2015年07月31日
下北沢X物語(2848)〜会報第109号「北沢川文化遺産保存の会」〜
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「北沢川文化遺産保存の会」会報 第109号
準公式ブログ: http://blog.livedoor.jp/rail777/
2015年8月1日発行(毎月1回発行)
会長 長井 邦雄(信濃屋)
事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
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1、戦後70年記念戦争記録集−北沢川文化遺産保存の会紀要4号の発行
戦後七十年となる八月十五日がめぐってくる。我等の会も発足して今年は十一年目を迎える。近隣の文化を掘り起こしこれを文学碑、地図、冊子、ネットなどに記録してきた。その量は膨大なものになる。
この蓄積してきた記録がネットワークを通して遠くへ繋がった。そして近代戦争史の秘められたエピソードが掘り起こされた。
このところ毎年、研究紀要を発行してきた。今度は第4号となる。これについては戦後70年を迎えることから、「戦後70年記念戦争記録集」を発行しようと思い立った。現在これを書きまとめている最中である。一応、もくじとしてつぎのようにしたいと計画している。
・序 八回に亘る戦争経験を開いてきて学んだこと
・鉛筆部隊と特攻隊−郷福寺学寮歌が切り開いた戦争近代−
・ 駒沢高射砲陣地についての証言 (内藤悌三氏)
・特攻隊(武揚隊)の愛唱歌蘇る〜「淺間温泉望郷の歌」〜
・三好達治文学顕彰碑建立の祝辞
・編輯後記
序については、年来、戦争経験を開いてきたことから、ここで我々が学んだことを伝えとしてまとめた。これを箇条書きにしてある。一例だ。
一つ、戦争は、始まったら終わらない、殺し合いがいつまでも いつまでも続く。
得がたい教訓である。権勢が始めた戦争は、主にはメンツや体裁にこだわる。一旦振り上げた拳は下ろせない。先の大戦がいい例である。負けが込んで兵士や国民にどんどん犠牲者が増えているのに「国体の護持」をどう守るか、人の命など二の次。そしてまたその責任は曖昧にして戦争指導者の追及は行わない。
「鉛筆部隊と特攻隊」
この物語の発端は、代沢国民学校の疎開学童が寄宿先の郷福寺で歌っていた学寮歌に始まる。ネットを通してつぎからつぎへと人に繋がっていき、その過程において近代戦争史の知られざる一ページが開かれていった。
具体的には武剋隊や武揚隊を初めとする沖縄特攻の戦闘機が多数飛来して来たことである。このときに松本浅間温泉には世田谷区から七校の国民学校が疎開してきていた。このうち彼らとふれあいを持ったのは代沢、東大原、駒繋、山崎、二子玉川である。
我等の社会は縦系列である。一校一校の疎開経験は縦系列で留まっていた。が、ネットに端を発した情報発掘は、この学校という領域を超えていった。一校一校の疎開での情報をつなげるとそこに思いがけない真実が眠っていた。一つは浅間温泉には昭和二十年二月から三月にかけて数多くの特攻兵たちが滞在していた。もう一つは、各校では様々な形での彼らとの交流がなされていた。当地から出撃した特攻機の操縦席には疎開学童が作った人形が飾られていたことは知るよしもなかった。
この物語は、新しい時代の新しい関係を構築した。ネットがもたらしたものだ。寮歌探しは意外な結末で解決をみた。山梨県笛吹市の矢花克己さんが偶然手にいれた手紙の中にこの楽譜があった。またつぎの段階において疎開学童がふれ合っていた武揚隊の遺墨がこれもネットを通して情報がもたらされた。安曇野在住の丸山修さんからだ。それには隊員の多くがサインを遺していて彼らの滞在が具体的に証明された。
『鉛筆部隊と特攻隊』は、NHKラジオ深夜便を通しても、全国に発信された。情報提供を呼びかけたところ多くこれが寄せられた。その中には二子玉川国民学校疎開女児と特攻兵とのもの悲しい物語も発見された。
