2016年09月10日

下北沢X物語(3114)〜誰か「蒼い海の物語」を知らないか?〜

13jpg(一)手元に珍しいプログラムがある。1950年(昭和25年)5月10日(火)に開かれた音楽コンサートのプログラムである。場所はWanright Hall、ウェンライトホールである。調べるとこのホールは今も存在する。銀座の教文館ビルは有名だ。ここの九階にあった。今も貸しホールとして営業中である。戦後銀座の焼け残ったビルは米軍によって接収された。この教文館ビルはタイム・ライフ社が使っていた。この上にあるホールは、ウェンライト・ホールと名づけられ、米軍の関係者が使っていたようだ。

 ウェンライトは人名に違いない。米国陸軍大将、 ジョナサン・ウェインライトからとったものだろう。戦中ではダグラス・マッカーサーを補佐していたようだ。日本の降伏直後に彼は大将に昇進した。戦後接収米軍が教文館ビルのホールをWanright Hallと名づけ、それがそのまま今も使われているのだろう。

 コンサートのプログラムは、『ミドリ楽団物語』を書いているときに片山淳子さんから頂いたものである。彼女は「ミドリ楽団」の指導者浜館菊雄先生のお嬢さんである。

 このプログラムの表紙には、「Sayonara」と記されている。片山さんから頂いたメモには、「騎兵第八旅団夫人クラブ主催」とある。が、米軍の第八軍はあるが第八旅団というのはみつからない。東京に進駐してきて名を馳せたのは第一騎兵師団である。

 小田急線下北沢二号踏切側で無蓋車に乗って進駐していく米兵を目撃した人がいる。手に手に銃を持っていたという。その彼らの袖には馬をあしらったワッペンが縫い付けられていたf。第一騎兵師団だ。敗戦後、東京および横浜に進駐してきたのがこの師団である。音楽会の主催は「Women`s Club」とある。騎兵師団夫人クラブ主催であったようだ。

 このコンサートのプログラム冒頭には次のようにある。

Concert by The Daizaw School Chidren's Band

 代沢小「ミドリ楽団」がこの日、ウェンライト・ホールでコンサートを行った。出席者は全員が女性だったという。将校級の奥さんの集まりだった。



(二)
「Sayonara」とあることからお別れ会だったと考えられる。昭和二十五年だ。占領が始まった当初は数多くの兵がいたがこの二十五年を境に復員が進んだ。任期を終えた騎兵夫人クラブのとある女性が本国に帰ることになった。そのお別れ会が開かれたのだろう。

まず、プログラムの第一番だ。

1.Fantasia:Tale of the Blue Sea…composed by k..Hamadate―Band Leader

 日本名、「蒼い海の物語」である。作曲者名も記されている。バンド・リーダーの浜館菊雄先生である。

 この「蒼い海の物語」は、「ミドリ楽団」を調べる過程でよく耳にした。バンドの十八番だったようだ。ところがこの楽譜は残っていない。鉛筆部隊の鳴瀬速夫さんが曲の印象を覚えていた。
「軽快な曲で、ワルツの三拍子でシュトラウス風でした」
 鳴瀬さんは浅間温泉では浜館先生指導する浅間楽団に入っていた。疎開時代からあった曲である。この時に歌われていた『代沢浅間学園の歌』は加藤景さんが覚えていた。彼には思い出深い曲だった。ハーモニカで懸命に練習してやっと吹けるようになった。その思い出を確かなものにしようと一つ一つ符を起こし再現した。

 私たちの活動は消えた楽曲を掘り起こしてきた。まずが鉛筆部隊学寮歌、「聖が丘学寮の歌」であり、特攻隊送別会での最後の歌「浅間温泉望郷の歌」であり、そして、「浅間学園学寮の歌」、「真正学寮の歌」である。後者二つは、「ミドリ楽団物語」には楽譜を記録として載せたことだ。

 『蒼い海の物語』も今これを記憶に宿しているいるとすれば、蘇る可能性がある。インターネットでは、『ミドリ楽団』のSPレコードはないか?と問い掛けている。ここでも問い掛けたい。

『蒼い海の物語』のメロディを覚えている人はいないだろうか?

 蘇らせせてコンサートを開きたいものだ。浜館菊雄作曲「代沢浅間学園の歌」、「真正寺学寮歌」は多くの人の努力によって蘇った。加えてこの「蒼い海の物語」も蘇らせたい。今年は浜館菊雄先生の23回忌に当たるそうだ。

 「ミドリ楽団」の関係者が集まって、みんなで記憶を寄せ集めて、曲を再現する。そして、これを合奏してみる、夢みたいな話だ。

(三)プログラムの二番目だ。

2。Xylophone Solo:Golden Wedding

 興味深い点が二つある、一つは曲目だ。「Golden Wedding」である。ミドリ楽団のプログラムはバンド・リーダーの浜館菊雄先生が計画する。音楽会ごとに固有性を打ち出す。例えば、アメリカン・スクールに行く場合、その学校の校歌を手に入れていて練習し、驚かすとか。

 敢えて、ゴールデン・ウェディングを持ってきたからには意図があったと見るべきだ。本国に帰られるご婦人が金婚式を迎えていた。と、するならそのご主人はかなりの年、階級は司令官級であったと考えられる。

もう一点は、シロフォンによる独唱だ。彼らの演奏についてはしばしば英字新聞が取り上げいる。アコーデオンプレイヤーの津野姉妹が図抜けて素晴しかったと書いてある新聞も残っている。「eight-old child」だったそうだ。この「Sayounara」のときには八歳で後に世界的なマリンバ奏者になった人がいる。あるいはこの独演は彼女だったのかもしれない。(「ミドリ楽団」の演奏技術の確かさを伝える英字新聞。資料は何れも片山淳子さんから得られたものだ)



rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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