2016年12月04日
下北沢X物語(3171)〜歌おう、踊ろう「ダイダラボッチ音頭」〜
(一)場の固有性こそは文化である。清水博子は「小田急線と井の頭線が交差するひしゃげた座標軸が、頭蓋骨をじわじわとしめつけてくる」(『街の座標』)と土地の霊力を見事に捉えている。ひしゃげた座標軸の片方は地下化した。しかし、当地には吉増剛増いうように次元の穴が至るところにぽかすか空いている。Xは不可視化したがこっそりと心象シンボルとなっていまだにひしゃげた座標軸は街に埋まっている。これを鎮めるためには土地に潜むものをあがめて踊りを踊る、すれば地は鎮められ、人も心の安定を得て気持ちよくなる。その踊りこそは、『ダイダラボッチ音頭』である。昨夕、我々は「ひしゃげた座標軸」のすぐそば北沢タウンホールで、初めてこの踊りを踊った、すると何と不思議体のあくが抜けていくような爽快感を覚えた。
気づいてみたら我らの会、「北沢川文化遺産保存の会」はこの十二月で十二周年を迎えていた。昨日、忘年会を開催して節目を楽しんだ。

この十二年間は何だったのか、会が始まる冒頭で私は話をした。「情報の集積」ではなかったか?と指摘した。我らの会は、北沢・代沢・代田に潜む文化を掘り起こして記録している。これを活動の原点にしてきた。この十数年間、一帯に眠っている臭いや音や色、五官に訴えるものも含めてこれらを渉猟してきた。

「ぎゃ、ぎゅ、ぎょ」という音もそうだ。
深夜小田急の砂利運び貨物列車が世田谷代田からの25パーミルの坂を下ってくる。すると貨物が重みで軋んでこんな音を立てる。沿線の家々は揺れた。このときに音が聞こえてきた。
「私はね、びっくりしましたよ。まさにあの音ですよ、それが書かれているのを見てびっくりしましたよ」
黄金井達夫さんが言っていた。『下北沢X惜別物語』に私はそう書いていた。
音もあれば臭いもある、そう小田急下北沢三号踏切あたりにも往事強烈な臭いがただよっていた。
「そうだ、あそこの近くにメンマ工場があったよ」
臭いや音の記憶は人々を過去へ誘う。
「そうそこの築堤の土手上でのことだった後ろから電車が追突してきて、ものすごい音がした。けが人が一杯出てそこらじゅう転がされていた。おれはあれ以来シャケが食えなくなった」
土地固有の物語だ。が、その築堤も踏切ももうなくなった。
(二)
『ダイダラボッチ音頭』の振り付けをしてくれたのは石坂悦子さんだ。忘年会や納涼会の冒頭で、「会歌合唱」といってダイダラボッチの歌をうたってきた。
「ダイダラボッチ」は音の伝承である。遙か昔に生まれた言葉が今に息づいている。長い間これが伝承されてきた。ここには秘密が隠されていることだ。
人々が共有していたり、作りあげたりしていた文化は、永く続いていてほしいと思うものだ。その祖先の思いがこの「ダイダラボッチ」には籠もっている。不思議なことにこれを連呼すれば歌ができリズムができることだ。
この短い言葉を通して、我らは古代人の心のざわめきを感じる。「ダイダラボッチ、ダイダラボッチ」と歌うと、すると地下からこれに呼応するように「ダイダラボッチ、ダイダラボッチ」とかすかに聞こえてくる。古代人がうめいて呼応してくるのだ。
柳田国男は代田橋をダイダラボッチが架けたということに対して「巨人の偉績としては甚だ振はぬものである」とのべている。そうだ、あんな小さな橋じゃあかわいそうだ。もっとスケールがでかくないと。男体山と浅間山頂きに棹を渡して、そこに巨人のふんどしをかける。赤城おろしが吹いて巨人のふんどし、ひらりひらりとはためく。このようにスケールがでかくないと面白くない。
