2016年12月25日

下北沢X物語(3185)〜「ミドリ楽団物語」へのXmasプレゼント〜

CCI20160508_0001(一) 『ミドリ楽団物語』について読者からの手紙が寄せられた。私宛ではない、出版社宛である。「良書を世にだしていただいた」という御礼である、「えにし書房」編集者の塚田さんによると匿名で、この方の住所も分からないという。以下、その文面だ。

 前略
 『ミドリ楽団物語』という大変素晴しい本を読みました。何度も涙ぐんでしまいました。
 昭和23年生まれの私の知らない「疎開」のことが書かれていました。たくさんの人がこのことを書いていますが、どれもがフィルター付きで書かれています。だからもう私は読まないことにしていたのですが、『ミドリ楽団物語』は違いました。

 子供たちの心が活写されていました。ああきっとこうだったに違いないと深く共鳴しました。それは文体が素晴しいからだと思いました。日本語は、ジメつく場面向きのもので、心や場が弾むように書くのには向いていないのです。しかし、この文体はそれができている。


 8年前まで37年間、都の公立中学の教員をしていました。だから私も子供の心も生活もよく知っています。この本では子供が真に子供らしく描かれていると思います。うらやましいくらいで、私もマネをしていこうと決めました。

 ここ数十年でこれほど感動した本は2010年の『百年前の女の子』(船曳由美)だけです。時代と子供が生き生きと描かれている点で共通しています。歴史的史料としても貴重なものです。

 別紙の個人的ランキングの2位か3位にこれは必ず入ります。良書を世に出していただき、本当に感謝いたします。


(二)
 『ミドリ楽団』を指導されたのは浜館菊雄先生である。この本をまとめることになって大変お世話になったのが先生のお嬢さんの片山淳子さんである。『ミドリ楽団』の団員だった彼女からの聞き書きによってこの本は完成したものだ。戦中の疎開先での話、戦後の連合軍慰問など、これらの一つ一つのエピソードは彼女が覚えていたものである。

 浜館先生は『学童集団疎開』という貴重な本を出しておられる。『鉛筆部隊と特攻隊』もこの本に負うところが大きい。『ミドリ楽団物語』での疎開学童の実情はこれによって学ぶことができたものだ。私にとっては得がたいものだ。

 片山淳子さんからも御手紙を戴いた。以下その文面である。

 師走に入り寒さも一段と厳しくなってまいりました。先日はお手紙を賜り厚く御礼を申し上げます。
 かえりみますれば敗戦に打ちひしがれた日本の小さな子供達が簡易楽器で奏でる自国の懐かしいアメリカン・メロディに戦地で負傷した兵士の方々もさぞ深い感慨を覚えたのではないかと私は信じて居ります。

 先生の著わして下さった御本は、兄、また真正寺で二学年長の青木(旧姓川崎)郁子さまと、私と同級の山本(旧姓亀井)和子さまにお贈りして感謝の言葉をいただきましたのでお伝えしたくお手紙をいたしました。

 兄は『父のことを実像以上にとても好意的に書いてくださって嬉しいことです』と、又北海道江別市在住の青木郁子さまは、『作家のきむらけん様がこのように私達の生活を記録し、掘り起こしてくださったことを心から嬉しく思っております』と。青木さまは、大太鼓をを山本さまはトライアングルを担当しておりました。

 又代沢地区の小林外科医院の小林先生は「鉛筆部隊と特攻隊」をすべて読んでいらしてとても絶賛いたして居られました。
 『ミドリ楽団物語』も読んでくださいました。院長先生は昭和21年お生まれで代沢小学校のご卒業です。

 昨今世界の体勢がめまぐるしく変わり危機感をすら憶えますが、唯々平穏無事を祈るばかりです。向寒の砌どうかお身体ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。 敬具


(三)
 作品をまとめあげた者として、嬉しいことは人に内容が伝わることだ。かつまたそこに感銘があればなおさら喜ばしい。

 私自身、本を多く売って儲かろうという考えはあまりない。ここ十数年、下北沢鉄道交点に残る、埋もれた話を掘り起こしてきた。戦争中に当地から疎開に行ったものたちのことを調べた。その過程で、この子供たちと特攻隊とがふれ合っていたことを知った。
 
 戦争の記録としてこれを残しておきたいということで、これらを三冊の本としてまとめあげた。そしてさらにこれが四冊目に及んだ。取材の過程で、素晴しい音楽物語が潜んでいることを知った。これは何としてでも残したい、そういう気持ちから書いたものだ。それが『ミドリ楽団物語』-戦火を潜り抜けた児童音楽隊-である。この本が、密かに人に伝わっていることは嬉しいことだ。

常々考えて苦悩するのは、何をどう書くかだ。物語の書き方というものはある、例えば特攻を美化するという手法もある。その方が売れるはずだ。しかし、単純なお涙ちょうだいもの書いても歴史の記録にはならない。

 思うに鉄道交点は、自由解放区である、あちらからもこちらからも人が集まってきてさまざまな考えをぶつけた場だ。思ったり、考えたりすることでは自由だった。しかし、特攻は不自由そのものだ。とくに国家権力が自死を強いるというのは、やはり間違いである、自由に反するものであるからだ。

 がこれも単純ではない、戦争一色に染められた時代状況の中で、若者は戦争に行かされた、行かねばならなかった。その彼らの苦悩や苦闘はやはり記録して残しておかなくてはならないと思う。長年文化探査を行ってきた者の務めだと思っている。

 ところが作品を書いても、人に読まれなければ、後を続けられない。そのためには作品が世に広く伝わってほしいと願うものだ。

 先月は、四国に住んでおられる武揚隊の山本薫中尉の、ご遺族の方わざわざ上京されて私に資料を持ってきてくださった。私はこれをもとに「苦闘特攻三万里-と号第三十一飛行隊の軌跡」をまとめている。東大原小の疎開学童と武揚隊との出会いが、一つの秘められた戦争物語を発掘した。

 疎開学童は浅間温泉で、特攻二隊と出会った。それは武剋隊であり、武揚隊だ。前者の活躍は華々しい、が、後者は苦難の道のりをたどった。出撃地点にたどり着くまで何人もが志し半ばで戦死している。やっと台湾にたどり着いた残存部隊は、死力の限りを尽くして三次にわたって出撃をし、任務をまっとうしようとした。

 第三次は、終戦前の七月十九日だ、この日特攻出撃して特攻名簿に名前を残している兵士もいるが、交戦戦死か、事故死で亡くなって記録されていない兵士もいる。最後まで苦闘した武揚隊、これは記録として残しておかなくてはならぬと思う。

 昨日、クリスマスイブの日、出版社から転送されてきた匿名の手紙は、私にはなによりのクリスマスプレゼントだった。 (写真は、アニー・パイル劇場で演奏するミドリ楽団)



rail777 at 14:29│Comments(1)││学術&芸術 | 都市文化

この記事へのコメント

1. Posted by きむらたかし@三田用水   2016年12月25日 16:01
[Ernie Pyle Theatre, Tokyo]

こと、元/現・東京宝塚劇場の、Dr. Oliver L. Austin, Jr. 撮影の写真です。

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/835

写真のサムネイルをクリックすると、大きな、というより巨大な写真が表示されます。

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