現地情報も生々しいものがあった。当時、松本飛行場に動員された松本一中生徒、その彼らに証言を聞き得た。格納庫にあったのは油まみれの古着の山があった。沖縄戦に関わった地上部隊の奮戦、努力の跡だった。細部の真実が飛行場が沖縄戦の重要な後方支援基地だったことを証明している。また、飛行場近くの神林国民学校の学童だった藤牧和彦さんからは開港当時の様子を詳しく聞いた。これを載せてある。
鉄道交点の物語が発端となって近代戦争史の隠れた事実をあぶりだした。
「駒沢高射砲陣地」
これも偶然ネットを通して得られた情報だ。ここの隊長をしておられた内藤悌三さんが存命で証言をしていただけるとのこと。それで長野県八千穂町まで行ってこれを聴いてきた。この陣地については存在したということについては資料には散見された。が、具体的な実情については資料はなかった。今回、内藤悌三さんの証言を記録的に価値の高いものとして載せた。
「淺間温泉望郷の歌」
誠第三十二飛行隊・武揚隊は出撃前、淺間温泉富貴之湯に滞在していた。出撃前夜壮行会で彼らが歌ったうたを覚えている人がいた。東大原小の秋元佳子さんである。一晩にして消えていく命であった彼らの歌が、作曲家 明石隼汰さんの手によって蘇った。今年、5月23日に開催された「第八回戦争経験を聴く会・語る会」で発表された。そのときの様子は夜の8時のNHKニュースでも流された。
この歌の再現過程を記録にして今回は紀要に書きしるした。
「三好達治文学顕彰碑建立の祝辞」
昨年、三好達治文学顕彰碑を建てた。そのときに祝辞を述べた。記録としても必要だと思いここに載せた。なお、このときに三好家からお礼を戴いた。使い道についてはやはり我ら文化遺産の会は、社会還元をする方が一番だと思って、これを紀要発行費用に充てることにした。
なお、紀要については定価をつけての販売はしない。が、できれば来年も第五号を発行したい。そのためには資金が必要である。このことからできれば一冊につき300円の志を戴こうと考えている。
2、私鉄沿線になぜ踏切地蔵は多いか
かつては私鉄線沿線には至る所に踏切地蔵があった。これは踏切で亡くなった子どもの霊を慰めるためである。なぜこれが多くあったか。それを証拠立てるものがある。
当会のきむらたかし氏が一つの小さな記事に目を留め、送ってこられた。『時事新報 』1935.2.17(昭和10)に掲載されたものだ。見出しは、「私鉄の踏切全部に遮断機警報器設置を強制」−会社まかせでは埒あかず警視庁いよいよ奮起−
二月に入って既に即死三名、重傷一名を出した小田急電車に対し警視庁交通課ではその頻繁な事故に就き十五日警告を発したが、最近京浜、京成両電車を筆頭に交通事故が頻発し、就中轢死者が激増したので交通課々員が数日前から管内私鉄沿線、踏切等を厳重検査した結果、この頻繁なる事故は交通稀なる場所に多く、又新設道路の踏切に何等の設備が無いのが多いのに鑑み、交通課では鉄道省令中「軌道運転信号保安規程」の第五条新設軌道における交通頻繁にして遠方より展望する事能わざる踏切其他必要なる踏切道には車輛運転中番人を置きこれを監視せしむべし(後略)の条文中「必要なる踏切道」は私鉄側の見解により決定せられたものであるが、此度は警視庁の手で「必要なる踏切道」を広範囲に「通行人ある踏切」を全部必要視し管内全踏切に遮断機又は警報器を強制的に設けさすべく近日中に私鉄経営者の出頭を命じ一年間に全部設備する様云い渡す事となった、右に就き今井交通課長は語る
「以前から考えて居たが愈々実行に移す事となった、京浜などは時に踏切が多く至急には行くまいが是非管内の全踏切の遮断設備をここ一年間に完成したいものだ、尤も一般市民の不注意にも手を焼いている次第で、遮断機の下を潜る様な真似はやめて貰いたい」
私鉄電車線では踏切事故が頻発していた。が、遮断機や警報器を設置するには金が掛かる。儲からないから設けない。人の命よりも金儲けだ。遮断機のない踏切では大勢の子どもが犠牲になっている。昭和十年代私鉄網がどんどん整備されてはいくが遮断機はない。それで多くの犠牲が出た。なんら対策が講じられないことから、ついに、「会社まかせでは埒があかず警視庁いよいよ奮起」となった。地下化された下北沢2号踏み切り跡の「をまもり地蔵」も踏切地蔵だ。この保存の話は聞こえて来ない。この建立には当時一万五千人もの賛同者があった。近代化の歴史痕跡だ、後世に保存したいものだ。
