読んだ人がこう述べている。、

 大部三冊になってもまだまだ余韻があってこの様な書物は初めてです。丁寧に読者に微塵も著者のおしつけがない、名もない平凡な市民の感情を読者に媚びることなく淡々と綴られてある。
 

十年間何をしてきたか。ひたすらに発信してきた。ところが、「こうだろう」、「こうなんだよ」という押しつけはしてこなかった。この点の評価をしてくれている人がいる。大きな励みだ。

 この辺りは創作論に関わる。抉って、際立たせてこそ物語にはなる。ここは難しいことだ。淡々と綴っても伝わらないと売れない。本は、市場原理に基づいている。売れるように書けば売れるのだろうと思う。今回の三作目、特攻の実態を淡々と書いている。

 お国のために死をも怖れずに、特攻に征き花と散った、この特攻兵の物語は、下北沢の歌人から、著名な俳人へと結び付いて、明らかになるのだ。それは中村草田男だ。

 こういうふうに図々しく書かないと作家にはなれないのかもしれない。

 しかし、下北沢文士町の調べが、近代戦争史を偶然掘り起こすことになったのは事実だ。比喩的にいうと、「歴史のカーテンをぶち破って向こう側に着いてしまった」と言える。現地では当然知られていることだろうと思ったら、全く知られていなかった。それは驚きだった。

 北沢四丁目の中村草田男のことを調べていて、偶然伺ったお宅で、探しに探していた東大原小の疎開学童との出会いがかなった。ご主人の妹さんが淺間温泉富貴之湯に疎開していたのだ。

(三)
 その妹さんは太田幸子さん、彼女に会ったことが機縁で、彼女の友だち秋元佳子さんへと繋がる。この彼女は部屋に遊びきていた特攻隊員のことを驚くほどよく覚えていた。その彼こそは、「きけわだつみのこえ」に手記を書いている長谷川信少尉だったのだ。

 彼は会津出身だ。この彼の足跡を現地に訪ねもした。このことがネットで拾われて、彼が属した武揚隊の遺物が、思いがけず日の目を見ることになった。

 発端は、坂物語だ。古本屋「大地堂」を営んでいた歌人は坂の途中に居住していた。一方、俳人は丘上の借家に住んでいた。緑豊かな野屋敷だ。これらすべては鉄道交通、地形物語に結びついていく。
(上、三好達治文学顕彰碑設置場所、北沢川緑道鎌倉橋。下、チベット現地には「河口彗海記念館」があると。現地に行かれた山田明彌さんが写真をくださった。)


rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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