2017年06月24日
下北沢Ｘ物語(3305）−X文学物語の極み：岩倉政治−
（一）下北沢南口にあった「大地堂」は伝説の古書店だ。井上光晴がこう言っている。「一九四四年の秋、駅に近い古書店『大地堂』に、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』（改造文庫版）がひっそりとおかれていたなどといっても、信用するだろうか。あとで知ったのだが、古書店の主人は『プロレタリア歌人』の渡辺順三氏であった。」（「東京セレクション」花の巻住まいの図書館出版局）井上光晴がここを訪ねた少し前、一九四四年夏の夜、店の前を大勢の子供たちが通っていった。代沢国民学校の疎開学童である。「暗い町をのろのろ歩いて行く姿はあわれであった」と書き、そのときの思いを歌にして詠んでいる。ちょうどこの学童の行く末を当方は追っていた。この記録は大いに役立った。去りゆく哀れな学童への思いが彼の自伝の中に描かれていた。これが『鉛筆部隊と特攻隊』の話に結びついていく。X街には密かな営みが密かに記録される。下北沢における渡辺順三は興味深い。それで調べたことがある。亡くなった富安好恵さんはこの渡辺順三のことをよく知っていた。北沢三丁目の家を教えてくれたのも彼女である。北沢の古老の三十尾生彦さんもこの歌人とは旧知の間柄だったという。
渡辺順三は左翼運動に関わっていた。昭和十六年十二月九日、すなわち開戦の翌日特高に検挙され世田谷署に留置されている。特高に追われる身、古書店主人というのも一つの便法だったのだろうか。あまり目立たずに住んでいた。しかし文芸人として彼を知る人は多い。当地における人脈もあった。彼はそのことを自著『烈風の中で』書き記している。岩倉政治はその一人である。戦中において彼は北沢で執筆活動を続けていたようだ。
岩倉政治は、富山県出身の小説家だ。富山市立図書館には「岩倉政治文庫」があって、これを図書館がホームページで紹介している。ここでプロフィールを紹介している。
明治36年（1903）富山県東砺波郡高瀬村（現南砺市高瀬）に生まれ、大谷大学哲学科で、鈴木大拙に師事。
昭和14年（1939）「稲熱病」により芥川賞候補となる。「村長日記」により第3回農民文学有馬賞を受賞。
戦後は富山市に住み、「田螺のうた」「無告の記」などの作品を著す。
昭和59年（1984）北日本新聞文化賞を受賞。平成12年（2000）富山市にて永眠。
『日本宗教史講話』『親鸞』『冬を籠る村』『空気がなくなる日』『ニセアカシアの丘で』『草むらの語り』『大伴家持』『ハトムギの夏』など多数の著作がある。
渡辺順三と岩倉政治とは、北沢で行き来をして親しい間柄だった。
（二）
厳木勝の岩倉政治君もお寺の息子で、大谷大学に在学中、哲学講師であった戸坂潤感化を受けて唯物論者になり「唯研」創立と同時に参加している。私が彼と親しくするようになったのは昭和十四年頃で、私が世田谷の北沢三丁目で古本屋をやっていたころである。そして岩倉君は私の家の近くに移ってきて、奥さんがささやかな歯科医を開業し、彼は小説を書いていた。
『烈風の中を』 渡辺順三 東邦出版社 昭和４６年
厳木勝というのはペンネームである。が、一般には岩倉政治で通っている。当地北沢には昭和十三年から昭和二十年頃まで居てその後郷里、富山に帰っている。北沢在住は七八年ぐらいだった。北沢地区内では一度転居しているようだ。最初は、大地堂近くだったのだろう。興味深いのは奥さんが歯科医だったことだ。この辺りに物語が想像される。
いわゆるお見合いではなく恋愛結婚だったのではないか。奥さんのお父さんが開業医だった。娘は跡を継ごうと歯科医になった。ところが彼女は文学青年が好きになって一緒になった。親の反対もあったのだと思われる。
岩倉政治は活動家だ、彼は何度か検挙されている。当時の活動家は豪徳寺が下北沢などに住んだ。幕府の隠密も迷うというほどに道が入り組んでいる世田谷は好まれた。