3.都市物語を旅する会
私たちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地の文化を発見して楽しみながらぶらぶら歩いています。参加は自由です。 基本原則は、第三土曜日午後としています。第二週には、会員の希望によって特番を設けることがあります。
・第109回 9月19日(土)午後1時 蘆花公園駅改札前集合
・蘆花が歩いた道を歩く(三軒茶屋まで) 案内人 別宮通孝さん
世田谷文学館入館(200円)→蘆花恒春園→三軒茶屋
・第110回 10月17日(土)午後1時 四谷三丁目駅改札前集合
・鏡花、藤村、百�里鯤發� 案内人 松山信洋さん
松山さんは案内人初デビューである。期待したい。
・第111回 11月21日(土)午後1時 大井町線九品仏駅改札前集合
・奥沢城・深沢城・世田谷城を歩く。案内人 木村康伸さん
古道、旧道に沿って世田谷の城三つを巡る
・第112回 12月19日(土)午後1時 東北沢駅改札前集合
萩原朔太郎地形研究 案内人 きむらけん
朔太郎は東北沢、下北沢、代田に住んだ。東北沢はどこなのか分からない。が、一つの手掛かりはこのときに「山の湯」と思われる銭湯に朔太郎と葉子とが行っている。森厳寺川左岸から下北沢新屋敷の路地。そして最後の転居先の世田谷代田へたどることによって。街並みと詩人の関係を想像しながら探訪していく新しい視点での街歩きだ。
◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも500円
参加申し込みについて(必ず三日前まで連絡してください。資料部数と関連します)
電話の場合、 米澤邦頼 090−3501−7278
メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com FAX3718-6498
■ 編集後記
▲地域情報紙『セボネ』8月号に「世田谷の疎開児童と特攻隊の出会い」というタイトルの記事が載せられる。これは5月23日に下北沢東京都民教会で開催された『第8回戦争経験を聴く会、語る会』に参加した星野弥生さんが戦争特集としてまとめたものだ。世田谷区の公共施設でこの情報誌は無料配布される。
▲9月13日(日)14時(訂正)から長野県塩尻市郷原郷福寺で「戦後70周年記念講演会&コンサート」が開催される。講演の演題は「鉛筆部隊と特攻隊−郷福寺学寮の歌が切り開いた戦争近代」というもので、きむらけんが講演をする。なお、コンサートでは誠第三十二飛行隊・武揚隊が壮行会で歌ったうたがソプラノ歌手によって歌われる。
▲10月17日(土)2時から代田図書館主催「代田のダイダラボッチ」講演会予定。
▲16年に他団体との連携行事の計画を予定。品川用水を歩く、仙川高射砲陣地訪問など。
◎当会への連絡、お問い合わせは、編集、発行者のきむらけんへ aoisigunal@hotmail.com
会報のメール配信もしている。「北沢川文化遺産保存の会」は年会費1200円、入会金なし。会員へは会報を郵送している。事務局の世田谷「邪宗門」で入会を受け付けている。
明日八月一日開催
第1回
北沢川文化遺産保存の会研究大会
大会コンセプト 「北沢川流域の文化について」
共催 北沢川文化遺産保存の会 北沢小学校同窓会
北沢川文化遺産保存の会は、十年に亘り下北沢鉄道交点一帯の文化を調べたり、記録したりしてきた。その過程で温めてきた企画がある。文化に興味を持つ人が集まって情報を交換したり、発表したする場。スニーカーを履いて参加できる研究会を行うことだ。
今回、保存の会とは友好的な関係にある北沢小学校同窓会の協力を得てこの思いが実現することとなった。市民誰もが参加できる研究会だ。文化は知を耕やして面白がること、参加してみませんか?
