2014年10月21日

下北沢X物語(2668)〜『皇国電車少女物語』断章〜

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〇藤井照子さんを追悼する
昨日、訃報を知らせる手紙を戴いた。藤井照子さんが亡くなったとの知らせだ。
「八月十八日、八十六歳の生涯を終え、永眠いたしました」とあった。娘さんの新川真理子さんから戴いた。

 藤井照子さんは元広島電鉄家政女学校の生徒だった。昭和18年4月、広島電鉄はこの学校を開校した。男性の多くが出征し、現業従業員が不足し、市内線の電車運行が困難になってきた。このことから人手を補おうと「学びながら働ける学校」を謳い文句にしてこの学校が創立された。入学した彼女らは当初は、車掌業務に就いていたが、戦争末期になるといよいよ運転士が不足し、それを補うために多くが運転業務も担うようになった。
 藤井照子さんは電車運転をしていた人だ。彼女らから聞いた話を私は、『広島にチンチン電車の鐘が鳴る』という作品に書いた。

 先年、『広島にチンチン電車の鐘が鳴る』については、テレビ映画化の企画があった。これには一つの懸念があった。物語として書いているゆえに神経質になることはないとは思っていた。が、物語では、女性運転士が被爆三日後の電車を運転している。これが史実と違っていることから、社会が、誤って記憶しはしないかとの危惧を抱いた。企画打ち合わせでその話をした。これによって採用に至らなかった。それはそれで却ってよかったと思っている。電車の実写は中国で行うとデレクターは壮大な話をしていた。『鉛筆部隊と特攻隊』も中国まで行って現場を撮るというドキュメンタリー番組の企画も、乗り気にはなれなかった。

 この広島電鉄家政女学校300名の奮闘ぶりは、史実に基づいて記録をしておきたいと思っていた。

 広島といえば原爆だ。多くは被爆後が話題にされる。私は、『広島にチンチン電車の鐘が鳴る』では、原爆投下以前の彼女らの働きぶりを書いた。その後に分かったことを含めて、彼女らのひたむきな努力を一つの物語としてまとめるつもりだった。しかし、それも叶わず今日まで来てしまった。
 わずか三年余で消えてしまった女学校の歴史は記録としても大切なものである。何とか記録に残せないかと思ってはいた。

 構想としての『皇国電車少女物語』は半分ほどまとめている。彼女への追悼という意味で、聞いていた話の一部をここに掲載するものだ。


『皇国電車少女物語』〜電車を操った少女たち〜断章

〇〇章 ポール廻しの苦難 

 革の鞄を提げて学校の校門を通り抜けたのは、ついこの間だった。しかし、気づくともう二年が経っていた。
 広島電鉄家政女学校は、皆実町二丁目にあった。専売局広島工場と学校の塀に挟まれた路地奥に校門はひっそりとあった。ここを潜った瞬間からめまぐるしい毎日が始まった。嬉しいこともあった、けれども悔しい、憎たらしい、腹立たしいと思うことの方がどれだけ多かったろう。
 入寮して二週間も経たないうちにお気に入りの靴が下駄箱からなくなった。母に入学祝いに買ってもらったものだ。続いてすぐに風呂桶に浸しておいた下着までもが盗まれてしまった。ベットの下の抽斗にしまっておいた祖母の形見の珊瑚の髪留め、友だちからもらったはったい粉、大切にしていた万年筆までもがなくなった。
「盗みをしようるなんて許せない!」
 春江は舎監さんに訴えた。
「盗まれるのは、あんたが悪いのよ」
 必死の申し出も全くとりあってもらえない。
『人は絶対に信じられない!』
 十四歳の春江が寮生活を初めて思ったことである。同室の者までも疑いの目で見るようになった。けれども、口を利かないでいることはできない。
「あんたこの頃どうしたん、元気がないわよ」
 同室の室原昭子が心配してくれた。彼女は澄んだ目をしている。ほだされてつい打ち明けたのだった。
「困って、困って、本当はそうしたくないけど盗んでしまったのよ。その人は、そんなことをした分、気持ちのどっかに引っ掛かることがあって、一時も楽しくはないわね」
 昭子が慰めてくれた。同室には他に山田典子、大木信子がいた。四人部屋である。

 電車乗務に配属されている皆は、勤務の持ち番が部屋単位で動いていた。午前番、午後番、勉強も仕事も、そして休みまでがすべて一緒だった。嫌でも応でも関係が深くなる。毎日顔をつきあわせていると相手の欠点も見えてくる。ちょっとしたことで喧嘩したり、言い合いをしたり、日々さざ波がたたない日はない。
「あんね、ちゃんと言わなければ分からないわよ。都合が悪くなると黙ってしまう。あなたの一番いけないことね」
 大木信子がずばりと春江の痛いところを衝いてきた。彼女とは三日間ほど口を利かなかった。が、春江は折れた。自分の短所を見事に言い当てていたからだ。

 不思議なことだった。いさかいや喧嘩は却って人を近づける。寮生活はそれぞれの性格の尖ったところがぶつかりある。ところが、言い合いがその尖りを削ってくれた。すると交わす言葉にも自然と丸みを帯びてきた。しばらく経つと悩み事も困り事も自然に話せるようになった。
「信子さん、あんたポール廻しが巧いという評判だわよね。うちはいつもこれに失敗してばかり、それで運転士さんに怒られてばかりなの、どうしたらうまくまわせるのか教えてくれない」
 車掌の仕事の中で一番の悩みごとはポール廻しだった。電車が終点に着くと、屋根についているトロリーポールを半回転させる。ロープを操って先端の滑車の溝はめ込む。体力が十分でない少女には重労働であった。
「うちも教えてもらいたいわ」
 他の二人、昭子も典子も異口同音に頼み込んだ。やはり手こずっていたからだ。この仕事でもたもたしていて運転士から「早くしろ!」と怒鳴られることは度々だった。
「最初は怖かった、くるっと回して反対側のトロリーにポールを入れるのだけどね、ピシュッって音がして青い火花が散るのよね」
「そうそうロープが震えるのよ」
「うまくロープをつかんだつもりでも長さが足りなくて尻餅をついちゃうの。中学生の男の子が見ていて冷やかすのよ、あれが一番嫌よ…」
「信子さん、やっぱり教えてよ」
 他の二人、昭子も典子も異口同音に頼み込んだ。やはり手こずっていたからだ。この仕事でもたもたしていて運転士から「早くしろ!」と怒鳴られることは度々だった。
「ポール廻しは、いくら口で説明してもなかなか分からないわね。何度も練習して体で覚えないとできないわね。うちについたお師匠さんはそれを何度も言っていたわね。腕と腰と、それとタイミングが大事だって、ううんと、ね、こうするのね……あ、痛い!」
 春江は、ポール廻しの仕草をしようとかがんだとたんお尻を二段ベットの柱にぶつけた。
「ああ、信ちゃん、おしり大きいからねぇ」
 昭子が冗談をいうと、皆が「あっはははあと」と応じて、部屋中がはじけた。
 実演練習は部屋の中ではできない。「松寮」の前庭に同室の三人を連れていって、そこで一連の所作をみせてくれた。
 お尻の大きい信子は、見事にそれをひねって見せてくれた。
「手ではなくて、反動をうまくつかうのね…」
 春江は感心した。
(藤井照子さん、2010年11月に上京された。そのときに一緒に撮った写真)


rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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