2014年10月14日
下北沢X物語(2663)〜言葉が遭遇した近代の深い暗闇〜

(一)
「明治維新以来出会った、全く新しい危難ではないでしょうか…」
電話の向こうから聞こえてきた声は痛切な響きを持っていた。その言葉の主はいわき市在住の方である。近著『忘れられた特攻隊』を読まれた方である。
「淡々と市民の歴史を綴っているこういう本に初めて出会いました…」
読者のこの感想を数日前のブログに書いた。これを彼女が偶然目にしことから、繋がりが繋がって昨日電話があって、つい長話をしてしまった。
機械近代に遭遇して人々がどんな反応を示したか?これには深い興味を持っている。それは汽車との出会いである。この機械文明とふれ合うことによって今日の繁栄が築かれた。
江戸、明治、大正、昭和、この間に描かれた汽車の音、これに対する変化を追うことで音の文化史ができると確信を持っている。私が長い間温めている課題である。
幕末の遣米使節団は初めて汽車に乗った。そのときに床下から聞こえたのは雷鳴だった。
この音がやがて音楽に変化していく。この音文化史への深い関心である。そうであっただけに、彼女の言う、明治維新以来初めて出会った危難というのは頷けるものがあった。
汽車こそは、火龍だった。火を噴く化け物だ。これが走ってくる様を見て、人々は驚き戦いて我先にと逃げまどった。ところが段々にこの正体が分かってくる。
「明治維新以来出会った、全く新しい危難」というのは放射能である。この危難を現地で生活の中で実感しているからこそ出て来た言葉である。しかし、この方は難題だ。
言葉は何か、基本的には形を理解して意味内容が理解される。人々は、初めて汽車に遭遇して驚いた。が、何とかこれを理解しようかと努めた。
「あのな、長屋が火事引いて走ってくるんだよ」
火龍のつぎに人々はこう認識した。
長い間、鉄道に関わることで人々は技術を蓄積した。
「そこの軌間は二ミリ狂っている」
鉄道工夫の親方が言う。秋福式軌間測定器を当てると本当に二ミリ狂っていた。手練れは目で見て、狂いが分かった。
ところが今、私達が遭遇している放射能は目に見えない。目に見えない危害をどうやって人間が理解するのか。
我々は彼女が言う通り、有史以来の新しい危難に出会っていることは間違いない。
「でもね、私達の苦悩がみんなに伝わってはいないのですよ……」
彼女の声は切実だった。
(二)
「目に見えない被害だもんだから、人には伝わらないのですよ…」
彼女が言っているのは低線量被曝のことである。
「考え方がいろいろで皆さんそれぞれなんですよ。だからこのことを表だって話題にすることはありません、でも、多くの人が精神的ストレスを抱えています、もう私も年をとっていますからいいんですけどね、若い人たちには深刻ですよ…」
いわき市は近隣の原発被害者が多く移住してきている。放射能は全く問題ないのではと思っていた。
「屋内遊び場があるのですけどね、そこだって一杯で、近頃は有料の屋内遊び場ができているのです……」
ネットで検索してみると、市のホームページにあった。「本市におきましては、子どもたちが天候に左右されず、のびのびと安心して遊べる場の確保を目的に、市内3箇所に小学校低学年までの児童を対象とした無料の屋内遊び場を設置しています」と。遊ばせたいと思う親は、「天候に左右されず」というところがポイントではなく、放射能という危険にさらされないというところだろう。
福島では原発苛酷事故以降、子どもがいる風景が変わった。
二三歳児が屋外で普通に遊ぶ風景が、かつては普通だった。ところが、低線量被曝が疑われる地帯では、「まずんいんじゃないか?」と人々は思うらしい。
(三)
人と人との繋がりは不思議だ。昨日、初めてしゃべった彼女も引き揚げ者だった。
「生まれたのはどこですか?」
「撫順です…」
「えっ、そうなんですか、私も撫順生まれです…」
意外なつながりだ。もしかしたら近所だったのかもしれない。
「今、私達が当面している問題はなかなか声にあげにくいことなんです…」
国も自治体も、安全で問題がないという。施策はこれを前提としている。異を唱えにくい。問題を指摘すると波風が立ってくる。沈黙して生きる。するとそれが却ってストレスとなる。
明治維新以来の大危難、言う術を持ち得ないものとの遭遇だ。
(川崎市高津区宗隆寺、「大東亜戦争英霊供養塔」と刻んである)
〇原稿募集
「北沢川文化遺産保存の会」会報第100号の編集に着手した。これまでの街歩きやその他のことでもかまわない。短くても長くても構わない。感想を送ってください。
「目に見えない被害だもんだから、人には伝わらないのですよ…」
彼女が言っているのは低線量被曝のことである。
「考え方がいろいろで皆さんそれぞれなんですよ。だからこのことを表だって話題にすることはありません、でも、多くの人が精神的ストレスを抱えています、もう私も年をとっていますからいいんですけどね、若い人たちには深刻ですよ…」
いわき市は近隣の原発被害者が多く移住してきている。放射能は全く問題ないのではと思っていた。
「屋内遊び場があるのですけどね、そこだって一杯で、近頃は有料の屋内遊び場ができているのです……」
ネットで検索してみると、市のホームページにあった。「本市におきましては、子どもたちが天候に左右されず、のびのびと安心して遊べる場の確保を目的に、市内3箇所に小学校低学年までの児童を対象とした無料の屋内遊び場を設置しています」と。遊ばせたいと思う親は、「天候に左右されず」というところがポイントではなく、放射能という危険にさらされないというところだろう。
福島では原発苛酷事故以降、子どもがいる風景が変わった。
二三歳児が屋外で普通に遊ぶ風景が、かつては普通だった。ところが、低線量被曝が疑われる地帯では、「まずんいんじゃないか?」と人々は思うらしい。
(三)
人と人との繋がりは不思議だ。昨日、初めてしゃべった彼女も引き揚げ者だった。
「生まれたのはどこですか?」
「撫順です…」
「えっ、そうなんですか、私も撫順生まれです…」
意外なつながりだ。もしかしたら近所だったのかもしれない。
「今、私達が当面している問題はなかなか声にあげにくいことなんです…」
国も自治体も、安全で問題がないという。施策はこれを前提としている。異を唱えにくい。問題を指摘すると波風が立ってくる。沈黙して生きる。するとそれが却ってストレスとなる。
明治維新以来の大危難、言う術を持ち得ないものとの遭遇だ。
(川崎市高津区宗隆寺、「大東亜戦争英霊供養塔」と刻んである)
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