・開催日時 8月1日1時30分より
・開場 13時
・場所 北沢小学校ランチルーム(定員50名)
・会費 資料代300円
北沢小学校 住所 〒155-0031 東京都世田谷区北沢4丁目32−30
研究発表の題と発表者
〇研究大会開催の趣旨 きむらけん 北沢川文化遺産保存の会
〇北沢小学区域の文化的変遷 長谷川 慎一氏 北小同窓会会長
〇池の上の海外植民学校 松原 征男氏 会員
〇三好達治の代田居住の意味 松山 信洋氏 会員
〇世田谷吉良氏の系譜 木村 康伸氏 会員
〇ポスターセッション 4人ほどが発表の予定
総合司会 及川園子氏 北沢小同窓会副会長

文化に興味ある方は誰でも参加可能です。おいでください。
「北沢川文化遺産保存の会」会報 第109号
準公式ブログ: http://blog.livedoor.jp/rail777/
2015年8月1日発行(毎月1回発行)
会長 長井 邦雄(信濃屋)
事務局:世田谷「邪宗門」(木曜定休) 155-0033世田谷区代田1-31-1 03-3410-7858
会報編集・発行人 きむらけん
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1、戦後70年記念戦争記録集−北沢川文化遺産保存の会紀要4号の発行
戦後七十年となる八月十五日がめぐってくる。我等の会も発足して今年は十一年目を迎える。近隣の文化を掘り起こしこれを文学碑、地図、冊子、ネットなどに記録してきた。その量は膨大なものになる。
この蓄積してきた記録がネットワークを通して遠くへ繋がった。そして近代戦争史の秘められたエピソードが掘り起こされた。
このところ毎年、研究紀要を発行してきた。今度は第4号となる。これについては戦後70年を迎えることから、「戦後70年記念戦争記録集」を発行しようと思い立った。現在これを書きまとめている最中である。一応、もくじとしてつぎのようにしたいと計画している。
・序 八回に亘る戦争経験を開いてきて学んだこと
・鉛筆部隊と特攻隊−郷福寺学寮歌が切り開いた戦争近代−
・ 駒沢高射砲陣地についての証言 (内藤悌三氏)
・特攻隊(武揚隊)の愛唱歌蘇る〜「淺間温泉望郷の歌」〜
・三好達治文学顕彰碑建立の祝辞
・編輯後記
序については、年来、戦争経験を開いてきたことから、ここで我々が学んだことを伝えとしてまとめた。これを箇条書きにしてある。一例だ。
一つ、戦争は、始まったら終わらない、殺し合いがいつまでも いつまでも続く。
得がたい教訓である。権勢が始めた戦争は、主にはメンツや体裁にこだわる。一旦振り上げた拳は下ろせない。先の大戦がいい例である。負けが込んで兵士や国民にどんどん犠牲者が増えているのに「国体の護持」をどう守るか、人の命など二の次。そしてまたその責任は曖昧にして戦争指導者の追及は行わない。
「鉛筆部隊と特攻隊」
この物語の発端は、代沢国民学校の疎開学童が寄宿先の郷福寺で歌っていた学寮歌に始まる。ネットを通してつぎからつぎへと人に繋がっていき、その過程において近代戦争史の知られざる一ページが開かれていった。
具体的には武剋隊や武揚隊を初めとする沖縄特攻の戦闘機が多数飛来して来たことである。このときに松本浅間温泉には世田谷区から七校の国民学校が疎開してきていた。このうち彼らとふれあいを持ったのは代沢、東大原、駒繋、山崎、二子玉川である。
我等の社会は縦系列である。一校一校の疎開経験は縦系列で留まっていた。が、ネットに端を発した情報発掘は、この学校という領域を超えていった。一校一校の疎開での情報をつなげるとそこに思いがけない真実が眠っていた。一つは浅間温泉には昭和二十年二月から三月にかけて数多くの特攻兵たちが滞在していた。もう一つは、各校では様々な形での彼らとの交流がなされていた。当地から出撃した特攻機の操縦席には疎開学童が作った人形が飾られていたことは知るよしもなかった。
この物語は、新しい時代の新しい関係を構築した。ネットがもたらしたものだ。寮歌探しは意外な結末で解決をみた。山梨県笛吹市の矢花克己さんが偶然手にいれた手紙の中にこの楽譜があった。またつぎの段階において疎開学童がふれ合っていた武揚隊の遺墨がこれもネットを通して情報がもたらされた。安曇野在住の丸山修さんからだ。それには隊員の多くがサインを遺していて彼らの滞在が具体的に証明された。
『鉛筆部隊と特攻隊』は、NHKラジオ深夜便を通しても、全国に発信された。情報提供を呼びかけたところ多くこれが寄せられた。その中には二子玉川国民学校疎開女児と特攻兵とのもの悲しい物語も発見された。
