2015年07月09日

下北沢X物語(2833)〜戦争経験を聴く会に端を発する物語〜

真正寺楽団(一)この五月に第8回「戦争経験を聴く会、語る会」を開いた。ここでの機縁が広がってまた新たなものが発掘されたり、新たな人との出会いも生まれている。

 一つは、来年に向けての準備である。戦争経験が希薄化する中、会を開くには工夫が必要である。先だっての会では特攻隊が歌った歌の再現を試みた。音はつぶさに当時の人々の思いを伝える。音楽を通しての「伝え」は効果的だと知った。

 「語る会」には一人の若い女性が来ていた。彼女の企画による「戦争と音楽」をテーマにした音楽会を開くとのこと。正に文字通り耳寄りな情報、これはサントリーホールへ聞きに行った。耳で戦争を知るという手法は素晴らしいと実感した。

 幸いにして当方が取材を進めているものは音楽物語だ。「ミドリバンド物語」−戦火を潜り抜けた児童楽団−である。知られざる音楽文化史の一ページだ。下北沢鉄道交点文化史と結び付く、鉄道によって呼び寄せられた濃厚文化の一端だ。

 代沢国民学校の一人の音楽教師の物語だ。浜舘菊雄先生は、周囲の抵抗を押し切って疎開先に楽器を持ち込んだ。抑圧された生徒を音楽によって解放する。その思いを彼は強く持っていた。

 昭和十九年夏、疎開先の浅間温泉で60名からなる「浅間楽団」が編成された。ドンチャカ、ズンチャカ、湯の町に響き渡った音は新鮮だった。が、当地も安全ではなくなり二十年四月に再疎開する。温泉では各旅館に散った団員を容易に集められる。が、塩尻近辺のお寺への再疎開ではこれが難しくなる。バンドは解散か?が、情熱的な音楽教師は音楽こそは生きる命であり、糧となる、職員会議で存続を懇願した。その思いが実って洗馬の真正寺に皆は集められた。

 私たちは簡易楽器による楽団をやっていたので、何度か学校で披露させてもらいました。何しろ宿舎のお寺で毎日合宿をしていたようなもので、大いに腕を上げ、戦後帰京してからもラジオや進駐軍の慰問に活躍しました。

 真正寺にいた楽団の一人田中千尋さんが「洗馬小学校百年誌」書いたものだ。ミドリバンド物語の成長経緯を端的に証拠立てる逸話だ。


(二)
 信州の山村、洗馬村に新鮮な都会的楽曲が響き渡った。強烈なものだった。目の覚めるような文化ショックを与えた。先生はここの寮歌を作詞作曲した。「真正寺学寮歌」である。この影響を受けたのが隣村の広丘村の学寮、郷福寺である。それが昨年、当寺での音楽会で再現された「郷福寺学寮の歌」である。70年ぶりに蘇って、ぞくぞくしたものだ。

 これも逸話が面白い。自著『鉛筆部隊と特攻隊』を携えた人がこの寺を巡礼訪問した。そのときに寺はこのことを知ってびっくり、これがきっかけで去年は音楽会が催された。実は面白いことがある。この本を書いているときに郷福寺を訪れた。近所の人にも話を聴こうととある家に立ち寄った。その人は洗馬村からお嫁に来た人だった。

「真正寺には歌を聴きによく行きました。『真正寺学寮歌』は覚えていますよ」
 歌ってくださいと願うまでもなく彼女は自ら歌いだした。一番から三番まで滞ることなく歌い上げた。最後は、「洗馬の真正寺にきてみてごらん」で終わっている。

 「郷福寺学寮の歌」にしても、「真正寺学寮歌」にしても、当事者よりも、これを聴いた方が鮮明に印象に残している。さやさかな都会的なメロディが彼や彼女を惹き付けたものだ。初めて接する異国文化、これに心ときめかせた。

