2016年12月06日
下北沢X物語(3172)〜歌おう、踊ろう「ダイダラボッチ音頭」�供�
(一)創設12年は何だったのか?一言で言えば「軌縁」である。自身が進み行く道を軌道敷が塞いだことが文士町を探訪するきっかけとなった。茶沢通り、東北沢4号踏切である。自転車通勤途中にここで何度も足止めを喰らった。待っていてはもったいない、近隣をぐるぐる回った。沢があり、谷があり、路地があり、そして数多くの踏切があった。踏切には霊魂が、路地の奥には朔太郎の影が想像された。おもしろい!軌道というのは線路のことだ。これが交差してあることでドラマが生まれた。言えば、「さようなら」の方向が四つある。四方向から来られる、逃げられる、その便利さは命だった。いつも思い出すのは田中英光のことだ。下北沢駅北口の屋台で水上勉と焼酎を飲んでいた。ところが、「四十がらみの親父さんと英光さんに意見の食い違いが生じた」(『私版 東京図絵』水上勉)、この内容は分からない。「酒が薄いのではないか?」、「いやそんなことはない」と親父、そんなことに原因があったのではないか。田中英光は水上勉に目配せした。駅の方に気を配る、電車の音に注意を向ける、「ぱひゅん!」とタイフォンが聞こえてきた。上り電車の接近だ。やがて世田谷代田方向から下ってきたヘッドライトが見えてきた。
「よし!」
元オリンピック選手急に「カウンターの板を両手で持ち上げると、車ごと屋台が傾いた。
六尺男の大力だった」(同上)一升瓶がガリ、バリと割れる音、そのとたん二人は駈けた。そして木造跨線橋を一気に駆け上り、そして改札を抜けてホームに出た。そこへやってきた上り新宿行に乗り込んだ。笛が鳴ってドアが閉まり、電車は動きだす。これも軌道物語である。何れにも容易に逃げやすい。
この駅前辺りでは、軌縁物語が幾つも転がっている。「マコト」もその一つだ。この店の名を教えてくださったのは松林宗恵監督である。「ここにあった」とその場所まで教えてもらっていた。が、その証言だけで裏が取れなかった。が、「マコト」は「誠」だった。本当にあったのだ。そして今回また、偶然、会に参加されていた古老三十尾生彦さんからまたこのマコトの逸話がこぼれ出てきた。
(二)
以下は、古老の話だ。
東宝の撮影所の面々がたむろする、格好の処が下北沢駅北口前にあった“喫茶店マコト”だ。ニューフェースから監督までここでとぐろを巻いていいた。コーヒーからウイスキーまでなんでもありだ。大概のオーダーはイケメンマスターが裏口から消え闇市で仕入れてきて提供してくれた。
この店には時々掃き溜めのツル、チーちゃんというかわいい客がきた。池辺良や監督の谷口千吉さんなどがこの子に熱を上げた。ここのマダムのサポートもあり監督が彼女を獲得して皆を落胆させた。
私はナイトで八幡湯裏のそばのダンス教室のインストラクターをやっていたが、此処で見つけたのが私のワイフだ 美人ではないがキユートな娘で夢中になった。マコトの常連で振付師の武田さんから誘われて新橋の高級クラブA1のダンス助教になった。
しかし所帯を持つにはいかにも不適当なシゴトだから向こうの親がOKしない 何処の馬の骨かわからぬ奴の娘はやれない。けんもほろろ私はカタギならいいのだろうと奮発して商工省に潜り込んだ 家内を親から強奪し以来70年近く一穴主義でやってきた。
マコトの話は、マコトだ。多くの映画監督がここに集まってきていた。撮影所での仕事はきつい。強烈な人工光線が俳優やセットを照らす。大きなストレスだったらしい。撮影が終わって灯りを消す、天井の明かりが消えると本当に安堵したという。
「マコトに行こうや」
誰からともなく声が掛かる。当時、本物の珈琲を飲ませる店はない。マコトは闇で仕入れた珈琲を飲ませてくれた。渋くて苦くて甘い、これを飲むと心底疲れが取れたと。
(三)
「東宝の本社いくときとかは下北沢で乗り換えて行っていたから下りてコーヒーを飲むというのは自然だった」
松林監督の話だ。やはり軌縁の話だ。
「下北沢には東宝の寮もあって、そこには大部屋女優などがいた」
女性のにおいも映画関係者を惹き付けるものであったろう。
(北沢タウンホールでの記念撮影、撮ったのは米澤邦頼さんだ)
以下は、古老の話だ。
東宝の撮影所の面々がたむろする、格好の処が下北沢駅北口前にあった“喫茶店マコト”だ。ニューフェースから監督までここでとぐろを巻いていいた。コーヒーからウイスキーまでなんでもありだ。大概のオーダーはイケメンマスターが裏口から消え闇市で仕入れてきて提供してくれた。
この店には時々掃き溜めのツル、チーちゃんというかわいい客がきた。池辺良や監督の谷口千吉さんなどがこの子に熱を上げた。ここのマダムのサポートもあり監督が彼女を獲得して皆を落胆させた。
私はナイトで八幡湯裏のそばのダンス教室のインストラクターをやっていたが、此処で見つけたのが私のワイフだ 美人ではないがキユートな娘で夢中になった。マコトの常連で振付師の武田さんから誘われて新橋の高級クラブA1のダンス助教になった。
しかし所帯を持つにはいかにも不適当なシゴトだから向こうの親がOKしない 何処の馬の骨かわからぬ奴の娘はやれない。けんもほろろ私はカタギならいいのだろうと奮発して商工省に潜り込んだ 家内を親から強奪し以来70年近く一穴主義でやってきた。
マコトの話は、マコトだ。多くの映画監督がここに集まってきていた。撮影所での仕事はきつい。強烈な人工光線が俳優やセットを照らす。大きなストレスだったらしい。撮影が終わって灯りを消す、天井の明かりが消えると本当に安堵したという。
「マコトに行こうや」
誰からともなく声が掛かる。当時、本物の珈琲を飲ませる店はない。マコトは闇で仕入れた珈琲を飲ませてくれた。渋くて苦くて甘い、これを飲むと心底疲れが取れたと。
(三)
「東宝の本社いくときとかは下北沢で乗り換えて行っていたから下りてコーヒーを飲むというのは自然だった」
松林監督の話だ。やはり軌縁の話だ。
「下北沢には東宝の寮もあって、そこには大部屋女優などがいた」
女性のにおいも映画関係者を惹き付けるものであったろう。
(北沢タウンホールでの記念撮影、撮ったのは米澤邦頼さんだ)



















