2016年12月16日
下北沢Ｘ物語(3179）〜洗足池空襲とB29�供�
（一）水面と木々の緑が眺められる場というのは安らぎを与える。東京西郊の洗足池は早くから別荘地として開発されたようだ。明治四十年に発表されたのは江見水蔭『蛇窪の踏切』だ。露代という女性がここを訪ねてくる。「あの娘は、洗足大池の、新しい別荘へ来た客人だ。何でも別荘の奥さんの妹とか云ふ事だァ」とある。そういう別荘群が昭和二十年五月二十五日の山手大空襲によって燃え上がった。セピアと、白の諧調の瀟洒な洋館の小林病院長のお宅も焼けた。正宗先生の裏の洋館の家も焼け、日本風の有田さんも焼けた。さくら山の真向かいの、あの辺りで一番大きい洋館も、黒猫の別荘と言われていた家も焼けたとのことであった。
『斜陽日記』 太田静子 小学館文庫 一九九八年刊
洗足大池のまわりには別荘群があった。しゃれた洋館が多かった。ここで食事に供されるのは味噌汁ではない、やはりスープが似合う。太宰治はこの「斜陽日記」のイメージを巧みに下敷きにしている。つとにしられた『斜陽』の冒頭だ。
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽かすかな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛？」
スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。
洗足池の別荘的生活の一端でもある。太宰の「斜陽」は没落していく人々を描いた太宰治の代表作と言われる。その書き出しだ。この場合は東京ではない、戦後東京での生活に見切りをつけ伊豆の別荘で暮らす。その一端である。この小説の全体の雰囲気は、「斜陽日記」そのままである。太宰治の感性と太田静子のそれとがうまくフィットしている。
「斜陽日記」には、こんな場面が出てくる。とある日の夕方、正宗白鳥の奥さんが言ったという。
「いまにわたしたち、みんな、木の根や草の根を、食べなくてはならなくなるんですって。」
「先生がそうおっしゃいましたの？」
「ええ。このまま戦争を続けて行ったら、来年のいまごｈら、私たちは、本当に、木の根が草の根をたべて、けもののように、この辺の草はらをうろついているでしょうって。」
この話を聞いて、太田静子はこう思ったという。
私は、ふと、早く、けものになって生きてみたいと思った。はだしになって、草の香りを嗅ぎながら、けものになって、生きる。静子は、けものになって生きられると思った。
本然と湧いてきた気持ちだ。けだものけものになって生きてみたい。放埓さ、何かほとばしる感情を持った女性のように思った。
（二）
「斜陽日記」というものは出版するに当たって編集者がつけたものと思われる。小説『斜陽』を前面に押し出したものだ。が、家族がどんどん増えていくのではなく、減っていく、家もまた焼けてしまう。 洗足池のそばにあった彼女の家も空襲に遭う。
私たちも、小さい戦災者であった。正宗先生の三階に預かっていただいたお布団や、椅子やテーブルを失った。洗足池の傍であの辺りは、庭や草地が多いので、まさか焼けることはないだろうと安心していた。その正宗先生の洋館に焼夷弾の雨が降って来て、庭の松の木は、花火のように燃えたとのことだった。
この空襲、「五月十五日の空襲のときであった。宮中の御戦災を伺って、ただならぬ悲しみに閉ざされた」とあるが、宮城が大きな被害を受けたのは、五月二十五日の空襲だった。
ただこの空襲の日付は、意図的に変えたものらしい。「三月十五日に、東京に大空襲があって、何万という死傷者が出た。それから、三月の終わりに硫黄島がおちた。」ともある。東京大空襲は三月十日だ。
太田静子は文学少女だ、それで太宰に憧れ三鷹に会いにいったことで関係ができてしまった。彼女の文学観、「文学って苦しみ。苦しい世界。虚構の世界。文学に救いはない。」と書いている。世の中に起こることは事実だが、それは虚構かもしれない。何か彼女なりの世界観があって、意図的に東京空襲や山手空襲の日付はわざと違う日にしたのか？
（三）
洗足空襲は五月二十五日のことだ。いわゆる山手空襲と言われる。
五月二十四日、二十五日の二晩に首都東京の息の根を止めるために大挙して重爆撃機B29が飛来してきた。一日目、５５８機、二日目４９８機で襲った。東京西部の空がこの飛行機で埋め尽くされた。後から後から湧くように巨大な爆撃機が現れた。
洗足池を襲ったのは第５８航空団だ。東京湾の南西から侵入してきてこの洗足池一帯に焼夷弾を落とした。このうちの一機が高射砲弾を受けて墜落した。
○地図は、きむらたかしさんからの情報提供だ。
「流れ弾みたいな落ち方ですね。」と。
帝都近傍図
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/1815885-o.html