 このときめきこそが物語を生んだ。終戦末期になって多くの特攻機が松本飛行場に飛来してきた。搭乗しているのは田舎出のあんちゃんたちだ。彼らもまた都会的なセンスを持った学童に接して心開いた。それが『鉛筆部隊と特攻隊』だ。が、物語の音源、始原は真正寺学寮歌にある。
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(三)
「どう考えてもこんな筋の通らない話はありませんね」
 昨日、鉛筆部隊の田中幸子さんから電話があった。老齢の彼女は怒っていた。安保法制のことだ。
「新聞を読んでも、テレビを見てもよく意味がわからないのですよ。そんなものを強行採決するというのだから…それでポスターを張ろうという運動があるのです」

 アベ政治を許さない!! 7月18日(土)午後1時きっかり 同じポスターを全国一斉にかかげよう

 市民の意志表示をしようとのこと。デモに行こうと思っても、身体が不自由であったり、忙しかったりしていけない。せめてもの思いを小さくても掲げる。そのポスターは、ネットからダウンロードできる。
「ええ、うちも貼りますよ!」
 この安保法制の議論どう考えてもおかしい。国会での質疑応答、テレビ番組での討論では、言葉というものが全く意味をなしていないことである。説明が説明になっていない。
「多くの憲法学者が違憲と言っている」と野党、が、「多くの憲法学者が賛成している」と与党は平然と斬り返す。客観的データーが出ているのに肯おうとしない。
 
 判で捺したように度々説明されるのは、「国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備」である。言葉の軸足がなっていない。曖昧だ。裏を返せば他国との緊張状態への鋭敏さを研ぎ澄ますということだ。平和憲法下では本来は戦力、ハードではなく、対話、ソフトによってなされるべきだ。それを戦力によって補い、地球上どこへでも自衛隊が派遣される。憲法9条の容認する範囲を明らかに超えている。

 民主主義は根本は言葉だ、伝えを伝えて、それを受け取って人々が同意する、そこにこそ自由がある。ところがそのプロセスがないままに強行採決へ向かおうとしている。市民の自由が狭められていると感じる、まるで独裁政治である。
 
 このところ何か社会がおかしい。権力主義や全体主義がひしひしと忍び寄っているように思う。一つ一つに言えることだ。国立大学の文系を廃止統合するという動き、べらぼうな建設費のかかる国立競技場の建設、労働者に不利な派遣法の改正、福島原発苛酷事故の反省も、検証もない中での原発の再稼働、カジノ特区の導入などなどだ。

 どうしてこうなのか。私は日々の歩きの中で感づいている。目黒、世田谷、品川、大田、いわゆる荏原地域を日々さまよっている。首相の姿を写したポスターをよく見かける。どこに貼ってあるか?広い土地を所有している家の塀によく見られる。つまりは地主である。

 現今与党、金持ちを基盤としているゆえに金目筋、金権的な方向に行くはずだ。金持ちをより儲けさせて貧乏人をはじいていく。恐ろしいほどの金目ブルトーザーが市民を駆逐しはじめている。思い出すのは上原良司の言葉だ。特攻で行くに際して述べた所感の中で彼は言っている。「権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には破れる事は明白な事実です」(『きけわだつみのこえ』岩波文庫)と。実際に戦争にはこてんぱんにやられた。

(四)
「真正寺の歌は、明美ちゃんが覚えていますよ」
 電話を切ろうとするときに鉛筆部隊の田中幸子さんが告げた。これも物語だ。「郷福寺学寮の歌」を知らないかということで探し回っているときに彼女に出会った。二番の歌詞はきっちりと彼女は覚えていた。記憶を頼りにしての歌詞探しであった。が、これには劇的な結末がある。

 骨董市に出ていた古手紙を購入した笛吹市の矢花克己さん、その多くに「鉛筆部隊」の判子がある。「鉛筆部隊?」とはなに、検索して私につながった。当方が、「郷福寺学寮の歌」を探していると。ところが、その手紙の中に楽譜が挟まっていたのだ。

 眠っている音楽の復活を。それが「真正寺学寮歌」だ。今、これに向けて関係する人々が動き始めている。来年の『戦争と音楽』では、これをぜひとも再現してみたい。
(上、真正寺の疎開学童。「洗馬小学校百年誌」より。下、ホームページから印刷をしたもの)




rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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