結婚して生活していくことは大変である。岩倉政治は物書きで家で小説を書いていた。しかし、物書きで食べることは容易でない。生活を成り立たせるために「ささやかな歯科医」を奥さんは開業したという。
（三）
「ささやかな歯科医院」というのは意味がある。通例的には親の歯科医院を受け継いで娘や息子が経営する。親が診てきた患者は財産だ、これを受け継ぐ、また、医療機器をそのまま使うということも強みだ。しかし、下北沢に流れてきた夫婦にはそれがない。とりあえず最低の器具だけを手に要れ開業したのではないか。
昭和九年に作成された『北澤三丁目』の地図がある。小田急線と帝都線が交差する街の様子が分かる。一つの特徴は医院の数が多いことだ。鉄道の交差は人々の行き来を促す、そこに目をつけての医院開業というのはある。歯科医なども鉄道でやってくる種々雑多な人を相手にできる。地の利として経営が成り立つところだった。
奥さんは小さな歯科医を開業する。そこにやってくる人々のはさすらい人でもある。そこには人間模様が浮かび上がってくる。それは小説のネタとなるものだ。夫は、「東医院開業記」を書いて『文芸』に発表している。
（写真は、現在の大地堂跡、２２日夜、撮影は米澤さん）
○第１２９回 都市物語を歩く
三田用水を歩く キュレーター きむらたかし先生
本日、2017/06/24、無事行事は終了しました。
厳木勝の岩倉政治君もお寺の息子で、大谷大学に在学中、哲学講師であった戸坂潤感化を受けて唯物論者になり「唯研」創立と同時に参加している。私が彼と親しくするようになったのは昭和十四年頃で、私が世田谷の北沢三丁目で古本屋をやっていたころである。そして岩倉君は私の家の近くに移ってきて、奥さんがささやかな歯科医を開業し、彼は小説を書いていた。
『烈風の中を』 渡辺順三 東邦出版社 昭和４６年
厳木勝というのはペンネームである。が、一般には岩倉政治で通っている。当地北沢には昭和十三年から昭和二十年頃まで居てその後郷里、富山に帰っている。北沢在住は七八年ぐらいだった。北沢地区内では一度転居しているようだ。最初は、大地堂近くだったのだろう。興味深いのは奥さんが歯科医だったことだ。この辺りに物語が想像される。
いわゆるお見合いではなく恋愛結婚だったのではないか。奥さんのお父さんが開業医だった。娘は跡を継ごうと歯科医になった。ところが彼女は文学青年が好きになって一緒になった。親の反対もあったのだと思われる。
岩倉政治は活動家だ、彼は何度か検挙されている。当時の活動家は豪徳寺が下北沢などに住んだ。幕府の隠密も迷うというほどに道が入り組んでいる世田谷は好まれた。
結婚して生活していくことは大変である。岩倉政治は物書きで家で小説を書いていた。しかし、物書きで食べることは容易でない。生活を成り立たせるために「ささやかな歯科医」を奥さんは開業したという。
（三）
「ささやかな歯科医院」というのは意味がある。通例的には親の歯科医院を受け継いで娘や息子が経営する。親が診てきた患者は財産だ、これを受け継ぐ、また、医療機器をそのまま使うということも強みだ。しかし、下北沢に流れてきた夫婦にはそれがない。とりあえず最低の器具だけを手に要れ開業したのではないか。
昭和九年に作成された『北澤三丁目』の地図がある。小田急線と帝都線が交差する街の様子が分かる。一つの特徴は医院の数が多いことだ。鉄道の交差は人々の行き来を促す、そこに目をつけての医院開業というのはある。歯科医なども鉄道でやってくる種々雑多な人を相手にできる。地の利として経営が成り立つところだった。
奥さんは小さな歯科医を開業する。そこにやってくる人々のはさすらい人でもある。そこには人間模様が浮かび上がってくる。それは小説のネタとなるものだ。夫は、「東医院開業記」を書いて『文芸』に発表している。
（写真は、現在の大地堂跡、２２日夜、撮影は米澤さん）
○第１２９回 都市物語を歩く
三田用水を歩く キュレーター きむらたかし先生
本日、2017/06/24、無事行事は終了しました。
