2016年09月19日

下北沢X物語(3120)〜近代水道、渋谷町水道をゆく〜

17(一)鉄道の交差による利便性の高まりは町を繁華にする。一寒村渋谷に明治18年(1885)に南北に鉄道が貫通する、日本鉄道だ。つぎに明治40年には西から玉川電鉄が、明治44年には東から東京市電がやってきて十字クロスの鉄道が完成し、谷底の渋谷は急速に発展していく。渋谷道玄坂の夜店は人で溢れるほどに賑わった。『放浪記』には林芙美子がここで「二十銭均一」のメリヤスの猿股を売った、大正12年4月のことだ。繁華になればなるほど人の口は増える。人が生きるには「水」が必要だ。この当時の渋谷町は、これを確保するために単独で水道事業を興す。多摩川から取水し、渋谷まで送った。この完成が大正13年のことだ。東京の一つの町が水道事業を興す、繁栄あらばこそだ。このシンボルが今も残る駒沢給水塔である。高さは30メートルこれが二基聳え建っている。あの当時の渋谷の賑わいの象徴でもある。


「この間、ニュースになりました。駅の乗降客数で渋谷は新宿、池袋に次いで三番目に多い、この三位は定位置だった。ところが、これが五位に転落したとのこと。『原因としては、東急東横線の渋谷駅が地下化され、東京メトロ副都心線と相互乗り入れし、地上駅のJRに乗り換える客が減少したためであるとされ』ています。が、地下化によってますます不便になり、迷路化した。通過客の問題ではない、渋谷の魅力が薄れたのではないか。かつては単独で町営水道を興すほどに賑わった街、その街がさまよい初めています。我らは、街の歴史の痕跡を探して歩く、それで渋谷町水道跡を歩きます。案内人は駒沢給水塔保存の会の新庄靖弘さんです……」
 今度の街歩きで、第120回となる。9月17日に実施した。タイトルは「駒沢給水塔の水道を歩く」だ。

 田園都市線桜新町に集まった我々は、ここから取水口の「砧下浄水場」まで歩いた。途中、地形の難所がある。国分寺崖線である、取水した水を段丘上にあげる必要がある。これを越すために長さ120メートルのトンネルを掘った。今もアーチ型の石組みの岡本隧道が残っている。
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 水道水を通すための隧道を掘った。高さ二メートル、幅二、五メートルと聞いていた。この隧道へのイメージがあった。他の人もそれは同じだった。国分寺崖線のトンネルを豊かな水がとうとうと流れている様を。しかし、それは間違いであることが分かった。フィールドワークは足で実際を確かめるものである。行ってみて分かることが多い。




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(二)
 このところ、水路、水道については関心が深い。代官山ステキ総研主催で、21日に研究会が行われる。<320年間、代官山エリアを流れていた三田用水の概要>というのがテーマだ。歴史は、きむらたかしさんが語る。自身も話すことになっている、メインは彼である。私はきままに話せばよい。しかし、三田用水研究の第一人者も参加されると聞いている。観点、視点、これは工夫して臨まなくてはならない…

 本を読んだり、資料を調べたりして、玉川上水や三田用水への想像力を高めている。自身の攻め口としては文学ではないかと思っている。水路や上水は人間的である。流れが目に見えることは安心である。

 古代水路と近代水路は、大きな違いがある。我々が生活していく上で大事なものは、電気であり、水道だ。

 最初に電気が点いた時は感動だ。どこぞでは初めて電気が点りました。数十年前は、映画ニュースでこれをやっていた。ローソクの光が消されて、暗くなる、が、それも一瞬だ、電気が点るとこうこうと部屋が明るくなる。爺さんや婆さん、おとうにおっかあ、そして何人もの子どもが灯りの下で喜んでいる姿が映し出された。
 
 電気が最初に点った瞬間の驚きは想像できる、ところが、蛇口から初めて水が出たときの感動は想像し難い。「あんね、銅管の蛇口から水が出てきたの!」と。「あれは手品だわよ、おやっさんが金の棒の先っぽのネジをひねったとたん、鉄管から水がほとばしって出てきたの、びっくりだわ」というのもあったか。最初に水道を通して得られた水というのは何だか、地味だ。

(三)
「ほら、ずっと向こうまで水道ですよ。まっすぐでしょう…」
 指さされたその水道路を眺める。確かにずっと向こうまでまっすぐに道がある。
「まっすぐですね」
「うん、まっすぐだね」

「なるほどね、設計図を線で引いているんだ…これは机上でできるわけなんだ…」
 自分では用水のことが念頭にあった。玉川上水や三田用水は直線ではない、曲線だ。机上ではできない、現場へ行って確認する、あっちが高い、こっちが高い。
 「線香・提灯測量」と言われているものだ。線香を焚いたり、提灯を点したりする、そして「此ノ水路ノ高低ヲ量ルニハ、専ラ夜ヲモテ業ヲナセリ…」
 
 水道揚水はポンプだ、ところが用水は自然流水だ。微傾斜を探し当ててそこに水を流す、とてつもない苦難が思われた。
(上、街歩き恒例、記念写真、岡本神社前で、下、出発はさざえさんがシンボルとなっている桜新町だ。いずれも別宮通孝さん撮影)

○朝井閑右衛門展のご案内。

 三好和子さんからのご案内である。この朝井画伯は、三好達治が世田谷代田に住んでいるときに、肖像画を描いたとのこと。



rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

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