この記事へのコメント
4. Posted by きむらけん 2016年12月20日 16:13
［北千束の丘上の俳人］
「洗足池界隈文士往来年譜」
には
昭和二十三年二月一日
加藤楸邨（俳人・４３歳）第八高女（現・八潮高校）の同窓会館の仮寓より
大田区北千束六一五に新築した自家へ移転。
番地でいえば中原中也のそばだったのですね。
「洗足池界隈文士往来年譜」
には
昭和二十三年二月一日
加藤楸邨（俳人・４３歳）第八高女（現・八潮高校）の同窓会館の仮寓より
大田区北千束六一五に新築した自家へ移転。
番地でいえば中原中也のそばだったのですね。
3. Posted by 千束村住人 2016年12月20日 11:26
［北千束の丘上の人］
加藤楸邨は北千束の生まれで、昭和23年からは当時の北千束町615番地（現北千束二丁目43）に居を構えていたようですね。
中也と同じ、北千束の丘上ですね。
洗足池が散歩コースだったと聞いたこと（読んだこと？）があります。
冬の樹木の佇まいが好きだったようで、冬木を詠った句が多くありますね。
冬枯れの桜山に行くと、
「佇めば寒木のごとし風の中」
という句が思い出されました。
楸邨もきっと桜山をよく歩いていて、冬枯れの景色が好きだったんじゃないかなと。
想像ばかりで申しわけありません。
加藤楸邨は北千束の生まれで、昭和23年からは当時の北千束町615番地（現北千束二丁目43）に居を構えていたようですね。
中也と同じ、北千束の丘上ですね。
洗足池が散歩コースだったと聞いたこと（読んだこと？）があります。
冬の樹木の佇まいが好きだったようで、冬木を詠った句が多くありますね。
冬枯れの桜山に行くと、
「佇めば寒木のごとし風の中」
という句が思い出されました。
楸邨もきっと桜山をよく歩いていて、冬枯れの景色が好きだったんじゃないかなと。
想像ばかりで申しわけありません。
2. Posted by きむらけん 2016年12月18日 17:43
［白鳥氏の残影］へ
正宗白鳥氏の散歩コースがなんとかなく見えてきそうです。自宅を出て坂をくだり、清水窪湧水路の道を北に行ったのでしょうね。そういえば、この右手の丘に加藤楸邨の家があったとか、前に調べたことがあります。
目蒲線の線路の手前で左手に行ったのでしょう。そうそると東工大、ここの校歌は三好達治が作詞していますね。
そういえば佐藤惣之助は洗足池近くにあったと聞いていましたが、どうも雪が谷みたいですね。この彼が亡くなってその奥さんであるアイに求婚したのが三好達治。彼も雪が谷まできたのかな？
正宗白鳥氏の散歩コースがなんとかなく見えてきそうです。自宅を出て坂をくだり、清水窪湧水路の道を北に行ったのでしょうね。そういえば、この右手の丘に加藤楸邨の家があったとか、前に調べたことがあります。
目蒲線の線路の手前で左手に行ったのでしょう。そうそると東工大、ここの校歌は三好達治が作詞していますね。
そういえば佐藤惣之助は洗足池近くにあったと聞いていましたが、どうも雪が谷みたいですね。この彼が亡くなってその奥さんであるアイに求婚したのが三好達治。彼も雪が谷まできたのかな？
1. Posted by 千束村住人 2016年12月18日 10:19
［白鳥氏の残影］
この時の空襲で、もしかすると白鳥氏の日記（あったとしたら）なども焼けてしまったのではないかと…。
近所をよく散歩されていたようなのですが、洗足池界隈のことを記したものがあまりなく、
土地との関係が希薄な印象をずっと抱いていました。
白鳥文集『一つの秘密』（昭和37年・新潮社刊）に収録されている随筆「心の故郷」の冒頭には、
氏が年の暮れの散歩中に、偶然目にした東工大正門前に貼られた演劇ポスター（カミュ「誤解」）に心惹かれ、
後日初めて大学構内に足を運び、劇を鑑賞した時の様子が綴られています。
白鳥邸の敷地の雑木林は、まるで洗足池の一部のように聳え立っています。
これを維持していくことは大変かと思いますが、
かつての辺り一帯の武蔵野の風景を偲ばせるものとしても残り続けていってほしいと思っています。
この時の空襲で、もしかすると白鳥氏の日記（あったとしたら）なども焼けてしまったのではないかと…。
近所をよく散歩されていたようなのですが、洗足池界隈のことを記したものがあまりなく、
土地との関係が希薄な印象をずっと抱いていました。
白鳥文集『一つの秘密』（昭和37年・新潮社刊）に収録されている随筆「心の故郷」の冒頭には、
氏が年の暮れの散歩中に、偶然目にした東工大正門前に貼られた演劇ポスター（カミュ「誤解」）に心惹かれ、
後日初めて大学構内に足を運び、劇を鑑賞した時の様子が綴られています。
白鳥邸の敷地の雑木林は、まるで洗足池の一部のように聳え立っています。
これを維持していくことは大変かと思いますが、
かつての辺り一帯の武蔵野の風景を偲ばせるものとしても残り続けていってほしいと思っています。
