2016年12月30日

下北沢X物語(3188)〜地域文化的『猫町』私論〜

DSCN0097(一)萩原朔太郎には『猫町』という短編小説がある。副題は「散文詩風の小説(ロマン)」だ、出版されたのは、昭和十年(1935)、世田谷代田居住時代のものだ。とりわけ興味深いのは居宅からの散歩が描かれていることだ。ロマン、物語ゆえに現実の場を考えることはない、しかし、この漫歩における出発点は自然と居宅が思い浮かんでくる。筆者の習慣として、「毎日家から十四、五町(三十分から一時間位)の附近を散歩してゐた」とあるとますます居宅が現実味を持ってくる。

 詩人が居住していた旧番地は、世田谷区代田一丁目六三五番地である。ここに何の痕跡もない。「日本近代詩の父」と言われる彼は当地で終焉を迎えている。代表詩集の一つは、『氷島』である。この「自序」には、期日が記されている。「昭和九年二月」と。つまり、この詩集はここで編まれたものだ。

 居宅があった箇所の地形は興味深い。淀橋台から枝分かれした台地は北沢川にぶつかってここになだれこむ。この丘の裾に家はあった。そしてすぐの上手のヒルトップには鉄塔が高々と聳えている。昭和二十年五月二十五日の山手空襲で焼けた家は、朔太郎自身の設計によるものだ。彼の娘、萩原葉子はこの家を『蕁麻の家』と題して小説を描いている。

 洋之助の設計の家は、東ヨーロッパ風の新鮮な感覚であった。南側から見ると中世の城と寺院とを取りまぜたような急勾配の屋根が高く見え、遠くの方からもすぐそれと分かった。 講談社学芸文庫 一九九七年刊

 『蕁麻の家』は小説、物語だ。それで父のことは洋之助と置き換えられている。が、家は現実のものだ。「遠くの方からもすぐそれと分かった」と、それは間違いない。が、家だけが目立つのではなく丘上の鉄塔との対比によってより目立った。高々と聳え建つ銀色の鉄塔の側に建つ家は朔太郎自身の好みの反映でもある。


(二)朔太郎は「幻影の都会」(『新しき欲情』)と題されたエッセイでこう書いている。例えば停車場のシグナルや遊園地に置かれた新式のベンチなど、「幽邃の自然に於ける文明的の人工物は、我等まで何かの幻想的な、しかも朝のやうな鮮新な気分を感じさせる。」と述べる。彼はそれを「文化的感情」と呼んでいる。

 欧風の家とそれと銀色の聳え建つ鉄塔、とくに後者は、清新な気分を与えた。今でこそ近辺には建物が建ってしまって目立たないが、丘上にある銀色の鉄塔は素晴しい眺めであった。二十八メートルもあるものだ。丘の標高約四十だとすれば、高さは七十メートルくらいになる。

 この鉄塔は、駒沢線といわれる高圧線を支える一つだ。鉄塔はどれも同じだが、この鉄塔は他とは違う、これは「遠くの方からもすぐそれと分かった」、それは鉄塔内部にはっきりとわかる内階段がついていることだ。朔太郎はこの鉄塔の下に居宅を構えたのはこの特異な塔であったらばこそであると思う。『猫町』にはこうある。

 元来私は、磁石の方向を直覚する感覚機能に、何かの著しい欠陥をもった人間である。そのため道のおぼえが悪く、少し慣れない土地へ行くと、すぐ迷児になってしまった。


 世田谷代田のその近辺は、我らも迷うことがある。しかし、高圧線は手がかりだ。迷ったときは、家並みの上にある高圧線を探す、これがわかればしめたもの、これをたどって南方向、もっとも南という方向感覚が掴めないといけないが、へ行くと鉄塔が見つかる。61号は特徴的だからすぐ分かる。

(三)
 「日本近代詩の父」の生存痕跡を示すものは鉄塔だけである。それでこれを我らは世田谷区地域風景資産に推薦した。これには所有者、東電の許可が要る。が、これもクリアーした。
「無骨な鉄塔が風景資産にはならないだろう」
 そんな前評判もあったが、見事にこれが通って、今は「代田の丘の61号」鉄塔として登録されている。

 この鉄塔こそは、『猫町』のキーステーションだ。


rail777 at 20:00│Comments(0)││学術&芸術 | 都市文化

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔    星