現地情報も生々しいものがあった。当時、松本飛行場に動員された松本一中生徒、その彼らに証言を聞き得た。格納庫にあったのは油まみれの古着の山があった。沖縄戦に関わった地上部隊の奮戦、努力の跡だった。細部の真実が飛行場が沖縄戦の重要な後方支援基地だったことを証明している。また、飛行場近くの神林国民学校の学童だった藤牧和彦さんからは開港当時の様子を詳しく聞いた。これを載せてある。
鉄道交点の物語が発端となって近代戦争史の隠れた事実をあぶりだした。
「駒沢高射砲陣地」
これも偶然ネットを通して得られた情報だ。ここの隊長をしておられた内藤悌三さんが存命で証言をしていただけるとのこと。それで長野県八千穂町まで行ってこれを聴いてきた。この陣地については存在したということについては資料には散見された。が、具体的な実情については資料はなかった。今回、内藤悌三さんの証言を記録的に価値の高いものとして載せた。
「淺間温泉望郷の歌」
誠第三十二飛行隊・武揚隊は出撃前、淺間温泉富貴之湯に滞在していた。出撃前夜壮行会で彼らが歌ったうたを覚えている人がいた。東大原小の秋元佳子さんである。一晩にして消えていく命であった彼らの歌が、作曲家 明石隼汰さんの手によって蘇った。今年、5月23日に開催された「第八回戦争経験を聴く会・語る会」で発表された。そのときの様子は夜の8時のNHKニュースでも流された。
この歌の再現過程を記録にして今回は紀要に書きしるした。
「三好達治文学顕彰碑建立の祝辞」
昨年、三好達治文学顕彰碑を建てた。そのときに祝辞を述べた。記録としても必要だと思いここに載せた。なお、このときに三好家からお礼を戴いた。使い道についてはやはり我ら文化遺産の会は、社会還元をする方が一番だと思って、これを紀要発行費用に充てることにした。
なお、紀要については定価をつけての販売はしない。が、できれば来年も第五号を発行したい。そのためには資金が必要である。このことからできれば一冊につき300円の志を戴こうと考えている。
2、私鉄沿線になぜ踏切地蔵は多いか
かつては私鉄線沿線には至る所に踏切地蔵があった。これは踏切で亡くなった子どもの霊を慰めるためである。なぜこれが多くあったか。それを証拠立てるものがある。
当会のきむらたかし氏が一つの小さな記事に目を留め、送ってこられた。『時事新報 』1935.2.17(昭和10)に掲載されたものだ。見出しは、「私鉄の踏切全部に遮断機警報器設置を強制」−会社まかせでは埒あかず警視庁いよいよ奮起−
二月に入って既に即死三名、重傷一名を出した小田急電車に対し警視庁交通課ではその頻繁な事故に就き十五日警告を発したが、最近京浜、京成両電車を筆頭に交通事故が頻発し、就中轢死者が激増したので交通課々員が数日前から管内私鉄沿線、踏切等を厳重検査した結果、この頻繁なる事故は交通稀なる場所に多く、又新設道路の踏切に何等の設備が無いのが多いのに鑑み、交通課では鉄道省令中「軌道運転信号保安規程」の第五条新設軌道における交通頻繁にして遠方より展望する事能わざる踏切其他必要なる踏切道には車輛運転中番人を置きこれを監視せしむべし(後略)の条文中「必要なる踏切道」は私鉄側の見解により決定せられたものであるが、此度は警視庁の手で「必要なる踏切道」を広範囲に「通行人ある踏切」を全部必要視し管内全踏切に遮断機又は警報器を強制的に設けさすべく近日中に私鉄経営者の出頭を命じ一年間に全部設備する様云い渡す事となった、右に就き今井交通課長は語る
「以前から考えて居たが愈々実行に移す事となった、京浜などは時に踏切が多く至急には行くまいが是非管内の全踏切の遮断設備をここ一年間に完成したいものだ、尤も一般市民の不注意にも手を焼いている次第で、遮断機の下を潜る様な真似はやめて貰いたい」
私鉄電車線では踏切事故が頻発していた。が、遮断機や警報器を設置するには金が掛かる。儲からないから設けない。人の命よりも金儲けだ。遮断機のない踏切では大勢の子どもが犠牲になっている。昭和十年代私鉄網がどんどん整備されてはいくが遮断機はない。それで多くの犠牲が出た。なんら対策が講じられないことから、ついに、「会社まかせでは埒があかず警視庁いよいよ奮起」となった。地下化された下北沢2号踏み切り跡の「をまもり地蔵」も踏切地蔵だ。この保存の話は聞こえて来ない。この建立には当時一万五千人もの賛同者があった。近代化の歴史痕跡だ、後世に保存したいものだ。