ダイダラボッチ伝説にはイマジネーションの愉しさがある。
このダイダラボッチ音頭、ユーチューブにアップしているが今日で再生回数1042回である。すばらしいのは、口コミでこのおもしろさが伝わっていることだ。これもダイダラボッチ様の大いなる力である。
「今度の夏の盆踊りではこの音頭を下北沢で踊ってみようと思います」
石坂悦子さんが言う。
「ぜひ踊ってください。参加しますから」
(三)
石坂悦子さんが振り付けをした。彼女お琴の先生だ。基本リズム感が我ら素人と違う。
「西郷輝彦の『星のフラメンコ』のバックダンサーをやっていました」
これは大受けにうけた。
今回は、北沢四丁目の主、長老の三十尾生彦さんが参加された。乾杯の音頭を取っていだだいた。またマジックは肩を痛くしていたという作道明さん熟達の技が会場をわかせた。
山梨から参加の矢花克己さんが初めてハモニカ演奏を披露した。彼の伴奏で私は「真正寺学寮歌」を歌ったことだ。(上、ダイダラボッチ音頭を踊る場面、下、信濃屋特製お弁当)。踊りをおどる、三十尾生彦さんからの写真もまざっている)
『ダイダラボッチ音頭』の振り付けをしてくれたのは石坂悦子さんだ。忘年会や納涼会の冒頭で、「会歌合唱」といってダイダラボッチの歌をうたってきた。
「ダイダラボッチ」は音の伝承である。遙か昔に生まれた言葉が今に息づいている。長い間これが伝承されてきた。ここには秘密が隠されていることだ。
人々が共有していたり、作りあげたりしていた文化は、永く続いていてほしいと思うものだ。その祖先の思いがこの「ダイダラボッチ」には籠もっている。不思議なことにこれを連呼すれば歌ができリズムができることだ。
この短い言葉を通して、我らは古代人の心のざわめきを感じる。「ダイダラボッチ、ダイダラボッチ」と歌うと、すると地下からこれに呼応するように「ダイダラボッチ、ダイダラボッチ」とかすかに聞こえてくる。古代人がうめいて呼応してくるのだ。
柳田国男は代田橋をダイダラボッチが架けたということに対して「巨人の偉績としては甚だ振はぬものである」とのべている。そうだ、あんな小さな橋じゃあかわいそうだ。もっとスケールがでかくないと。男体山と浅間山頂きに棹を渡して、そこに巨人のふんどしをかける。赤城おろしが吹いて巨人のふんどし、ひらりひらりとはためく。このようにスケールがでかくないと面白くない。
ダイダラボッチ伝説にはイマジネーションの愉しさがある。
このダイダラボッチ音頭、ユーチューブにアップしているが今日で再生回数1042回である。すばらしいのは、口コミでこのおもしろさが伝わっていることだ。これもダイダラボッチ様の大いなる力である。
「今度の夏の盆踊りではこの音頭を下北沢で踊ってみようと思います」
石坂悦子さんが言う。
「ぜひ踊ってください。参加しますから」
(三)
石坂悦子さんが振り付けをした。彼女お琴の先生だ。基本リズム感が我ら素人と違う。
「西郷輝彦の『星のフラメンコ』のバックダンサーをやっていました」
これは大受けにうけた。
今回は、北沢四丁目の主、長老の三十尾生彦さんが参加された。乾杯の音頭を取っていだだいた。またマジックは肩を痛くしていたという作道明さん熟達の技が会場をわかせた。
山梨から参加の矢花克己さんが初めてハモニカ演奏を披露した。彼の伴奏で私は「真正寺学寮歌」を歌ったことだ。(上、ダイダラボッチ音頭を踊る場面、下、信濃屋特製お弁当)。踊りをおどる、三十尾生彦さんからの写真もまざっている)



















