2014年10月25日

下北沢X物語(2671)〜都鄙境の秘境探検京王線2〜

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先だって、代田橋から蘆花公園まで京王線そいを歩いた。

(一)
 都鄙という対立軸は興味深い。かつてはそれぞれがそれぞれであり得た。前者は慌ただしく、後者はのんびりしていた。ところがこれを一気に覆す機械が現れた。鉄道である、機関車であり、電車である。

 今は、鉄道の敷設を人々は歓迎する。北陸新幹線ができるとか、北海道新幹線ができるとか伝えられる。試運転電車や運び込まれた電車車体へ地元の熱い視線が注がれている。

 鉄道が初めて敷設されるとき人々は恐怖した。泉鏡花『風流線』は、北陸本線工事の時の話である。

 山は崩す、水は濁す、犬猫は取って喰ふ、草は枯らす、樹は倒す、石は飛ばす、取り分けて目指されるのが、眉目形の勝れた婦人ぢや。
「鏡花小説・戯曲選」 第二巻 岩波書店


 一つは自然破壊だ。もう一つは工事に伴って狼藉者が村に侵入してくる。これに対する恐怖だ。

 非常に興味深いのは、誰にも侵されることのない純粋に美しい白山山系の天然自然が、機械破壊を前に述べられる。「草木は国の肉である。山岳は皮膚である、川の流れは血汐である…中略…その尊さ、懐かしさ、慕わしさは、正に恋人と同断である」と。

 リニア新幹線が作られようとしているが。敷設者に「草木は国の肉」だという認識は全くない。この工事とんでもない自然破壊そのものなのに一会社の思惑でなされようとしている。南アルプスを貫通させてリニアを通すという。自然破壊そのものではないか。
 一度壊された自然はもとには戻らない。アルプスの高山は死んだ人々の魂が還っていくところである。一時の「金目」のためにこれまで壊すことは許されない。

「旅というのはプロセスですよね。それをぶちこわしてまで遠くに行く必要があるのか、おおいなる疑問ですね…」
 先だって私が書いた「(2666)〜リニア新幹線は必要なのか?〜」の記事を読んだ人から電話があった。注文されもした。
「リニア新幹線の弊害はもっともっと書いてくださいよ」

 京王線の話に戻る。この路線の開業は、1913年(大正2年) 4月15日だ。 京王電気軌道笹塚 - 調布間 の12.1kmが最初だった。

 徳冨蘆花は、このとき千歳村粕屋に住んでいた。鏡花のように線路を蛇だとは言っていない。しかし、歓迎はしていない。それは「みみづのたはこと」で述べられる。



(二)
 東京が大分攻め寄せて来た。東京を西に距る唯三里、東京に依って生活する村だ。二百万の人の海にさす潮ひく汐の余波が村に響いて来るのは自然である。東京で瓦斯を使う様ようになって、薪の需用が減った結果か、村の雑木山が大分拓かれて麦畑になった。

大正年間に入ってのことだろう。膨張する東京が攻めてくる。そうすると何が変わったか、風景が変わる。近隣の雑木林は、武蔵野の特徴的な風景だった。ここから薪を産出していた。ところがガスが使われるようになって薪は売れない。たちまちに雑木林は倒されて畑となった。

 「東京が攻めてくる」、その最も顕著な例が、電車線の敷設だ。これは怖いことだった。徳冨蘆花は『風流線』を読んでいたのだろう。

 京王電鉄調布上高井戸間の線路工事がはじまって、土方人夫が大勢おおぜい入り込み、鏡花君の風流線にある様な騒ぎが起ったのは、夏もまだ浅い程の事だった。娘が二人辱しめられ、村中の若い女は震え上り、年頃の娘をもつ親は急いで東京に奉公に出すやら……

 衝撃的な出来事だった。パニックである。親は娘をかくす、あるいは奉公にだすなどした。

(三)
 儂にとっては肉を削そがるゝ思いだが、生活がさすわざだ、詮方せんかたは無い。筍が儲かるので、麦畑を潰して孟宗藪にしたり、養蚕の割が好いと云って桑畑が殖えたり、大麦小麦より直接東京向きの甘藍白菜や園芸物に力を入れる様になったり、要するに曩時むかしの純農村は追々都会附属の菜園になりつゝある。京王電鉄が出来るので其等を気構え地価も騰貴した。儂が最初買うた地所は坪四十銭位であったが、此頃は壱円以上二円も其上もする様になった。地所買いも追々入り込む。 「みみずのたはこと」

 東京が攻めてくる。風景を壊し、狼藉者が入ってくる、作物も変わる。土地の値段も上がる。閑居での安穏な生活を望んでいたが、それが次第に根底から覆されていく。「みみずのたはこと」は都市批評である。
(淀橋台南端を横断して走る京王線は起伏が多い。その一齣だ)

〇北沢川文化遺産保存の会会報

 今日第百号、事務局の邪宗門に届けた。家になった「目黒のカキ」も持って行った。ぜひもらってください。


rail777 at 20:00│Comments(1)││学術&芸術 | 都市文化

この記事へのコメント

1. Posted by 桜上水confidential   2014年10月26日 05:23
[起伏の多い京王線]
土曜日に商売するようになり、「都市物語を歩く」にもすっかりご無沙汰になってしまいました。京王線は地元ですので、今後のお話、楽しみにしております。
今回お歩きになった笹塚ー芦花公園間の京王線は、大きなカーブは下高井戸駅構内にあるだけで起伏が多い区間です。これを新宿ー笹塚間でみると、線路が地下下され、付け替えられ昔とは違いまして、特に、旧幡ヶ谷駅の前後で大きなカーブが連続していました。笹塚駅から新宿方面に向かうとき、快適に走っていた京王線は、下り勾配が終わったところで急ブレーキをかけ減速、そこからしばらく、僕らは右に左に大きく振られながら、新宿まで辿りつきました。
京王線は、世田谷区内の電車としては、玉川電気軌道の次に建設されました。広軌を採用しカーブに強かった。
同じ京王でも、狭軌の小田急系に起源を持つ井の頭線には、大きなカーブは明大前ー東松原間の一箇所だけで、さらに勾配を避けて、突堤と切通しが連続しています。
「起伏が多い京王線」は興味深いご指摘であります。

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