3.都市物語を旅する会
私たちは、毎月、歩く会を実施しています。個々の土地を実際に歩き、その土地の文化を発見して楽しみながらぶらぶら歩いています。参加は自由です。 基本原則は、第三土曜日午後としています。第二週には、会員の希望によって特番を設けることがあります。
・第109回 9月19日(土)午後1時 蘆花公園駅改札前集合
・蘆花が歩いた道を歩く(三軒茶屋まで) 案内人 別宮通孝さん
世田谷文学館入館(200円)→蘆花恒春園→三軒茶屋
・第110回 10月17日(土)午後1時 四谷三丁目駅改札前集合
・鏡花、藤村、百�里鯤發� 案内人 松山信洋さん
松山さんは案内人初デビューである。期待したい。
・第111回 11月21日(土)午後1時 大井町線九品仏駅改札前集合
・奥沢城・深沢城・世田谷城を歩く。案内人 木村康伸さん
古道、旧道に沿って世田谷の城三つを巡る
・第112回 12月19日(土)午後1時 東北沢駅改札前集合
萩原朔太郎地形研究 案内人 きむらけん
朔太郎は東北沢、下北沢、代田に住んだ。東北沢はどこなのか分からない。が、一つの手掛かりはこのときに「山の湯」と思われる銭湯に朔太郎と葉子とが行っている。森厳寺川左岸から下北沢新屋敷の路地。そして最後の転居先の世田谷代田へたどることによって。街並みと詩人の関係を想像しながら探訪していく新しい視点での街歩きだ。
◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも500円
参加申し込みについて(必ず三日前まで連絡してください。資料部数と関連します)
電話の場合、 米澤邦頼 090−3501−7278
メールの場合 きむらけん aoisigunal@hotmail.com FAX3718-6498
■ 編集後記
▲地域情報紙『セボネ』8月号に「世田谷の疎開児童と特攻隊の出会い」というタイトルの記事が載せられる。これは5月23日に下北沢東京都民教会で開催された『第8回戦争経験を聴く会、語る会』に参加した星野弥生さんが戦争特集としてまとめたものだ。世田谷区の公共施設でこの情報誌は無料配布される。
▲9月13日(日)14時(訂正)から長野県塩尻市郷原郷福寺で「戦後70周年記念講演会&コンサート」が開催される。講演の演題は「鉛筆部隊と特攻隊−郷福寺学寮の歌が切り開いた戦争近代」というもので、きむらけんが講演をする。なお、コンサートでは誠第三十二飛行隊・武揚隊が壮行会で歌ったうたがソプラノ歌手によって歌われる。
▲10月17日(土)2時から代田図書館主催「代田のダイダラボッチ」講演会予定。
▲16年に他団体との連携行事の計画を予定。品川用水を歩く、仙川高射砲陣地訪問など。
◎当会への連絡、お問い合わせは、編集、発行者のきむらけんへ aoisigunal@hotmail.com
会報のメール配信もしている。「北沢川文化遺産保存の会」は年会費1200円、入会金なし。会員へは会報を郵送している。事務局の世田谷「邪宗門」で入会を受け付けている。
明日八月一日開催
第1回
北沢川文化遺産保存の会研究大会
大会コンセプト 「北沢川流域の文化について」
共催 北沢川文化遺産保存の会 北沢小学校同窓会
北沢川文化遺産保存の会は、十年に亘り下北沢鉄道交点一帯の文化を調べたり、記録したりしてきた。その過程で温めてきた企画がある。文化に興味を持つ人が集まって情報を交換したり、発表したする場。スニーカーを履いて参加できる研究会を行うことだ。
今回、保存の会とは友好的な関係にある北沢小学校同窓会の協力を得てこの思いが実現することとなった。市民誰もが参加できる研究会だ。文化は知を耕やして面白がること、参加してみませんか?
・開催日時 8月1日1時30分より
・開場 13時
・場所 北沢小学校ランチルーム(定員50名)
・会費 資料代300円
北沢小学校 住所 〒155-0031 東京都世田谷区北沢4丁目32−30
研究発表の題と発表者
〇研究大会開催の趣旨 きむらけん 北沢川文化遺産保存の会
〇北沢小学区域の文化的変遷 長谷川 慎一氏 北小同窓会会長
〇池の上の海外植民学校 松原 征男氏 会員
〇三好達治の代田居住の意味 松山 信洋氏 会員
〇世田谷吉良氏の系譜 木村 康伸氏 会員
〇ポスターセッション 4人ほどが発表の予定
総合司会 及川園子氏 北沢小同窓会副会長

文化に興味ある方は誰でも参加可能です。おいでください。



















