2015年07月30日

下北沢X物語(2847)〜戦火を潜り抜けた児童楽団・了〜

069(一) 「魂の休息がなくて、疎開生活の無聊寂寥に耐えられるものではない」、その強い信念から音楽部隊隊長は疎開先に楽器を持ち込んだ。第一次疎開先では六十数名からなる「浅間楽団」が編成された。練習場の井筒の湯から響いてくる音響は強烈だった。地元の子どもたちが、「おったまげて」互いに目を見合ったことだ。
 
戦況が悪化してきて浅間温泉も安住の地ではなくなった。再疎開を余儀なくさせられた。塩尻を中心とする寺院への学寮の移転だ。浅間では一つの旅館に集まって練習ができた。が、分散宿泊となると団員は集められない。楽団は解散の危機を迎えた。

 が、音楽教師の情熱は冷めていない。彼は、バンドの存続を強く訴えた。それは功を奏した、「私は職員会議の賛成をえて、バンドを存続させることにし、メンバーのなかでもかけがえのない者を、わたしの学寮に移すことにしたのであった」(『学童集団疎開』浜舘菊雄著)、その学寮こそが真正寺である。

 洗馬の真正寺は丘の上にある。選りすぐった40名ほどは毎日音楽に浸った。歌の会、合奏会、そして踊りもあった。

 ずんどこずんどこと本堂で楽器が鳴り響く、爽やかな高原、のどかな洗馬村にはこれまでに全くないものだった。音が聞こえてくると村の子どもが集まった。洗馬の小学校を卒業したものも集まった。彼らが奏でるアンサンブルは強烈な印象を与えた。

 やがて、村のおばさんたちがくる、彼女らはむしろ持参でやってきた。境内の庭にそれを敷いて合奏に耳を傾ける。観客がいれば演じ手も現れる。

 ランララン、ララランと前奏が鳴る。心浮き浮きする。そこに可愛い女の子が現れる。
彼女は蓑の代わりに背中に風呂敷を身につけている。頭にはお坊さんの陣笠を手には本物の鍬を持って颯爽と出てくる。拍手喝采だ。

 蓑(みの)着て 笠着て 鍬(くわ)持って / お百姓さん ご苦労さん
 
本堂の濡れ縁が舞台である。踊り慣れた彼女のステップが見事だ。田舎ミュージカルである。こういう催しがしばしば行われた。


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(二)村の子どもと疎開の子の融和は困難だった。が、村の子が、真正寺楽団の音楽に勇気づけられた。ときに彼らも歌に加わった、心のハーモニーである。しかし、やがて時は巡ってくる。戦争が八月十五日終わった。

 有名な言葉がある。下北沢晴光園は紀行作家宮脇俊三の家だった。彼はこの家を出て旅をしていた。そして米坂線今泉駅で終戦を迎える。『昭和時刻表史』の感動場面としてエピソードが伝えられている。

「いつもと同じ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったかのように進入してきた。機関士も助士も、たしかに乗っていて、いつものように助役からタブレットの輪を受けとっていた。機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが、と私は思った。昭和20年8月15日という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである」

 戦争が終わっても汽車は動いていた。同じように楽器は本堂に鳴り響いていた。世の大筋とは無関係に営みがなされていた。
 戦中も戦後も、バンド部隊の楽器は途切れることなく鳴らされ続けていた。この技量の保持が彼らバンドを大きく開花させる。

(三)
 洗馬駅での別れが哀しい。

 昭和二十年十一月一日。疎開してから十五ヵ月、洗馬で八ヵ月、帰京する日がやってきた。日はすでに暮れた午後十時、闇の中に数々の提灯がゆれる。高等科の生徒が洗馬駅まで疎開時土を見送った。寒空の下、互いに涙をにじませて……『洗馬小百年誌』 
 
 汽笛が鳴った。山間これがこだまする。ガッシャン、ゴックン、列車はシャックリを一つして動きだす。一斉に提灯が揺れる。誰からともなく歌をうたいだす。

 「みんな明るい私も僕も 森の小鳥がチロチロ鳴いて」明るい歌だが、歌えば涙が出てくる。村の子どももそれを追って合唱する。が、歌は互いに引き離されていく。そして、洗馬駅には静寂に満ちた。テールランプが消えて彼らはいなくなった。

(四)
 リッッチャチャ、ツッチャッタ、タンツク、テントン、クッカッ、米軍中央病院(接収された聖路加病院)の一階ロビーにミドリバンドの歌が鳴り響いた。アコーデオン、木琴、ハーモニカを中心とした楽隊が切れ味するどい演奏をする。
 松葉杖をついた兵士、青い目の看護婦、金髪の大佐、彼らは小さな楽団に驚きの目を向ける。アメリカンメドレーになって、星条旗よ永遠にが演奏される。すると、全員立ち上がって胸に手を置く。車椅子の人まで立ち上がる。

 演奏が終わると拍手が鳴りやまない。気づくと病院中の人たちが集まっていた。
 この演奏が契機になってミドリバンドはアニーパイル劇場でデビューすることになる。
一人の教師の音楽に対する熱意、これが戦火を潜り抜けて花開いた。
 この壮大なストーリーは書き残しておきたい。来夏には刊行したい。
(写真は、いずれも洗馬の真正寺、山梨県笛吹市矢花克己氏提供によるもの)


rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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